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【1月】

★1日、ジョージがアメリカから帰国する。

★2日、トゥイッケナム・スタジオでゲット・バック・セッション、およびドキュメンタリー映画の撮影がスタート。

★3日、ゲット・バック・セッション。

★4日、アップル広報のデレク・テイラーが、ビートルズの次回作はキャバーンクラブもしくはロンドンのラウンド・ハウスでのライヴ盤になると発表。

★6日、ゲット・バック・セッション。

★7日、ゲット・バック・セッション。

★8日、ゲット・バック・セッション。

★9日、ゲット・バック・セッション。

★10日、ゲット・バック・セッション。ジョージは午前のセッションでポールと、昼食時に食堂でジョンと口論になり、ビートルズ脱退を宣言する。

★12日、ジョージが音楽を担当した映画「ワンダー・ウォール」がロンドンでプレミア公開される。

★12日、リンゴの家でメンバーによるミーティングが開かれる。ヨーコもミーティングに加わっており、ジョンの代わりにメンバー然とした態度と発言にジョージが腹を立てて出て行ってしまう。

★13日、ゲット・バック・セッション。アメリカでアルバム「Yellow Submarine」リリース。

★13日、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでセッション。朝からのセッションだったにもかかわらずジョンは昼過ぎまで現れず、ジョージは不参加。待ちぼうけをくらわされたポールとリンゴは、長時間スタッフとダラダラとした時間を費やす。

★14日、ゲット・バック・セッション。

★15日、ゲット・バック・セッション。

★18日、ジョン、ディスク・アンド・エコー誌に「アップルがこのままの状態を続けていたら、ビートルズはあと半年で破産するだろう」と語った。

★20日、新しくできたアップル・スタジオに、トゥイッケナム・スタジオの機材が搬入される。

★21日、リンゴがBBCラジオのインタビューを受ける。

★22日、場所をアップル・スタジオに移し、ゲット・バック・セッションが再開される。ジョージが、ビリー・プレストンにセッションへの参加を要請する。

★23日、ゲット・バック・セッション。

★24日、ゲット・バック・セッション。

★25日、ゲット・バック・セッション。

★26日、ゲット・バック・セッション。

★27日、ゲット・バック・セッション。

★28日、ゲット・バック・セッション。

★29日、ゲット・バック・セッション。

★30日、ルーフ・トップ・コンサート。

★31日、ゲット・バック・セッション最終日。

【2月】

★3日、リンゴ、映画「マジック・クリスチャン」の撮影に参加を始める。

★4日、アラン・クラインのマネージャー就任に対抗して、ポールはリンダの父親である弁護士リー・イーストマンをアップル・レコードの最高顧問に就任させる。

★5日、アルバム「Yellow Submarine」アメリカでゴールド・ディスクを獲得。

★7日、ジョージが扁桃腺手術のために入院する。

★13日、メリー・ホプキンのデビュー・アルバム「Post Card」の発表記念パーティにポールが出席。ジミ・ヘンドリックスも出席している。

★20日、映画「キャンディ」のヨーロッパ・プレミアにリンゴが出席。

★22日、アルバム「Abbey Road」のレコーディングが「I Want You (she's so heavy)」でスタートする。

★25日、ジョージ、EMIスタジオで「Something」「Old Brown Shoe」「All Things Must Pass」のデモ・レコーディング。

【3月】

★1日、ポールがメリー・ホプキンのシングル「Good Bye / Sparrow」をプロデュース。全米アルバム・チャートで「The Beatles」「Yellow Submarine」で1・2位独占。

★2日、ケンブリッジ大学でヨーコのパフォーマンスのバックとして、ジョンが初のソロ・ステージに立つ。

★4日、グリン・ジョンズがアルバム「Get Back」のミックス作業を開始する。

★12日、ポールとリンダが入籍。ジョージとパティがマリファナ所持の疑いで逮捕される。

★20日、ジョンとヨーコ、ジブラルタルで結婚式を挙げる。

★21日、ジョージがプロデュースしたジャッキー・ロマックスのアルバム「Is This What You Want?」がイギリスでリリースされる。

★25日、ジョンとヨーコがアムステルダムでハネムーン。31日までの滞在中に平和イベント「ベッド・イン」がおこなわれた。

★28日、メリー・ホプキンのシングル「Goodbye」がイギリスでリリース。

★31日、ジョージがマリファナ不法所持で罰金250ポンドの判決。

【4月】

★1日、ジョン、テムズ・テレビのニュース番組「トゥデイ」に生出演。

★3日、ジョン、テムズ・テレビの番組「イーモン・アンドリュース・ショー」に生出演。ジョージはBBCラジオ番組「ザ・ワールド・アット・ワン」のインタビューを受ける。

★11日、シングル「Get Back / Don't Let Me Down」がイギリスでリリース。

★14日、ジョンとポールだけで「The Ballad Of John And Yoko」のレコーディング。

★16日、「Old Brown Shoe」「Something」のレコーディング。

★20日、「Oh ! Darling」のレコーディング。

★22日、ジョンとヨーコは「Wedding Album」に収録する音源を、EMI第2スタジオで収録した。

★26日、「Octopus's Garden」のレコーディング。

★27日、ジョン、アルバム「Wedding Album」に収録するための心拍音を、病院などで用いる高感度マイクで収録した。

★29日、シングル「Get Back」がイギリスにチャートで1位を獲得。

【5月】

★1日、実験音楽等を扱うレーベル「ザップル」を立ち上げることを発表。

★2日、EMI第2スタジオで「Something」のレコーディング。

★4日、映画「マジック・クリスチャン」の打ち上げにリンゴ、そしてジョンとポールも参加する。

★5日、シングル「Get Back / Don't Let Me Down」がアメリカでリリースされる。

★6日、「You Never Give Me Your Money」のレコーディング。

★7日、ジョンとポールは、アラン・クラインとともにレコード印税引き上げ交渉をEMIと行ったが,EMI会長は引き上げを拒否した。

★8日、ジョン、BBCのラジオ番組「シーン・アンド・ハード」のインタビューを受ける。また、アラン・クラインのマネージャー就任と、アラン・クラインの会社がアップルの経営に加わることの契約書にジョン、ジョージ、リンゴがサインする。

★9日、前日の契約書にサインをするよう、アランとジョン、ジョージ、リンゴがポールに迫るものの、週末であることを理由に断る。夜にはポールはスティーヴ・ミラーのレコーディングに参加してドラムを叩く。同日、ジョンとヨーコのアルバム「Unfinished Music No.2:Life With The Lion」がイギリスでリリース。

★11日、ジャック・ブルースの「Never Tell Your Mother She's Out Of Tune」のレコーディングにジョージが参加。

★13日、アルバム「Get Back」のジャケット写真撮影。デビュー・アルバム「Please Please Me」と同じEMIハウスで行われた。デビュー・アルバムのパロディとなっており、カメラマンも当時と同じカメラマンのアンガス・マクビーンが担当した。

★15日、ポールはリヴァプールの父親ジムの元へ里帰り。

★19日、シングル「Get Back」がアメリカでゴールド・ディスクに認定。

★22日、「Hey Jude」でアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞。

★24日、シングル「Get Back」全米チャートで1位を獲得。

★26日、ジョンとヨーコがカナダのモントリオールで2度目の「ベッド・イン」のイベントを行なう。

★30日、シングル「The Ballad Of John And Yoko / Old Brown Shoe」イギリスでリリース。

【6月】

★1日、モントリオールでのベッド・インで「Give Peace A Chance」をレコーディング。

★4日、シングル「The Ballad Of John And Yoko / Old Brown Shoe」アメリカでリリース。

★17日、シングル「The Ballad Of John And Yoko / Old Brown Shoe」が全英チャートで1位を獲得。

★27日、リンゴとモーリーンが南仏旅行に出かける。

★29日、ジョン、スコットランドへ旅行。

【7月】

★1日、スコットランドを旅行中のジョンが交通事故。ヨーコと共に病院へ運ばれる。

★2日、「Her Majesty」「Golden Slumbers / Carry That Weight」のレコーディング。

★4日、プラスティック・オノ・バンドのシングル「Give Peace A Chance」イギリスでリリース。

★6日、ジョン、スコットランドの病院を退院する。

★7日、「Here Comes The Sun」のレコーディング。

★9日、ジョンが交通事故から復帰。「Maxwell's Silver Hammer」のレコーディングで久々に4人そろった。

★12日、アメリカの多くの放送局で「The Ballad Of John And Yoko」が放送禁止に。「christ !」と言う歌詞が神への冒涜と受け取られることを懸念しての措置。

★16日、「The Ballad Of John And Yoko」がアメリカでゴールドディスク認定。

★21日、「Come Together」のレコーディング。

★23日、「The End」のレコーディング。

★24日、「Sun King」「Mean Mr Mustard」のレコーディング。それとは別にポールは「Come And Get It」のデモをレコーディング。

★25日、「Polythene Pam」「She Came In Through The Bathroom Window」のレコーディング。

★26日、月末までB面の編集作業。

【8月】

★1日、「Because」のレコーディング

★5日、21日まで各曲のオーバーダビング作業と編集作業が続く。

★8日、ジャケ写の撮影。

★20日、「I Want You (she's so heavy)」のオーバーダビング。この日がスタジオに4人が揃った最後の日となる。

★26日、ジョージがボブ・ディランに会うためにワイト島に出かける。

★28日、ポールとリンダの間にメアリー誕生。

★31日、ジョン、ジョージ、リンゴがワイト島のフェスティバルでボブ・ディランのステージを観る。

【9月】

★1日、ジョンがアスコットの自宅にボブ・ディランを招く。

★2日、帰国するボブ・ディランをジョージが車でヒースロー空港まで送る。

★13日、ジョン率いるプラスティック・オノ・バンドがトロントでロックン・ロール・リバイバル・ショーに出演。

★20日、ビートルズは1976年までのレコーディング契約をEMIと結ぶ。ビートルズはアラン・クラインとビジネス・ミーティングを行なった際に、ジョンがグループ脱退を表明する。

★25日、ジョンがプラスティック・オノ・バンド名義で「Cold Turkey」のレコーディングを行なう。

★26日、アルバム「Abbey Road」イギリスでリリース。

★28日、ジョン、「Cold Turkey」の再レコーディング。

【10月】

★1日、アルバム「Abbey Road」アメリカでリリース。

★3日、ジョンはプラスティック・オノ・バンド名義で「Don't Worry Kyoko」をレコーディング。

★4日、アルバム「Abbey Road」イギリスのチャートで1位を獲得。

★6日、両A面シングル「Something / Come Together」がアメリカでリリース。

★8日、ジョージがBBCラジオ番組「シーン・アンド・ハード」のインタビューを受ける。

★13日、ポールとリンゴは、ロンドンで行われたメリー・ホプキンのデビューコンサートを観る。

★20日、プラスティック・オノ・バンドのシングル「Cold Turkey」がアメリカでリリース。

★21日、ジョンがBBCラジオ番組「シーン・アンド・ハード」のインタビューを受ける。

★27日、リンゴがEMI第3スタジオでソロ・アルバムのレコーディングを開始。

★28日、両A面シングル「Something / Come Together」がイギリスでリリース。

【11月】

★1日、アルバム「Abbey Road」全米チャートで1位を獲得。

★7日、ジョンとヨーコのアルバム「Wedding Album」がイギリスでリリース。

★25日、ジョン、MBE勲章を返還。

★29日、両A面シングル「Something / Come Together」が全米チャートで1位を獲得。

【12月】

★2日、ジョージがデラニー&ボニーのツアーに参加する(12日まで)。

★12日、「Across The Universe」収録のチャリティ・アルバム「No One's Gonna Change Our World」がイギリスでリリースされる。

★15日、ロンドンのライシアム・ボールルームで開かれたチャリティ・コンサート「ピース・フォー・クリスマス」にプラスティック・オノ・バンドが出演。ジョージも参加した。

★16日、ジョンはカナダのトロントへ飛ぶ。

★23日、ジョンとヨーコはカナダのトルドー首相と会談。

★29日、ジョンとヨーコはデンマークへ出発。

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