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【ジュリアン・レノン】

★ジョン・チャールズ・ジュリアン・レノン 1963年4月8日生まれ。 午前7時45分、リヴァプールのセフトン総合病院にて。

★1974年7月14日、当時ヨーコと別居中でメイ・パンと暮らしていたジョンをニューヨークに訪ねている。

【ディスコグラフィ】

★アルバム「Photograph Smile」英国1998年5月4日、日本1998年9月17日、米国1999年2月23日発売。オリコン最高位70位

★シングル「Lucy」2009年12月15日発売。「Lucy In The Sky With Diamonds」のモデルになったジュリアンの幼なじみルーシー・ボドンが自己免疫疾患で亡くなったことを追悼して、ジェイムズ・スコット・クックとの共同名義でリリースした。ジェイムズ・スコット・クックはジュリアンが設立した音楽サービス会社と契約しているアーティスト。この曲を含めた4曲入りEPのジャケットには、ジョンがインスピレーションを受けたジュリアンの「あの絵」が使われている。

【来日公演】

★1985年5月28日福岡、29日大阪、30日名古屋、6月1日東京

★記者会見「6月1日赤坂プリンスホテル」

★「(ジョンの息子として得をしたこと損をしたこと)音楽活動をしていくうえで損をしたことはありません。ただ、自分はジョン・レノンではなく、ジュリアン・レノンであり、自分の名前だけでも音楽をやっていけるということを証明していかなければいけないとは感じます。」

★「(ジョンの血を引いていると感じるか)演奏をしたり曲を書いているときには感じることもあります。でも、他のミュージシャンからも同じように影響を受けています。」

★2007年、ジュリアンは、捕鯨と地球環境破壊問題をテーマにした映画を撮影するためにオーストラリアに滞在中、現地のアボリジニ部族の古代から伝わる儀式に参加した。その際、ある部族の長老から「白い羽」を受け取り言葉を失ったという。ジョンが亡くなる少し前にジョンにこう言われたそうだ「もし父さんになにかあったら、白い羽をさがせ。そうすれば、父さんがいつもお前のすぐそばについていることがわかるだろう。」

【1998年の来日】

★7月に来日して、雑誌の取材などを受けている。

★7年ぶりにリリースしたアルバム「Photograph Smile」のプロモーションのために9月11日に来日。10月上旬までの約一カ月ものあいだ滞在した。

★ギタリストのロビー・ブラントも同行しており、9月23日大阪、26日東京、27日横浜、29日名古屋のイベントでミニ・ライヴ。また30日には札幌のclub one -eightyでスペシャル・ライヴ、10月1日には渋谷HMVでライヴをおこなった。

★18日には、ちょうど来日していたショーン・レノンの東京公演を観に行っている。

【映画出演】

★1996年に映画「リーヴィング・ラスベガス」にちょい役で出演した。監督のマイク・フィッギスと親交があったため。

【ショーン・レノン】

★ショーン・タロウ・オノ・レノン 日本名 小野太郎 1975年10月9日生まれ ニューヨークの病院で、帝王切開により8ポンド10オンス(約4キロ)で誕生。名付け親はエルトン・ジョン。

★ジョン、、、「エンパイア・ステート・ビルよりもハイな気分だ。」

★スターウオーズのマニアだったらしく、いろんなコメントを残している。「子供の頃、「ジェダイの復讐」に強く影響されていた。自分のジェダイパワーを試さずにはいられなくて、ママの車を何時間も凝視し続けて、念力でそれを空中に浮かせようとした」「僕のお気に入りのおもちゃは20分の1モデルのミレニアム・ファルコンだった。それを作り上げるのに一ヶ月かかったよ。コックピットが開き、そこにハンソロとレイラ姫を置いてキスさせたりできた。僕はダースベイダーのタイ・ファイターも作った。とっておけばよかったよ。」

【語録】

★「15歳のとき、タクシーの運転手から「君はポール・マッカートニーの娘かい?」と聞かれた。これにはびっくりしたよ。

★「ボクはこれからの人生でも、両親のことで注目を浴びるだろう。人々はボクが本当はどういう人間なのかということには興味がないようだ。甘やかされた金持ちの子という意見も、シリアスな反応もよく受けるが、ボクは人々に誤解されていると思う。」

★「なぜミュージシャンになったかというと、おそらくそれが、やるのに最も困難なことだから。音楽を選んだ理由は実のところボクにもわからないフロイト的理由があるんだろう。でも言えるのは、音楽はとても心を満たしてくれる。即座にね。」

★「父親との思い出については話したくない。簡単に言ってしまうには大切すぎる。」

★「(ビートルズからの影響)ミュージシャンとして、自分より以前に良い音楽をやっていた人々の影響を受けるのは当然だ。それがベートーベンであれ、ボブ・ディランであれ、エルヴィスであれ、曲を書いていたら、どうしてビートルズに影響を受けずにいられる?もしアーティストとして何かを作っていれば、達人たちを研究するだろ?そうしなければ意味がない。」

★1998年10月、日本のテレビCMに登場。メンズ・パルコ・キャンペーンのCMで、撮影は9月上旬にニューヨークのブルックリンで行われた。

★2004年10月8日、ニューヨークのスピリット・クラブで行なわれたガン研究のためのチャリティ・コンサート「Be Well」に出演予定だったが、会場には来たもののステージには立たなかった。

★2006年11月4日、リヴァプール大学のスタンリー・シアターでライヴを行なった。チケットはソールドアウトになり、21時半開演だったが19時には会場に長い列ができた。

★ショーンのコメント、、、「キャヴァーン・クラブにもし招待されたらプレイしてみたいね。父の故郷で演奏できて本当に本当に良かった。」

★ショーンのコメント、、、「父と母の功績はあまりにも大きすぎるので、逆に自分の音楽活動の妨げにはならない。父の偉業は木でボクはその木の枝だと思っている。両親がソングライターなら、その子供もソングライターになるのはおかしくないと思う。家族の歴史を受け入れることを選んだんだ。」

★2007年にフランスのシンガー・ソング・ライター「M」こと、マチュー・シェディドと音楽ユニットを結成した。

★2007年6月27日から7月8日まで開催された「モントリオール・ジャズ・フェスティバル」に出演した。

★記者会見でのショーンのコメント、、、「ロックはある意味やりつくされてしまった。ボクは自分の使命はパイオニアであると思ってロックをやっているわけではない。ボクは美しい曲を作り出すことだけを気にかけている。」

【Friendly Fire】

★全曲PV付きのCD・DVDで発売され、ビデオのプロデューサーはヨーコが担当した。

【コメント】

★ショーン、、、「(デビュー・アルバムから、かなりの時間が経過してリリースしたことについて)曲はいつも書いているんだ。自分をプロモーションしたりといううわべだけのことに関わりたくないだけさ。ボクは社会からの認識よりも、音楽をやっている過程により多くの満足感を見出すんだ。」

★ヨーコ、、、「いいアルバムでしょ?ジョンも喜んでいると思いますよ。私も本当に重荷がおりたような気がするのと同時に、本当にうれしいです。音楽業界に不信感があったみたいで心配しました。彼はあまりコマーシャルなんてことを考えないから。若い人が支持してくれるっていうのはいいわよね。」

【ダニー・ハリスン】

★1978年8月1日生まれ

★アメリカのティーンエイジャー向け雑誌「エル・ガール」の2004年6月7日号で、「今いちばんホットは男の子50人」の第11位に選ばれた。「父親譲りのかっこいいルックスと音楽の才能」などが選ばれた理由。

★オリバー・ヒックスとのユニット「thenewno2」のデビュー・アルバム「You Are Here」が2008年8月1日にitunesでリリースされる。収録曲、、、「So Vain」「Another John Doe」「Back To You」「Give You Love」「Bluesy」「Yomp」「Hiding Out」「Crazy Tuesday」「Idole Lover」「Shelter」「Wind Up Dead」

★2009年に「ビートルズの息子たちが集まってアルバムを作る」と提案されることについて、「みんなで何かやったらどうかと提案し続けられているけど、それはボクらがやりたいことではないんだ。」と語っている。

★「ジョージ・ハリスンの息子ということで、いつも手厳しい扱いを受けてきた。4~5歳くらいの頃からかな?父が何者か理解する前からだよ。7年間、連中はYellow Submarineを歌いながらボクを追いかけまわしてきた。今でもあの曲は聴きたくないな。」

★2009年8月8日、イリノイ州シカゴで毎年開催されているロック・フェスティバル「ロラパルーザ2009」に自ら率いるバンド「thenewno2」で出演した。

★セットリスト、、、Give You Love / Another John Doe / So Vain / Yomp

【ザック・スターキー】

★1985年1月22日バークシャー州ブラックネルの登記所で、サラ・メニキデスと結婚した。リンゴは何も知らされていなかったために出席できなかった。

★2005年のインタビューで、リンゴ、、、「彼はだいたいザ・フーと一緒で、今はオアシスと一緒だ。ボクは父親らしいことはすべてやったよ。「大学へ行け」とかね。でも息子は「お父さん、ボクはミュージシャンなんだよ」って言っていたよ。」

★リンゴはザックが一時的にせよ、オアシスにも参加することを喜んでいた。「ザックのことは本当に嬉しい。良いドラマーだからね。オアシスがビートルズの影響を受けているのは確かだし、ザックもビートルズの影響を受けているよ。なんたって、ボクが父親だからね。」

★ザックの娘でリンゴの孫にあたるタティア・スターキーは、ベーシストとしてロンドンのバンド「Belakis」で2008年ころから活動していた。

【ジェイムズ・マッカートニー】

★ジェイムズ・ルイス・マッカートニー 1977年9月12日、ロンドン、セント・ジョンズ・ウッドのアベニュー・クリニックで誕生。体重は6ポンド1オンス(約2,750グラム)。

★2010年3月8日、イギリス・ブライトンのライヴハウスで60人の観客を集めてライヴを行なった。突然、会場にポールが現れジェイムズの曲に合わせて歌ったりステージの様子をヴィデオに収めたりした。

★父ポールに捧げた「I Love You Dad!」が演奏された時には、ポールは「Love you too」と返した。

★息子の演奏を聞いた感想「センセーショナル」。

★「彼から要請があれば、ボクはいつだって協力するよ」とポールはコメントしている。

★(音楽を始めたきっかけ)「明らかに最初はビートルズ。ボクの父、そしてジョン・レノン。でもボクの音楽とライヴ・パフォーマンスに影響を与えたのはニルヴァーナだと思う。」

【ヘザー・マッカートニー】

★1962年12月31日、アメリカ・アリゾナ州ツーソン生まれ。現在はイギリス・サセックスのポールの家で暮らしている。

★再婚となったリンダの連れ子で、ポールとの血縁関係はない。

★職業は陶芸家、デザイナー。陶芸の勉強のために日本に数カ月滞在したことがある。

★ロンドンのアートスクールに在学中に陶芸に興味を持ち、1990年にメキシコを訪れた際に現地の陶芸に触れ、本格的に陶芸に専念。現地の人と生活を共にして、陶芸の技法を学んだ。

★ヘザー、、、「私はポール・マッカートニーの娘ですから、人は私自身と私がどんなものを作るかということに興味を持つでしょう。けれども私が望むのは、皆さんが他の多くのイギリスの陶芸家の作品にも注目してくれることです。みなさんにはこの国の陶芸家への支援をお願いしたいんです。」

★ポールは実子と何ら変わらぬ愛情をもってヘザーを育てた。

【メアリー・マッカートニー】

★メアリー・アンナ・マッカートニー(旧姓 マッカートニー・ドナルド) 1969年8月28日生まれ

★1998年テレビ・プロデューサーのアリステア・ドナルドと結婚。ポールにとっては孫となる2人の男の子がいる。長男アーサー(1998年生まれ)、次男エリオット(2002年生まれ)。

★ポール、、、「元々は夏に結婚式を予定していたんだけど、リンダの病状を考えて春に早めたんだ。でも結局、間に合わなかった。リンダはこの日を心待ちにしていたから悲しかった。でも、リンダは天国で微笑んでいるじゃないかと、家族で励ましあったんだ。」

★2005年、アリステアと離婚。2010年にサイモン・アバウトと入籍(ポールとリンダが入籍したメリルボーン登記所で入籍)。2008年から結婚生活を送っていた二人には2008年に生まれた「サム」という息子がいる。

★ポールのヘザー・ミルズとの離婚問題では、精神科医にも助けを求めるほど憔悴しきった父親ポールに、妹のステラとともに「離婚訴訟が続くなら、父さんは死んでしまうかもしれない。幸せでいることのほうがお金より大切。」と言った。

【ステラ・マッカートニー】

★ステラ・ニナ・マッカートニー 1971年9月13日生まれ

★ロンドンのキングス・カレッジ病院で誕生した。リンダの出産に付き添うためにポールは病院に泊り込んでいたが、帝王切開になったためにポールは手術室に入れなかった。

★ポールのコメント、、、「緑のエプロンをしたまま隣の部屋にいてね、必死で祈っていた。そのときWINGSという名前が頭に浮かんできたんだよ。」

★私立の有名校ではなく一般の子供が通う学校に在籍していたが、クラスメイトよりもビートルズ世代の先生たちの方がステラを意識していたそうだ。また、遅刻したときに超VIPが乗るような車で学校まで送り届けられることがすごく恥ずかしかったそうだ。

★若い頃はミュージシャンになることも視野にあったそうだが、ポールの娘ということで特別視されたり比べられることに、とても耐えられないと思って、すっぱりやめたと語っている。

★夫はアリステア・ウィリス。2003年8月に結婚。挙式はスコットランド西部のビュート島で行われた。

★夫アリステアとの間に長男ミラー(2005年2月25日生まれ)、長女リンダ(2006年12月8日生まれ)がいる(ポールの孫)。

★1997年、パリの老舗デザイナーズ・ブランド「クロエ」のデザイナーに就任。

★ステラ、、、「クロエは父の名前だけで私を雇うようなバカなことはしないでしょう。私が不適任だという人もいるでしょうけど、それが間違っているということを証明するためにも、逆にやる気が出ます。確かに私は若いですが、自信はあります。」

★ポール、、、「素晴らしい。大きな仕事だけどステラはしっかりとやり遂げるだろう。家族はみんな喜んでいる。」

★2000年、VH1/ヴォーグ「ファッション・アンド・ミュージック・デザイナー・オブ・ジ・イヤー」受賞。

★2001年、「クロエ」退社。グッチと提携して自らのブランド「ステラ・マッカートニー」を立ち上げる。

★映画「スカイ・キャプテン・アンド・ザ・ワールド・オブ・トゥモロー」に出演したジュード・ロウとグイネス・バルトロウの衣装を手がけた。

★アニー・レノックス、マドンナなどのステージ衣装を手掛ける。

★2004年6月8日、グラマー・ウィメン・オブ・ジ・イヤーのファッション・デザイナー賞を受賞。

★2005年、スポーツ用品の大手メーカー「アディダス」と組んで「ステラ・マッカートニー・スポーツ・コレクション」を欧米や日本で発売。

★2005年10月25日、スウェーデンのアパレル・メーカー「H&M」とのコラボレーション・コレクション「ステラ・マッカートニー・フォーH&M」の発表パーティがロンドンで開かれている。

★ヨーコのコメント、、、「ステラのことは言わば生まれたときから知っていますし、彼女はショーンの良い友達で、とてもいい子なので大好きなんですよ。彼女のお店で買い物をすることもあります。彼女はすばらしい仕事をしていますね。」

★2008年6月1日、ポールが設立した総合芸術学校「LIPA」でファッション・ショーを開く。ポール、ジョージ・マーティン夫妻、ヨーコ、オリヴィアも会場に姿を見せた。

★父親ポールの離婚訴訟の時には、父親のことを心配するあまり体調を崩して病院に入院した。

★2010年3月、毎年「世界の若きリーダー」を選出している世界経済フォーラムは、2010年度の197人を発表。イギリスからファッション・デザイナーとして選ばれた。

★2010年秋、ディズニーとのコラボを発表した。ステラ、、、「私はバンビの大ファン。それにあの映画は母を思い出すわ。秋冬コレクションはけっこう過激なルックスだから、無邪気なバンビで対照的にしたかったの。」

【ベアトリス・マッカートニー】

★ベアトリス・ミリー・マッカートニー 2003年10月28日生まれ

★ポール、、、「ボクも娘と同じくシュレックの大ファンなんだ。娘はシュレックが大好きなんだ。ボクはシュレックのものまねをとても上手にできるよ。ボクの上手なスコティッシュ・イングリッシュでね。」

【キョーコ・チャン・コックス】

★1963年8月8日生まれ

★1971年4月23日、ジョンとヨーコはスペインのマジョルカ島で遊園地からキョーコを連れ去ってしまった。マドリードのホテルで面倒を見ていたのだが、地元警察が誘拐の疑いでジョンとヨーコを拘束して尋問を受けることになった。判事がキョーコに「パパとママのどちらと一緒にいたいですか?」と尋ね、キョーコは「パパ」と答えた。

★1971年10月、養育権を巡ってヨーコとアンソニー・コックスが争っていたが、裁判所はヨーコに養育権を認めた。

★1971年12月18日、ジョンとヨーコはテキサス州ヒューストンでキョーコに会い、連れて帰ろうとするがヨーコの前夫アンソニー・コックスに阻まれる。これは裁判所の裁定に反することだとしてジョンとヨーコは当局に届け出た。

★その4日後、アンソニー・コックスがヨーコをキョーコに会わせなかった件に関して、ヒューストン民事裁判所はコックスを裁判所侮辱のかどで5日間拘留した。

★この裁判でキョーコにコックスが教育を受けさせなかったために3年勉強が遅れていることが判明し、ヨーコはショックを受けた。

★アンソニー・コックスは新たにテキサス州の裁判所に訴えを起こし、保守的なテキサス州の裁判所は、ジョンとヨーコが反体制活動を行なっていることなどを理由に今度はアンソニーに親権を認める判決を出す。

【リー・スターキー】

★リー・バーキン・スターキー 1970年11月11日生まれ

★一般家庭の主婦である。

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