【監督】リチャード・レスター
【製作】ウォルター・シェンソン
【脚本】アラン・オーウェン
【音楽】ザ・ビートルズ /ジョージ・マーティン・オーケストラ
【音楽監督】ジョージ・マーティン
【キャスト】リンゴ・スター(リンゴ)、ジョン・レノン(ジョン)、ポール・マッカートニー(ポール)、ジョージ・ハリスン(ジョージ)、ウィルフリッド・ブランベル(ジョン・マッカートニー)、ノーマン・ロッシントン(ノーム)、ジョン・ジャンキン(ジェイク)、ビクター・スピネッティ(TVディレクター)他
★ポールのおじいさんの役名の「ジョン・マッカートニー」は、実在するポールのいとこの名前でもある。
★ポテトチップスのCMに出演したパティ、CM監督はリチャード・レスターだった。撮影後にレスターからビートルズ初主演映画への出演依頼を受けたパティは「女優になるつもりはない」と返事をした。理由は役柄の衣装の制服があまりにもダサく、「ダサい格好で有名なロック・スターに会いたくない」だった。
【タイトル】
★当初のタイトル案は「Beatlemania」を映画関係者が挙げたが、ビートルズの4人は即座に却下。ポールが映画の台詞でお気に入りだった「What Little Old Man?」はまったく相手にされなかったという。
★正式タイトルが決定するまでに仮のタイトルとしてつけられていたものは他に、ジョン「ベン・ヘアー(有名な映画ベン・ハーのもじり)」ポール「あー、何たる美しいコブ」、ジョージ「さわがしい、さわがしい、さわがしい世界(これも他の映画のもじり)」、リンゴ「ある映画」、スタッフ「何とか」。
★正式タイトル「A Hard Day's Night」は撮影終了間近に決まった。ある日(3月19日説あり)、長い一日の撮影を終えたリンゴが「ハードな1日(It's Been A Hard Day)」とつぶやいた直後に外が暗くなっているのに気づき「の夜だったなあ('s Night)」と、とっさに文法を無視した突飛でユニークな表現に、ジョンは「それだ!」と飛びついた。ちなみにジョンはこうしたリンゴのユニークな独特の表現を「リンゴイズム」と呼び、いつもメモに書き留めていたという。
★ポールのコメント、、、「タイトルはリンゴに頼ることが多かった。リンゴは言い間違いをするという楽しい癖があったからね。」
【1964年3月1日 クランク・イン】
出演者の契約はビートルズのメンバーを含めてごく僅かだったらしい。その他、たとえばエキストラのファンなどは、ロケ先でファンの少女たちに依頼した。当然、演技指導などはしなくても、ありのままいつものようにビートルズを追っかけていれば、それがそのままドキュメンタリーである。
ただ、あまりの熱狂的なファンたちであるから、肝心の撮影そのものに支障があってはならない。そのため、撮影のスケジュールは完全に外部の漏れないように、スタッフは相当に気を使ったという。
それでも撮影隊とビートルズの動きに敏感なファンは大群となって撮影現場に押しかけることから、撮影不可能となった場合に備え、常に代案が何重にも用意されていたという。
★4日、列車の外をメンバーが走るシーン等を撮影。
★9日、列車の撮影の最終日。
★10日、リンゴのソロ・シーンの撮影。
★11日、トランプのシーンと「I Should Have Known Better」の演奏シーンの撮影。
★12日、ホテルのシーンの撮影。
★13日、エンディングのヘリコプターのシーンを撮影。
★17日、「ル・サークル・クラブ」のシーンの撮影。
★18日、「楽屋」のシーンの撮影。
★25日、テレビ局のシーンをスカラシアターで撮影。
★27日、この日からメンバーは4連休。ジョンとシンシア、ジョージとパティはアイルランドへ、ポールはロンドン、リンゴはベッドフォードシャーでイースターを過ごす。
★31日、映画のクライマックス、ステージでの演奏シーンの撮影。
【4月】
★1日、スカラ・シアターでテレビ出演のシーンを撮影。
★2日、プレス・パーティのシーンを撮影。
★3日、予告編の撮影。
★6日、メイクアップ・ルームにシーンを撮影。
★7日、警察署内のシーンを撮影。
★8日、ファンが撮影スタジオに侵入したために、撮影が中止される。
★9日、テムズ川でリンゴが彷徨う有名なシーンが撮影される。
★12日、オープニング・シーンをメリルボーン駅にて撮影。
★13日、ジョージのソロ・シーン、ジョンのバスルームのシーンを撮影。
★14日、渋滞中の車内にいるビートルズが他の車の乗客から悪態をつかれるシーンを撮影したが、ボツになった。
★16日、映画のタイトル曲「A Hard Day's Night」のレコーディング。
★17日、エド・サリヴァンが映画撮影中のビートルズを訪ねインタビュー。
★20日、ポールのソロ・シーンを撮影するもボツになる。
★22日、ハマースミス・オデオン・シネマの裏階段を駆け下りるシーンを撮影。
★23日、Can't Buy Me Loveのシーンを撮影。
★24日、映画「A Hard Day's Night」クランク・アップ。
【映画の内容にまつわる話】
★本編で「I Should Have Known Better」は列車のシーンとコンサートのシーンの2回使われているが、コンサートのシーンではレコードの音源に合わせての口パクだったために、ジョンはジョークで本物のハーモニカを使用せず、木片か何かを吹いている。
★劇場を飛び出して広大な原っぱで飛び回るシーンに「Can't Buy Me Love」が使われることになったため、「You Can't Do That」はボツになったとジョンは思っているようで「レスターはこの曲を使おうともしなかった」と発言している。
★映画の撮影中にエド・サリヴァンがインタビューに訪れて、その様子とともに1964年5月24日の「エド・サリヴァン・ショー」でカットされた「You can't Do That」のシーンが流された。
★未公開だった「You Can't Do That」の演奏シーンは、後年発売された「Making Of Hard Day's Night」で公開された。
【撮影中のエピソード】
★実際に走っている列車内で撮影が行われたのはイギリス映画では初めてのことで、それまではセット内での撮影であった。
★ロンドンに出てきた4人のなかで、最後までリヴァプール訛りが抜けなかったのがジョージ。映画の中でのジョージの台詞「あれはポールのおじいさんだよ」をジョンがジョージのリヴァプール訛りを真似て、からかっていた。
★「エルヴィスだってこんなことはしなかったろうに」、とは劇中で風呂の中でジョンがベートーベンの「皇帝」を歌うシーンで、3時間に9回も風呂にもぐらされたジョンのぼやき。
★マル・エヴァンスのコメント、、、「ビートルズの連中は、ワンカット撮るたびにチーズとトマトケチャップのサンドイッチとミルクを食べていた」。
★ロケーション最終日、映画の宣伝係は移動のために借りていたロンドン市営バスの天井にビートルズのサインを残すことを提案。サインをしながらリンゴ「2年前に同じことをやったら、間違いなく5ポンドの罰金をとられただろうに、、、。」
★映画の中で「グロッティ」という造語を言わされたジョージは「アラン・オーウェンが作った言葉だ。ボクじゃないよ。今じゃ、定着した言い回しになっているけどね。」
★ビクター・スピネッティの出演は、ビートルズのメンバーからのオファーだった。スピネッティがミュージカルに出演していたとき、ショーの後でジョンとジョージが楽屋に訪ねきて、自分たちの初主演映画に出てもらえないかと誘った。
★スピネッティのコメント、、、「ジョージはこう言った。「おいビク、君はボクたちの映画に出なくてはいけない。なぜなら君が出ないと、君に熱を上げているボクの母さんが観に来ないんだ。」私は彼らを大好きになった。私たちは親友になった。なかでもジョンがいちばん親しかったよ。私たちは夜中まであれこれしゃべったもんだよ。」
【映画ポスター】
★英国版はアルバムジャケットから、さらにメンバーの顔の種類を増やしたヴァージョンが採用された。最初のコンセプトは「動きのあるコミカルなものにすること」というものだった。
【初公開当時の予告編日本語訳】
★リンゴ、、、「(電話の受話器をとり)君宛だよ。」 ジョン、、、「甘ったれんな。」 ポール、、、「ユナイテッド・アーティスト社のために、ボクらの最初の長編映画を作り終えたばかりだ。タイトルは「A Hard Day's Night」だ。」 ジョン、、、「おい、ポール!」 ポール、、、「何?」 ジョン、、、「曲の話とかもしようぜ。」 ポール、、、「8曲収録している。」 ジョージ、、、「8曲も?6曲だけだと、、、。」 リンゴ、、、「(電話の受話器をとり)君宛だよ。」 ジョン、、、「甘ったれんな。」 ポール、、、「近いうちに君の近くの劇場で上映されるよ。君の劇場で。」 リンゴ、、、「ボクの?」 ポール、、、「じゃあ、近いうちにこの劇場で会おう。まさしくこの劇場でね。」 ジョン、、、「この劇場で?」 ジョージ、、、「誰が出るの?」
【制作費】18万9000ポンド(約3,000万円)
【興行収入】1,229万9,668ポンド(約20億円)
【ロンドン・プレミア・ショー】
★64,7月6日にロンドンはピカデリー・サーカスにあるパビリオン劇場で、プレミア・ショーが開かれた。マーガレット王女とスノードン卿も出席した。なんと劇場のまわりには1万2000人を越すファンがつめかけて大混乱したという。
★その夜はパーティーが開かれ、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、ビル・ワイマン、ブライアン・ジョーンズの姿もあった。
★4日後には故郷リヴァプールのタウン・ホールでもプレミアショーが開かれ、こちらは1000人のファンがつめかけた。
【日本での上映】
★翌月の8月1日、東京の松竹セントラルで先行ロードショー公開された。映画評論家の故・水野晴男氏がニュース・フィルム「ビートルズ・カム・トゥ・タウン」と間違えたために「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」という邦題が生まれた話しは有名である。
★8月20日からは、大阪のなんば大劇場でも公開され、その後順次全国各地での公開となるが、どの劇場でも徹夜組が現れたり、コンサート会場さながらの女の子の絶叫で音声が聞き取れないほどだったという。
★スクリーンに向かって泣き叫ぶ少女を見た当時の大人はさぞかし眉をひそめたことだろう。
【テレビ放映】
★1967年10月24日にBBCでテレビ初放映
【A Hard Day's Night製作40周年記念上映会】
★2004年7月6日、記念上映会がロンドンで開かれ、ポールと当時の妻へザー、ビクター・スピネッティ、ジョン・ジェンキンらが出席した。
★ポールは1964年公開時から40年ぶりに見たという。
★ポール、、、「またここでみんなに会えてうれしい。映画はまるで昨日のことのように素晴らしく見えるよ。でもそうじゃないんだね。当時を思い出したよ。また見ることができてすばらしい。ジョンとジョージと一緒に観られなくてとても残念だ。」
【受賞記録】
★第37回アカデミー作曲賞 ジョージ・マーティン (ノミネート)
★第37回アカデミー脚本賞 アラン・オーウェン (ノミネート)
★英国アカデミー新人賞 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ (受賞)
★第7回グラミー賞 最優秀映画音楽作曲賞 レノン&マッカートニー
【コメント】
★ポールのコメント、、、「この映画の制作を担当したのはアメリカ人なんだ。世界的な成功にもつながった。こんな手紙をもらったことがある「私はA Hard Day's Nightを75回も観ました」ってね。」
★ジョージ・マーティンのコメント、、、「私の最初の大仕事だった。ミュージシャンでもある監督がいたのはよかった。ディック・レスターだ(ディックはリチャードの愛称)。彼は腕のいいピアニストでもあった。もちろん映画用の特別な曲は通常どおりレコーディングしたが、ディックはすでにレコーディングした昔の曲を多く使用した。例えば「Can't Buy Me Love」はそのひとつだった。」
★ビクター・スピネッティ、、、「ビートルズの連中は脚本通りにやらないだろうと分かっていた。だから集中力を途切らせないようにする必要があった。予想通り彼らは脚本どおりにやらなかった。そこで、私はディレクター役になりきり続けた。ボツになったシーンで、ジョンがアドリブの台詞で私が吹き出しそうになったシーンがある。一度に4台カメラが回っているので、笑って芝居が成立しないと大変なことになる。私は強気な態度をとり続けなければならなかったので、力強い演技になったんだ。」