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【レコーディング日】

★1968年5月30日~10月14日

【レコーディング場所】

★EMIスタジオ、トライデント・スタジオ

【発売日】

★英国1968年11月22日、米国1968年11月25日、日本1969年1月21日

【チャート状況】

★英国オフィシャル・チャート、1968年12月7日初登場1位~1969年1月18日、2月1日、計8週1位 NME誌、1968年11月27日初登場1位~9週連続1位、その後連続19週10位以内。メロディ・メーカー誌、1968年11月30日3位初登場。12月7日~11週連続1位。その後18週連続10位以内。

★米国ビルボード誌、1968年12月14日11位初登場。12月28日~6週連続1位、1969年2月15日~3週連続1位。その後15週連続10位以内。

★発売一週間で200万セット以上を売り上げる(ギネス・レコード)。また、2枚組売り上げの記録は1978年にアメリカで「サタデイ・ナイト・フィーバー」に抜かれるまで、約10年間にわたって1位を記録した。

★アメリカではRIAA公認のプラチナ・アルバムに19回獲得しているほか、カナダやオーストラリアなどでも複数回のゴールド・レコードを獲得している。

【収録曲】

<1枚目、アナログA面>

(1) Back In The U.S.S.R. バック・イン・ザ・U.S.S.R

(2) Dear Prudence ディア・プルーデンス

(3) Glass Onion グラス・オニオン

(4) Ob-La-Di,Ob-La-Da オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ

(5) Wild Honey Pie ワイルド・ハニー・パイ

(6) The Continuing Story Of Bungalow Bill ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル

(7) While My Guitar Gently Weeps ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

(8) Happiness Is A Warm Gun ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン

<1枚目、アナログB面>

(9) Martha My Dear マーサ・マイ・ディア

(10) I'm So Tired アイム・ソー・タイアード

(11) Blackbird ブラックバード

(12) Piggies ピッギーズ

(13) Rocky Raccoon ロッキー・ラクーン

(14) Don't Pass Me By ドント・パス・ミー・バイ

(15) Why Don't We Do It In The Road ? ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード

(16) I Will アイ・ウィル

<2枚目、アナログC面>

(1) Birthday バースデイ

(2) Yer Blues ヤー・ブルース

(3) Mother Nature's Son マザー・ネイチャーズ・サン

(4) Everybody's Got Something To Hide Except  Me And My Monkey エヴリバディ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー

(5) Sexy Sadie セクシー・セディ

(6) Helter Skelter へルター・スケルター

(7) Long Long Long ロング・ロング・ロング

<2枚目、アナログD面>

(8) Revolution 1 レボリューション 1

(9) Honey Pie ハニー・パイ

(10) Savoy Truffle サヴォイ・トラッフル

(11) Cry Baby Cry クライ・ベイビー・クライ

(12) Revolution 9 レボリューション 9

(13) Good Night グッド・ナイト

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア】

【使用楽器】

〈ジョン・レノン〉

〈ポール・マッカートニー〉

〈ジョージ・ハリスン〉

〈リンゴ・スター〉

 

【レコーディング詳細】

★レコーディングの途中からEMIスタジオに8トラック・レコーダーが導入されたため、これを使用することになった。結果、ピンポン録音時の音質の劣化を防ぎ、それにかかる時間も解消された。しかし、マルチトラック・レコーディングが可能になったために、ポールのように一人でマルチレコーディングを行なったり、他のメンバーが不在でも一人で自分のパートをレコーディングすることも可能になったことで、バンドの結束を弱めてしまうマイナス面も生じた。

【アルバム・タイトル】

★当初は「Doll House」が候補に挙がっていたものの、ファミリーというバンドが「Music In A Doll's House」というアルバムを出していたことが判りボツ。

★「Doll's House」という架空のミュージカルのサウンド・トラックとする案もあったという説がある。

★シンプルにバンド名をタイトルにすることを提案したのは、アルバム・ジャケットを手掛けたリチャード・ハミルトン。

【ジャケット写真】

★シリアル・ナンバーはイギリスでは7桁の番号。アメリカが7桁の番号の前に「A」が付く。日本も「A」が付くが数字は6桁。

★アメリカ盤のナンバーは他にもバリエーションがあり、「A」のフォントが違うもの、「〇」が付いているものなど少々ややこしくなっている。

★アメリカとイギリスの「1」はジョンがもらったが、後にイギリスの物はリンゴに譲渡されている。No.20まではメンバーや関係者の手に渡り、「6」はニール・アスピノール、「7」はジョージ・マーティン。「8」がピート・ショットン、「9」がデレク・テイラーなどとなっている。

★シリアル・ナンバーが10以下のものは、コレクター市場では約1万ポンド(日本円で約140万円)、11以上1,000以下は1,000ポンド(約14万円)で取引されている(2005年現在)。

★真っ白のデザインに決まるまでは、様々な候補があったがなかでもジョン・パトリック・バーンの作品はボツになったものの、後に編集盤「The Beatles Ballads」のジャケットに採用された。動物とビートルズをサイケ調に描いた作品。

★ミニマリズムのアーティスト、リチャード・ハミルトンがポールに真っ白なジャケットを提案したという。バンド名をエンボス加工にするアイデアはポール。

★写真家のジョン・ケリーは白いジャケットは自分のアイデアだと主張している。

【エピソード】

★アップル・レコードから発売されたアルバム「第1弾」となった。

★発売当時はアメリカと日本ではステレオ盤のみの発売だった。

★初の2枚組アルバムとなったが、一番の理由は「単に手持ちの曲がたくさんあった」ことであるが、ビートルズ主演3作目の映画の構想に「ロード・オブ・ザ・リング」が挙がった時に、ジョンが「内容に沿ったダブル・アルバムが作れる」と発言したと言われていることから、最初から2枚組でのリリースも念頭にあったと思われる。

★ジョージ・マーティンは通常のシングル・アルバムでリリースすべきだと考えていた。まとまりがないと感じていて、収録曲を厳選すべきだとの考えから。

★連日の深夜に及ぶレコーディングは20代後半の若いビートルズ達には苦にはならないが、40代のジョージ・マーティンをはじめとするビートルズより年上のスタッフにとっては辛い作業になった。そのためかこの頃からジョージ・マーティンのアシスタントだったクリス・トーマスやエンジニアのケン・スコットなど、ほぼジョージ・マーティンの息子くらいの年齢のスタッフが代理を務めることが増えた。

★リンゴはドラミングに対するポールの発言が原因で、一時的にバンドを脱退している。リンゴ、、、「このアルバムのレコーディング中にボクはおかしくなっていた。うまくいっていないこのバンドをボクは辞めるべきだと思って「休暇をとる」といって2週間休んだ。そしてジョンから電報が届いた。「このレコーディングで最高のドラムを叩け」って。それがきっかけでボクは戻った。スタジオに入るとボクのドラムセットにジョージがたくさんの花を飾って出迎えてくれた。」

★ロサンゼルスでジャッキー・ロマックスのプロデュースを行なっている際に、現地で発売前のアメリカ盤のマスターを聴いた。ジョージはその仕上がりに不満を持ち、なんとホワイト・アルバムのリマスターを行なった。

★1969年8月9日、チャールズ・マンソンと彼が率いるカルト教団「ファミリー」が、女優のシャロン・テートをはじめとして7人を殺害するという事件を起こした。マンソンはこの事件を「Helter Skelter」と呼び、その他にもホワイトアルバム収録曲のいくつかに掲示を受けたのちの事件だと証言した。

【イーシャー・デモ】

★インドて書き溜めた多くの曲を整理し、次のアルバムのレコーディングの準備のために、1968年5月下旬にジョージの自宅に集まってデモ・テープが録音された。

★「イーシャー・デモ」の名称が一般的で、これはジョージの自宅のある場所の地名から来ているが、ジョージの家の愛称が「キンファウンス」であることから「キンファウンス・デモ」と呼ばれることもある。

★アルバム「Sgt. Pepper~」以降、創作スピードが遅くなった感のあったジョンだが、インドでの様々な環境が大きな影響を及ぼしたのか、ポールがデモ制作に持ち込んだ7曲という曲数に対してジョンは倍以上の15曲を持ち込んだ。

★デモを制作したが、ホワイトアルバムに収録されなかった曲は次の通り。「Junk (Paul)」「Circles (George)」「Child Of Nature (後のJealous Guy) (John)」「Not Guilty (George)」「What's The New Mary Jane (John)」「Sour Milk Sea (George)」「Mean Mr. Mustard (John)」「Polythene Pam (John)」

【未発表曲】

★「Etcetera」「Fuck A Duckie」「Brian Epstein Blues」

【コメント】

★ジョン、、、「オレたちがやろうとしていたことは、それほど哲学的ではないロックン・ロールで、それは自分たちに言い聞かせていたことである。「ロックでいこう」ってね。だってオレたちは本来ロッカーなんだから。いつだって気分が乗れば昔のロックン・ロールを演る。自然なことさ。」

★ジョン、、、「ホワイト・アルバムに入っているオレの曲はシンプル&プリミティブ。Sgt. Peppertとは正反対だけど、オレはいつもこっちの方が好きだ。」

★ポール、、、「素晴らしいアルバムだと思う。でも、作っていて楽しいアルバムではなかった。多くの摩擦があった。それは奇妙な経験で、ボクたちは解散に向かっていったんだ。しかし、そういった緊張感がアートには良い影響を及ぼす場合もある。」

★ポール、、、「(ジョージ・マーティンが2枚組に難色を示したことについて)このアルバムを1枚に凝縮してリリースしたほうが良かっただって?shut the fuck up! (黙りやがれ、クソ野郎!) これはビートルズのアルバムなんだぜ。」

★ジョージ、、、「あれだけの大成功を収めたビートルズだけど、それが人生に対する答えではないと気付いたとき、疑問がわいてきたんだ。人はいったん何かに気づき始めると、もはやそのことを知らないふりをすることは出来ないんだ。」

★リンゴ、、、「このアルバムのレコーディングを終えた時、ボクらはもう一度バンドらしさを取り戻していた。」

★リンゴ、、、「このアルバムには収録曲が多すぎることは認めるよ。別々に2枚のアルバムを出せばよかったんだ。「ホワイト」と「ホワイター」ってね。」

★ジョージ・マーティン、、、「ブライアン・エプスタインが無くなって、様々なものが大きく変わっていった。そしてボーイズはそれぞれの道を歩み始めた。ホワイト・アルバムというのはその結果なのです。ボーイズはたくさんの曲を私の所に持ってきて、そのすべてをレコーディングしたがっていた。そうやって出来たのがこのアルバムだ。とても素晴らしいアルバムだが、まとまりがない。素晴らしい曲がある一方で、そうではない曲もある。」

★クリス・トーマス、、、「いくつか例外はあるが、ベーシック・トラックのレコーディングでは、4人全員が「せーの」で演奏している。それまでのアルバムとは大違いだ。曲を書いたメンバーが他のメンバーと練習をしアレンジをして、そしてレコーディングする。」

★クリス・トーマス、、、「(後年のコメント)ボクたちは楽しくスタジオで過ごした。言われているほど悪くはなかった。彼らはとても面白く、一緒にいてとても楽しかった。」

★タイムズ紙、、、「今年度のミュージック・シーンにおいて最も重要な出来事。このアルバムは今なおレノン・マッカートニーが前進していることを確信させてくれる。」

★ニューヨーク・タイムズ紙(リチャード・ゴールドスタイン氏)、、、「大成功」

★ニューヨーク・タイムズ紙(ニック・コーン氏)、、、「信じられないほど退屈。半分以上の曲が非常に凡庸。」

★サンデー・タイムズ紙、、、「Sgt. Pepper~以来の傑作。」

★オブザーバー紙、、、「レノン・マッカートニーがシューベルト以来の偉大な作曲家ということに今でも疑問を抱いているのなら、このアルバムを聴けばいい。このアルバムは明らかに音楽の洪水だ。」

★NME誌、、、「素晴らしい。まったくたちが悪いほど最高だ。」

★レコード・ミラー紙、、、「Sgt. Pepperほど革新的ではないが、芸術性、熟達した楽曲、非常に優れて巧みな深みがこのパルバムにはある。桁違いに。」

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