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【シングル盤】

(日本盤ジャケット写真の変遷は大きく写真やデザインの違いがありますが、細かく分類すると「社名(東芝音楽工業株式会社、東芝EMI等)」、「ロゴ(オデオン、アップル)」、「価格(¥370、¥500)」「裏ジャケットのデザイン」の違いなど、同じジャケット写真でもバージョン違いがいくつもあります。)

★「I Want To Hold Your Hand / This Boy」

★発売日 1964年2月5日

初回盤のジャケット写真でポールはタバコを持っているが、当時アイドルがタバコを持って写真に収まることは常識ハズレなことで、ましてやジャケット写真に使われることなど考えられないことだった。

★DJ高崎一郎氏のライナーノーツより一部抜粋、、、「英国紳士といえば、まずおっとりと構えて、そしてちょっとばかりオスマして、そういうイメージが浮かんできますね。そういう紳士の国イギリスに「こんなのは音楽ではない、単なる騒音にすぎぬ」なんていわれる音楽が現れたのですから驚きです。メンバーはジョージ・ハリスン(リード・ギター)、ジョン・レノン(リズム・ギター)、ポール・マッカートニィ(バス・ギター)、それにリンゴ・スター(ドラムス)の4人。いずれもお揃いで、髪をマッシュルーム・カット(キノコ型の髪型)したカッコいい若者たちです。騒音と言われようと、音楽ではないと言われようと、自分たちの信じるものを体当たりで表現するところに、このThe Beatlesの魅力があるのですが、それは「自分のことは自分でやる」という彼らの信念にもうかがえます。というのは彼らが演奏する曲はたいていメンバーの中のジョンが作曲して、ポールが作詞しているのです。」

★DJ高崎一郎氏の「抱きしめたい」の解説の一部抜粋、、、「これはまたスゴイ愛の歌ですね。恋愛といえば正装して言葉遣いも折り目正しくしなければ、と思い込んでいるイシアタマ氏が、この歌を聞いたらどんな気がするでしょう。」

 

★「Please Please Me / Ask Me Why」

★発売日、、、1964年3月5日

★DJ高崎一郎氏のライナーノーツより一部抜粋、、、「紳士の国に騒音爆発!びっくりなさるかもしれませんがビートルズ旋風を表現すれば、これが最も適切な言葉だと思います。The Beatlesは揃って髪をマッシュルーム・カット(キノコ型の髪型)した4人の若者たちのグループです。穏やかで上品なイギリスで、原子爆弾を思わせるキノコ状の頭をして爆発した面々は、ジョージ・ハリスン(リード・ギター)、ジョン・レノン(リズム・ギター)、ポール・マッカートニィ(バス・ギター)、ロリンゴ・スター(ドラムス)。この4人の原爆青年たちの作りだす音は音楽ではなく、騒音に過ぎぬのである、と眉をしかめる御仁もいますが、しかし、イギリスの若い人たちの間に人気沸騰というところです。ドラムと電気ギター、時にハーモニカを使って騒音を作りだします。The Beatlesは無尽蔵のエネルギーを秘めた原爆、いや水爆です。」

★「Matchbox / Slow Down」ミュージック・マンスリー誌洋楽チャート最高位4位

★「I Feel Fine / She's A Woman」1965年1月5日発売 ミュージック・マンスリー誌洋楽チャート最高位5位 

発売当時の日本盤シングルのライナー・ノーツ、、、「曲の頭に変なギターの音が入っていて、録音の不手際かと思われますが、事情はこうです。練習が終り、さあこれから本番の録音という時になって、ジョンが何の気なしにギターを弾いてしまったので、それが曲の頭に被さりました。この変な音がなかなか良い感じだということになり、そのままレコードに出来上がったのです。」

★「Rock And Roll Music / Every Little Thing」1965年2月5日発売 東芝EMIが1981年に発表した国内累計売り上げは65万枚で、ビートルズのシングル日本国内売り上げ第3位。

★「Yesterday / Act Naturally」東芝EMIが1981年に発表した国内累計売り上げは64.4万枚で、ビートルズのシングル日本国内売り上げ第4位。

★「Hey Jude / Revolution」東芝EMIが1981年に発表した国内累計売り上げは110.8万枚で、ビートルズのシングル日本国内売り上げ第2位。

★「Let It Be / You Know My Name」東芝EMIが1981年に発表した国内累計売り上げは135.8万枚で、ビートルズのシングル日本国内売り上げ第1位。

【コピーバンド】

★東京ビートルズ、、、1964年5月、「抱きしめたい/プリーズ・プリーズ・ミー」の日本語カバーでデビュー。2枚目のレコードが「キャント・バイ・ミー・ラヴ/ツイスト・アンド・シャウト」。あまりにもチープなサウンドで思いっきり笑ってしまうが、近年、そのチープさ稚拙さが国内ばかりか海外でも高い評価を受けている。

★クール・キャッツ、、、コピー・バンドというわけではないが、「和製ビートルズ登場」という触れ込みで1964年デビュー。1964年5月にリリースした「プリーズ・プリーズ・ミー」がヒット。

【カヴァー曲】

★スリー・ファンキーズ、、、1964年4月、レノン&マッカートニー・ナンバーとして日本で初めて「抱きしめたい」をリリース。

【日本での売り出し】

★当時の東芝担当ディレクターはビートルズのオリジナル曲は、日本人には分かりにくいと考えて、なるべくカヴァー曲をシングル盤にした。

★この担当ディレクターは初めてビートルズを聴いた時には「はっきり言えば訳の分からない音楽」という感想を持ったそうである。しかしイギリスでは売れているということで何とかしなくてはならなかったそうで、ビートルズのレコードを持って各放送局や音楽評論家を訪ねたそうであるが、興味を持ったのはTBSの女性ディレクターただひとりだけだったという。

★日本でのデビュー・シングルは当初「Please Please Me」の予定であったが、「抱きしめたい」が全米No.1ヒットとなったために急遽変更された。

【マイ・ボニー】

★ハンブルグ時代にトニー・シェリダンのバックでレコーディングした「My Bonnie」が「マイ・ボニー・ツイスト」というタイトルで「ザ・セインツ」とのカップリングで1962年4月に日本でリリース。歌手名は「トニー・シェリダンと彼のビート・ブラザーズ」。まったく売れなかったが1964年4月にビートルズ人気にあやかって再発売された。

★スリー・ファンキーズの日本語バージョン「恋人は海の彼方に」が1963年1月にリリースされた。

【幻のベスト盤「Best Of The Beatles」】

★リリース予定は1964年でレコード番号も「OP7177」と決定。ジャケットは当時天才少年画家と言われたクロード岡本氏の描いた4羽のヒヨコのイラストになることが決定しており、見本盤もプレスされていた。土壇場で英国EMIの許可が下りなかった。

「収録曲」

A面

(1) I Want To Hold Your Hand

(2) Please Please Me

(3) A Hard Day's Night

(4) Please Mr.Postman

(5) Love Me Do

(6) Roll Over Beethoven

(7) All My Loving

(8) I Saw Her Standing There

B面

(1) Twist And Shout

(2) I Should Have Known Better

(3) She Loves You

(4) Can't Buy Me Love

(5) I Wanna Be Your Man

(6) Long Tall Sally

(7) Do You Want To Know A Secret

(8) P.S. I Love You

【マスコミの反応】

〈ミュージック・ライフ〉

★1966年8月号、、、ニュー・アルバム「リボルバー」の特集記事が掲載された。そのなかで「とても風変わりなアルバム」と紹介され、「Tomorrow Never Knows」にいたっては「ちょっとふざけた感がしないでもありません」とやや否定的な評。アイドルとしてのビートルズと前衛的な変貌を遂げた「リボルバー」との挟まれて、音楽マスコミはまったく付いていけなくなってしまった。

★1967年1月号 「なぜレコードを出し渋る」という見出しで、音楽家としてジョンとポールがスランプに陥り壁にぶつかっているという記事を掲載。「ポールやジョンにしてみればこの次に発表するレコードは、過去の作品以上のものか、アイデアにおいても、また企画においても上のものでなくてはならないし、またヒットという面でも決して売れないレコードは作れないという宿命がある。」

★1967年、「ひげを剃って、ビートルズ」という見出しでファンの19歳女性の意見。、、、「今のビートルズは不潔でうすぎたない格好をしているわ。もう私たちはビートルズを卒業しちゃった。たぶん彼らがきれいさっぱりと散髪してヒゲを剃ってきたら、もう一度すきになるわ。」

〈その他の雑誌〉

★ビートルズが沈黙の後、ひげ姿(ジョンにいたっては丸メガネも)で登場したことについて、、、「あのヒゲは「サージェント・ペパーズ」のプロモーションのためです。いずれビートルズはヒゲを剃ります。」

 

【日本を毎年のように訪れていたジョン】

【1978年】

★現在は長野県松本市で理髪店を営んでおられる江田弘克氏。江田氏は当時ホテルオークラの理容室に勤めていたそうで、滞在していたジョンが髪を切りに来たときのジョンの格好が、着古したTシャツにヨレヨレのジーンズ、そしてサンダル履きで、一流ホテルの中を歩き回っていたそうである。江田氏のジョンの第一印象は「小汚い格好をしたお兄さん」だったそうです。

★財布を持たずに、お金はジーンズのポケットにグチャグチャっと入れていたそうである。

★一流ホテルの理髪店なので従業員はもちろん、そのホテルの関係者全員がジョンを特別扱いせず、一般の宿泊客と同じ扱いをしていたことがジョンは気に入っていたそうである。ただ、理髪店で偶然隣に座った外国人が「ジョン・レノンだ」と騒ぎ始めたときには、まったく無視していたそうである。

★ジョンはカットしている間、ショーンを膝に抱いていて「さくらさくら」を聞かせるように歌っていたという。

★ジョンの髪質はものすごく柔らかくて細く、金髪とブラウンの間くらいの色合い。ヒゲはものすごく濃くて、あごが細いので剃りにくくて大変だったと江田氏は振り返っている。

【その他】

★ローリングストーンズの日本でのデビューアルバムの「帯」に『これがリバプール・サウンドの決定盤!』というキャッチコピーが載っていた。今より情報が圧倒的に少ない時代とはいえ、いい加減なものである(笑)。
★日本中央競馬会所属の競走馬に、そのままズバリ!「リバプールサウンド」という馬がいる。

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