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★1963年2月15日付けのNME誌に掲載されたジョージのプロフィール、、、名前「ジョージ・ハリスン」、誕生日「1943年2月25日」、出身地「リヴァプール」、身長「180cm」、体重「64kg」、目の色「ダーク・ブラウン」、髪の色「ブラウン」、兄弟「ルイーズ、ピーター、ハリー」、演奏できる楽器「ギター、ピアノ、ドラムス」、学歴「リヴァプール・インスティチュート・ハイスクール」、ショービジネス入りした年齢「17歳」、前の職業「学生」、趣味「ドライブ、レコード、女の子」、好きなシンガー「リトル・リチャード、アーサー・キット」、好きな俳優「ビック・モロー」、好きな女優「ブリジッド・バルドー」、好きな食べ物「ラム・チョップ、チップス」、好きな飲み物「紅茶」、好きな服「なんでも」、好きなバンド「デュアン・エディ・グループ」、好きな演奏家「チェット・アトキンス」、好きな作曲家「特になし」、好きなもの「ドライブ」、嫌いなもの「散髪」、音楽の好み「スパニッシュ・ギター、カントリー&ウェスタン」、抱負「ギターのデザインをすること」、願望「すべてのグループの希望かかなうこと」

【誕生日】

★戸籍上は「2月25日」であるが、1992年にビルボード誌のインタビューの中で「本当は24日なんだ」と語っている。

【人となり】

★ビートルズ時代のイメージとして「無口なリード・ギタリスト」と言うところから「クワイエット・ビートル」と呼ばれていた。

★ジム・ケルトナー、、、「ジョージは「静かなるビートル」と呼ばれていたが、とんでもないよ。しゃべり出すと止まらなくなるくらいのおしゃべりだった。彼は話し出すと自分では止められなくなるようだった。」

★過酷なコンサート・ツアーに嫌気が差したビートルズのメンバーのなかで、最もその思いが顕著だったのはジョージで、コンサート直前にギターを持ったまま「ボクはもうやめる」と出口近くまで歩いて行ってしまった事がある。

★ゲットバック・セッションでジョンやポールと言い争ってビートルズを離脱したジョージが復帰の条件にしたのは「コンサート計画の中止」であった。映画「Let It Be」のエンディングは当初の計画では観客の前で新曲を演奏するという「コンサート」であった。

【両親・兄弟】

★ジョージは4人兄弟の末っ子で、いちばん上の兄がハリー、次いで姉のルイーズ、すぐ上の兄がピーターである。ピーターは2007年6月1日、ガンのため他界している。

★ルイーズは初期のビートルズのことを「My kid brother's band (私の弟のバンド)」と呼んでいた。

★2004年10月、姉のルイーズはアーカンソー州で車上荒しに遭い、ビートルズ初期の写真などが入ったスーツケースを盗まれた。ルイーズ、、、「貴重な品々が盗まれたように報道されていますが、そうではありません。1964年に撮影したジョージと私の写真がありましたが、人にあげるため4千枚ほどその写真を持っていましたから。」

★ルイーズはビートルズのメンバー全員のサイン入りレコード「Meet The Beatles」を、アーカンソー州のクリントン記念図書館に寄贈することを発表している。1964年にエド・サリヴァン・ショー出演時にジョージからプレゼントされたもの。

★1978年4月26日、父親のハロルドがフライアー・パークにあるジョージ邸で死去。後にジョージは、死去の前夜に父ハロルドが夢に現れて告げたと語っている。

【几帳面】

★ステージやレコーディングの前にはチューニングのチェックはもちろん、コンディションも含めた楽器のチェックには余念がなく、ジョンやポールの楽器までチェックすることがよくあったという。

★ブライアン・エプスタインが初めてキャバーンでビートルズの演奏を見た時の印象のひとつに「真ん中にいるギタリスト(ジョージ)は、曲の合間にしょっちゅう自分や他のメンバーのアンプのツマミをいじっていた。」というものがある。

【ジョージのアイドル、カール・パーキンス】

★ジョージ、、、「レコーディングのクォリティ、雰囲気、すべてにおいて「Blue Suede  Shoes」ほど完璧な曲は無い。シンプルなカントリー・ブルースとロカビリーを、カール独特のスタイルでミックスしている。」

★1960年に初めてプロのミュージシャンとしてツアーに出た時に、「カール・ハリスン」というステージ・ネームを自らに付けた。

【ジョージ・フォームビーの大ファン】

★ウクレレの名手ジョージ・フォームビーの大ファンでファンクラブにも入っていたほど。

★ジョージ、、、「ボクはフォームビー・マニアなんだ。ジョージ・フォームビーのステージを観てから一ヶ月間眠れなかったよ。愉快でとても陽気なサウンドが最高だ。」

【車好き】

★ジョージ、、、「ボクにハンドルを握らせたら結構イケると思うよ。おまわりさんがOKというかどうか分からないけど。」

【キンファウンス・バンガロー】

★ビートルズ時代の1965年2月から1969年12月まで住んでいた自宅。サリー州イーシャーにあった。

★バンガローと言っても我々日本人がイメージする山小屋のようなものではなく、庭付きの平屋建築の家を指す。

★電動式のゲートを取り入れ、家の周囲はレンガ造りの高い塀に囲まれて、最新鋭の設備、そしてプライバシーの保護と高いセキュリティが施されていた。このレンガ造りの高い塀は後にデザイナー集団「ザ・フール」によってサイケデリックなデザインに塗り替えられた。

★プールの壁にはジョンがデザインした人物のイラストが描かれていた。

★イーシャー(キンファウンス)デモが録られたように、キンファウンスにも4トラックのスタジオがあった。

【オックスフォード人名辞典】

★イギリスに影響を与えた故人の人名辞典で100年以上の歴史を持つ「オックスフォード・ディクショナリー・オブ・ナショナル・バイオグラフィ」に、2005年ジョージの名前が加えられた。

【ジョン・レノン】

★「ジョージは常にひとつのきちっとした見方を持っていて、こっちからは何も言えないね。流行にもすごく敏感で、着るものは決まっている。しかし考え方がすごく狭くて広い目で見ることができないんだ。ジョージよりポールのほうがずっとわかっているね。一度アップルのオフィスでボクが何かジョージに言ったら「ボクだって君くらいの頭はあるさ」ときたよ。(1971年)」

【ポール・マッカートニー】

★「ジョージってすごくマスコミ嫌いに見えるけど、そんなことはないよ。ジョージはすごく正直なんだ。すごく正直で、すごく普通で、すごく現実的なんだ。ついでに神を信じている。そこが彼の間違っているところだと、みんなが考えているみたいだけど、たまたま神を信じているってことで、それがひどい罪であり、とんでもなく狂っているということになる。でもジョージはどこも変なところなんか無いよ。ジョージという奴はね、ティーンエイジャーのまま大人になった奴なんだよ。だから大人の社会に屈服するのが嫌なんだ。彼は絶対に自分を曲げない。いくらみんなから「お前は変だ、お前は隠遁者だ」と言われてもね。(1975年)」

【ジョージ・マーティン】

★(1971年のインタビュー)、、、「ジョージは素晴らしい。見事な成果をあげているよ。彼に関して言えば、ひたすら仕事に没頭している感じがするね。私達が彼を孤立した立場に追い込んだんだろうね。」

【ピート・ベスト】

★「ジョージはメンバーの中でいちばん年下だったんで、「ベイビー」と呼ばれていた。」

★「ステージでは黙々と演奏していて、ギターへの探究心が熱く、新しいギターを買ったり熱心に練習をしていた。」

【オリヴィア・ハリスン】

★「ジョージはギターもシタールも十分に練習をしてこなかったと私に言いました。かなり自分自身に厳しかったのです。彼は、レコーディングか曲を書いている時しか演奏をしないと言っていたけれど、実際はいつでもギターを弾いていました。本当にいつも自分自身を奮い立たせていたのです。そして彼は音楽ビジネスに愛想を尽かしていましたが、曲を書くことは決してやめませんでした。」

【ラヴィ・シャンカール】

★「70年代前半、ポップス界の多くの人がインドに関心を持っていたが、それらはファッションにすぎなかった。インドの音楽と楽器と民族衣装は、いわばヒッピー文化の一部として扱われていただけでした。しかしジョージは可能な限り深い部分で理解しようと努力しました。私はジョージにインド哲学の著書を手渡し、ジョージはそれらの哲学書を読破していったんです。」

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