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【レコーディング日】

★1966年12月6日~1967年4月21日

【発売日】

★英国 1967年6月1日 米国1967年6月2日 日本1967年7月5日

【チャート状況】

★イギリス・オフィシャル・チャート27週連続1位。NME誌1967年5月31日(予約の段階ですでに1位)~10月11日20週連続1位。メロディ・メーカー誌1967年6月3日初登場1位、10月28日まで22週連続1位。米ビルボード誌1967年7月1日~10月7日まで15週連続1位。

★1967年度第10回グラミー賞、「最優秀アルバム賞」「最優秀ジャケット・デザイン賞」「最優秀コンテンポラリー作品賞」「最優秀エンジニア賞」を受賞。

★2005年度版ギネスブックに「全英+全米チャート1位、1149週チャートイン」の記録で掲載される。

【収録曲】

(1) Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

(2) With A Little Help From My Friends ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ

(3)Lucy In The Sky With Diamonds ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ

(4) Getting Better ゲッティング・ベター

(5) Fixing A Hole フィクシング・ア・ホール

(6) She's Leaving Home シーズ・リーヴィング・ホーム

(7) Being For The Benefit Of Mr. Kite ! ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト

(8) Within You Without You ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー

(9) When I'm Sixty-Four ホエン・アイム・シックスティ・フォー

(10)Lovely Rita ラヴリー・リタ

(11) Good Morning Good Morning グッド・モーニング・グッド・モーニング

(12) Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise) サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ)

(13) A Day In The Life ア・デイ・イン・ザ・ライフ

【アルバム・タイトル】

★1966年11月7日、ジェーン・アッシャーとマル・エバンスとケニア旅行をしていたポール。イギリスに帰国する飛行機の中でのある出来事によってタイトルの着想を得た。それはマル・エバンスが機内食の容器に書かれていた「Sと「P」の意味が分からずに、しばらく考え込んでいた時のこと。ようやく「あっ、そうか!ソルトとペッパーのことか」と叫び、それを聞き違えたポールが「えっ?サージェント・ペパーだって?」と聞き返したことがきっかけとなった。

★フラワー・ムーブメント、サイケデリック・ムーブメントなどと呼ばれていたムーブメントに影響を受けたことをポールは語っている。ポール、、、「あの頃は、ラフィング・ジョー&ヒズ・メディシン・バンドとかクイックシルバー・メッセンジャー・サービスとか長い名前のバンド名が流行っていたんだ。」

【コンセプト・アルバム】

★アルバム全体が一つの作品であり、一貫したテーマで収録曲それぞれに関連性があることなどをコンセプト・アルバムの定義とするならば、結果的に定義から外れる部分もある。

★リンゴ、、、「ビリー・シアーズが登場した後はどうでもよくなってしまった。」

★リンゴ、、、「このアルバムでは最初にペパー軍曹が登場することになっていた。最初の2曲を除けば、これがショー形式のアルバムだということが分かる。当初はサージェント・ペパーのバンドとその他いろいろな芸人が登場するはずだったんだけど。」

★ジョン、、、「数曲を除けば後は全く関連性のない曲。」

★ジョン、、、「ビートルズがコンセプト・アルバムだと言ったから。」

★ジョン、、、「アルバムのコンセプトはポールがアメリカでの体験から影響を受けたものだ。」

★曲間に切れ目がほとんどないが、これは当時としてはとても斬新で例が無かった。このアイデアに当初EMIはなかなか許可を出さなかった。ジョン、、、「コンサートはずっと通して聴くんだから、切れ目があるのはおかしいだろ?オレたちのステージには切れ目なんか無かった。」

【レコーディング詳細】

★オーバーダビングを多用するレコーディング方法のおかげで、基本、リズムトラック収録後には出番のないリンゴは待ち時間が増えた。リンゴはアルバム「Sgt~」のレコーディング中にチェスを覚えてしまったと冗談交じりのコメントを残している。

★モノラルとステレオの2種類のレコードが発売されたが、他のビートルズのアルバム同様ジョージ・マーティンはモノラル・ミックスを支持している。ジョージ・マーティン、、、「モノラルで聴いて、あなたは「Sgt. Pepper~」を初めて聴いたことになる。」とコメントを残している。ちなみにエンジニアのジェフ・エメリックも同意見である。

★のべ700時間にも及んだレコーディングに費やした時間。当時としては例のない長期間に渡るレコーディングだった。このため「才能が枯渇した」「ビートルズ解散」などとマスコミが騒いだ。ちなみに「アルバム制作に時間をかけてじっくりと作り込む」スタイルはビートルズは業界の最初期であった。

★前作「Revolver」に引き続き、このアルバムでも「その楽器本来からかけ離れたサウンドにする」という試みも行われた。

★ベースの録音は作業のできるだけ最後のほうで行われた。そうすることにより楽曲に最も効果的で適したメロディやハーモニーを、さらには当時ベースの弾き方のセオリーとされていた「ルート」に縛られない自由でちょっと変わったベースラインを構築することが出来た。ポール、、、「その方が豊かなメロディを考えることが出来た。」しかし、ジョージにとってはベース不在のトラックでギターを弾かねばならず、とてもやりにくかったと語っている。

★ベースの録音方法も革新的なことが行われた。従来はアンプの前にマイクをセットして録音する方法が常識として通用していたが、ポールはベースのシールドを直接ミキサーに繋いで録音した。ただしこの方法だとベースの出力が落ちるために、それを上げる装置「ダイレクト・インジェクション・トランスフォーマー」が製作され使用された。現在ではこのレコーディング方法が常識となっている。

★エンジニアのケン・タウンゼントはマイクで録ったサウンドもミックスしたと語り、チーフ・エンジニアのジェフ・エメリックは「ダイレクト・インジェクション・トランスフォーマー」はベースには使っていないと語っている。

★「彼らの注文を実現する役割になった」とジョージ・マーティンが語っているように、レコーディングの主導権はビートルズに移りつつあった。ポール、、、「やりたいことをやらせてくれるようになった。」

★ドラムのレコーディングに使われるマイクの数が4本から7本に増えた。特にハイハット専用にセッティングされたマイクは威力を発揮し、レコーディング最終番あたりで聞こえにくくなっても新たにダビングをする必要が無くなった。

【ジャケット写真】

★当初はロンドンの前衛芸術家集団「ザ・フール」に依頼した「写真を配置したスペースがある、ビーチ・タイプの絵」であったが、ビートルズがその仕上がりを気に入らなかったためにボツとなった。

★ポールの友人で美術商のロバート・フレイザーの紹介でポップ・アーティストのピーター・ブレイクがアルバム・デザインを担当した。

★ピーターは2002年10月にチャールズ皇太子からナイトの称号を授与された。この時のインタビューでピーターは、Sgtのジャケット以外の作品は知られていないことが重荷になっていると語っている。

★ピーターが後にアップルともめた時に腹立ちまぎれに、この時のギャラは「たったの390ドル(当時のレートで約14万円)だった」と暴露した。

★ピーターは1997年に「CD発売について、オリジナル・カバーの使用に同意した覚えはない。」との理由で追加報酬を求め告訴したが、アップル側は1967年当時の契約では1回限りの支払いとなっていて、それを了承していると反論していた。

★ジャケットに登場する人物はメンバーが好きな人たちを選んだのであるが「誰が選んだのかさっぱり分からない人物がいる。」とジョージが証言しているように、意図的に「好きな人」という枠から外した人選もおこなっている。

★大勢の著名人を載せるアイデアは、当初は「著作権の許可を取るのが大変」「ビートルズが目立たないので、ファンの購買意欲が落ちる」などの理由により、エプスタインとEMIは反対していた。

★ビートルズの着ているミリタリー・スーツは舞台衣装の販売を手掛ける「バーマンズ」に特注して作らせたものである。

★極彩色のミリタリー・ルックにポールとジョージはMBE勲章をつけたが、ジョンは軍人だったピートの祖父の受章したメダルを、ピートの母モナに頼んで取り寄せてもらい付けているという説がある。ジョンの左胸に複数のメダルが付けられているが、そのうちのどれかだろうか。ジョンは出来上がったアルバムを添えてメダルを返却したという。

★最初はポールのアイデアで救世軍の制服を着るというものがあったが、他の3人の反対で却下された。

★アイドル時代の4人のロウ人形はロンドンの人形館「マダム・タッソー」から借りた物。返却後に行方不明になっていたが、2005年になってマダム・タッソーの倉庫から発見された。しかし、ポールの人形だけが見つからなかった。この人形は結局見つからなかったポールの人形だけ新たに作られて、4人そろった状態でオークションに出品され、2005年10月27日に81,500ポンド(当時のレートで日本円にして約1,630万円)で落札された。

★裏ジャケットには歌詞が印刷されているが、ロックのアルバムでは史上初の試みとなった。

★出張先のニューヨークからロンドンへ戻る機中で自らの死を予感したブライアン・エプスタインは遺言として「ニュー・アルバムは茶色の袋に入れて発売するように」とパートナーであったナット・ワイスに伝えている。著作権他ゴタゴタしているジャケット問題を心配してのことである。

★アルバム・ジャケットの製作予算は当時は50ポンド(当時のレートで約54,000円)前後だったが、このアルバムは3,000ポンド(当時のレートで約324万円)近くかかったといわれている。

★候補に挙がりながらボツになった人物(カッコ内の名前は選出者)、、、イエス・キリスト(ジョン)、アドルフ・ヒトラー(ジョン)の二人は却下。マルキ・ド・サド(ジョン)、ニーチェ(ジョン)は許可が下りなかった。ルネ・マグリッド(ポール)は却下され、ジェームズ・ディーン(ポール)は許可が下りず。マハトマ・ガンジー(ジョージ)も許可が下りなかった。エルヴィス・プレスリーは「重要すぎる(ポール)」という理由で候補に挙げなかった。リンゴは選出には加わっていない。デザイン担当のピーター・ブレイク、ポールの友人で美術商のロバート・フレイザーが選出に加わっている。

★福助の置物はジョンが1966年の来日時に購入したもの。ジョージの足元にある石像をはじめとした彫像類はほぼジョンの自宅にあったもの。ソニーのポータブル・テレビもジョンの持ち物である。「BEATLES」の「T」のところにあるインド人形は前年9月にインド旅行をしたときにジョージが買い求めたもの。

★用いられた草花は、ロンドンのメイダ・ベイルにある老舗園芸店「クリフトン・ナーサリーズ」から調達された。

★蝋人形館「マダム・タッソー」から借りてきたビートルズの蝋人形はピーター・ブレイクのアイデア。

【エピソード】

★当初のアルバムのコンセプトはポールによると「故郷や過去の思い出をメインとしたノスタルジックなアルバム」だった。

★収録曲はコンセプトにそって作られ、「Strawberry Fields Forever」でジョンは少年時代の遊び場にインスパイアされ、「Penny Lane」でポールは故郷リヴァプールの日常を描写し、「A Day In The Life」の中間部分はポールが学生時代にバス通学をしていたことがモチーフとなっている。

★1965年から開催されていた「Elvis Presley's Gold Car Tour」にもヒントを得た。エルヴィスが乗っていた金色の車を世界中を回って公開するというイベント。ジョン、、、「本人がいないツアーが成立するんだぜ」。ポール、、、「あれはいい仕事だと思った。」。架空のバンドにレコード盤を利用してコンサートをさせるアイデアはここから生まれた。

★ジョージ・マーティンはタイトル曲のレコーディング後にこのコンセプトを知らされたが、ポールはずっと前の作曲中にメンバーに伝えている。

★今ではリリース日は厳格に守られているが、当時は6月1日の公式発売日を守らず1週間くらい早く発売するレコード店もあった。

★日本では1ヵ月以上遅れて発売されたのにも関わらず、帯には「イギリスと同時発売」と書かれていた。

★1958年に設立された「全米レコード販売者協会(NARM)」が2007年に「史上最重要アルバム200枚」を発表し、「Sgt~」が第一位に輝いた。ちなみに2位はピンク・フロイドの「Drak Side Of The Moon」、3位にはマイケル・ジャクソンの「Thriller」となっている。他のビートルズのアルバムは12位「Abbey Road」、39位「The Beatles」、42位「Revolver」119位「Rubber Soul」となっている。ソロでは69位にジョージの「All Things Must Pass」、144位にジョンの「Imagine」、182位ポールの「Band On The Run」がランクインしている。

★アルバム完成直後、ポールはこのアルバムを持って、ロンドンのメイフェア・ホテルに宿泊中のボブ・ディランをたずねている。ストーンズのキース・リチャーズが先客として来ていたためにポールは待たされることとなった。アルバムを聴いたディランは次にように答えたという。ディラン、、、「わかるよ。君たちはもうアイドルみたいな曲はやりたくないんだろう。」

★ジャケットの製作費も含めたアルバム制作費は25,000ポンド(当時のレートでおよそ2,520万円、現在の貨幣価値でみるとおよそ1億円)もかかってしまい、EMIは「100万枚以上売ったら負担してやってもいい」と通告した。

★ジョージの「Only A Northern Song」はこのアルバムのためにレコーディングされたが結局収録されず、後に「Yellow Submarine」に収録された。

★「Strawberry Fiels Forever」「Penny Lane」の2曲をアルバムに収録せず、シングル曲にまわしたことについて、ジョージ・マーティンはとても後悔している。ジョージ・マーティン、、、「私のキャリアの中で最大のミステイクだ。アルバムに収録しなかったたった一つの理由は、シングルとしてリリース済の曲はアルバムに入れるべきではないとの考えがあった。クレイジーな考えであり、残念ながら責任の一端は私にもある。当時はファンにお金に見合う価値を提供するという考えがあった。ブライアンが私の所へ来て「最高のシングルが必要だ。何かある?」と聞いてきた。「3曲ある。そのうち2曲は最高傑作だ。」と答えた。そしてそれらを組み合わせてシングル盤としてリリースした。」

【アルバム完成記念リスニング・パーティ】

★1957年5月19日、ブライアン・エプスタインはロンドンの自宅を開放して、アルバム完成記念リスニング・パーティを開催した。

★招待されたのは、ジミー・サヴィル、ケニー・エヴェレット、アラン・フリーマンなの有名DJ。またNME誌などの音楽雑誌のジャーナリストたち。

★ビートルズのメンバーたちも参加した。インタビューに応じたのは、世間で噂になっていた「ビートルズ解散説」を打ち消す目的もあった。

★なぜか主催者であり自宅を開放までしたブライアンは、かなり早い段階で居なくなってしまった。

★ジョン、、、「考える時間はたくさんあった。だから今ようやく何年も前に知るべきだった多くのことに気づき始めたんだ。このフリル付きのシャツ(この時に着ていたジョンのシャツ)の下には、たくさんのことを見て経験したけど、同時にあまりにも物を知らない100歳の男性がいるということを覚えておいてくれ。」

★ジョン、、、「過去に俺達のレコードを買った人たちは、俺たちがいつまでも同じようなレコードを作り続けるわけにはいかないことに気が付いているはずだ。俺たちは変化していかなくてはならない。そして彼らもそれをわかっていると思う。」

★ポール、、、「ボクらは解散を考えたことはない。一緒にレコーディングを続けたい。ビートルズは生きているんだ。」

★NME誌、、、「いつも新しい世界を見せてくれるビートルズを信じよう。このアルバムが彼らの最高傑作かどうかは一度聞いただけでは判断するのは難しく、これを作るのに5ヵ月も掛かる価値があったとは認められない。しかし、これはとってもいいアルバムで、ホットケーキのように売れるだろう。ビートルズが耳に心地よく、脳に適度な刺激を与える音楽的なエンターテインメントを提供し続けてきたという事実は誰も否定できない。」

【コメント】

★ジョン、、、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandはオレたちのキャリアで最も重要なステップのひとつだ。絶対に相応しいものにしなければならなかった。オレたちは努力した結果、目指したものを作り上げたことが出来たと思う。そうでなきゃリリースしてないけどね。」

★ジョン、、、「RevolverとSgt. Pepperの間に何かあったなって感じは確かに出ている。」

★ジョン、、、「新しいサウンドはどんな感じになるのかって、あちこちで聞かれるけど、皆目見当がつかないね。どんなふうに展開していくのか、これまでのシーンに代わるものがあるとしたらそれは何なのか。どっちにしても予想するのは好きじゃない。そういうのって必ず外れているしね。」

★ジョン、、、「こんなに楽しかったレコーディング・セッションは初めてだ。できることなら、もう一度戻ってやりたいくらいだよ。」

★ポール、、、「ボクらは現実の自分たちから離れよう。ツアーから離れて、もっとシュールなものにのめり込もうとしているんだから、別のバンドになるってのはどう?ってみんなに提案したんだ。」

★ポール、、、「アルバムの雰囲気が時代の精神と合っていた。たまたまそういうムードにボクたちがなっていたんだ。でもボクらに影響を与えたのは時代の雰囲気だけじゃない。ボクはむしろ、メインストリームから外れたところに何か当てはまるものを探していた。」

★ポール、、、「ボクたちはレコードを作り、そのレコードがボクたちの代わりにツアーに出るというアイデアを持っていた。このアイデアは、エルヴィスのキャディラックがツアーに出たと聞いたことから思いついたんだ。すごいアイデアだと思った。彼自身はツアーに行かなかった。ただ彼のキャディラックだけをツアーに出したんだ。すばらしい!ってね。」

★ポール、、、「アルバム全体の色彩感はサイケの影響を受けていた。このアルバムのことを今、素直に語れないのは、ドラッグ問題が深刻化しているからだ。ドラッグを肯定すると、命に危険を及ぼす行為を煽ることになってしまう。当時がいかに無邪気な時代だったか理解してくれたら話しやすいんだけど。」

★ジョージ、、、「エネルギーと意識がほとばしり、ビートルズだけでなく、起こっていたすべてのこと、すべての変化にたくさんの関心が向けられたから、その時期は特別に感じられたんだと思う。」

★ジョージ、、、「完成したアルバムはボクも気に入った。これまでとは違うものを出せたしね。」

★リンゴ、、、「このアルバムはボクらの最大の成果だ。全員に幅をもたらした。何を試すにも自由だったし。スタジオでは何が起こるかわからない。それが楽しかったね。」

★リンゴ、、、「アルバムはあの時代のムードをとらえていた気がする。同時に多くの人たちに、本気で自分のやりたいことをやろうっていう気を起させたんだ。」

★リンゴ、、、2007年にアルバム発売40周年を迎えたことについて「作っているときは「今」のことなんて考えない。40年経ってこのレコードについてボクが話しているなんて当時想像もしなかった。永遠に残るレコードを考えることは、誰にとっても一番最後に考えること。」

★リンゴ、、、「あのアルバムを悪く言うことは出来ないよ。でも、ミュージシャンとしては「Revolver」やホワイト・アルバムのほうが好きだ。(2007年)」

★リンゴ、、、「あのアルバムが発売されたときのまわりの反応はすごかった。それだけの価値がある名作だからさ。(2007年)」

★ジョージ・マーティン、、、「アイデアは少しづつ膨らんでいった。もともとはポールの思いつきだ。彼がタイトル曲を書いたんだが、そのバンドが彼らだと言うんだ。まずはその曲をレコーディングし、それから次第にアルバムのアイデアが出来てきた。あの頃の彼らはスタジオ活動に専念したいと考えていて、おそらくそこから「分身」というアイデアが生まれてきたのだろう。」

★ザ・ビートルズ・マンスリー(イギリスの公認ファンクラブ発行)1967年7・8月号、、、「(Within You Without Youは)ただのクレイジーなノイズばかりで、まるでメロディがない。」アルバムそのものに対し「混乱した幼児的なシュールレアリズムを、詩的だと思い違えている」

★タイムズ紙、、、「どの曲も、ラジオで最近聴いたどんな歌よりも独創的だ。ビートルズはポップ・ミュージックに発展する希望をよみがえらせた。」

★ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌、、、「このアルバムは新しい音楽の黄金時代の到来を告げた。」

★サンディ・タイムズ紙、、、「ニュー・アルバムは注目に値する。博学な評論家なら17世紀のイギリス音楽に起源を見出すのかもしれない。ビートルズはこれまでも大幅に前進してきたが、このアルバムはそのなかにおいてもさらに目覚ましい前進である。歌詞の中には素晴らしい都会のポエムと呼ぶべきものもある。しかし、ダンス・ミュージックではないのでこれを若者は支持するだろうか。」

★メロディ・メーカー誌、、、「この作品がどんな影響から生まれたにせよ、ビートルズはまた刺激的で素晴らしい新たなエンターテインメントを作り出した。ライヴ・アルバムの体裁をとっていて、笑い声や拍手はタイミングがずれているが、実に巧妙で音楽そのものを損ねてはいない。」

★レコード・ミラー誌、、、「たくさんの聴き所を持ったアルバム。待った甲斐があったようだ。エンターテインメントであると同時に、脳細胞を活性化させるポピュラー・ミュージックである。歌詞が印刷されたフルカラーのジャケット、サージェント・パパーの肖像や腕章までが厚紙の切り抜きのオマケで付いている。シニカルで頭のいいやり方だ。利口過ぎるとまでは言わないが、一度か二度は合格点を取れるだろう。」

★ニュー・ステーツマン誌、、、「ビートルズのニュー・アルバムは「Revolver」「Penny Lane」の延長線上にある。ポップの定義から始まったものがアートの域に達したのだ。単なる曲の寄せ集めではなく、それぞれの曲が関連性を持って統一され完璧にプロデュースされている。」

★ニューヨーク・ヴィレッジ・ボイス紙、、、「アルバム・ジャケットに見られるように、すべてがヒップだが混乱した内容。結局は詐欺にも思える。」

★アレン・ギンズバーグ、、、「偉大なる近代オペラ」

★デヴィッド・クロスビー(ザ・バーズ)、、、「このアルバムを聴いたら、あなたの世界は変わらずにはいられない。」

★ケネス・タイナン(イギリスの演劇評論家)、、、「西洋文化史の決定的瞬間」

★アンドリュー・ルーグ・オールダム(ローリング・ストーンズのマネージャー)、、、「音楽が奏でた最高級ドラマ。とてつもなく優れた作品。」

★テッド・ウィリス(労働党議員)、、、「野蛮人の戦いの踊りのような見掛け倒しのサブカルチャー。」

★ウィリアム・ディーズ(情報省大臣)、、、「彼らが若者たちの間に起こしたムーヴメントは歴史の一部として刻まれるだろう。」

★適応心理学調査団、、、「この風変わりなアルバム・タイトルを発声することは、専門家が心臓病を発見するのに役立つ。」

★ノエル・ギャラガー、、、「オレにとって特別なアルバムだ。オレが生まれた3日後にアルバムが発売されたから、オレが生まれた時に病院のラジオでかかっていたはずだ。年齢を重ねてこのアルバムの良さがだんだん分かってきた。今じゃ音楽は60年代ほど大きな意味を持たない。だから、新たなビートルズは今後現れることなんてないだろう。」

【アメリカ盤】

★リリースは英国盤より1日遅れの「1967年6月2日」。

★英国盤では送り溝にエンドレスで流れるように記録されていた「犬笛とThe Run-out Groove」はカットされた。

【50周年記念盤(アニバーサリー・エディション)】

★2017年5月26日、全世界同時発売。

★CDとLPレコードあわせて4種類の記念盤が発売された。

★「1CD」、、、新たにステレオ・ミックスされた音源。

★「2枚組CD」、、、上記「1CD」プラス「未発表テイク等の音源」

★未発表テイク等の音源収録曲、、、「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band (Take9)」「With A Little Help From My Friends (Take1,2)」「Lucy In The Sky With Diamonds (Take1)」「Getting Better (Take1)」「Fixing A Hole (Take3)」「She's Leaving Home (Take1)」「Being For The Benefit Of Mr. Kite ! (Take4)」「Within You Without You (Take1)」「When I'm Sixty-Four (Take2)」「Lovely Rita (Take9)」「Good Morning Good Morning (Take8)」「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band (riprise)(Take8)」「A Day In The Life (Take1)」「Strawberry Fields Forever (Take7,26,stereo mix 2015」「Penny Lane (Take6,stereo mix 2017」

★「LP2枚組」、、、CDと同じミックスされた音源と未発表テイク等の音源(Strawberry Fields Forever,Penny Lane は未収録

★「スーパーデラックス6枚組BOXセット」、、、「新たにステレオ・ミックスされた音源」、「未発表テイク等の音源×2CD」「オリジナル・モノ音源プラス未発表音源等のCD」「BD&DVD」

★「未発表テイク等の音源×2CDの1枚目のCD収録曲」、、、「Strawberry Fields Forever (Take1,4,7,26,stereo mix 2015)」「When I'm Sixty-Four (Take2)」「Penny Lane (Take6,inst ver. stereo mix 2017,other)」「A Day In The Life (Take1,2,8,9,10,11,other9」「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band (Take1,9 other)」「Good Morning Good Morning (Take1,8 other」

「未発表テイク等の音源×2CDの2枚目のCD収録曲」、、、「Fixing A Hole (Take1,3,other)」「Being For The Benefit Of Mr. Kite ! (Take1,4,7,other)」「Lovely Rita (Take9,other)」「Lucy In The Sky With Diamonds (Take1,5,other)」「Getting Better (Take1,12,other)」「Within You Without You (TakeTake1,other)」「She's Leaving Home (Take1,6,other)」「With A Little Help From My Friends (Take1,2,other)」「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (reprise)(Take8,other)」

「オリジナル・モノ音源プラス未発表音源等のCD収録曲」、、、「アルバム全曲のオリジナル・モノ音源」「Strawberry Fields Forever (オリジナル・モノ・ミックス)」「Penny Lane (オリジナル・モノ・ミックス、プロモ・シングル・モノ・ミックス)」「A Day In The Life (ファースト・モノ・ミックス)」「Lucy In The Sky With Diamonds (未公開モノ・ミックス)」「She's Leaving Home (ファースト・モノ・ミックス)」
★「ブルーレイ・ディスク」、、、アルバム全曲と「Strawberry Fiels Forever」「Penny Lane」の5.1サラウンド・ミックス。アルバム全曲と「Strawberry Fiels Forever」「Penny Lane」のハイレゾ音源。
★「DVD」、、、「Strawberry Fiels Forever」「Penny Lane」「A Day In The Life」のプロモーション・フィルムの4K高画質版。ドキュメンタリー映像「メイキング・オブ・サージェント・ペパー(1992年放送)」。
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