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《1967年》

【Our World】

★放送日、1967年6月25,26日

★1967年にカナダのモントリオールで開かれた万国博覧会の一環としてカナダが制作し、イギリスBBCをキーステーションとして14か国の放送局が参加し、世界初の多元衛星中継で24か国に生中継されたテレビ番組。

★日本では「われらの世界」というタイトルで、1967年6月26日早朝の3時55分から6時30分まで、NHK総合テレビジョンで生中継された。司会はNHKアナの宮田輝。

★BBCのスタッフが直接出演のオファーにやってきた。曲の提供依頼を快く引き受けたポールだが、その場で番組の趣旨に副うような曲を作ると応じてBBCのスタッフを喜ばせた。

★一度はジョンとポールが共作を試みたものの意見がまとまらなかったことから、それぞれが別々に書いてくることになった。

★ポールのコメント、、、「ジョンの曲から先にセッションをすることになり、そのためのバックトラックをレコーディングした。終わってみたらジョンの曲こそが番組にふさわしいと気が付いたんだ。」

★実はBBCのオファーの前に、ブライアン・エプスタインが番組出演の話をまとめていた。重要な出演条件に「新曲の提供」があり、放送まで3週間を切った段階でレコーディングどころか曲そのものが完成していなくて、エプスタインはかなり焦っていたという。

★ビートルズの出演は大々的に報道されていて、当初の告知ではアルバムSgt, Pepper's~の未収録曲のレコーディング風景を放送すると紹介されていた。

★番組の最も重要なコンセプトに「ビデオやテープの使用は不可。すべてが生中継であること。」というものであったが、ビートルズは一部事前録音したものを同時に使用した。

★当日本番でのビートルズのパフォーマンスがベストのものになる保証はどこにもなく、あらかじめ録音したものを併用することを、ジョージ・マーティンは何度もBBC側に要請していた。

★NEMSのスタッフが、事前録音したテープを併用することを主催者のカナダ側と交渉し、出演条件に付け加える交渉を行なった結果、すでにビートルズの出演を大々的に公表してしまった後だったので、ビートルズ側の要求を飲まざるを得なかった。

★ガムを噛みながら歌うジョンを批判する声も一部にあった。ジョンは世界初の衛星多元中継での生放送ということで、極度に緊張していたからガムを噛んでいた。

★エンディング近く、身体の前後に文字を書いたプレートを挟むように身につけた数人の人物がスタジオ内を練り歩き始める頃、画面右側に「COME BACK MILLY!」と書かれた黒いプレートを持った人が見える。これはポールの叔母のミリーが家族に会うためにオーストラリアに出かけ、イギリスにはもう戻らないのではないかと心配したポールの親族の意向をくみ取ったポールの個人的なメッセージである。

★当時、ブライアン・エプスタインはアルバム「Sgt. Pepper~」のリリースを祝って、連日エプスタインの自宅に多くの著名人や業界人を招いてはぜいたくなパーティを催していた。実はこの時の招待客名簿の中から「Our World」のためにEMIスタジオに招く人選をしていた。これは1967年のスウィンギング・ロンドンの華やかさを演出する目的があった。

★通常、スタジオ内には例え恋人や妻であってもメンバー以外の人間を入れることはしなかったが、この日は最新のイギリスのムーヴメントを紹介する意味でゲストをスタジオに呼んだ。

★当日のEMIスタジオは招待客で大混雑。正面玄関の警備は機能せず一般のファンが押し寄せる状況になり、本当の招待客なのかを判別するために急遽ニール・アスピノールとマル・エバンスが玄関前で作業にあたった。

★主なゲスト、、、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、フェデリコ・フェリーニ(映画監督)、エリック・クラプトン、キース・ムーン他

【コメント】

★ポール、、、「これまでで最高だった。メッセージとして完璧だった。本当に美しくて素晴らしいメッセージだった。」

★ジョージ、、、「レコーディング・セッションを見せてたのしんでもらおうとの趣旨だった。」

《1983年》

【The Beatles At Abbey Road】

★カラー・モノクロ 75分

★1983年、EMIがアビィ・ロード・スタジオを一般開放するイベントを行なった際に、来場者に対して上映したビデオ。

★目玉となる部分は、公開の前の週にEMIが発見した4曲の未発表曲。そのうちの「How Do You Do It?」「Leave My Kitten Alone」を収録してあったことである。

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