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★1941年9月24日、ニューヨーク生まれ。中、高校生の頃R&Rに夢中になる。ブリンストン大学在学中に結婚して1963年に長女へザーを儲けるも同年に離婚。1964年のエド・サリバン・ショーをテレビで視聴、翌年のシェア・スタジアム公演を観に行っている。

★1966年、ニューヨークの雑誌社の受付係りとして働いていたが、ローリング・ストーンズのプレス・レセプションにカメラを持って出席したときにメンバーから唯一のカメラマンおして大抜擢。このときの写真が評価されてフリーのカメラマンとなる。

★イギリスに渡っていたとき1967年5月15日にロンドンでポールに声を掛けられ、その後作品を気に入ったブライアン・エプスタインの許可を得て「Sgt,pepper」のい完成披露パーティーに招かれビートルズを撮影。

★翌年ポールと同棲を始め、1969年にポールと結婚。プロポーズの言葉はリンダにではなく、リンダの娘へザーにであった。「ねえ、へザー。パパになってもいい?」。

★「ビートルズを崩壊させた女」としてよく名前を挙げられるのがオノ・ヨーコだが、当時リンダもヨーコと同じようにファンからのバッシングを受けていた。リンダとヨーコは同じような立場から「ふたりの間には、ある種の絆が生まれていた」とリンダ、ヨーコともに語っている。ジョンとヨーコがニューヨークに引越しした時、真っ先に引っ越し祝いに駆けつけている。

★ヨーコと同様に「ビートルズを解散させた女」としてマスコミのネガティブな報道、ファンからの誹謗中傷に悩まされた。ヨーコに対して同じ境遇からか連帯感を持っていたようで、「私たちの間には戦友とでもたとえられるような独特の絆があった」と後に語っている。

★ポールの要請でキーボーディストとしてウィングスに参加した時も、「キーボードを弾けないくせに」とまたもやバッシングを受ける。母親として家庭に納まり子育てに専念したかったリンダだが、特にウィングス初期の頃は相当な苦悩の日々を送ったと言う。

★ベジタリアン料理が得意で、「Linda McCartney's Home Cooking」「Linda's Kitchen」「Linda McCartney's On Tour」の3冊の料理本を出版しており、リンダの名前を冠したベジタリアン冷凍食品のブランドを立ち上げた。

★1984年にリンダの誘拐計画があったと報道された。ロンドン警視庁によればポールに1000万ポンド(当時のレートで約30~32億円)を要求する計画だったという。

★病床にあったリンダにかけたポールの最後の言葉「君は美しいアパルーサ(リンダの愛馬)の背の上で揺られている。春の気持ちのいい日だ。僕たちは森の中で乗馬を楽しんでいるんだ。ほら、あたり一面には釣鐘草が青い花を咲かせているよ。空は青く澄み切っている」

★ポールは担当医師からあと数日の命であることを知らされた時、リンダには告げないことにした。ポール、、、「ボクはそれをリンダが亡くなる一週間前に知った。知っているのは家族の中でボクだけだった。医師の一人にリンダに知らせるべきだと勧められたが、ボクは知らせないほうを選択した。リンダはそれを望んでいないと思ったんだ。」

★ポール、、、「悲しみを洗い流す最良の方法は、涙を流すことだ。ボクは、男子は涙をこらえるものだと言われて育った世代だから、リヴァプールで母を亡くした時は必死でこらえたけど、今はそんなことはしないよ。」

★ポールはリンダに対して完璧な存在ではなかったと、大きな罪の意識を持ったという。この深い悲しみから立ち直るために、カウンセラーの力を借りたことを告白している。

★ポールのコメント「ふたりといない特別な人だった。リンダと出会ってから、世の中をそれまでよりもっといいものだと思えるようになった。」

★1998年10月12日、「第43回ウーマン・オブ・ザ・イヤー」で表彰された。

★2004年9月、イギリス人名辞書「オックスフォード・ディクショナリー・オブ・ナショナル・バイオグラフィ」にダイアナ元妃らとともにリンダが加えられた。同書はイギリスに影響を与えた故人の人名辞書で、一世紀以上の歴史を持つ。

 

【音楽作品】

【Wide Prairie】

【発売日】英国1998年10月26日、日本1998年12月23日

【プロデューサー】

【エンジニア】

【チャート状況】

【収録曲】

(1)Wide Prairie ワイド・プレイリー 作詞作曲・リンダ・マッカートニー 1973年11月20日(パリ)、1975年6月(ナッシュビル)で収録。バックバンドはウィングス。

★ポール、、、「これはリンダの空想から生まれた曲だと思っていた。リンダのどこか人を食ったような歌い方と、少し鼻にかかった声がいっしょになって、こんな楽しい曲が出来たんだ。」

(2)New Orleans ニューオーリンズ 作詞作曲・リンダ・マッカートニー 1975年2月ニューオリンズ、1979年5月24日RAKモービルで収録。バックバンドはウィングス。

★リンダがこの曲を思いついたとき、ボクらはアルバム「Venus And Mars」のレコーディング中で、ニューオリンズのシー・セイント・スタジオにいたんだ。

(3)The White Coated Man ザ・ホワイト・コーテッド・マン 作詞作曲 リンダ、ポール、カーラ・レイン 1988年3月21日(サセックス)、1989年7月18日(カリフォルニア)

★ポール、、、「動物の権利保護運動がきっかけで、リンダは友人のカーラ・レインとこの曲を作った。」

★リンダとポール、そしてカーラ・レインとの共作で動物保護を訴えた内容。

★’89~’93まで、ポールのワールド・ツアーに参加していたロビー・マッキントッシュがギターで参加している。

(4)Love's Full Glory ラヴズ・フル・グローリー 作詞作曲・リンダ・マッカートニー 1980年7月16日(フランス)、1980年10月(サセックス)

★ポール、、、「よくできた曲だ。リンダは曲作りの才能があっただけではなく、人生にとって大切なものを見抜く力があった。」

★アコースティック・ギターはウィングスのラストメンバーであるローレンス・ジューバー。

(5)I Got Up アイ・ゴット・アップ 作詞作曲・リンダ&ポール・マッカートニー 1973年11月20日(パリ)、1998年3月20日、7月9日(サセックス)

★ポール、、、「この曲の元気の良さはリンダの「他人の戯言を聞かされて、ただ我慢をしているなんてまっぴら」という強い意志を表しているんだ。」

★バンドの録音は’73当時のウイングスであるが、リンダのヴォーカルは’98年に収録されている。

(6)The Light Comes From Within ザ・ライト・カムズ・フロム・ウィズイン 作詞作曲・リンダ&ポール・マッカートニー 1998年3月18日(サセックス)

★ポール、、、「これはリンダへの中傷や男性中心主義的な態度をとり続けてきた連中へのリンダからの返事なんだ。」

★歌詞に「fucking」という言葉があり、この曲がシングル盤で発売されたときには、ジャケットに「Parental Guidance Explicit Lyrics (親の指導が必要な直接的な歌詞)」という警告シールが貼られた。

★息子のジェイムズがギターで参加しており、ポール、リンダとの3人での親子共演が実現した。

(7)Mister Sandman ミスター・サンドマン 作詞作曲・パット・バラード 1977年6月20日(ジャマイカ)、1977年8月(スコットランド)

★ポール、、、「この曲をレコーディングしたのはジャマイカだった。リンダのヴォーカルは帰国してからルード・スタジオで録音した。」

★女性ヴォーカル・グループ「コーデッツ」が1954年にヒットさせた曲。

(8)Seaside Woman シーサイド・ウーマン 作詞作曲・リンダ・マッカートニー 1972年11月27日(ロンドン)

★ポール、、、「リンダが初めて書いた曲だ。カリブの明るいライフスタイルから生まれた曲だ。」

★バックはウィングス。エアスタジオでレコーディングされ、当初はアルバム「Red Rose Speedway」に収録予定だった。

★リンダが初めて手がけた曲で、スージー&ザ・レッド・ストライプス名義でリリースされた。

(9)Oriental Nightfish オリエンタル・ナイトフィッシュ 作詞作曲・リンダ・マッカートニー 1973年10月15日(ロンドン)

★ポール、、、「あの懐かしいエア・スタジオでウィングスのメンバーとレコーディングした。」

★ポールとリンダ、そしてデニーの3人でレコーディング。デニーはフルートを吹いている。

(10)Endless Days 終わりなき日 作詞作曲・リンダ&ミック・ボルトン 1987年10月21日(ロンドン、ポジティブ・アース・スタジオ)

★ポール、、、「この落ち着いたヴォーカルは、リンダが持っていたある種の特別な純粋さを実によく表している。」

★ポール、、、「リンダが家でよく歌っていた曲なんだ。」

★ポールは聴くだけで涙が出てしまうと語っている。

(11)Poison Ivy ポイズン・アイヴィー 作詞作曲・ジェリー・リー・バー&マイク・ストーラー 1987年10月21日(ロンドン、ポジティブ・アース・スタジオ)

★ポール、、、「1950年代に発表されたこの曲のオリジナルはリンダのお気に入りだった。リンダは若い頃ドゥ・ワップが大好きで、ベッドの中でラジオを耳に当ながら何時間も過ごしていた。」

★ピアノとバッキング・ヴォーカルで、ミック・ボルトンが参加。

★オリジナルは1959年にコースターズがヒットさせている。

(12)Cow カウ 作詞作曲・リンダ、ポール&カーラ・レイン 1988年4月29日(サセックス)

★ポール、、、「死を宣告された牛の最期の日々を描いている。」

★リンダとポール、そしてカーラ・レインとの共作で動物保護を訴えた内容。

★ポールはヘフナー・ベース、ドラムス、ギター、ハーモニーを担当し、リンダは愛用していたカシオのキーボードを弾いている。カーラ・レインは朗読を担当している。

(13)B-side To Seaside Bサイド・トゥ・シーサイド 作詞作曲・リンダ&ポール 1977年3月16日(ロンドン、アビー・ロード・スタジオ)

★ポール、、、「Seaside WomanのB面曲が必要になって、リンダとさっと書いた曲。楽天的な雰囲気はまさにリンダの人生観そのままだ。」

★’77年の録音。ポールとリンダだけでレコーディングされた。楽器類の演奏はすべてポール。

(14)Sugartime シュガータイム 作詞作曲・チャーリー・フィリップス、オディス・エクルス 1977年6月20日(ジャマイカ)、1998年7月7日(サセックス)

★ポール、、、「リンダとボクは、よくこの曲をパーティで歌った。親戚や友人たちをびっくりさせて楽しませるためにね。」

(15)Cook Of The House クック・オブ・ザ・ハウス 作詞作曲・リンダ&ポール 1976年6月20日(ロンドン、アビー・ロード・スタジオ)

★ポール、、、「イントロで聞こえる音は、我が家のキッチンで鍋がジュージューいっている音。」

★1976年にウィングスがリリースしたアルバム「Wings At The Speed Of Sound」に収録されていた曲。そのときのクレジットはポール単独になっていた。

★ボーカルはリンダ。ポールはアップライト・ベース、ピアノ、メロトロン、ハーモニーを担当。他にはデニー・レインがギターとハーモニー、ジョー・イングリッシュがドラムを担当した。

(16)Appaloosa アパルーサ 作詞作曲・リンダ&ポール 1998年3月17日(サセックス)

★ポール、、、「リンダはネイティヴ・アメリカンの歴史、とりわけネズバース族に興味を持っていて、彼らの馬「アパルーサ」にインスパイアを受けこの曲を作った。」

★リンダの愛馬の名前。

★バッキング・トラックはすべてポールによる演奏。ドラム、ベース、クラリネット、ウーリッツァー、ギター、ハーモニーを担当。

【エピソード】

【コメント】

★ポール、、、「あるファンからリンダに「Seaside Womanは良かった。他にはリンダの曲って発売されているの?」というファンレターが届いた。それがきっかけになって長年録音してきたリンダの曲を集めてアルバムにしようと思った。」

 

【コメント】

★1975年のメロディ・メーカー誌のインタビュー、、、イギリスのプロ・サッカーに夢中になっていることについて、、、「大好きなの。マンチェスター・ユナイテッド、それからエバートン。エバートンは去年は調子が良かったわね。マッチ・オブ・ザ・デイはいつでもすごく楽しみにしているの。もともとスポーツは大好きだし、日曜の夜テレビでみるのはサッカーと決まっているでしょ。」自分もミュージシャンになると考えたことは?「そんなこと全然。ポールと結婚したときだって、思ってもみなかった。頭に浮かんだことすらなかったわ。彼に言われなければ、こんなことやっていなかったでしょうね。彼の考えだったのよ。私から「ねえ、こんなことができるなんて言ったわけじゃないの」歌も楽器もまるで経験がなかったんだから。」このツアーでリラックスして、立派にミュージシャンとしてこなしていることについて、、、「これまでのツアーでは一度もなかったこと。今はステージが好きになれたからだと思うわ。コードも少し覚えたし。でも夕べはちょっと音がハズレちゃった。」

【ベジタリアン】

★ベジタリアン料理が得意で、3冊の料理本を出版している。1989年「Linda McCartney's Home Cooking」1995年「Linda's Kitchen」1998年「Linda McCartney's On Tour」

★「Linda McCartney's On Tour」はリンダがツアーなどで世界中を回っていた中で、各国で接した料理から生まれたレシピが掲載されており、日本からは「わかめときゅうりの酢の物」「大根サラダ」が紹介されている。

★リンダの名前を冠したベジタリアン冷凍食品ブランドを立ち上げて、監修、開発を手がけて、商品は世界中で販売されていた。

★リンダの死去後は「へイン・フローズン・フード社」に引き継がれているが、リンダの名を冠したプレートがあり創立者を称え偲んでいる。

★リンダ、、、「肉食をやめるのは身体に良いだけではなく、道徳的な意味からも気持ちのいいものよ。私の料理が菜食主義的考えを身につけるヒントになって、世界を少しでも変えられたらいいんだけど。」

★ポール、、、「リンダは野菜だけでハンバーガーとかラザニアだって作ってしまう。肉を使っていないなんて気が付かないほどおいしいんだ。」

【写真家】

★ポールによると、いわゆる被写体としてのフォトセッションにありがちなポーズなどは求めてこなかったという。リラックスさせた中から被写体の本質を引き出そうとする撮影の仕方だったと語っている。

【写真展 Photographs】

★1977年12月17日から翌1978年1月28日まで。カリフォルニア州ロサンゼルスのジャン・バウム&アイリス・シルバーマン・ギャラリーにて。

★1983年7月23日、オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズにあるバリー・スターン・ギャラリーで開かれた。

★1983年10月28日、オーストラリア、ブリスベーンにあるミルバーン・ギャラリーズで11月19日まで開催。

【写真集 Sixties】

★ポール、、、「写真家としてのリンダの秘訣は、みんなをリラックスさせることなんだ。みんなくつろいでみえるだろう?ジミ・ヘンドリックスがあくびをしている写真まであるんだ。」

★ポール、、、「素晴らしい写真集で決定版ともいうべきだ。心からそう思うし夫として誇りに思う。」

【映像作品】

【Linda MaCartney Story】

★リンダの半生を描いたドラマ。2000年5月21日アメリカのCBS系列で放送された。

【Oriental Nightfish】

★1978年、アニメーション作品。

★監督 イアン・エイムス

★リンダ作曲の「Oriental Nightfish」を使って作られたアニメーション作品。

★1978年4月26日にフランスのカンヌ映画祭で上映され、後にビデオ作品「Rupert And The Frog Song」に収録された。

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