戻る

【監督】リチャード・レスター

【製作】ウォルター・シェンソン

【脚本】マーク・ベーム、チャールズ・ウッド

【音楽】ザ・ビートルズ 、ケン・ソーン・オーケストラ

【音楽監督】ケン・ソーン (今回ジョージ・マーティンはレスター監督とそりが合わず担当から外された。ケン・ソーンはイギリスのテレビや映画のサウンドトラックを手がける人物で、後に「ジョン・レノンの僕の戦争」、リンゴが出演しポールが主題歌を書いた「マジック・クリスチャン」のサウンド・トラックも担当している。)

【制作費】100万ドル

【興行成績】1億2000万ドル

【キャスト】リンゴ・スター(リンゴ)、ジョン・レノン(ジョン)、ポール・マッカートニー(ポール)、ジョージ・ハリスン(ジョージ)、ビクター・スピネッティ(ドクター・フット)、レオ・マッカーン(クラン)、エリナー・ブロン(アーメ)、ロイ・キニア(アルジャーノン)他

【公開日】英国 1965年7月29日、ロンドン・ピカデリー・サーカス、ロンドン・パビリオン 日本1965年11月13日

【エピソード】

★リンゴと殺し屋をめぐるサスペンス作品という企画でスタートしたものの、ほぼそっくりな内容のフランス映画が製作中であることが分かりボツとなった。

★白黒だった前作にくらべ今回は「総天然色」「テクニカラー」であったため大きな反響を呼んだ。当時テレビ放送でも白黒が主流で「動くカラー映像のビートルズ」は驚きで、髪や目の色、楽器の色など衝撃の発見が多かった。

★1965年の第8回グラミー賞にノミネートされた。

★監督のリチャード・レスターは前作「A Hard Day's Night」のときからジョージの自然な演技を絶賛しており、今作品では活躍シーンを増やした。

★前作に比べて大幅に予算がアップしたことで舞い上がったビートルズ。海外ロケをエキゾチックな場所でやりたいと熱心に主張して(特にポール)、2月で寒さの厳しいロンドンから最初のロケ地だった南国バハマに飛んだ。しかし、メンバーやスタッフともにウキウキ気分で到着したバハマは思っていたほど暑くなくて肌寒さで震えることもあったという。

★リンゴ、、、「暑いシーンのはずが寒くってね、シャツと薄手のズボンで歩き回っていたら震えてしまったよ。」

★前作に比べてストーリー性が高く、セリフもそれなりに複雑になったにもかかわらず、メンバーはセリフをほとんど覚えようとしなかった。そのためリチャード・レスター監督が側でセリフをしゃべり、それをくりかえしてメンバーがしゃべるという苦肉の策が取られた。

【タイトル】

★当初のタイトルは「ビートルズⅡ」。日本でも長い間「ビートルズ2」と呼ばれていた。

★ビートルズが提案したタイトルは、トミー・タッカーのヒット曲「High-heeled Sneakers」をもじった「High-heeled Knickers(ハイヒールのパンツ)」であった。

★製作者のウォルター・シェンソンが考えたのは「The Day The Clowns Collapsed (道化師が倒れた日)」。

★ジョージは「Who's Been Sleeping In My Porridge(ボクのオートミールの中で眠っていたのは誰)」を提案した(ジョージが反対していたタイトルという説もある)。ポール、、、「ジョージはタイトルを考えすぎて髪の毛が抜けたほどだった。」

★最も有力だったのがリンゴの考えた「Eight Arms To Hold You」。1965年、3~4月まで仮タイトルとして使用され、キャピトル・レコードはそのタイトルのシングル盤が発売されると発表している。

★4月13日にリチャード・レスターが考えた「Help !」が正式なタイトルになった。早い時期から考えていたものの同名の脚本がすでに登録されたいたことから断念しようとしていたが、「!(感嘆符)」をつければ登録可能とアドバイスを受けた。

★「Eight Arms To Hold You」での曲作りに悩んで苦労していたジョンとポールはタイトルは「Help !」に変更されてホッとしていた。

★日本でのタイトルは「Help !4人はアイドル」。日本公開された洋画で初めて原題表記がそのままタイトルに引用されたケースになった。

【撮影スケジュール】

【1965年2月】

★22日、映画の撮影のため、ロンドンからバハマへ飛ぶ。

★23日、撮影初日、ナッソー・ビーチ・ホテルのプールで服を着たまま泳ぐシーンなどを撮影。

★24日、サイクリングのシーンなどの撮影。

★25日、サイクリングのシーンを再度撮影。洞窟でのポールのソロ・シーンを撮影。またジョージの22回目の誕生日のパーティをする。

★26日、郵便局の前でリンゴのソロ・シーンなどの撮影。

★27日、「Another Girl」の演奏シーンを撮影。

★28日、パラダイス島のキャベッジ・ビーチで撮影。

【3月】

★1日、パラダイス島のキャベッジ・ビーチで撮影。

★2日、パラダイス島のキャベッジ・ビーチで撮影。

★3日、パラダイス島のキャベッジ・ビーチで撮影。リンゴが砂浜の杭に縛り付けられるシーンなどの撮影。

★4日、パラダイス島のキャベッジ・ビーチで撮影。

★5日、ジョン、ポール、ジョージが島内の様々な場所で「リンゴ!」と呼びながら探し回るシーンを撮影。

★6日、ナッソー国際空港で飛行機のタラップを降りながら4人が互いの写真を撮り合うシーンを撮影。

★7日、寺院のシーンの撮影。

★8日、寺院のシーンを撮影。

★9日、バハマでの撮影の最終日。

★10日、バハマからロンドンへ向かう飛行機に乗る。

★11日、ロンドンに到着。

★13日、映画の撮影のため今度はオーストリアへ飛ぶ。

★14日、宿泊先のホテル・エーデルワイス」の玄関前等で撮影。

★15日、スタントマンとともにスキーのシーンなどの撮影。

★16日、リフトのシーン等の撮影。

★17日、映画のタイトルが「Eight ArmsTo Hold You」であると発表。カーリングのシーンなどの撮影。

★18日、オリンピック競技場のジャンプ台のシーンなどの撮影。

★19日、雪の中での様々なシーンの撮影。

★20日、オーストリアでの撮影最終日。「Ticket To Ride」のシーンなどの撮影。

★21日、ザルツブルグに宿泊する。

★22日、ザルツブルグからロンドンに帰国。

★24日、イギリスでの撮影が開始される。

★25日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで撮影。

★26日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで寺院のシーン等の撮影。

★27日、新作映画のサウンド・トラック・アルバムは映画挿入曲とそれ以外の曲、半々を収録してリリースすることが発表された。

★29日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで研究室のシーン等の撮影。

★31日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで撮影。

【4月】

★1日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで撮影。

★2日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで撮影。

★4日、ジョンとポール、映画のテーマ曲「Help !」を作曲。

★5日、スタジオ内のセットで、ラジャハマ・レストランのシーンを撮影。

★6日、この日もレストランのシーンの撮影。

★7日、リンゴと人食い虎のシーンを撮影。

★8日、トイレのシーンなどの撮影。

★9日、この日も映画の撮影。

★12日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオ内に、バッキンガム宮殿内を模したセットを造り撮影。

★13日、映画のタイトルが変更。「Help !」に決定した。

★14日、映画に中で最初にビートルズが登場するシーンの撮影。

★20日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで、ポストに手紙を投函したリンゴの指輪を暴漢が外そうとするシーンを撮影。

★21日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで、ビートルズが警視のオフィスを訪問するシーンを撮影。

★22日、「Help !」の演奏シーンの撮影。

★23日、演劇学校のシーンを撮影。

★24日、チズウィックでロケ。リンゴが人食い虎のいる地下室に閉じ込められるシーンなどの撮影。

★27日、変装したビートルズのシーンを撮影。

★28日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで撮影。

★29日、トイレやレコーディング・スタジオに出来た穴のなかでリンゴが襲われるシーンなどの撮影。

★30日、スタジオで「You're Going To Lose That Girl」をレコーディングしているシーンなどの撮影。

【5月】

★3日、ウィルトシャーのソールズベリー平原で「I Need You」の演奏シーン等の撮影5日まで。

★7日、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオでポールが小さくなるシーン等の撮影。

★9日、インド・レストランの屋外のシーンなどをロンドン周辺で撮影。

★10日、バークシャーのクリーブドン・ハウスで、バッキンガム宮殿のシーンを撮影。

★11日、映画の撮影が終了する。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールと俺で11曲書いて、そこから7曲選んだ。」(撮影前にあらかじめ監督のリチャード・レスターに曲を聴かせるため。)

★ポール、、、「自分たちの映画にゲスト出演しているようだった。」

★ジョージ、、、「自転車にまたがって撮影を待っていると、オレンジ色のローブをまとったスワーミ・ビシュヌ・デバナンダがやってきたんだ。彼はハタ・ヨーガの最高権威者だった。しかもその日はなんとボクの誕生日だった。彼に出会ったことがすべての始まりだったね。」

★リチャード・レスター(監督)、、、「前作と同じようにビートルズが9曲くらい出し、私がそこから7曲選んだ。選ばなかった曲は評論家みたいに判断して気に入らないから、外したというわけじゃないんだ。ただテンポを見て、その曲にどんな画を合わせられるかで判断しただけだ。」

★リチャード・レスター、、、「ロンドンでの撮影はとてもエキサイティングだったが、同時にとんでもなく大変だった。街中で1テイク撮るたびに叫ぶティーンエイジャーたちが集まって来るんだ。警察はそのたびに立ち去るように命じてくるが、我々は「許可は取ってある」というと「許可は取り消しだ」と言われたものだ。「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ!」はともに彼らの音楽の素晴らしさだけではなく、アイロニーや若さのパワーをスクリーンに持ち込むことをコンセプトとした。彼らは私が作った11分の短編「飛んだり跳ねたり止まったり」を気に入ってくれていたから、私のことを信頼してくれていた。」

【その後のエピソード】

★1974年12月26日、BBC1で4年連続となるビートルズの映画を放送する「ボクシング・デイ・ウィズ・ザ・ビートルズ」で映画「Help !」が放送される。これは3度目のテレビ放送となる。

★仮タイトルだった「Eight Arms To Hold You」という名前は1985年の映画「グーニーズ」で使われたり、アメリカのバンド「ヴェールカ・ソルト」が1997年にリリースしたアルバムのタイトルになった。

★ソールズベリー平原での「The Night Before」の演奏シーンで、ポールのベース接写の演出はMTVの先駆けとも言われている。

★主演3作目は「ア・タレント・フォー・リヴィング」でというタイトルで西部劇になる予定だった。1965年にツアーでアメリカを訪れた際、馬に乗って宣材写真まで撮影された。

★アーメ役の女優エリナー・ブロン。この名前は後にポールによって書かれた「Eleanor Rigby」のインスピレーションになった。

★1965年4月27日にトゥイッヶナム・フィルム・スタジオで撮影されたシーンは、メンバーの丸めがねやヒゲといった変装が、後のビートルズの姿にそっくりで、予見でもしていたかのようだと話題になった。

inserted by FC2 system