【監督】ビートルズ、バーナード・ノウルズ
【製作】ビートルズ、ガフリク・ロジー、デニス・オデル
【音楽】ビートルズ、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド、シャーリー・エバンズ
【撮影監督】リチャード・スターキーMBE、ダニエル・ラキャンブレ
【編集】ロイ・ベンソン、ビートルズ(編集作業を行なった場所、、、ロンドン、ノーマン・フィルム・プロダクション)
【公開日】英国1967年12月26日、米国1968年8月11日、日本1968年9月28日
【キャスト】ビートルズ、ビクター・スピネッティ(軍曹)、アイバー・カトラー(ブラッドべセル)、ジェシー・ロビンズ(リンゴの叔母さん)、アルフ・マンダース(バスの運転手)、マンディ・ウェスト(バスガイド)、ジャン・カーソン(ストリッパー)、デレク・ロイル(ジョリー・ジミー・ジョンソン)他
【挿入曲(ビートルズの演奏以外のもの)】「All My Loving」「 She Loves You」「Jessie's Dream」(オーケストラによるインストゥルメンタル)、「Death Cab For Cutie」(ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド)
【きっかけ】
★仕事でアメリカに渡っていたジェーン・アッシャーの誕生日をサプライズで祝うために、1967年4月5日にジェーンを訪ねた。このときにメンバー間で流行ってたのがホームムービー。ポールは16ミリカメラでジェーンを撮影している。単独で旅をしていることで、子供の頃のバスツアーを思い出し、さらにはアメリカのサイケデリック集団がバスでアメリカを縦断しながら、LSDの実験を撮影してるとの情報を得たポールは、これらのいくつもの事柄からアイデアを思いつき、帰国中の飛行機の中でタイトル曲の歌詞やテレビ映画の構想をまとめている。
【撮影スケジュール】
★1967年9月11日、撮影初日。ロンドンのオルソップ・プレイスにポールと出演者たちが出発のために集合していたが、なんとバスは2時間遅れで到着。なんと出発当日になって車体にロゴを書く作業をやっていたとのこと。サリー州バージニア・ウォーターでジョン、ジョージ、リンゴが乗車。バス車内のシーン、ハンプシャー州ベイジングストークではパイド・パイパー・レストランで食事のシーンを撮影。宿泊先はデボン州にある「ロイヤルホテル・イン・ザ・デン」という3つ星ホテル。宿泊は極秘となっていたはずなのにホテル入り口には400人ものファンが待ち構えていて大混乱になった。
★9月12日、ダートムーアにあるウィディンカム・イン・ザ・ムーアに向けて出発。この地で催されている祭りでのシーンを撮る予定だった。しかし、途中にある細い橋を渡り切ることが出来ずに諦めることに。急遽、予定を変更してプリマスにあるグランド・ホテルで昼食。マスコミ向けにフォトセッションを行なった後、コーンウォール州にあるリゾート地のニューキーへ向かったが撮影されず。次に立ち寄ったボドミンという街では撮影されたものの映画では使用されなかった。ポール・ロードでデレク・ロイルが合流し、「マジカル・ミステリー・ツアーにようこそ!」というシーンが撮影される。ニューキーの3つ星ホテル「アトランティック・ホテル」に宿泊。
★9月13日、宿泊したホテル近くのウォーター・ゲイト・ベイのビーチでジェシーおばさんとミスター・ブラッドべセルのロマンチック・シーンの撮影。プールサイドでハッピー・ナット・ザ・ラバーマンが水着の女性を追いかけまわすというジョンのアイデアによるシーンは編集段階ですべてボツになった。この撮影のためにわざわざ呼んだ喜劇俳優のナット・ジャックリーの演技をすべてカットしたことをビートルズ側は申し訳なく思っていた。ナット・ジャックリー、、、「ショックだったよ、理解不能だ!私の20分間のコメディをすべてボツにするなんて!」。宿泊先は「アトランティック・ホテル」に連泊。
★9月14日、バスに乗ってホテルを出発した一行。人気のない原っぱを見つけて撮影をしようとするが、撮影に気が付いた野次馬が押し寄せ、さらには渋滞が発生し警察が出動する騒ぎになった。ここでは小さなテントに一行がゾロゾロと入っていくシーンが撮影された。撮影後、夜になってポールとリンゴが数名のスタッフを連れて近所のパブに出かけた。この日の宿泊先も「アトランティック・ホテル」。
★9月15日、宿泊している「アトランティック・ホテル」前で、一行がカメラに向かって手を振るシーンを撮影。また、バスの中でジョンが女の子に風船を膨らませたり歌を歌ってあげるシーンを撮影。さらにはバスの中でアコーディオンの伴奏をバックにビールを飲みながらみんなで歌うシーンも撮影された。
★9月18日、ロンドンのソーホーにあるストリップ・クラブでの撮影。
★9月19日、ウェスト・モーリング空軍基地で「I Am The Walrus」の演奏シーンを撮影。またボツになった「トラフィック」のシーンもこの日に撮影されている。
★9月20日、有名な「ジェシーズ・ドリーム」のシーンを撮影。ウェイターに扮したジョンがスコップで大量のスパゲティをジェシーおばさんのお皿に盛るシーン。ポールの要請にジョンが応じて演出撮影した。他にはチョークでかいたキーボードを弾くジョージの「Blue Jay Way」。4人とマル・エバンスが扮した魔法使いがバスに魔法をかけるシーンも撮影された。
★9月21日、ビクター・スピネッティ扮する軍曹、ポール扮するマッカートニー少佐のシーンを撮影。
★9月22日、ジョン扮するチケット屋からリンゴがバス旅行のチケットを買うシーンを撮影。
★9月23日、マラソンのシーンを撮影。バスを運転していたのはリンゴで、追いかけっこをしていたミニ・クーパーはジョージの愛車。運転していたのもジョージ。綱引きのシーンでは、ウェスト・モーリング空軍基地の兵士の家族も参加することが出来た。そのお礼にとビートルズは家族たちのリクエストに応じて「Yellow Submarine」を歌った。
★9月24日、ロケ最終日。空軍基地の格納庫内に巨大なボールルームのセットを作り「Your Mother Should Know」のシーンを撮影。
★10月29日、追加シーンの撮影。ジェシーおばさんとリンゴが口げんかをしながら歩きバスに乗り込むシーンを、日曜日の早朝に撮影。
★10月30日、「The Fool On The Hill」はロケが終わってしまってから完成した。この曲に合う映像を撮影する必要が出てきたため、ポールはカメラマンのオーブリー・デュアー一人を連れて、フランスのニースで撮影を行う。
★11月3日、リンゴの家の庭で「Blue Jay Way」のシーンを撮影。
【エピソード】
★閉鎖した飛行場内で、バスとミニ・クーパーとのカーチェイスのシーン。これは1966年8月29日、ビートルズのラストコンサートの会場となったキャンドルスティック・パークでの出来事がヒントになっている。ビートルズの乗ったバスが会場に到着したもののゲートが閉まっていて入れない事態に。それを見つけたファンが殺到し、とりあえずゲートが開くまでキャンドルスティック・パークの周りを周回して時間稼ぎをするが、ファンの中には自分の車でバスを追いかけるものまで現れて、ちょっとしたカーチェイスになった。
★脚本が無く、その場その場で思い付きで撮影をするという手法は「うまいやり方だと思った」というリンゴの高評価もあるように斬新で楽しい撮影だったようだが、同時に「内容が薄すぎるのでは」といった危惧する声も一部に出ていたようである。
★ジェシーおばさんとブラッドべセルおじいさんの砂浜でのロマンチックなシーンは放送にそぐわないという理由から、BBCでの初回放送時にはカットされた。
★使用されたバスはアリステア・テイラーがフォックスズ・オブ・ヘイズ・コーチズ・リミテッドという会社からレンタルした。バスの車体はビートルズ側によってデザインされたのではなく、元々あのデザインでそこに「Magical Mystery Tour」のロゴが付け加えられた。
★「I Am The Walrus」はウェスト・モーリング空軍基地で撮影されたが、当初の予定ではスタジオ内での撮影が予定されていた。しかし、直前での予約のためにスタジオを確保することが出来なかったという理由である。
★当初ポールは他のバンドを映画に出演させるべく、いくつかのバンドに声をかけていた。その中には「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」があった。
★ジミ・ヘンドリックス、、、「ポールは彼が考えている映画のシーンについて、少し俺に話してくれた。彼はオレたちに映画に出てもらいたかったんだよ。ポールが訪ねてきてくれた時には、そのことは知らなかったんだ。」
★「ペイパー・サン」などのヒットで知られるバンド「トラフィック」も誘われて、童謡「Here We Go Round The Mulberry Bush」を演奏するシーンと丘の斜面を転がる地球儀を追いかけるシーンが撮影されたが、すべてボツになっている。
★ジョンは脚本を書くことをポールに頼まれた際「冗談じゃない、そんなのはごめんだ」と断った。しかし、ファンにこういう映画を提供することも必要であると考え直したという。
★エンディングで階段を降りダンスを踊るシーンが印象的な「Your Mother Should Know」。振り付けはダンス界の大御所のペギー・スペンサー。撮影時ペギーはカメラの反対側に立ちビートルズのメンバーに見えるように同じ振り付けで踊っていた。
★撮影まであと2日という直前になって、ポールはペギーに振り付けを依頼。同時に100人のダンサーをそろえることも依頼してきたという。
★ペギー・スペンサー、、、「どういうわけかポールは私のことをペゴッティと呼びました。ポールは自分の見た夢を実現したいが出来るかと言いました。その夢は天に向かって続く白い階段の先に白いピアノがあって、美しいドレスを着たダンサーたちが白いテールコートをきたビートルズと一緒に降りてくるというものでした。」
★この作品についてジョンはこき下ろすコメントをいくつか残しているが、実はジョンはかなり熱心に製作に関わっており、編集段階でポールと意見が食い違うことも多々あり、編集作業は11週間も掛かってしまった。
★撮影したフィルムは10時間にも及ぶ長さになったが、52分の番組にするために多くのシーンをカットすることとなった。
★1967年12月17日にジョンとジョージがバンド代表として出席した先行上映会が行われた。招待されたのは、ファンクラブのスタッフ40人。
★「The Fool On The Hill」の追加撮影では、曲を収録したフィリップス社製のカセット・テープ・レコーダーを鳴らしながら行なった。
【完成記念パーティ】
★1967年12月21日、ロンドンのロイヤル・ランカスター・ホテルで毎年恒例で行なっていたクリスマス・パーティを兼ねた完成記念パーティが行われた。
★ジョンの発案で行われたパーティだが、完成記念とクリスマスを兼ねていたせいか、例年とは比べ物にならないほど規模が大きく豪華なパーティだったようで、総勢200人以上が参加した。
★参加者は仮装をしてくることが条件で、ジョンはリーゼントの派手な革ジャン、ポールとジェーンは貝のボタンをたくさん縫い付けたパーリー・キング&クイーン・スタイル。ジョージは中世の騎士、パティは東洋のプリンセス。リンゴはジョージ王朝時代のメンズ・ファッション、モーリーンはインディアンの王女といういで立ちだった。
★この日は何とジョンの実の父親のフレディが招かれており、ジョンはジョークでフレディとダンスを踊っている。
★ジョンはこのパーティでかなりの酒を飲み、露出の多い衣装だったパティを凝視して、招かれていた女性歌手から怒られていた。
【テレビ放映】
★英国国営放送のBBCが1万ポンド(当時のレートで約1,000万円)で放映権を購入して、1967年12月26日の「ボクシング・デー」の午後8時35分から放映した。
★放送後、全国で2,000万人が視聴したと発表された。視聴率換算でおよそ35%。
★万事において慎重にかつ、手抜かりが無いように細かな仕事をするブライアンの不在が災いした。BBCの放送形式についてビートルズ側に事前にチェックするものがおらず、カラフルでサイケデリックなこの作品は白黒放送されてしまった。
★モノクロ放送の10日後にBBCはカラーで再放送したものの、カラーテレビが未だ全国であまり普及していなかったせいで、名誉挽回とはならなかった。
★BBCが異例の再放送を行なった背景には、一部好意的マスコミがカラー放送に適した作品をなぜ白黒で放送したのかについて疑問を呈したり、BBCに寄せられた好意的な視聴者の意見の中にカラー放送を望むものが多かったことがあったからである。
★休日のゴールデンタイムにほぼストーリーが存在しない難解な白黒を観た人々は、過去の2作品からの流れを期待していた部分もあって困惑し腹立たしい思いをした視聴者が大勢いた。
★翌日の新聞には「大失敗」「時間の無駄」「退屈の極み」「最悪の番組」などの見出しが躍り、散々な酷評は大成功を収めていたビートルズにとって初めての大きなつまずきになった。
★翌日、イギリスの人気テレビ番組「デヴィッド・フロスト・ショー」に招かれたポールは、デビュー以来初めての失敗と酷評に対する作品の解説をした。
★ポール、、、「(酷評を受けたことについて)分からない。とにかく評論家にとっては好きではないみたいだね。ボクは結構気に入っているんだけど。」
★ポール、、、「(受けなかった理由を分析)まとまりがないと受け取られたみたいだ。それって当たっているんだ。でもね、それが前提で作った映画なんだ。みんなはストーリーを求めていたんだと思うけど、実際には筋なんてないから。」
★ポール、、、「何をするにもポイントとか目的が必要だけど、ボクたちはそれらを一切無視してこれを作った。例えばアルバムを制作した場合、収録曲すべてが互いにかみ合わなくても、ただの曲の集合体として十分に成り立って、それと同じことかなと思ったけど、映画を作るときは何でだかわからないけど、それらをすべてつなげるストーリーが必要みたいだね。ボクたちはミステリー・ツアーというコンセプトがあれば、それが十分なストーリーだと思ったんだけどね。」
★ポール、、、「2回観たら好きになるってことがよくある。これはボクたちが忘れていたことなんだ。レコードで曲を聴いて「あまり良くないな」と思っても、2回目に聴くと「悪くないな」って思うことがよくあるだろ?」
★ポール、、、「(成功か失敗か?)両方かな。成功の失敗。世間で言う成功ではないな。だって、新聞では悪評ばかりだからね。人々は何が成功しているかを知ろうとして新聞を読むからね。でもそれでいい。次回作はさらにいいものになるだろうね。薄い筋書きとは違って豊かなストーリーに満ちた。成功ってのは、どれだけ多くの人に気に入ってもらえたかなんだろうね。」
★ポール、、、「たとえば誰かが「ボードビルをやってみないかい」とボクたちにアドバイスしても、それはボクたちがやることではない。そこがボクたちがやったことの「ポイント」なんだ。ボクたちは今までに「こういうレコードであるべきだ」というレコードを作ってきた。多くの人は「それって今みんながやっている方法じゃないけど」と言った。ボクたちは「いや、ボクたちはこうやるよ。そして出来上がったものに対して君らが慣れた時に好きになっているか見てみよう」と言った。そのやり方はうまくいっているよ。」
★イギリスでの悪評にアメリカの放送局は及び腰になり、放映権獲得に動いたテレビ局は無かった。また各映画会社も上映時間の短さから劇場での上映は不可能ということで獲得を断念した。
★結局アメリカでは1974年になって劇場公開され、テレビ放映に至ってはイギリスでの放映から遅れること20年後の1987年である。
★日本での初公開はテレビ放送ではなく、日本武道館で映画の上映というかたちで公開された。日時は1968年9月28日。
★お菓子メーカーの不二家が主催し、チョコレートを購入して応募し、抽選に当たった人が武道館で鑑賞できるシステムだった。
★10月6日には首都圏先行のテレビ放映があったものの、作品がいくつかのロールに分かれていたために、放送する順番を間違えたり、音声と映像がずれてしまったりとほぼ放送事故と言える事態になった。このため局側は10月10日に地方局向けの放送時に、改めて首都圏で再放送をすることとなった。
【コメント】
★ジョン、、、「俺たちはもうコンサートはやらないだろうと思っていた。しかも作っていたレコードはステージで再現できるような曲じゃなかった。何かそれに代わるものが欲しいと感じた時、テレビというのは分かりやすい回答だと思った。」
★ジョン、、、「(フィルムの編集作業中)今のところは満足している。」
★ポール、、、「あの映画のアイデアを誰が出したのかよく覚えていないけど、あの頃のものはほとんどボクだったのかもしれないな。」
★ポール、、、「酷評も受けたけど、あれは普通の映画じゃない。アート・フィルムなんだ。後にスピルバーグとかに「あの映画に影響を受けた」と言われた。いずれにせよ関係ないよ。だってこれはビートルズがやったんだぜ。」
★ポール、、、「(撮影を終えて)また仕事が出来て最高の気分だ。この8週間ボクらは定期的に働いてきた。まっとうな人のようにね。毎日午前11時頃から始めて、ランチ休憩が1時間で夜の7時くらいまで撮影。週に7日働いたよ。」
★ジョージ、、、「ボクらが取り掛かっているのは「Magical Mystery Tour」と呼ばれている。これはただのよくあるバスツアーなんだけど、何だって起こり得るんだよ。それが普通のバスツアーとの違いさ。いくつかのパート、いくつかのシークエンス、いくつかのアイデアがあっただけだけど、マジックだから何でもできる。バスの乗客や、その旅の過程で起こるかもしれない。」
★ジョージ、、、「ボクらがユナイテッド・アーチスト社と結んだ契約は、映画3作分で、そのうち2作はもうすでにやった。3作目はいつ作っても良いことになっていた。ボクらは金儲けのためだけに映画を作りたくないから、今のところまだ何もやっていない。ボクらや観に来てくれる人に何か意味のあるものをやりたかった。だから前作(Help !)以来、1,2年もの間に数多くのアイデアはあるにはあったんだけど、どれも前にやった映画の焼き直しのようなものばかりだった。つまり、よくないんだ。ボクらは映画に対して何か良いものをやらなくてはと思っている。少なくとも「Help」と「Sgt Pepper」くらいの違いがないとね。映画も同等に進化していなければならない。だからボクらが満足するまでは作らない。」
★ジョージ、、、「「A Hard Day's Night」や「Help !」から、500年経ったような気がしていたから、もう似たような映画は作りたくなかった。どうせやるなら意味のあるものにしたかった。」
★ジョージ、、、「実のところ、ボクには何が行われているのかさっぱり分かっていなかった。」
★ジョージ、、、「映画はマスコミの非難の的になった。ボクらはすでにあれだけ成功してしまったから、もう後は何でもこき下ろそうとするんだ。そういうもんさ。それが人生だ。」
★リンゴ。、、、「「Magical Mystery Tour」はポールのアイデアだ。いいやり方だったよ。ポールが素晴らしい紙、白い紙に丸がひとつ。それを出して「ここからスタートして、どこかに行く」って撮影しながら決めていくんだ。」
★リンゴ、、、「最初の3,4日間は歩きながら撮影してて、そいつがカメラを回しっぱなしにしてた。最初のラッシュ(無編集状態のフィルム)を見たら、何時間も歩道だけが映っていた。サンキュー!ってなもんさ。」
★リンゴ、、、「ボクらはイギリス人だから、完成したTV映画はBBCにあげようと思った。そしたらBBCは白黒で放送しちゃった。ボクらもバカだけど、あっちもバカだね。当然まったくウケなかったよ。」
★ジョージ・マーティン、、、「成功作とは言えません。だが、あれは一種のアバンギャルドなビデオだったと言えるでしょう。ミュージック・ビデオというものを初めて作ったビートルズです。この映画はむしろ、趣向を凝らしたミュージック・ビデオと考えた方がわかりやすいかもしれません。」
★タイムズ紙、、、「ビートルズの無秩序なミステリー。理解するよりも経験すべき作品。」
★ガーディアン紙、、、「児童や青年への悪影響(劇中のストリップ・シーンを指して)」