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【レコーディング日】

★1969年2月22日~8月20日

【発売日】

★英国1969年9月26日、米国1969年10月1日、日本1969年10月21日

【チャート状況】

★英NME誌1969年10月1日初登場1位、以後18週連続1位。英メロディ・メーカー誌1969年10月4日初登場1位、以後21週連続1位。英オフィシャル・チャート1969年10月1日初登場1位、以後11週連続1位。後に12月27日に1位に返り咲き、以後6週連続1位。さらに翌年5月2日まで連続31週ベスト10位以内。米ビルボード誌1969年10月18日178位初登場、11月1日1位獲得。以後11週連続1位。

【受賞歴】

★第12回グラミー賞「最優秀エンジニア賞」受賞。

★RIAA(全米レコード協会)がプラチナ・ディスク認定。

【収録曲】

(1) Come Together カム・トゥゲザー

(2) Something サムシング

(3) Maxwell's Silver Hammer マックスウェルズ・シルバー・ハンマー

(4) Oh ! Darling オー!ダーリン

(5) Octopus's Garden オクトパス・ガーデン

(6) I Want You (she's so heavy) アイ・ウォント・ユー

(7) Here Cones The Sun ヒア・カムズ・ザ・サン

(8) Because ビコーズ

(9) You Never Give Me Your Money ユー・ネバー・ギヴ・ミー・ユア・マネー

(10) Sun King サン・キング

(11) Mean Mr Mustard ミーン・ミスター・マスタード

(12) Polythene Pam ポリシーン・パン

(13) She Came In Through The Bathroom Window シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ

(14) Golden Slumbers ゴールデン・スランバー

(15) Carry That Weight キャリー・ザット・ウェイト

(16) The End ジ・エンド

(17) Her Majesty ハー・マジェスティ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア】

【使用楽器】

★エピフォン・カジノ、フェンダー・テレキャスター(ローズウッド)、ギブソンSGスタンダード、ギブソン・レスポール・スタンダード、フェンダー・ストラトキャスター、ギブソンJ-160E、マーティンD-28、エピフォン・テキサン、リッケンバッカー4001S、ヘフナー500/1、フェンダー・ジャズ・ベース、フェンダーVI、ラディック・クリア・ラッカー・メイプル、ラディック・スネア・オイスター・ブラック・パール、ジルジャン・シンバル、ローズ・スーツケース・エレピ、モーグ・シンセサイザー、ハモンド・オルガン、ボールドウィン・エレクトリック・ソリッド・ボディ、ブリュートナー・グランド・ピアノ、ハープシコード、ローリー・ヘリテージ・オルガン、スタインウェイ・グランド・ピアノ

【レコーディング詳細】

★それまでのビートルズのレコーディングには真空管方式のミキサーが使われていたが、このアルバムでは初めてトランジスタのミキシングのコンソールが使われた。

★ジェフ・エメリック、、、「トランジスタのミキサーを使用したことで全体的にエッジの効いたサウンドになった。それにトラック数が増えたことで、タムの下とか今まで置けなかったところにマイクを置くことが出来た。」

★ステレオのみのミックスしか行われておらず、モノミックスは存在しない。

【アルバム・タイトル】

★当初は「Billy's  Left Boot」というタイトルが付けられていたが、エンジニアのジェフ・エメリックが吸っていたタバコの銘柄「エヴェレスト」にポールが注目。パッケージに描かれていたエヴェレスト山のシルエットのデザインも気に入っていたという。

★ジャケット写真の撮影のためだけにヒマラヤへ飛ぶのは面倒臭いという話になり、今いる場所(スタジオ)がある「アビイ・ロード」をタイトルにしようとポールが提案した。

【ジャケット写真】

★撮影日、、、1969年8月8日午前11時35分から

★撮影場所、、、ロンドン、EMIスタジオ前の横断歩道を含む路上。

★カメラマン、、、イアン・マクミラン

★そこそこ交通量も多い道路で横断歩道には信号機も無いという悪条件。手早く撮影を終えるためにイアン・マクミランは大掛かりな機材を使用せず、カメラと脚立のみで撮影した。また現場で交通整理を行なっていた警察官が車の通行を一時ストップさせて協力していた。

★写真は横断歩道を3往復した行き帰りの計6枚撮影された。メンバーの歩幅が合わなかったりよそ見をしたりで上手くいかず、3回目の往路で上手くいきこの写真が採用された。なかなか歩幅が合わないことにジョンはイライラしていた。

★ジョンの頭と黒いバンの間に写る男性は、スタジオ近くに住む団体職員のトニー・ステイブル氏である。大のビートルズファンである彼の妹が、アルバム購入後にすぐに気が付いたそうで、至急兄に連絡したという。

★この男性については、アメリカ人の旅行者ポール・コール氏という説もある。

★ポール、、、「ボクはEMIスタジオの近くに住んでいたから、サンダルを履いて出かけたんだ。暑かったのもあって撮影ではサンダルを脱ぐつもりだった。アルバムがリリースされると裸足のボクを見て「なぜ彼は靴を履いていない?今までにこんなことはなかった」と人々は言い始めた。これはマフィアでは死を表すしるしだ、なんて噂が立った。ただ、ボクは靴を脱いだだけなのに、なんでそういう風に関連付けるのか理解できなかったよ。」

★横断歩道を渡るアイデアはポールのもので、スケッチ画も残されている。

★裏ジャケットは実際の道路名表示に「BEATLES」の文字を合成ではめ込んだものが使われた。青いワンピースを着た女性が横切っているが、これをメンバーが面白がってこの写真が採用となった。

★はめ込まれた「BEATLES」の複数形を表す「S」に亀裂が入っていることが憶測を呼んだ。また日本盤では、印刷された曲目のうち「Something」「Maxwell's Silver Hammer」の曲順がミスプリントで逆になっていた。

★撮影に要した時間は30分という短時間であったが、当初はイアン・マクミランにわずか「5分」で撮影を終えろとの指示があったとも言われている。

★ジョン、、、「(ポールが裸足で撮影したことについて)目立ちたがり屋のあいつらしい技だ。」

★ポール、、、「ばかげているよ、本当に笑い話だ。職業上での災難とも言っていい。誰かのでっち上げの架空の話に、ボクは対処しなくてはならなくなった。いちばん困ったのは、おそらくその話を信じているだろうと思われる人が、ボクのことを近くで見ようとしているように感じられたことだ。「彼の耳の形は、前からこんな形だったっけ」という感じだ。」

★撮影された写真は、アップル・レコードのアート・ディレクター兼デザイナーのジョン・コッシュが担当することになった。ジャケットにバンド名を書かないデザインに、EMI首脳部が待ったをかけた。

★ジョン・コッシュ、、、「世界一有名なバンドなのだから、ジャケット写真に「The Beatles」と書く必要はないと主張しました。EMIはひどくショックを受けて「そのバンドが誰なのか伝えずにアルバムを発売するなど、われわれは絶対にしない」と言いました。ちょっとしたパニック状態になりました。でも私はやり通しました。」

★レコード史上最も模倣されるアルバム・ジャケットとなったがゆえの問題も発生している。大勢の観光客や世界中から集まるファンが横断歩道上で写真を撮るために交通事故が時々起こっている。2009年に交通事故多発を理由に横断歩道の移転を訴えた地元の女性議員も現れた。彼女によるとこの数年間だけでも20件以上もの事故が発生しているという。

【エピソード】

★当初の構想時には、A面とB面が逆であった。

★アルバム「Get Back」の製作がとん挫したことで、次のアルバム「Abbey Road」へと移行する。アルバムの完成は先送りにして全く新たなアルバムを作ることを提案したのはポールである。

【コメント】

★ジョン、、、「(B面メドレーについて)オレたちには未完成曲の断片が山ほど転がっているんだ。Sgt.pepperの頃に書いたものをまだ持っているんだけど、そのまま放置していると興味を失ってしまうから、メドレーはそういった断片を片付けるやり方としてはベストな方法だった。」

★ジョン、、、「ポールとオレはレコードの片面で一つの作品となるような、ソング・モンタージュみたいなものを作っている。俺たちに与えられた時間は2週間しかないから、本当に一生懸命にやっているんだ。曲はどれも普通なんだけど君たちには奇妙に聴こえるかもしれない。Revolution9のような曲は無いけど、いくつかのヘヴィーなサウンドがあるよ。でも単純なカテゴリー分けは出来ないよ。やりたいようにやっているからね。」

★ジョン、、、「ベーシックな歌と演奏はほぼ一発録りだ。ほとんどの収録曲がそうだ。Happiness Is A Warm Gunとおなじさ。」

★ポール、、、「ボクらはまとまっていた。音楽的にも問題は無かったし、何よりも友達だったからね。(後年のコメント)」

★ポール、、、「このアルバムをレコーディングしていた頃は、ジョンとボクとの音楽的な意見の相違が際立ってきていた。互いの音楽をあからさまに批判するようになっていて、ジョンはもはや自分が書いた曲以外でプレイすることに何の興味も持たなくなっていた。(1971年)」

★ジョージ、、、「アルバム「Get Back」が手つかず状態になっていたからこそ、ボクらはまた今度こそ良いアルバムを作ろうと決めたんだ。それにはジョージ・マーティンに参加してもらうのがベストだと思った。」

★ジョージ、、、「これがビートルズとしての最後のアルバムになるなどとは、あの当時はわからなかった。でも、最後が近づいているなという感じはあったね。」

★ジョージ、、、「ボクにはとても抽象的に感じられるけど、すべてがうまく組み合わさっている。とても良いアルバムだと思う。」

★リンゴ、、、「ジョージ・マーティンと一緒にアビイ・ロードに戻ると、家に帰ってきたみたいにくつろいだ気持ちになったよ。」

★ジョージ・マーティン、、、「アルバムGet Backがあまりにも悲惨な仕上がりだったために、ビートルズはこれでお終いだと私は本気で思っていた。もう2度と彼らと仕事をすることはないだろうと、こんな終わり方をするなんて実に残念だと思っていた。だからポールから電話が来て「またレコードを作りたいから、プロデュースをしてくれないかな」って言われた時には本当に驚いた。「昔のやり方でやらせてくれるなら」というと「ボクらもそれを望んでいる」と言われ「ジョンもかい?」と聞くと「もちろん」という返事だった。「よし、君たちが本気でそう思っているんだったら、また集まろうか。」ということになったんだ。」

★ジョージ・マーティン、、、「正直なところ、Abbey Roadは私のフェイバリット・アルバムだ。すばらしいアルバムだと思うし、私たちは、もしかしたらこれが最後のアルバムになるのではと、分かっていたのかもしれないね。」

★ジョージ・マーティン、、、「当時はこれが最後のアルバムになるなどとは思わなかった。昔のようになった彼らは、自分自身にも満足しているようだった。みんなが一つの目標に懸命に取り組んでいるようだった。」

★ジェフ・エメリック、、、「ポールはボクらスタッフを全員集めたがっていた。素晴らしいチームだったからね。ポールはそのことをよく分かっていた。このアルバムはポールからの最後のビッグ・プロジェクトだった。だからボクは快く要請に応じたんだ。ジョンとヨーコが交通事故でスタジオ内にベッドを持ちこんだりして、最初は何とも危なっかしい感じだったけど。」

★ジェフ・エメリック、、、「ボクはこれがビートルズの最後のアルバムになるなんて思っても見なかった。それをほのめかすようなことも言われなかった、少なくともボクにはね。ボクが理解していたことは、ただ1枚のレコードを作るということだ。バンドは前よりもスムースにプロジェクトを進めていた。常に生き生きとして陽気だったわけじゃないけど、前作とは比べられないほど良かった。」

★イヴニング・スタンダード紙、、、「これが彼らのベストアルバムか結論を出すのは早すぎるが、それでもこのアルバムは素晴らしい。メドレーはそのアイデアと構成において実に美しい。良い音楽を生み出すための、かれらの絶えない努力に対して感謝せざるを得ない。」

★サンデイ・タイムズ紙、、、「このアルバムは爽快で簡潔、もったいぶったところがない。1920年代風ジョークがナンセンスな「Maxwell's Silver Hammer」や子供っぽい「Octopus's Graden」はうんざりだが、前作よりもずっと高みに達していると言える。」

★タイムズ紙、、、「B面はとにかく非凡。Come TogetherやSomethingも良いが、なんといってもB面が素晴らしい。ジョン・レノンはこのアルバムは実験的な音楽から離れ、純粋なロックン・ロールに戻る試みだと語った。ビートルズと同じくらい想像的な人がこれを試みても虚しい結果に終わるだろう。」

★NME誌、、、「実に美しく強烈な音楽である。Revolverの感触を残しながらも、このアルバム独特のものがあり、ホワイト・アルバムをはるかにしのぎSgt. Pepper~と肩を並べる瞬間さえある。」

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