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【エプスタインへのコメント】

★アリステア・テイラー、、、「エプスタインと出会ってすぐに、彼がゲイだとわかったよ。」

★ジョージ・マーティン、、、「ボーイズは個々に曲を書いて何曲かリリースし、リヴァプールで人気のある地元バンドにはなったかもしれないが、ビートルズとして得た世界的名声は得なかっただろう。ブライアンのビートルズへの信頼は、決して揺らぐことはなかった。(2008年)」

【ビートルズとの出会い、マネージャー契約】

★ホワイトチャペルにあったレコード店「ビーバー・ラジオ・ショップ」のオーナーの兄であるウォルター・ビーバーは、ビートルズのメンバーからマネージャーにならないかと持ち掛けられていた。マネージャー業にさして興味の無かったウォルターは、地域のライバル店であったNEMSのブライアン・エプスタインを訪ねるように勧めたという。時系列的に詳しい年月日は不明だが、有名なレイモンド・ジョーンズの逸話とは相いれない部分があり、真偽のほどは明らかではない。

★1961年10月28日(土)の午後3時頃、ハイトン在住のレイモンド・ジョーンズという18歳の少年がホワイトチャペルにあるレコード店NEMSを訪ねた。店長であったブライアン・エプスタインに「ビートルズというバンドの「マイ・ボニー」というレコードは置いてあるのか?」と問い合わせた。ブライアンはバンドのこともレコードのことも分からずに途方にくれたが、とりあえず調べてみて可能なら取り寄せると、レイモンド少年に約束した。翌週には別の女の子2人がNEMSを訪れて同様の質問をした。業界紙「レコード・リテイラー」のリストにも載っていないレコードについてなぜ多くの問い合わせがくるのか興味を抱いたブライアンは調べることを決心した。

★ブライアンによると、レコード専門輸入業者に聞いても分からず、半ばあきらめかけていたとき、リヴァプールの音楽雑誌「マージー・ビート」編集長のビル・ハリーに何気なくこのレコードの話しをしたところ、ビートルズは実はリヴァプールのバンドで、さらにブライアンのレコード店から100メートルも離れていない「キャヴァーン・クラブ」でレギュラーとして出演していると聞かされ、とても驚いた。

★後年、ビートルズのアシスタントをしていたアリステア・テイラーが「レイモンド・ジョーンズは実在しない」と発言して、フィクション説が有力となったが、雑誌「MOJO」誌上で本人が「私は実在する」と述べた。彼は現在スペインのムルシアとい街に住んでいる。彼によるとブライアンの記憶とは少し違っていて、ブライアンが「ビートルズはどこで演奏をしているんだい?」と聞き、「この店のすぐ近くにあるキャヴァーンですよ、最高のバンドだから観に行ったほうがいいですよ。」と答えると、「検討してみるよ」とブライアンは語ったという。

【10月27日更新】★レイモンド・ジョーンズは、キャヴァ―ンでビートルズのステージを見たわけではなく、DJのボブ・ウーラーがキャヴァ―ンでかけていた「My Bonny」のレコードを聴いたそうである。ちなみにこのレコードはスチュワート・サトクリフがドイツからボブ・ウーラーに送ったものである。

【10月27日更新】★ビートルズとブライアンの出会いについて別の説がある。スチュの親友のビル・ハリーが作った地元音楽誌「マージー・ビート」を地元の大型レコード店のNEMSに置いてもらうためビルがブライアンと交渉した結果、ブライアンは快く1ダースを引き受けた。この1ダースはすぐに売り切れて、その後追加で店に置いた1ダースも瞬く間に売り切れとなった。驚いたブライアンは次の号はなんと12ダースを置いたのであるが、このときの表紙はビートルズがハンブルグでポリドールと契約したニュースが大きく載っていた。この第2号は7月20日発売で、レイモンド・ジョーンズがNEMSを訪れた時よりも3か月早い。当然ブライアンはビートルズのことを遅くともこの時点で知っていたはずだというもの。ちなみに次の第3号からは、ブライアンのコラムが連載スタートしており、10月までブライアンがビートルズの存在を知らなかったとは考えにくい。

★アリステア・テイラーによると、ビートルズのステージを初めてみたブライアンは「正直なところ、ひどいバンドだ。うるさいだけだ。でも、どこか惹かれるところがあるよ。」と感想を語った。

★ブライアン・エプスタインがついにビートルズと契約。その契約締結当日に、ポールだけがシャワーを浴びていて大きく遅刻して、ブライアンはかなり怒っていたという。

★ブライアンが経営するNEMSレコード店はポリシーとして「リリースされたレコードは最低でも1枚は仕入れる」というものがあった。ジョージ、、、「NEMSにはイギリスはおろかアメリカでもヒットしていないレコードまであったんだ。ボクらはライヴに行く前に閉店後の店に集まり、どんな新しいレコードがあるのかなと、探偵みたいに棚を探した。ここでアーサー・アレキサンダー、リッチー・バレット、ジェイムズ・レイといったレコードを見つけたんだ。だから、こういう曲をレパートリーにした。Devil In Her HeartやMoney(That' What I Want)もあの店で見つけたものだ。」

★レコード・デビュー当時、ブライアンの「ビートルズ・ファン拡大、レコード売り上げ促進戦術」は「過去のビッグ・スターとの共演」だった。「落ち目」になっていて出演料は安いが「知名度」は残っている芸能人をどんどん利用した。しかし、そのなかにはビートルズのメンバーが敬愛していたリトル・リチャード等も含まれていて、とても喜んでいた。

★1963年夏、イギリスでのビートルズの人気は不動のものとなりつつあった。この時点でビートルズのステージのギャラは相当高額になっていた。しかし、1963年夏のステージ契約は春以前に契約していたもので、安いギャラで契約していた。他のバンドならキャンセルしたりギャラの増額を要求したりするのであるが、ブライアンはそういうことは一切せず高額なギャラを要求できるにもかかわらず、契約時の安いギャラでビートルズを出演させた。こうしたフェアで仁義を重んずるブライアンの姿勢に当時のプロモーターやエージェントは感心し、絶大な信頼を寄せた。

★1964年8月、初の全米ツアー中にエルヴィス・プレスリーのマネジャーのパーカー大佐と会食をする。プレスリーはビートルズにとても会いたがっていたが、自身の映画撮影のために断念。エルヴィスは「次にメンフィスに来ることがあったら、ぜひ自宅に寄って欲しい」との伝言をパーカー大佐に言付けていた。

★1964年秋、自叙伝「ア・セラーフル・オブ・ノイズ」を出版した。これはビートルズの広報を担当していたデレク・テイラーがブライアンにインタビューしてそれらをまとめたものとされているが、かなりの脚色があるとされており、レイモンド・ジョーンズの件では、かなりのすったもんだがあった。

★生家であるリヴァプールのアンフィールドにある建物は、所有者が託児所にする予定だったのだが、2003年にブライアン・エプスタインの生家だったことを知り、B&B(朝食付き宿泊所)として開業した。

【ジョン・レノン】

★ショー・ビジネス界にジョンを入れることを大反対していたミミ伯母さんを説得するために、ブライアンはミミ伯母さんに「ジョンだけは食いっぱぐれにはしません。他のメンバーはともかくジョンだけには苦労させません」と語ったという逸話がある。

★ジョンは時にはブライアンに辛らつな言葉を浴びせている。1967年8月22日にレコーディングがスタートした「Your Mother Should Know」は生前最後にブライアンが見たセッションになってしまった。この時に珍しくブライアンがアレンジに口を出したことがジョンの逆鱗に触れ、暴言を言い放ったとされる。ジョンは後にブライアンにしっかりと詫びていたそうで、それまでにもジョンが辛らつな言葉をブライアンにぶつけた際には、後で手紙を添えたプレゼントや花を送って丁寧に謝っていた。

【早すぎる死】

★1967年8月27日、自宅寝室で死亡しているのを秘書が発見した。

★マハリシの講義を受けるためにバンゴアに滞在していたメンバーにも連絡が入りポールはすぐにロンドンに戻った。他の3人はマスコミの対応にあたる。

★知らせを聞いたジョンは狼狽を隠せず、落ち着かない様子だったという。

★映画「Magical Mystery Tour」「Yellow Submarine」はブライアンの最後のプロジェクトであり、これを完成させることこそが手向けとなるということで4人は一致団結したという。

★NEMSの新社長には弟のクライヴが就任した。

★ポール、、、「エプスタインの代わりをやれるものはいないだろう。」

★ビートルズの声明、、、「もし外部からの乗っ取りに関する問題が少しでもあれば、ビートルズはNEMSにお金をつぎ込む意思がある。4人はNEMSから自分たちの取り分を引き出す予定はない。事はすべて以前と同じように進んでいくだろう。」

【コメント】

★ブライアンが亡くなったときのジョージの様子をパティが回想して、、、「手の付けようが無いほどひどく落ち込んでいました。まるで孤児のようでした。」

★ジョン、、、「言葉も見つからない。彼は愛すべき人間だった。今オレたちが思い出すのは、そういういいことだけだ。」

★ジョン、、、「彼の魂は永遠にビートルズとともにある」

★ジョン、、、「もうビートルズは終わりだ。」

★ジョン、、、「(マハリシのアドバイスについて)悲しみに圧倒されるな。ブライアンに対する思いは、彼がどこにいようとも間違いなく彼のもとに届く。ハッピーな思いを持つようにと言われた。」

★ポール、、、「すごくショックだ。ひどく気が動転している。」

★ジョージ、、、「水曜日の朝(亡くなる4日前)彼と話したよ。マハリシの講義を初めて見た前の日の夜だった。彼はすごく元気そうだった。」

★ジョージ、、、「彼は人生の大部分をビートルズのために捧げてくれた。ボクらは彼が大好きだった。彼はグループの一員だった。」

★リンゴ、、、「彼は寛大な人でボクたちを援助してくれた。ずっとエプスタインと同じ道を歩んできたんだ。」

★アリステア・テイラー、、、「4人は以外にも冷静だった。金儲けを企んでいたマハリシは、ブライアンの死は喜ぶべきことであり、悲しむ必要は無いと洗脳しようとしていた。」

★ジョージ・マーティン、、、「(早すぎる死のために)ブライアン・エプスタインは、悲しくも忘れ去られている。」

★シラ・ブラック、、、「あまりにもひどい知らせで、何と言っていいのか分かりません。私にとってはマネージャー以上の存在で、親友であり良き相談相手でした。」

★ゲイリー・マースデン(ペースメイカーズ)、、、「もうブライアンのようなマネージャーは現れないだろう。この知らせを聞いたときボクは気が狂いそうだった。」

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