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【グレッチ・カントリー・ジェントルマン】

★ツアーで移動中に荷崩れによって車から落ちて、直後、後続のトラックに踏み潰されて粉々になったとは、ビートルズお抱え運転手アルフ・ビックネルの談。現在では専門のクルーがしっかり管理しており、トラックの荷台にくくり付けるとかして移動していた’60当時はなんとも大雑把である。

★「カントリー・ジェントルマン」を初入手したのは、1963年6月頃だといわれている。バックアップ用に2本目の「カントリー・ジェントルマン」を入手したのがその年の10月である。

★最近EMIで見つかった資料によると、アルバム「Please Please Me」の1DAYレコーディング時にはデュオ・ジェットはスタンバイされていたが使用されず、カントリージェントルマンが使われたということである。事実なら1963年初頭には手に入れていたことになる。

★グローヴァー・インペリアル・ペグ、ヘッドの上のモデル名とシリアルナンバーの刻まれたプレート、トラ目の美しいボディなど高級感あふれる仕様で、ピックアップはフィルタートロンと呼ばれる高級ハムバッキング・ピックアップが搭載されている。

★使用時期は1963年6月から1964年の夏ごろまでで、その後は「テネシアン」がメインで使用されることとなる。

★ひとつのステージで「カントリー・ジェントルマン」と「テネシアン」の両方を使ったことがある。1965年6月のパリ公演で、当時メインとなっていた「テネシアン」を持ってステージに上ったジョージだが、1曲目が終わったときになんらかのトラブルが発生して、急遽「カントリー・ジェントルマン」に持ち替えて2曲目以降を演奏したことがある。

★1962年製、1963年製の2本を所有していたが、最終的にはどちらもジョージの手元には無かった。

【グレッチ・テネシアン】

★1963年12月に入手。価格はカントリー・ジェントルマンの半分だが、わざわざ入手した理由として、テネシアン特有のトーンを得るためだったと言われている。

【グレッチ6128デュオ・ジェット】

★ギブソン・レスポール・カスタムによく似たデザインだが、ボディはセミ・ホロー・ボディで1950年代中期に発売が開始された。

★ボディはブラックだが塗装ではなくセルロイドが貼り付けられている。これはジョージの持つデュオ・ジェットに限らずドラムメーカーでもある同社のギターの特徴である。

★1961年、リヴァプールの船員から90ポンドで購入したが、70ポンドしかもっていなかったので、購入時に20ポンド分の借用書をもらったという。

★ジョージのコメント、、、「これはボクが初めて持った結構いいギターなんだ。僕はそれを地元リヴァプールの新聞に広告を出していた船乗りから買った。僕はそれを数年間使い、それから友人にあげた。後に彼に会ったときに、そのギターはどうなっているか?返してもらってもいいか?とたずねた。ボクにとっては思い出の詰まったものだったからね。彼はそのギターを返してくれた。それで、僕はそのギターを、すべてオリジナルの状態に戻した。古い黒のグレッチさ。」その友人とはクラウス・フォアマンだったことはクラウス自身が明かしている。クラウスで良かった。他の人なら取り戻すことは不可能だったかもしれない。

★ジョージの1987年リリースのアルバム「Cloud Nine」のジャケットに服を着たデュオ・ジェットが椅子に腰掛けている。

★トレモロ・ユニットとして「ビグスビー・トゥルービブラート・ユニット(B3)」が搭載されているが、後で取り付けられたものとする説が有力である。

【グレッチ・トラベリング・ウィルべリーズ・モデル TW-200】

★トラベリング・ウィルベリーズのデビュー曲「Handle With Care」で使用し、同曲のプロモ・クリップでジョージが持っているのがグレッチTW-200である。

【リッケンバッカー325】

★1本目の325は1958年製で、ジョンが1960年にハンブルグ巡業の際に手に入れた。購入当時は人気の無かったモデルだった。

★1962年にナチュラルのボディーは黒に塗装された。

★ジョンのコメント、、、「テンションが信じられないくらいに低いんだ。」

★晩年のインタビューで、一番の宝物は?と聞かれ、この1本目の325を迷うことなく挙げている。

★2本目の325は、1964年2月15日に2回目の「エド・サリヴァン・ショー」の中継でマイアミのドービル・ホテルに行ったときに入手している。1本目の325より若干ボディの厚みが薄い。

★翌日の本番から早速ジョンは新しい325を使用している。

★ジョンのためにリッケンバッカー社が特別に製造したモデルである。

★1964年に2本目の325を入手したため1本目は引退した。1970年代に塗装が剥がされ元のナチュラルに戻っている。

★ステージで最後に使用したのは1965年12月のイギリス・ツアーである。 今でもセットリストを書いた紙がボディに貼られたまま。セットリスト、、、「I Feel Fine」「She's A Woman」「If I Needed Someone」「Act Naturally」「Nowhere Man」「Baby's In Black」「Help!」「We Can Work It Out」「Yesterday」「Day Tripper」「I'm Down」

★1964年末にネックが破損して、リッケンバッカー社のイギリス代理店である「ローズモーリス社」の1996が貸し出された。1996とは325Sのことでローズモーリス独自の品番。325と仕様はほとんど変わらないが、色はファイアーグローでFホールがあった。325を修理に出している間、僅かな期間ステージで使用され、現在はリンゴが所有している。

★最初にジョンが入手した325にはトレモロ・ユニットとして「コフマン・バイブローラ」が搭載されていた。ただ、アームの長さがプレイの邪魔になること、デザインが古臭いこと、ジョージがいち早くビグスビーを使っていたこともあって、1961年には「ビグスビー・ユニット」に交換した。

【リッケンバッカー360/12】

★ジョージがこのギターを入手したのは1964年2月8日の「エド・サリヴァン・ショー」初出演のリハーサルの後。

★初めてレコーディングに使われたのは、1964年2月25日の「You Can't Do That」で。ステージでは1964年4月26日の「NME誌」主催「ポール・ウィナーズ・オールスター・コンサート」。

★ジョージはこのギターを試奏するやいなや「最高だ!何とも言えない音だ。」と興奮し、このギターサウンドを大きく気に入った。

★このギターは現在もハリスン家にて大切に保管されている。

★「リッケンバッカー360/12」は武道館公演で使用されたものだ。ジョージいわく「知らないうちに無くなってしまった」そうだ。

★当時まだ珍しかった「エレクトリック12弦ギター」をリッケンバッカー社が売り出すためには、やはり有名アーティストに使ってもらうのが最も効果的と考えたらしい。

もっともなことで、楽器に限らず例えばスポーツ用品などもそうだが有名プレーヤーに無償で提供して試合などで使ってもらうことが大きな宣伝になることは今の時代でも同じことである。

「抱きしめたい」をひっさげてアメリカにセンセーショナルなビートルズ旋風が巻き起こり、その彼らがリッケンバッカーのギターをすでに使用していたのだから、これは他のどのアーティストに使ってもらうよりも「まずビートルズ」、となるのは当然である。

【ギブソンJ-160E】

★あまりにも有名なジョンのギブソンJ-160E。

これにはジョージとローディのマル・エヴァンス2人の違った証言がある。

〈ジョージの証言〉
ツアーで移動中にギターを積んでいた車の荷崩れにより、路上に落ちて直後に通過したトラックに踏み潰されて粉々になった。

〈マル・エヴァンスの証言〉
’63、12月にロンドンのフィンズベリー・エンパイヤで紛失した。つまり盗難に遭ったのだ。

マルにしても別に言い訳をしているわけでは無いと思うが、数十年前の出来事なのでジョージとマルの証言がまったく別であっても仕方ないが、それにしてもカントリー・ジェントルマンにしろギブソンJ-160Eにしろ壊れたのなら、ちょっとした不注意なので勿体無い。

★ジョージもまったく同型のギターを所有していて、ジョンと同じ1962年9月に入手している。

★ピック・アップはギブソンP-90.これはシングルコイル・ピックアップであるが、サウンド的にはフェンダーのシングルコイルとギブソンのハムバッキングの中間と言われている。

★ジョージのJ-160Eは現存している。ジョンは1964年製の物を買いなおしている。ちなみにジョンは1967年にオランダのアーティスト集団「ザ・フール」に依頼してサイケデリック・ペイントを施した。

★2014年、カリフォルニア州サンディエゴのジョン・マコーさんが1960年代後半に275ドルで購入したJ-160Eが、雑誌を見て自分のギターはもしや?と気になって鑑定に出したところ本物ということが判り、その後のオークションで3億円で落札された。

【エピフォン・カジノ】

★ジョン、ポール、ジョージの3人が所有して愛用した唯一のギター。このギターに最初に目を付けたのはポールで、その後ジョン、ジョージに勧めたという。ポールが入手したのは1964年12月で、あのエピフォン・テキサンと同時に購入した。カジノを入手した動機についてポールは友人のジョン・メイオールの影響と、「フィードバックが簡単に得られたから」語っている。ポールは「Taxman」のソロでカジノでフィードバックを使ったと語っている。

★ピックアップはギブソンのP-90が搭載されている。

★ジョンのカジノが最初にステージにお目見えしたのは、1966年5月のNME主催の「ポール・ウィナーズ・コンサート」である。

★映画「Let It Be」などではジョンの持つカジノはボディがナチュラル・カラーになっているが、これは1968年インド滞在時にドノヴァンが「塗装を落としたほうが良いサウンドになる」と聞いたため。帰国後すぐに塗装を落とした。

【メイトン・マスターサウンドMS-500】

★メイトンと聞いて「あれっ?そんなギター、ビートルズが使ったっけ??」と思われる方も多いと思うがそれもそのはず。このギターはジョージが1963年の夏にグレッチ・カントリー・ジェントルマンがペグの不良により修理に出されているときに代替品としてジョージに貸し出されたものだからだ。使用期間は1963年8月2日リヴァプールのグラフトン・ルームでのステージからで、同月14日にグラナダTVに出演した際にはカントリー・ジェントルマンを使用しているので、わずか10日間余りの短期間の使用であった。後にサザビーズ・オークションに出品され当時のレートで約2,800万円で落札されている。

★カントリー・ジェントルマンを修理に出した店は、マンチェスターにある「バレッツ・ミュージック・ショップ」である。

【ホセ・ラミレス・エステューディオ】

★「Till There Was You」「And I Love Her」等で使用されたガット・ギター。映画「A Hard Days Night」にも登場する。ジョージの使用した「エステューディオ」は廉価版であった。ジョージのモデルはヘッドやブリッジに特徴があり、現在のモデルとはかなり形状が違い、2003年にジョージ仕様の「GH」を復刻版として発売された。

★上記の2曲以外にも「I Need You」や「悲しみはぶっとばせ」ではジョンのフラマスの12弦に重ねてジョージのガット・ギターも弾かれている。

★元々ジョージの所有していたギターではなく、クラウス・フォアマンが持っていたもので、借りたものなのか貰ったものなのかは詳細は不明である。

【ジョン・レノン・レスポール】

★元々はギブソン・レスポール・ジュニアであるが、有名プレイヤーの愛用ギターをシリーズで復刻させた。その中の一本がジョンの好みで大幅に改造されたその名も「ジョン・レノン・レスポール」である。限定で300本で発売され、ヘッドの裏にはシリアル・ナンバーとともに「LENNON」の文字がある。価格は約100万円。ジョンの持っていたオリジナルは埼玉県にあった「ジョン・レノン・ミュージアム」に展示されていた。

★レスポールの廉価版として1954年に発売されたモデルだが、独特のサウンドの良さから多くのプレイヤーに愛用された。ジョンのレスポール・ジュニアを改造したのはニューヨークのギター・ビルダーのロン・ディマリノで、フロント・ピックアップとピックアップ・セレクターの増設、ロッド・カバーとペグの交換を行った。これは1972年2月の「マイク・ダグラス・ショウ」出演時の映像で見ることができる。その後ボディ・カラーをオリジナルのサンバーストからブラウンにフィニッシュし直し、ブリッジとチューニング・マシンも交換された。こらは1972年5月の「ディック・キャベット・ショウ」、「ワン・トゥ・ワン・チャリティ・コンサート」の映像で見ることができる。

【フェンダー・ジャズ・マスター】

★1965年3月14~20日、映画「Help!四人はアイドル」の撮影のため、オーストリアのオーバータウエルンにある「ホテル・エーデルワイス」に滞在していた。そのホテルのクラブでドイツの有名ミュージシャンであるジャッキー・スペルターのステージにジョンとポールが飛び入りで出演。ジャッキーの持っていたジャズ・マスターを借りて即興のセッションが始まった。

★ジャズ・マスターは当時、テレキャスター、ストラトキャスターよりも上位機種で、ジャズ・ギタリストのために作られた機種だが、サーフ・ミュージックにのギタリストに人気があった。有名なユーザーにはヴェンチャーズのドン・ウィルソンなど。

【フェンダー・ストラトキャスター】

★ハンブルグ巡業時代のこと。ある日楽器店で偶然に本物のストラトを見つけたジョージは、一大決心をして憧れのギターを手に入れる覚悟を決めた。翌日、興奮状態で楽器店に行くと、一足違いでロリー・ストーム&ハリケーンズのギタリストに買われてしまったというエピソードがある。

★1965年、アルバム「Help!」のセッションにてジョージとジョンが使い始めた。色はともに「ソニック・ブルー」、指板はローズウッド。ジョージは後にサイケデリック・ペイントを施した。これは「All You Need Is Love」、TV映画マジカル・ミステリー・ツアーの「I Am The Walrus」のシーンで見ることが出来る。愛称「ロッキー」。

★製造年ははっきりしていないが、1961年頃だろうといわれている。

★入手時期は、1964年末のクリスマスショーのリハーサルで、100%断言できないもののジョージとおそろいで購入したストラトと思われるギターを弾いている写真が残されていることから、1964年頃入手という説が確実であろうと言われている。

★トム・ペティのソロ・アルバム収録の「I Want Back Down」のプロモーション・ビデオにジョージが出演。映像の中でハートブレイカーズのマイク・キャンベルがギター・ソロで「ロッキー」を弾いている。

★マル・エヴァンズがジョン、ジョージふたりのギターを頼まれて購入してきたのであるが、色の指定がなかったので、たまたまあったソニック・ブルーを購入した。

★後年、スライド・ギター用に、弦高を高く調整している。

★1969年の「ゲット・バック・セッション」でもサイケデリック・ペイントのままスタンバイされていた。

★白黒写真しか残っていないので色の確定は出来ないが、黒か黒に近いカラーのストラトをジョンが所有していた可能性がある。1965年のクリスマス・ショーのバック・ステージの写真、アルバム「Revolver」のレコーディングの様子を捉えた写真、1966年NMEポール・ウィナーズ・コンサートの記録写真でそれらしきギターを確認できる。

★2004年、アメリカのギター雑誌の企画「50グレイテスト・スーパースターズ・オブ・ザ・ストラトキャスター」でジョージは16位にランキングされた。ちなみに1位はジェフ・ベック。

★ちなみにビートルズはリッケンバッカー社と独占契約を結んでいたために、ステージ、映画、テレビなどでフェンダーのギターを使うことは出来なかった。

★バングラデシュ難民救済コンサートでジョージが使用した白のストラトキャスター(ブロンドではないかとも言われている)は、11点留めのピックガード、メイプルネックなどの特徴から1959年製ではないかと言われているが、複数のストラトのパーツを組み合わせて作った「コンバージョン・タイプ」ではないかとも言われている。

★このストラトは、エリック・クラプトンが1970年にナッシュビルの楽器店で、格安で買った50年代60年代のもので合計6本購入した。そのうちの1本をジョージにプレゼントしたものだとする説もある。

★ジョージの1974年の北米ツアーで使用されたストラトは、2トーン・サンバースト、メープルネックで1956年製である。もう一本同じネックで同じカラーの1954年製のストラトも所有している。

★1987年のプリンス・トラスト・コンサートで使われたストラトは、フェンダーではなくフェンダーの廉価版であるスクワイア製であった。同じく廉価版のフェンダー・ジャパン同様の日本製で、その品質の高さは本家アメリカ・フェンダーも敵わないと言われた。

★ジョージが使用したモデルはサンバーストでメープルネック。もともとはダニーの練習用に買い与えたものであるが、実際に自分で弾いてみたところ品質の良さに感心して、ステージで使用することになったという。もう一本日本製のスクワイア・ストラトを持っていて、こちらは黒のボディにメープル・ネック。スパイク・ミリガンからのプレゼントである。

★1991年の日本公演でジョージが使用したストラトは、トリノ・レッドでメイプルネックの「エリック・クラプトン・モデル」である。

【フェンダー・ザ・ストラト】

★ジョンが所有しているものは、ボディがキャンディ・アップル・レッドで指盤はローズウッド。

【ヴォックス・ケンジントン】

★ヴォックス社がビートルズのためだけに製作してプレゼントされた特注ギターで、1967年製といわれている。

★プロモーション・フィルム「Hello GoodBye」撮影時のスチール写真にジョンがこのギターを抱えているものがある。

★芸術品あるいは高級家具を思わせるボディだが、通常のトーン・コントロールやヴォリューム・ノブの加えて、ファズやトレモロのエフェクト機能も装備されている。

【ヴォックス・ギター・オルガン】

★1964年にVOX社からジョンに贈呈された。

★試作品か若しくはジョン専用に作られたもののようで、市販品とはコントロール・ノブの数やフレット・ポジション・マーカーの数などが違う。

★ジョンの手元を離れてからは、長らくマル・エヴァンズが保管管理をしていた。

【サードニクス】

★ジョンがアルバム「Double Fantasy」のレコーディングで使用した。

★ニューヨークのギターショップの職人の手製で、わずか20本しか製造されなかった。

★奇抜なデザインで、長方形のコンパクトなボディにはスケート靴のエッジのような長いアルミのバーが両サイドに取り付けられている。

【ヘイマー・スタジオ】

★ジョンが使っていたものはボディが白。ダブルカッタウェイでハムバッキング・ピックアップが二つ搭載され、コントロール・ノブは3つ。

★アルバム「Double Fantasy」のレコーディングで使用されたものと思われる。

【ギブソンES345TD】

★1965年12月のイギリス・ツアーでのジョージのメイン・ギター。

【ギブソンSG】

★1964年製。1966年の初めごろに入手したのではないかと言われている。

★ペグはオリジナルのクルーソンからグローバー製に交換されているが、クルーソンの部品は残されている。

★ステージでは1966年5月のNME主催の「ポール・ウィナーズ・コンサート」の1回だけジョージが使用した。

★「Paperback Writer」「Rain」「Lady Madonna」のプロモーション・フィルムで使われ、1966年の全米ツアーのサブ・ギターとして用意された。

★スタジオでの使用については、「Paperback Writer」「Hey Bulldog」「Revolution」などがそうであると言われている。

★バッド・フィンガーのピート・ハムに譲られている。

【フェンダー・テレキャスター・オール・ローズ】

★レオ・フェンダーのパートナーであったドン・ランドールの企画で、伝説の凄腕ギター・ビルダーのフィリップ・クビキが製作したギター。

★プロトタイプとして2本作られ、当然出来の良い方がジョージにプレゼントされ、もう一本はフェンダー社が保管している。

★後にデラニー&ボニーのデラニー・ブラムレットに譲られた。

【リッケンバッカー325/12】

★ジョンが使用した。1964年のごく短い期間であるが、ステージで使用してジョージと12弦ギターの競演があったという。

★ジョンのために特別に作られたギターこの325/12には最初、トレモロ・ユニットが取り付けられていたが、使用するとチューニングが大きく狂ってしまって使い物にならず、すぐに取り外されてしまった。

【マーティンD-18】

★ジョージが1967年8月にロサンゼルスの野外フェスに行った際に、このモデルを弾いている写真があるが、ジョージ所有のものではなく現地で調達されたもの。

【マーティンD-28】

★ジョン所有のモデルは1967年頃の製造ではないかと言われている。

★1968年にインドのマハリシの元で瞑想修行した際に持って行っており、他には映画「Let It Be」でも確認できる。

★1972年にTV番組「マイク・ダグラス・ショー」に出演した際に使ったD-28は細かな仕様の違いから、2台目のD-28だろうと言われている。

★ポール所有のモデルは「Free As A Bird」「Real Love」で使用され、DVD「Anthology」でも確認できる。

★ポールのモデルは1966あるいは1967年製ではないかと言われている。

★最初にビートルズのレコーディングで使われたのは「All Together Now」ではないかと推測されている。

★映画「Let It Be」でも確認できるように、右利き用のギターを使っているためにピックガードはサウンドホールの上側になっているが、映画「Give My Regards To Broad Street」ではピックガードの位置が下側になっているほか、いくつかの細かな改造が施されている。

★1991年のMTVアンプラグド・ライヴでも使用された。

★1995~96年頃に左用のD-28を購入。これは特注のカスタム・モデルではないかと言われている。

【マーティンD-35】

★1997年、ジョージがラビ・シャンカールと出演したテレビ番組内で使われたギター。

★ジョージの持つモデルはペグやヘッドの形状から1965~1976年製といわれている。

【マーティンD-35S】

★1976年、ジョージがアメリカのTV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」でポール・サイモンと共演した際に弾いていたモデル。ポール・サイモンが同じギターを弾いていたことから、ジョージ所有のものではなく、借りたものだという説が有力。

【マーティンOMモデル】

★1992年、ボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートにジョージが出演したときに弾いていたモデル。

★市販モデルと異なる特徴がいくつかあり(ヘッドのロゴの形状、ペグの形)、オーダーメイドであると言われている。

★ピックアップを内蔵しており、アンプに接続して音を出せる。

★現在のところ、ジョージ本人の所有かどうかは不明。

【マーティン00-18】

★「Free As A Bird」「Real Love」のセッションでジョージが使用し、DVD「Anthology」でも確認できる。

【マーティンJ-18】

★ポール所有の材質がマホガニーのモデル。

【ヘフナー Club40】

★クオリーメン時代のジョンが初めて入手した「エレキ・ギター」。

★1962年、ハンブルグのクラブで行われたタレント・コンテストに優勝したグループにビートルズが贈呈した。メンバー全員のサインが書かれている。

【ヘフナー コングレス】

★1963~5年頃、ジョンとその友人数人でイギリス南部に遊びに来てホテルに数日宿泊。現金をほとんど持っていなかったジョンが、お金を取りに行っている間に置いていったギターだと言われている。

★この出来事については詳細が不明な部分が多く、事実であったとしてもギターそのものはジョンの所有物ではなく、同行の友人のものである可能性ももちろんある。

【オベーション1658-4 カスタム・レジェンド 12string】

★ポールが「Wings Over America」等で、6弦モデルと共に使用。

【オベーション1651-7 エレクトリック・レジェンド 6string】

★ジョン所有のモデル。

【フェンダー・ヴィレジャー】

★小ぶりな12弦アコースティック・ギター。ネックが細くて弾きやすい。

★「Polythene Pam」で使用されていると言われている。

【ヤマハ・ドラゴン・ギター】

★ヨーコがヤマハに特注したアコースティック・ギター。1977年にヨーコからプレゼントされている。

★辰年生まれのジョンにちなみ、龍の蒔絵がボディに大胆にデザインされており、螺鈿も施されている。当時のヤマハの職人はこの漆塗り仕様にかなり苦労して仕上げたと言われている。

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