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【マル・エヴァンズ】

★本名 マルコム・エヴァンズ 1935年5月27日 リヴァプール生まれ

★1961年、地元のリリーという女性と結婚。もともとは電話技師だったが、キャバーン・クラブでドアマンとして働くようになった。

★キャバーンの新人バンド「ビートルズ」のステージを観てファンになる。メンバーではジョージに最初に会った。1962年、ブライアン・エプスタインからロードマネジャーの誘いを受けたときには、ふたつ返事でで承諾したという。

★すでにビートルズにはピート・ベストが連れてきたニール・アスピノールという先任のロード・マネジャーがいたが、ビートルズが多忙になってくると二人のロードマネジャーが必要になった。二人の仕事はツアー・バンの運転、楽器のセッティング、サウンド・チェック、必要品の調達等。ビートルズが必要とするならば、既に閉店している店を開けさせてまで必要品を求めることもあった。

★1964年、ビートルズのパリ公演に妻と息子のゲイリーを連れて同行。

★映画「Help !」で海峡横断スイマーとして出演。またアルバム「Rubber Soul」では「You Won't See Me」でレコーディングに参加、マル・オルガン・エヴァンズとクレジットされる。

★メンバー全員より年上で、争いごとなどの仲裁にも入り、優しい性格のため4人全員から好かれ、「ビッグ・マル」の愛称で呼ばれていた。

★1966年、ビートルズはコンサート活動を終了するが、その後もスタジオでアシスタントとして働くことになる。この年、ポールとケニア旅行に行っている。

★「A Day In The Life」のカウント等ビートルズのいくつかのレコーディングにも貢献した。

★1968年、アップルの発足とともにパーソナル・マネジャーに昇進。バッドフィンガーのプロデュースを行う。

★1969年、ビートルズの新マネジャーのアラン・クラインがマルを解雇するも、ポールが断固反対したためにアップルに復職。ポールとリンダの結婚式の立会人となる。またトロントでのロックン・ロール・リバイバル・ショーに出演するジョンに同行する。

★1970年、ジョンの「Instant Karma!」のレコーディング・セッションにパーソナル・マネジャーとして参加。

★1971年、ジョンのアルバム「Imagine」のレコーディング・セッションにパーソナル・マネジャーとして参加。

★1972年、ジョージのアルバム「Living In The Material World」のレコーディング・セッションにパーソナル・マネジャーとして参加。

★1973年、離婚。ロサンゼルスで失われた週末を送るジョンに合流することとなる。

★1975年、キース・ムーンのソロアルバム「Two Sides Of The Moon」のプロデュースを行う。この頃、ビートルズとの楽しかった思い出と現在の状況に折り合いをつけられず、酒とドラッグに浸る毎日であった。

★1976年1月4日、ロサンゼルスでロサンゼルス市警の強盗殺人課の刑事チャールズ・ヒグビーによりライフルで撃たれて死亡する。かなりの酒を飲んで酩酊状態だったマルは、手の付けられないくらいに暴れていた。銃を警官に向けたために正当防衛のため銃を発射。6発中4発が命中したという。奇しくもジョンと同じ40歳の生涯だった。マルの死を知らされたジョンは泣き崩れたという。射殺に至った経緯は他に、持っていた空気銃を本物のライフルと誤認されたからという説もある。

★1月7日、ロサンゼルスで荼毘に付されたが、イギリスへ送られた遺骨が一時行方不明となる騒ぎがあった。

通報により駆けつけた警察官に射殺される。持っていた空気銃を本物のライフルと誤認されてのことだった。

【アリステア・テイラー】

★1935年6月21日、リヴァプール近郊のランコーンに生まれる。

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