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【ビートルズ時代】

★マリファナ初体験は1964年8月28日、全米ツアー中のニューヨーク、デルモニコ・ホテル滞在中である。訪れたボブ・ディランが親交を深める意味で極上のマリファナをビートルズに勧めた(実際はすでにハンブルグ巡業時代にマリファナを含む薬物の類は経験済みとの説のほうが有力である)。ディランは新曲のデモを持ってきていたが、ひっきりなしに鳴る部屋の電話に「はい、こちらビートルマニアです」とディランがいちいち応対していたという。

★1965年11月8日の「Think For Yourself」のレコーディング・テープには途中ジョンがいなくなり、ポールとジョージが呼んでいる部分がある。これはジョージによると「レコーディングの時にはニールとマルが第2スタジオの陰でマリファナたばこを丸めていたんだ。曲が始まっているのにジョンが「ちょっと待って」って消えてしまい、ポールが穴埋めをしているとまた戻ってくる。エンジニアがテープの巻き戻しをしていると「ちょっと一服してくるか」っていう感じだったんだ。」

★1965年12月に発売されたアルバム「Rubber Soul」収録の「The Word」。ここで歌われている「Love」はそれまでのビートルズの楽曲で歌われていた「Love」と違い「愛の概念」といった歌い方をされている。このことについてジョンはマリファナの影響であるとジョンは語っている。

★同じく「The Word」にはジョンとポールによるイラスト入りの手書き歌詞が残っているが、ポールによるとこのイラストは「マリファナを吸いながらイラストを描いた」と証言している。

★リンゴ、、、「1965年頃、ボクらの態度そのものが変化していた。ボクらは少し成長したんだ。マリファナがボクらの変化の多くに大きな影響を与えたと思う。特に作曲家たちにはね。」

★1967年6月19日、ポールはインタビューでLSDの使用を認めた。影響力のある人物がそのような発言をしても大丈夫なのかとインタビュアーに意見されたが、ポールは「ボクの発言を報道するかしないかは報道に携わる人間の責任と良識にかかっている」と語る。結局大々的報道されてしまい物議を醸した。ジョンとジョージはこのポールの発言はあまりにも軽率と苦言を呈した。

★ポール、、、「(2010年の発言)EMIスタジオは仕事をする場所というのがボクらの姿勢で、その考え方がすべての根底にあった。ボクらの最も優れた作品の大半は比較的正気で作られたものだと思う。ああいうのを考え出すのは簡単じゃないからね。Rubber Soul 以降それを使わないよりも、使ったことにより可能性が広がったことは確かだ。しかし今は、ボクはそれに関してちょっと手に負えなくなってきている。ボクはそれを推奨していると見なされたくはないんだ。だったボクたちはそれを体験する前から、かなり良い仕事をしていたんだからね。絶対必要なものじゃないことは確かさ。」

★1967年7月24日、米「タイム」誌にマリファナ合法化を訴える全面広告が掲載され、ビートルズも支持者として署名が載る。

【解散後】

★1970年、エルヴィス・プレスリーは当時のアメリカ大統領のニクソンに「ビートルズという連中は実に反アメリカ的で、ドラッグもやっていた。」と報告。これを聞いたポールとリンゴはこの発言を「裏切り行為」と感じた。ポールのコメント、、、「自分だってトイレにいっぱいのドラッグを隠し持っていたじゃないか。」

(ジョン)

★ジョン、、、1975年のインタビューで「今じゃ音楽界だけじゃない。ほとんどどの業界だって、みんなドラッグをやっている。もうすっかり広まって、今じゃどこでだって手に入る。ドラッグはアンダーグラウンドの流行じゃないよ。いつでもどこでも、コカインだって例外じゃない。欲しいと思えばすぐに手に入る。」

(ポール)

★1972年9月19日、スコットランド警察の捜索によって、キャンベルタウンのポールの農場で5株の大麻草が発見され押収された。実は大麻所持等の容疑で警察がマッカートニー家を訪れたわけではなく、留守中の家に異常が無いか見廻っていた防犯係りの警察官が温室で栽培中のトマトと一緒に植えられていた5株の苗を不審に思い、警察に持ち帰って調べたところ大麻草の苗だと判明した。この件について翌年の3月8日に有罪判決(罰金100ポンド)が下りている。

★ポールに対する罪状は3件。「大麻と知って栽培していたこと」「大麻を所有していたこと」「大麻を管理していたこと」。栽培していたことは認めたが、残り2つは無罪を主張し最終的には不起訴になっている。

★ポールのコメント、、、「大麻はアルコールほど危険じゃないと思う。ボクはハード・ドラッグには完全に反対だ。大麻はホモセクシュアリティみたいな位置にあるべきだと思うけどな。大人の合意のもとで合法とすればいいんだ。でも判事は優しかったよ。本当のことを言うと、もっとひどい罰金になると思っていたんだ。」

★ポールのコメント、、、「刑務所で何曲か作ろうと思っていたのに。」

★ポールの弁護士のコメント、、、「問題の植物はファンから贈られた種を育てたもの。」「ジョンの逮捕と同様、ポールもアメリカでの仕事に深刻な影響を及ぼす可能性がある。」

★1975年3月3日、カリフォルニア州サンタ・モニカででポールとリンダ、そして3人の子供が車で走行中に赤信号を無視したということでカリフォルニア・ハイウェイ・パトロールに停車を命じられたが、この時に車内からマリファナの匂いがすることに気がついた警察官が、車内にあったバッグからマリファナの入った袋を見つけた。リンダは自分ひとりのものと主張、2時間拘留の後、有罪判決を受け500ドルの保釈金を支払い釈放された。

★1984年1月27日発売のエンターテインメント雑誌「タイム・アウト」に、マリファナ合法化を主張するポールの記事が掲載される。

(リンゴ)

★リンゴ、、、「9回くらいLSDでトリップした。いいトリップもあれば悪いのもあった。最悪の経験もしたけど、最高にいいトリップもしたね。(1971年7月11日のインタビュー)」

【タバコ】

★ビートルズのメンバーは「特にこれ」といった銘柄についてのこだわりはなかったようで何でも吸っていた。

★ジョンは」ビートルズ時代には「ウィンストン」「ケント」「マールボロ」を吸っている写真がある。解散後は「ゴロワース」「ジタン」などのフランス製タバコを吸っている写真が残っている。

★ジョンはライターにもこだわりが無くマッチを使っていたり、解散後に軽井沢などで滞在しているときには、使い捨てライターを愛用していた。

★ジョンはタバコの灰が床に落ちるのを非常に嫌っていたそうである。

★ポールはビートルズ時代には「ケント」「ゴールド・リーフ」を吸っていた。ライターも高級なものは使わず、マッチか使い捨てライターだった。

★リンゴはジッポーなどのオイルライターを使用していた。

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