戻る

★1945年3月17日、イギリス生まれ。本名はパトリシア・アン・ボイド。コリン・イアン・ラングドン・ボイドとダイアナ・フランシス・ドライスデールとの間に長女として誕生。二人の妹のジェニーとポーラ。コリンという弟がいる。

★1962年からファッションモデルの仕事をスタートさせるも、多少、前歯が出ていたため「うさぎのような前歯のパティはモデルには向いていない」とカメラマンたちに受け入れられずに苦労していた。

★ジョージとの出会いは、映画「A hard Day's Night」でビートルズと共演した時である。パティのコメント、、、「ついにビートルズが撮影の列車に乗車してきたの。彼らは私にハローって言ってきたの。信じられなかったわ。彼らは私が想像したまんまだったわ。」

★ジョージはパティに一目ぼれ状態で、パティが自分と妹のためにねだったサインには妹向けにはキスマークを三つ書いたが、パティには7つ書いた。

★ジョージはパティに「付き合って欲しい」と告白したものの、恋人がいたパティは断っている。しかしパティはジョージに対して非常に好感を持った。パティ、、、「なんてカッコよくて魅力的で、私と同じでシャイな人なのかしらと思ったわ。すごくユーモアのセンスがあって、ポールのようなイタズラっぽいジョークじゃなくて、すごくドライで言葉のセンスがあるものだった。私はあっという間に彼のことが好きになった。」

★一週間後にジョージがくじけずにパティに再チャレンジした際には、一週間思い悩んだパティは「OK」した。

★世界中の男性の憧れの的だったブリジット・バルドーに似ているとして、ジョージはジョン、ポール、リンゴに自慢していたという。

★ファンには絶対の秘密にしておいたはずだったのだが、ハマースミス・オデオンでビートルズのステージを見たパティは、ステージ終了前に早めに会場を出るように言われていたが、ファンに見つかり後ろから蹴られている。必死に車に乗り込んだものの、ファンに取り囲まれて車を大きく揺さぶられるという事態が起こった。

★1966年1月21日、サリー州のエプソン登記所でごく簡単な結婚式を行なう。メンバーのうちポールだけが出席。ブライアン・エプスタインがベストマンを務めた。

★実はジョージよりも早い時期にインド精神世界に通じていたのはパティで、ジョージをマハリシの講義に誘ったことがきっかけで、ビートルズの瞑想修行が始まった。

★1969年、ジョージとともにマリファナ不法所持で逮捕される。

★1972年、ジョージが運転する車が事故を起こす。同乗していたパティは肋骨骨折などで、意識不明の重体となる。

★パティがジョージと離婚し、エリックと再婚するという話しをジョージが聞かされたとき、ジョージはかなり激怒したという。定説ではパティとエリックの結婚には紳士的だったというが、、、。

★ジョージと離婚後も友人として関係は続いており、1974年エリックと結婚後の最初のクリスマスにランチを食べていたエリックとパティのところにジョージが突然押しかけてきたという。このときにジョージとエリックがとても仲良くしているのが、パティには信じられなかったという。

★パティに掛けたジョージの言葉で最も嬉しかった物のひとつに、パティが半分冗談で「私に戻ってきて欲しい?」と聞いたとき、「絶対にそうは思わない。君は正しい判断をした。」との寛大な言葉があった。

★エリック・クラプトンとの2度目の結婚は、エリックの度重なる浮気とアルコール依存症が原因で、1987年に破綻する。ひとりになったパティはエリックとの別離とともに、ジョージとの別れについても「今頃になって深く悲しんだ」という。ジョージの元を去りエリックに移ったときは息つく間がなかったようで、常に自分はこれで正しかったのか?と自問していたという。

★ジョージがオリヴィアと再婚した頃には、ジョージはもはやパティの兄のような存在となっていたという。パティによるとジョージには悩みなどを相談したり、ジョージも園芸用品や装飾品を送ってきたりして、ジョージの息子ダーニの18歳の誕生日のディナーにはパティ夫妻も招かれた。

★ジョージとの離婚を後悔しているようで、エリックの誘惑に負けたことを後悔し、ジョージとの仲がギクシャクしていたときには歯を食いしばって折り合いをつけるべきだったと振り返る。しかし、エリックと出会わなければ「Layla」「Wonderful Tonight」などの名曲は誕生しなかったとも語っている。

【コメント】

★「当時(1967年)、彼らは何でも一緒にやりました。彼らはグループとしてとても団結していたのです。ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインが亡くなったときは、彼らは足下をすくわれたように、どういしていいかわかりませんでした。そこで瞑想が助けになるかもしれないと考え、わたしたちみんなで行きました。多くのことを学べたので行ってよかったと思います。イギリスに戻ってからはブライアン亡き後、ミュージシャンであるとともにビジネスマンにもならないといけませんでした。その責任の重圧は今まで彼らが直面したことがなかったものでした。インドへの旅は精神的、音楽的にも彼らが一緒にいられた最後のときだったのかもしれません。(2008年)」

inserted by FC2 system