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【レコーディング日】1963年2月11日

【発売日】

英国 1963年3月22日(モノラル盤)、4月2日(モノラル盤・セカンドプレス)、4月26日(ステレオ盤)、5月18日(ステレオ盤・セカンドプレス)。1970年代はステレオ盤のみプレス、1981年にモノラル盤限定プレス、1980年代後半以降はモノラル盤のみプレス。米国 1982年9月(それまでは米国キャピトルレコード独自編集盤「The Early Beatles」が流通していた日本 1966年5月25日(ファーストプレス)9月10日(セカンドプレス)イギリス統一ジャケット盤1976年6月20日 オリジナル・モノ・アルバム1982年1月21日

【チャート状況】

★3月27日NME誌アルバムチャートにおいて9位初登場。5月8日にトップに立つ。以後11月20日まで29週間連続1位。ちなみに翌週の1位はセカンドアルバムの「With The Beatles」であり21週1位を獲得している。「Please Please Me」は1位陥落後も16週間にわたって2位を続けていた。つまり、ほぼ1年間に渡ってビートルズのアルバムがチャートトップに居座り、その内16週間は1,2位をビートルズのアルバムが独占していたことになる。

★10月には25万枚を売り上げ、当時のイギリスでの売り上げ枚数の新記録を樹立。最終的には50万枚を売り上げた

【収録曲】

(1) I Saw Her Standing There アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

(2) Misery ミズリー

(3) Anna (Go To Him) アンナ

(4) Chains チェインズ

(5) Boys ボーイズ

(6) Ask Me Why アスク・ミー・ホワイ

(7) Please Please Me プリーズ・プリーズ・ミー

(8) Love Me Do ラヴ・ミー・ドゥ

(9) P.S. I Love You P.S.アイ・ラヴ・ユー

(10) Baby It's You ベイビー・イッツ・ユー

(11) Do You Want To Know A Secret ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット

(12) A Taste Of Honey 蜜の味

(13) There's A Place ゼアズ・ア・プレイス

(14) Twist And Shout ツイスト・アンド・シャウト

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【使用楽器】

〈ジョン・レノン〉

ギブソンJ-160E,リッケンバッカー325、ホーナー・ブルースハープ

〈ポール・マッカートニー〉

ヘフナー500-1

〈ジョージ・ハリスン〉

ギブソンJ-160E、グレッチ・デュオ・ジェット、グレッチ・カントリー・ジェントルマン

〈リンゴ・スター〉

プレミア・ドラムセット、タンバリン、マラカス

【レコーディング】

★ジョージ・マーティンの要請で自分たちの持ち曲をとりあえず思いつく曲を何曲か通して演奏した。「たった1日でレコーディングを終える」という制約もあったためかジョージ・マーティンは1曲終わるたびに「次の曲は」と急かしたという。とりあえず全曲通して演奏してジョージ・マーティンに雰囲気を掴んでもらい、その後1曲ずつ収録していった。

★エンジニアのノーマン・スミスによるとクリーンなサウンドに不満でライヴのようなにぎやかなサウンドにしたいとジョージ・マーティンに提案。スタジオ内に反響する音もマイクで拾うため普通アンプのスピーカー近くにセッティングするマイクを2メートルくらい離してから楽器すべてを同じトラックに録音した。またスタジオでの4人の立ち位置もライヴと同じにした。

★ミックスに関してジョージ・マーティンとノーマン・スミスの間に意見の相違があって、ちょっとしたいさかいがあった。ヴォーカルを大きめにというジョージと、反対に楽器の音を大きめにと考えるノーマン、エコーを増やしたいジョージと極力使いたくないノーマンという具合である。結局ノーマンは責任者のジョージの意見に従った。

★アルバム収録曲は全14曲だが、このうち6曲がカバー曲だが、全曲オリジナルにしなかったのは一説にはEMIの幹部が全曲オリジナルで大丈夫なのか?と不安がったというのがあるが、実際は「ライヴレパートリーの中から選ぶ」ということでカバーも収録した。ただジョージ・マーティンは「オリジナル曲が100以上ある」と豪語していたジョンとポールの言葉を受け「アルバム全曲オリジナル」と考えていた。

★「Hold Me Tight」のレコーディングが上手くいかず、ボツになって次のアルバム「With The Beatles」に収録されたことは良く知られた出来事だが、もう1曲か2曲レコーディングされていたとの説がある。ジョージ・ハリスンによれば「ひょっとするとあの日「Take Care Of My Baby」を演奏したかもしれない」とのこと。当日レコーディング現場にいたノーマン・スミスやトニー・バーロウは「Keep Your Hands Of My Baby」をレコーディングしたと語っている。この両曲はタイトルが似ているので混同している可能性があるが、ボツになった曲がいくつかあったらしい。

★ギターの弦のチューニングをジョンは面倒くさかったのか、その作業をすべてジョージ・ハリスンにやらせていた。

★当日のレコーディングの順番。There's A Place、I Saw Her Standing There(以上10:00から13:00)、A Taste Of Honey、Do You Want To Know A Secret 、A Taste Of Honey、There's A Place、I Saw Her Standing There、Misery(以上14:30から18:00)、Hold Me Tight,Anna (Go To Him)、Boys、Chains、Baby It's You、Twist And Shout(以上19:30から22:45)

★9日後の2月20日、ジョージ・マーティンによるオーヴァーダビングを行う。Baby It's Youにチェレスタとピアノ、MiseryにピアノをダビングしたがBaby It's Youのピアノはボツになった。ギターとドラムのみによる一発録りの方針だったがこれが崩れてしまっている。ちなみにI Saw Her Standing Thereの手拍子、A Taste Of Honeyのボーカルのダブルトラック、There's A Placeのハーモニカとすでに崩れてしまっているのだが。

★良質なサウンドを得るためには「モノラル盤」が良いと重要視されており、ビートルズのアルバムは「ステレオ」「モノラル」の2種類が存在する。しかし、ビートルズのメンバーはそれぞれの演奏がよく聞こえるという理由で「ステレオ盤」も評価していた。

【ジャケット写真】

★撮影場所 マンチェスター・スクエアにあるEMIハウス

★撮影日 1963年2月16日か20日

★カメラマン アンガス・マクビーン

★オリジナル・ポジフィルムはウェスト・ロンドンのブルック・グリーンにあるEMIの地下室に保管されていたが、2001年1月に清掃を委託していた会社の清掃員の不注意によって捨てられてしまった。清掃会社クリスタルはその清掃員を解雇したが、   EMIとアップルコープスは清掃会社を相手取り70万ポンド(当時のレートで1億6000万円)の賠償請求の訴えを起こした。オリジナル素材による写真は二度と見ることが出来ない。

★ブライアン・エプスタインはEMI前でふざけている写真を使いたかった、またジョージ・マーティンはロンドンの昆虫館の前で撮影するという案を出したが、昆虫館を管理しているロンドン博物館の許可が下りず断念。後のジョージ・マーティンのコメント、、、「今ではきっと後悔しているよ」。

★新人バンドなので予算が少なく、アンガスは最低限の機材しか持ってこなくて(あるいはナメていた)、レンズも普通のレンズしかなかったので、4人が吹き抜けから見下ろす構図を下から撮る際、寝転がって撮るしかなかったという。なんと撮影枚数はわずかに「数枚」だけ。1枚は当アルバム、もう1枚はイギリス盤のコンパクト盤「The Beatles」、そしてもう1枚は「赤盤」「青盤」へと3種類使用された。このジャケットについてのジョージ・ハリスンのコメント、、、「ゴミ」。

★プロデューサーのジョージ・マーティンはアルバム制作以前からアルバムタイトルをどうしようかとかなり悩んでいたそうだ。とにかくレコード店でビートルズのデビューアルバムが目立つようなタイトルが必要だと考えていた。考えに考えた結果「Off The Beatles Track」を推したが、ヒットシングル名を前面に押し出して購買意欲をそそるタイトルのほうがいいというEMI上層部の意見に従い、泣く泣く「Please Please Me」に決定した。

★EMIハウスの建物はEMIの所有物ではなく賃貸物件。現在はロンドンのマンチェスター・スクエアからロンドン郊外のブルックグリーンに移転しているが、元のEMIハウスが1997年に改修工事を行なった際に、ジャケット写真に写る2階の手すりと階段を移設した。

【エピソード】

★プロデューサーのジョージ・マーティンはこのデビュー・アルバムを「ライヴ・アルバム」として制作する予定だった。オーディエンスを前にしたときのパフォーマンスをレコードにすることが最もビートルズの魅力を伝えることができるとジョージ・マーティンは判断したことによる。この計画は公にされNME誌は「ビートルズのデビューアルバムはキャバーン・クラブでレコーディングされる」と報じている。ジョージ・マーティンのコメント、、、「私がリヴァプールに行けばそのアイデアをもっと練ることができるかもしれない。最初のLPをキャバーンでレコーディングすることを検討しているんだ。もちろんその判断をするには実際に行く必要があるけどね。もし良いサウンドを得ることができるなら、リヴァプール以外のところでレコーディングしてもいい。あるいはオーディエンスをロンドンに呼ぶとかね。オーディエンスがいたほうが良い演奏ができると彼らも言っていた。」

★しかし、キャバーンでのライブレコーディングはまぼろしとなった。理由としてレコーディング機材のキャバーンへの運び込みが非常に困難なことが挙げられる。現代と違って当時の機材はとても大きく、キャバーンの地下に搬入するのは難しい。また「レンガに囲まれた地下室」というキャバーン独特の構造が音響的に良質なレコーディングをするには不適格ということで、キャバーンでのレコーディングは断念されることになる。    

★ライヴ・ショーの雰囲気を出すためにスタジオでのびのびとビートルズに演奏させようとジョージ・マーティンは考えたが、のびのびさせすぎるとやたらと休憩する彼らの緊張感を持続させるためにジョージ・マーティンはいろいろ苦労したという。しかしレコーディング当日のビートルズはランチタイムになってスタッフが昼食をとっている間も時間を惜しんでスタジオに残り練習を続けていたという。スタッフは「ランチタイムの時間を惜しんで練習するバンドなんて初めて見た」と驚いていたという。

★このアルバムでは作詞作曲者のクレジットがおなじみの「Lennon-McCartney」ではなく「McCartney-Lennon」になっている。「She Loves You」以降はずっと「Lennon-McCartney」である。ポールによると「ジョンのいつものやり方さ」ということだが、やっぱりジョンにしたらNo.2のような位置は嫌だったのだろうか。

★不合格となったデッカ・オーディション。そのテープを聴いたクラウス・フォアマンは「いつものワイルドなビートルズと違う」と憤慨したが、このデビューアルバムを聴いて「ハンブルグの頃の勢いを感じることができた」として嬉しく思ったと語っている。

【コメント】

★ジョン、、、ライヴの雰囲気を出そうとした。ハンブルグやリヴァプールではあれに近い音だったんじゃないかな。それでもオーディエンスがビートにあわせて足を踏み鳴らす、あのライヴの雰囲気までには達していない。だけどお利口さんになる前のビートルズのサウンドにはこれが一番近いんじゃないかな。

★ジョン、、、最後の曲で殺されるかと思ったぜ(風邪でノドが限界に達していて、最後にTwist&shoutを死に物狂いで歌い終えた時)

★ジョージ、、、僕らはしっかりつながっていた。友達として。そりゃ喧嘩もしたけどね。

★ポール、、、(後年のコメント)「最近の若いバンドの連中はボクらがどれだけ素早く仕事をしたかを話しても、信じられないみたいだ。紅茶を飲んだりしながらチューニングをして、10時半には準備を整える。たいていボクとジョン以外は曲を知らないから、まず曲を弾いてみせる。その後、1時間半くらいでレコーディング開始。次にランチタイムの前の1時間ほどで次の曲をレコーディング。面白いのは、そんな風に作られたレコードが今でも何百万枚も売れているということだ。」

★ジョージ・マーティン、、、「シングル盤のPlease Please Meが成功したからには、商業的見地から、なるべく早くLPを出さなくてはならなかった。すぐにレコーディングできる曲がどのくらいあるか彼らに尋ねたんだよ。答えはステージ用のレパートリーだったよ。」

★ノーマン・スミス、、、「(メンバーの体調が優れず、特にジョンが風邪をひいていたことについて)菓子屋にあるような大きなガラス瓶に詰めたノド飴がピアノの上に置いてあったよ。そのくせ、すぐ隣にはタバコの大きなカートンがあって、彼らはそれをひっきりなしに吸っていた。」

★NME誌、、、エキサイティングな14曲はこのグループを短期間のうちにトップの座に押し上げた。「Please Please Me」「Love Me Do」はよく知られた曲だが、他にもゾクゾクさせる12曲のナンバーが収録されている。

★メロディ・メーカー誌、、、トップクラスのギターサウンドとすべてを止めてしまうようなエキサイティングなボーカルとのコンビネーションによって他の国内のポップグループを圧倒し恐るべきコマーシャルなサウンドを作り出している。期待通りの厚みのあるサウンドを持ったこのアルバムはすでに全国でものすごい売れ行きを示している。

【編集盤】

★米国ではキャピトルからデビューする前に「ヴィー・ジェイ・レコード」から「Please Please Me」から「Please Please Me」「Ask Me Why」の2曲が除かれた「Introducing The Beatles」1963年7月22日に発売されるもほとんど売れず、翌年にアメリカでブレイクしたときに「Please Please Me」「Ask Me Why」を元に戻し、代わりに「Love Me Do」「P.S.I Love You」を省いた12曲で再発売して、9週間2位となった。

★「Introducing The Beatles」のジャケット写真はジョンの腕時計やスーツのボタンなどからわかるように、左右逆の「裏焼き」になっている。同じ写真を使ったシングル「Please Please Me」日本盤では正しく焼かれている。

★1965年3月22日、キャピトル・レコードより「I Saw Her Standing There」「Misery」「There's A Place」の3曲を除いた「The Early Beatles」が発売。「ヴィー・ジェイ・レコード」の倒産に伴い「Introducing The Beatles」の穴埋め的な位置で発売された。

★日本独自の編集盤「Meet The Beatles(ビートルズ!)」「The Beatles Second Album(ビートルズNo.2!)」「Beatles No.5(ビートルズNo.5!)」以上3枚のアルバムに「Please Please Me」から、それぞれ6曲、5曲、3曲ずつ収録されている。また1966年5月25日には「Please Please Me」と収録曲は同じだが曲順を変えた「ステレオ!これがビートルズvol.1」が来日記念盤として発売された。

「ステレオ!これがビートルズvol.1」

【発売日】

★1966年5月25日

【チャート状況】

【収録曲】

(1) Please Please Me プリーズ・プリーズ・ミー

(2) Anna (Go To Him) アンナ

(3) I Saw Her Standing There アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

(4) Boys ボーイズ

(5) Misery ミズリー

(6) Chains チェインズ

(7) Ask Me Why アスク・ミー・ホワイ

(8) Twist And Shout ツイスト・アンド・シャウト

(9) A Taste Of Honey 蜜の味

(10) Love Me Do ラヴ・ミー・ドゥ

(11) Do You Want To Know A Secret ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット

(12) Baby It's You ベイビー・イッツ・ユー

(13) There's A Place ゼアズ・ア・プレイス

(14) P.S. I Love You P.S.アイ・ラヴ・ユー

【エピソード】

★イギリス・オリジナル盤と同じ収録曲にもかかわらず、ほとんどの曲順を入れ替えた理由は、当時の日本のレコード会社には「その国のリスナーの好みに合わせるのが当然」「オリジナルと全く同じ構成や曲順でリリースするのは、日本盤を手掛けるディレクターの怠慢。安直で工夫がない。」という考えがあったため。

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