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★ビートルズのデビュー当時のマーティンはパーロフォン・レーベルのA&R部長という肩書だった。A&Rとは「アーティスト・アンド・レパートリー」の略で、担当するアーティストの楽曲プロデュースのみならず、発掘、契約、育成、企画、宣伝とまさに担当したアーティストと一心同体、一蓮托生の立場で携わる責任者。

★ただ、パーロフォン・レーベルはEMI傘下での「コメディ・レコード部門」で、いわばレコード会社の主役から大きく外れた「きわもの扱い」。普通ならそういったレーベルと契約となると、アーティスト側はガッカリするものであるが、元来コメディ好きのビートルズのメンバーは大歓迎だった。

【ビートルズを語る】

★「彼らが例えばイングランドやヨーロッパ、アメリカをツアーしていた頃のスケジュールを見ると、時間が無かったのが分かる。彼らはスタジオに駆け込み、レコーディングをして、後の仕事は私たちに任せていた。初期の彼らはとても忙しかった。」

★「私がボーイズを見出さなくても、たとえ何があろうとも、何とかして彼らは成功していたでしょう。もう少し時間が掛かっていたかもしれないし、もしかすると彼らはソロ・アーティストになっていたかもしれないけれどね。彼らには才能があった。彼らは成功していただろう。彼らが集まると魔法が起こるような、核分裂が起こるような感覚があった。彼らは要塞の4つの角のようだった。難攻不落のね。」

★「彼らのイメージを具体的にするために、最大限に想像力を働かせる必要があった。私の任務と責任は非常に過酷でした。私は肉体的に疲れ果ててセッションの最中に眠りに落ちてしまったこともあったほどです。それから何年も後に、ジョージ・ハリスンが冗談か本当かわかりませんが、「ボクはあなたを目を覚ましたままでいさせるために、あなたのお茶に錠剤を投げ込んでいたんだよ。」と言っていましたよ。」

★「ビートルズといた時期、私は彼らの楽曲を最大限に良くすることと、バンドをまとめることに全力を費やしました。彼らが解散したとき、私はもはや彼らに対する責任がなくなったので、非常にホッとしたのを覚えています。」

★「正直に言うと、ビートルズが1970年ごろ解散したとき「OK、私たちは非常によくやった」と思いました。30年40年後も彼らについて話すことになるなんて、まったく思いもしませんでした。徐々に関心がなくなると思っていました。でも世代が新しくなるたびに、ビートルズの音楽は見出されている。私はそのことを感謝しています。ビートルズの音楽は20世紀のイギリス音楽の要約といえるんじゃないでしょうか。プロデューサーは決して重要な人じゃありません。重要なのはオリジナルの音楽を作曲する人です。プロデューサーはその後です。プロデューサーの仕事は、手がけるアーティストのことをよく知り、最高のパフォーマンスを引き出すよう力を尽くし、パフォーマンスを形成するフレーム作りを助けることです。それにはいろんな方法があります。威圧的になることでそうするプロデューサーもいますが、私は賛成できません。私はアーティストに私のことを好きになって欲しいし、私のことを信頼して欲しいですね。そうすれば私のいうことに耳を傾けてくれますから。若いプロデューサーにとって信頼を得るのは大切なことです。」

【晩年】

★2004年9月25日、アメリカ、ケンタッキー州レキシントンで開かれたマルチメディア・イベント「インターナショナル・アイデア・フェスティバル2004」のフィナーレで、「メイキング・ザ・グレイテスト・アルバム・オブ・オール・ザ・タイム~サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のテーマで講演を行なった。

★2006年11月14日、UK音楽の殿堂入りを果たした。セレモニーはロンドンのアレクサンドラ・パレスで行われ、ジョージ・マーティンの指揮する31人編成のオーケストラと20人のロンドン・コミュニティ・ゴスペル合唱団とともにレイザーライトのヴォーカルジョニー・ボレルとクイーンのドラマー、ロジャー・テイラーが数曲のビートルズ・ナンバーを演奏した。

★セレモニーでのジョージのコメント、、、「私はそんなに優れていると思ったことはありません。正直に言えば過大評価です。私がここにいる理由は、私がとてもラッキーで、ショービジネス界の素晴らしいパフォーマー、ライターと一緒に仕事をしてきたからだと思います。とても幸運でした。」

★2006年に引退宣言。ジョージのコメント、、、「よくがんばったと自分でも思います。1962年にビートルズと仕事を始め、70年頃に解散。だから長い間一緒に仕事をしたことになります。もうすぐ私は81歳になりますので引退しようと思っています。」

★2006年11月24日、リーズ・メトロポリタン大学が、音楽界への貢献を称え「音楽名誉博士号」を贈った。ジョージのコメント、、、「このような名誉をいただき、この上なく感謝しております。自分が20代だったころ、自分の手で世界を変えられると思っていました。運はとても重要ですが、人生で最も大切なのは、自分が携わっている仕事に熟達すること。そしてそれを楽しむことです。」

★2004年、コールドプレイのヴォーカリスト、クリス・マーティンに娘が誕生したことを記念して、ロンドンのエア・スタジオでビデオクリップを撮影した。コールドプレイのメンバーはカツラを付けて「ザ・ナッピーズ」に扮装したが、ジョージ・マーティンもカツラをつけてコンソールの前に座り紹介役を演じた。

★「最近はアルバムを買わずとも音楽を持っている人がいます。そう、違法ダウンロードです。音楽業界は現在、ダウンロードのために滅亡の危機に瀕しています。いつでも私たちの素晴らしい友人だったテクノロジーが、突然、敵に変わりました。テクノロジーは、すべての音楽が無料であるべきだと固く信じる人々がたくさんいる世界にしてしまいました。」

★「iTunesで悲しいことのひとつは、アルバムがアルバムの形で買われる必要がないということですね。たとえば「Sgt.Pepper」のコンセプトは大丈夫だろうか。

★2008年7月12日、アメリカ、南カリフォルニア大学で、プロデューサーとしての功績を讃えられ、「グラミー・ファンデーション・リーダーシップ・アワード」を受賞した。

★マーティンをトリビュートしたコンサートもおこなわれ、トム・ジョーンズやジェフ・ベックなどジョージ・マーティンにプロデュースされたことのあるミュージシャンによる、オールスターのトリビュート」となった。他にはヨーコ、オリビアも出席した。

【ビートルズ関連以外での仕事】

★TBS系列で放送された唐沢寿明主演のドラマ「白い巨塔」の主題歌で、ニュージーランド出身の女性歌手ヘイリー・ウェステンラが歌う「Amazing Grace」をアレンジした。

 

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