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【マージー・ビート誌】

★1962年9月6日、ジョンの特集記事「On safairy with whide hunter」とポールが初期ビートルズについて語ったインタビュー記事「A little bare」が掲載される。この記事ではポール苗字の綴りが「McArtney」と間違って記載された。

★1962年9月20日、ドイツ巡業を語ったポールのインタビュー記事が掲載。

★ビートルズはマージー・ビート誌が行なう人気投票で、当然1位は自分達に投票するのだが、ライバル・バンドである「ジェリー&ザ・ペースメーカーズ」が1位になることを心から恐れて、ペースメーカーズを最下位に書いて投票していた。

【リヴァプール・サウンド】

★ローリングストーンズの日本でのデビューアルバムの「帯」に『これがリバプール・サウンドの決定盤!』というキャッチコピーが載っていた。今より情報が圧倒的に少ない時代とはいえ、いい加減なものである(笑)。

★日本中央競馬会所属の競走馬に、そのままズバリ!「リバプールサウンド」という馬がいる。

★ジェリー&ペースメイカーズ リバプールではビートルズと並ぶ人気グループ。デビュー曲はビートルズがリリースを蹴った「恋のテクニック(ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット)」。イギリスのヒットチャートNo,1を獲得。

★ビリー・J・クレイマー&ダコタス 単独で活躍していたダコタスと歌は下手だが(笑)ルックスのよいビリーを組ませて、ブライアン・エプスタインが売り出した。レノン・マッカートニーの「バッド・トゥ・ミー」がデビュー曲で、ビートルズのおかげでこれも全英チャート1位を記録。

★シラ・ブラックは元々、キャバーン・クラブで働いていた。本名プリシラ・ホワイト。

★当時、イギリスからデビューしたバンドは、まとめて「リバプール・サウンド」と呼ばれた、あるいはレコード会社の宣伝のために誤解が伝わったものが多い。「ホリーズ」「マンフレッドマン」「デイヴ・クラーク・ファイブ」などがその例。

★本国イギリス以上にアメリカで人気の出た「デイヴ・クラーク・ファイヴ」。ビートルズが’66あたりから劇的に音楽的進化を遂げた時に、「デイヴ・クラーク・ファイヴ」も口ひげを生やし、音楽的にもついて行こうとしたが、時代の変化について行けずに思いっきりコケた。

★’65、4月にブリティッシュ・グループの先頭を切って来日したピーター&ゴードン。キャッチフレーズが「ビートルズの弟分」。これまたデビュー曲はレノン&マッカートニーの「愛なき世界」。ビートルズ人気に便乗した感は否めず、この1曲で終わってしまった。

【リヴァプール・ジョン・レノン空港】

★2002年に命名。かつての名称は「スピーク空港」。

★空港内にあるジョンの銅像が掛けている眼鏡が、2007年に盗難の被害に遭っている。

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