【7月】
★4日、マニラの「リザル・メモリアル・フットボール・スタジアム」で2回公演。マラカニアン宮殿で予定されていたイメルダ大統領夫人主催の昼食会を欠席。
★5日、イメルダ夫人の誘いを断ったことが大事件に。恐怖と大混乱中、這う這うの体でフィリピンを脱出する。
★6日、インドの到着。数百人のファンの出迎えを受ける。
★7日、イギリス・チャートで「Paperback Writer」が2週連続1位。
★8日、インドでの休養を終え、ロンドンのヒースロー空港に到着。アメリカでアルバム「Yesterday And Today」がゴールド・ディスクに認定。
★10日、フィリピンでの事件を受け、フレディ&ザ・ドリーマーズがフィリピン公演を中止。
★12日、レノン=マッカートニー、1965年度アイバー・ノヴェロ賞の3部門を受賞。
★14日、アメリカでシングル「Paperback Writer」がゴールド・ディスクに認定。
★23日、閉鎖していたキャバーン・クラブが新しいオーナーの元で再オープン。ウィルソン首相などとともにビートルズも招かれていたが、出席はせず代わりに祝電を打っている。
★25日、翌年の1月に撮影に入る予定の主演3作目の映画のプランが発表される。
★29日、南アフリカのプロモーターからコンサートの依頼があったが、人種差別をする国でのコンサートはやらないと拒否した。アメリカの雑誌「デイトブック」にジョンのキリスト発言が掲載される。
★30日、全米チャートでアルバム「Yesterday And Today」が1位を獲得。
★31日、ジョンのキリスト発言が問題になり始める。特に信仰が深い「バイブル・ベルト」と呼ばれるアメリカ南部では、キリストへの冒涜でありジョンの傲慢だとして抗議の声が高まり、アラバマ州バーミンガムではDJの呼びかけに応じてビートルズのレコードやグッズが焼かれる騒動になる。
【8月】
★1日、BBCのラジオ番組「デビッド・フロスト・アット・ザ・フォノグラフ」にポールが単独収録。
★3日、ジョンの単独出演映画「How I Won The War」の計画が発表される。南アフリカでビートルズのレコードが発売禁止になる。
★4日、ジョンのキリスト発言の波紋がさらに大きくなる。全米のラジオ局の多くが抗議のためにビートルズの曲を放送しなくなる。
★5日、シングル「Yellow Submarine / Eleanor Rigby」とアルバム「Revolver」がイギリスで同時リリース。ジョージとパティはパティの母親が所有するストッドレイの農場で休暇。
★6日、BBCラジオ番組「レノン&マッカートニー・ソングブック」のインタビュー収録をセント・ジョンズウッドのポールの自宅で行う。ブライアン・エプスタインはキリスト発言騒動の鎮静化のために渡米。
★7日、共和党員のロバート・フレミングがビートルズのペンシルベニア公演を阻止するキャンペーンを行うと発表。
★8日、シングル「Yellow Submarine / Eleanor Rigby」とアルバム「Revolver」がアメリカで同時リリース。
★9日、ビートルズの身の危険を心配するイギリスのファンが、全米ツアーの中止を求める嘆願書を提出する。
★10日、ビートルズ放送禁止の影響でキャピトル・レコードの株価が急落。
★11日、全米ツアーにむけ出発。ボストンでシカゴ行きに乗り換え午後4時55分に到着した。この日の午後からアメリカの3大ネットワークであるNBC,ABC,CBSがジョンのキリスト発言騒動の特集を報道。シカゴ到着後にジョンが記者会見を行うと、3大ネットワークは一斉に生中継した。
★12日、アルバム「Revolver」全英チャート1位獲得。全米ツアーがシカゴ公演よりスタート。
★13日、ミシガン州デトロイト公演
★14日、ローマの新聞がジョンの謝罪記事を掲載。オハイオ州クリーヴランド公演。
★15日、ワシントンD.C.公演。
★16日、ペンシルベニア州フィラデルフィア公演。
★17日、カナダ、トロント公演。
★18日、マサチューセッツ州ボストン公演。
★19日、テネシー州メンフィス公演。
★20日、オハイオ州シンシナティ公演が予定されていたが、大雨のために翌日に延期。
★21日、昼にオハイオ州シンシナティ公演、夜にミズーリ州セントルイス公演というハードスケジュール。
★22日、アメリカでアルバム「Revolver」がゴールド・ディスクに認定。
★23日、ニューヨーク公演。
★24日、カリフォルニア州ビバリーヒルズのレンタルハウスで休暇。
★25日、ワシントン州シアトル公演。
★26日、滞在していたビバリーヒルズのレンタルハウスにビーチボーイズのウィルソン兄弟が訪ねてくる。
★27日、BBCテレビが1965年のシェア・スタジアム公演を再放送。
★28日、カリフォルニア州ロサンゼルス公演。
★29日、カリフォルニア州サンフランシスコ公演。
★30日、ビバリーヒルズのレンタルハウスで休養。
★31日、イギリスに帰国。
【9月】
★2日、NME誌チャート、シングル「Yellow Submarine」アルバム「Revolver」それぞれ1位を獲得。
★3日、メロディ・メーカー誌でシングル「Yellow Submarine」が1位を獲得。
★5日、ジョン、映画「How I Won The War」の撮影のために西ドイツへ向かう。
★6日、ジョン、役柄の設定で髪の毛を短くカットして丸眼鏡を掛ける。撮影開始。
★10日、全米チャートでアルバム「Revolver」が1位になる。
★12日、アメリカでシングル「Yellow Submarine / Eleanor Rigby」がゴールド・ディスクに認定。
★14日、ジョージ、休暇でインドへ出発。全英チャートでシングル「Yellow Submarine / Eleanor Rigby」が4週連続1位。
★15日、ジョージとパティはインド、ボンベイのタージマハール・ホテルに宿泊。「ミスター&ミセス・サムウェルズ」の偽名を使う。
★17日、ジョージ、ラヴィ・シャンカールと面会し、シタールの練習を始める。全米チャートでシングル「Yellow Submarine」が最高位2位になる。
★19日、サンディ・タイムズ誌がポールにインタビューをする。
★20日、インドのボンベイでジョージとマハリシが会う。
★24日、全英チャートでアルバム「Revolver」が7週連続1位。
★26日、ポールとジェーンが12月に結婚するのではとのうわさが流れる。
★27日、ブライアン・エプスタインが検査のためにロンドンの病院に入院する。
★29日、噂されていたロイヤル・バラエティ・ショーへ出演しないことが正式に発表される。
【10月】
★2日、ブライアン・エプスタインが病気のためにスペインへ行くことを中止した。
★3日、ポールがビートルズを脱退して、ソロ活動をするとの噂が流れる。
★4日、スペインで映画の撮影中のジョンを、リンゴとモーリーンが訪ねる。
★5日、EMIが11月から次回主演映画のための曲作りに入ると発表する。
★8日、リンゴとモーリーン、引き続きスペイン旅行を楽しむ。
★9日、ビートルズは今後は二度とツアーをしないとマスコミに語っていたことを、ジョンが公表した。
★10日、シングル「Yellow Submarine」が香港と当時共産圏の国家であったポーランドのチャートで1位を獲得した。
★11日、ジョンとシンシアはベン・E・キングのコンサートを観る。
★12日、映画「Wedlocked Or All Good Time」(後のThe Family Way)の主題歌をポールが手掛けることが発表された。
★15日、アルバム「Revolver」全米チャートで6週連続1位。ロンドンのアンダー・グラウンド新聞「インターナショナル・タイムズ」の創刊パーティに出席したポールは、ピンク・フロイドやソフト・マシーンを紹介された。
★17日、トニー・シェリダンレコーディングした曲とビートルズのコピー・バンド「スワロウズ」のカバー・バージョンを収録した編集盤「The Amazing Beatles」がアメリカのクラリオン・レコードから発売される。
★20日、ポリオ・リサーチ・ファンドが発売するクリスマス・カードのイラストと全体のデザインをジョンが担当する。
★23日、インドからイギリスにやってきたラヴィ・シャンカールをヒースロー空港に出迎える。
★27日、ペンギンブックスからジョンの著書「In His Own Write」「A Spaniard In The Works」のオムニバス版「The Penguin John Lennon」が発売される。
★30日、ジョージ、ラヴィ・シャンカールからシタールのレッスンを受ける。
★31日、リンゴが映画007シリーズの次回作の出演オファーを受けているといううわさが広がる。
【11月】
★3日、ジョージ、ドノヴァンを自宅に招く。
★6日、ジョン、映画撮影が終わる。ポールはジェーンと共にケニア旅行に出かける。
★7日、ジョン帰国。リンゴはブライアン・エプスタインと共に英国ツアーのために訪れた「フォートップス」をヒースロー空港で出迎えた。
★8日、リンゴ、ビートルズ解散の噂を否定。
★9日、ジョン、インディカ・ギャラリーでヨーコと出会う。
★10日、EMIが12月にビートルズのベスト・アルバムをリリースすると発表。
★12日、南ウェールズの炭鉱で起こった災害の犠牲者のための基金を作るために1,000ポンド(当時のレートでおよそ108万円)を寄付した。
★13日、アメリカ人プロモーターのアラン・クラインにマネージャー就任を要請したと「サンデー・テレグラフ紙」が報じる。ブライアン・エプスタインは即否定。
★14日、ノーザン・ソングスの株主総会でブライアン・エプスタインがビートルズ解散説を否定する。
★17日、ブライアン・エプスタインに代わるマネージャーを見つけるつもりはないとビートルズが公表。
★19日、ポールとジェーンがケニア旅行から帰国する。
★20日、リンゴがリヴァプールの親戚を訪問。
★23日、ブライアン・エプスタインはリンゴに合った映画の役を探していると発表する。
★24日、約五カ月ぶりのスタジオ入り。「Strawberry Fields Forever」のレコーディングが始まる。
★25日、ファンクラブ会員に無料配布されるクリスマス・レコードの1966年盤の録音。タイトルは「Pantomime:Everywhere It's Christmas」
★27日、ジョンがBBCのテレビ番組「ノット・オンリー・バット・オールソー」に2度目の出演をする。ナイトクラブのドアマンを演じた。
【12月】
★6日、海賊ラジオ局のためにメッセージを録音。「When I'm Sixty-Four」のレコーディング開始。
★7日、アメリカのプロモーター、シド・バーンスタインからの1967年のアメリカ公演のオファーを、ブライアン・エプスタインが断る。
★10日、NME誌の人気投票で最優秀イギリス・ヴォーカル・グループに選ばれる。ベストアルバム「A Collection Of Beatles Oldies」リリース。
★11日、9月にインドのボンベイで収録されたジョージのインタビューが、BBCラジオ番組「ザ・ライブリー・アーツ」で放送される。
★13日、ジョン、「ルック誌」の表紙を飾る。インタビューも掲載された。
★17日、「A Day In The Life」にインスピレーションを与えたタラ・ブラウンの交通事故の記事がデイリー・メール紙に掲載される。
★20日、ITVのニュース番組「レポーティング'66」のインタビューに応じる。世間を騒がせている解散説に終止符を打つためだった。
ジョン、、、「(ズバリ解散するのか?という問いに)解散するかもしれないし、バンドとして活動するかもしれない。まあ、オレたちは何をやるにせよ、常に互いに関わりあっている。」
ジョン、、、「(単独で映画出演したことについて)映画出演を仕事にするつもりはない。映画に出演したのは、それをやりたいと思ったからだ。そしてディック・レスターに頼まれたからだ。やってほしくないと他のメンバーが言っていたらオ
レはやっていないよ。休暇中だから問題はないというのがみんなの意見だった。」
ジョン、、、「(レノン・マッカートニーは存続するのか?)オレたちは永遠に作曲を続けると思うよ。オレたちが他に何かをやったとしてもね。それは止めることは出来ない。」
ポール、、、「(ツアー活動を停止した理由)ボクらのステージの質は悪くなる一方だった。誰もボクらの演奏を聴けないような状況では成長できないんだ。できればコンサートは続けたいけど、みんなが聴いていなくて、ボクたちでさえ自分の
音が聴こえないなんて成長できないんだ。だからボクたちはレコーディングで成長しようと思っている。」
ジョージ、、、「(サングラス姿のジョージは笑顔で)No! No !(解散を否定する意味で)」
リンゴ、、、「他のみんなはやることがあっていいけど、ボクはただ太りながら、家にいて座っているだけ。」
★24日、リンゴはクリスマスを祝うために、家族でリヴァプールに滞在する。
★26日、ジョンが架空のナイトクラブ「アド・ラブ」のドアマンに扮したBBC2のテレビ番組「ノット・オンリー・バット・オールソー」が放映される。
★31日、ジョージ、パティ、ブライアン・エプスタイン、エリック・クラプトンは年越しパーティのために、ロンドンのアナベル・ナイトクラブに出向くものの、ネクタイをしていなかったために入場を拒否された。リヨンズ・コーナーハウス・レストランに場所を移した。