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【ビートルズのメンバーになる】

★ピートの母親のモナ・ベストが自宅の地下に作った「カスバ・クラブ」のオープンの日に出演することになっていたバンドのメンバーの一人が、トラブルで脱退していて急遽出演できなくなった。そのことを顔見知りだったジョージ・ハリスンとケン・ブラウンが知らせに来て、代わりにジョンとポールがやっている「クォリーメン」をピートに紹介したのが始まり。

★ピートはブラックジャックスというバンドでドラムを叩いていたが、1960年8月にポールからピートに電話があり「ハンブルグでの巡業に行くんだが、ドラマーがいない。オーディションがあるんだけど来ないか?」との誘いに乗り、翌日ワイバーン・クラブでオーディションを受けビートルズのメンバーになった。

★ピート、、、「ボクは出発のおよそ一週間前に加入を頼まれたんだ。ボクは彼らのレパートリーをすべて知っていたしね。ボクたちはハンブルグ巡業についてとても興奮していた。ボクたちみんなにとって冒険だったんだ。」

★ピート、、、「ボクが加入条件を何も知らなかったのはポールのせいじゃない。アラン・ウィリアムスがすべてを仕切っていたからね。彼はカイザーケラーに出演するんだと言っていたが、最初はインドラに出演したんだ。」

★ピート、、、「ボクだけがマッシュルーム・カットにしなかったのは、試してみたんだけど好きになれなかったためさ。最初はメンバーが全員反対だった。スチュアートが最初に試して、それからジョン、ポールと試し、最後はジョージだった。全員がそうなるにはかなり時間がかかった。」

【母親モナ・ベストの知られざる功績】

★キャバーン・クラブのマネージャーに「ぜひ、キャバーンでビートルズを演奏させてほしい」と頼み込んで実現させたのがモナ・ベストである。12時から14時までのランチタイム・セッションで演奏させてもらえるようになり、ファンがたくさんつくようになった。

★オーディエンスの前で演奏する機会をさがしていたビートルズ(クォリーメン)にカスバ・クラブでサタデーナイトのレギュラーバンドの座を与えている。

★カスバ・クラブのオープンに代役として出演した際、後にビートルズを大きく支えることになる盟友マル・エヴァンスとニール・アスピノールに出会っている。

【発言集】

★2007年、ビートルズを「クビ」になって以来、一度も会っていないポールに再会したいと語る。「僕達は歳を取りはするが、もうあの頃には戻れない。僕達は自分がしてきたことをわかっているし、今話をすれば、お互いのことをこれ以上悪く思うことはないだろう。神は私たちみんなを見てくれている。それになんといっても40年以上前のことだから、もうわだかまりはないよ。」

【ドラマーとしてのピート】

★今では「普通にロックの基本ドラム・パターン」である「ドン・タ・ドド・タッ」というパターンは、ビートルズ在籍時ハンブルグでの巡業中にピートが考えたドラミングである。いわゆる通称「アトム・ビート」と呼ばれているものであり、ハンブルグのクラブでの酔い客の耳をステージに向けさせるためにピートが編み出した。当時はアクセントとしての役割でしかなかったバスドラムをピートはほぼ鳴りっぱなしにしていた。当時としては大音量で画期的なこのピートのドラミングに刺激を受けたリヴァプールのバンドの多くが取り入れたという。

★ジョン・マクナリー(サーチャーズ)のコメント、、、「どのバンドもほどよくリズミックなパターンのバスドラを踏んでいたのに、ピートはストレートに4拍バスドラを鳴らすんだ。ドン、ドン、ドン、という具合に鳴らしっぱなしでね。当時は本当に珍しかったよ。」

【ビートルズを解雇】

★ピート、、、バンドの中で最も人気があったからクビになったという見方について「それはわからない。ただ一度だけポールのお父さんに怒られたことがある。「ファンをみんなで分けたらどうだ?」って。もちろんポールも人気があったよ。」

★ピート、、、「クビの宣告をしたのはブライアンだった。パーロフォンと契約したばかりの頃だった。ブライアンに事務所に呼び出されて「みんなが君に抜けて欲しがっている。すでにリンゴを加入させる手はずが整っている」と告げられたんだ。ボクはとてつもないショックを受けた。彼らはボクに面と向かってそのことを説明することは一度もなかった。後にジョンが「オレたちはピートをクビにするときビビってたんだ」と発言していた。実際、ボクのルックスが問題だったのかもしれない。ルックスの良し悪しのことじゃないよ。ボクの経験が浅いとかが理由だというのはバカげている。だってボクはリヴァプールでナンバーワンのドラマーだったんだ。実際、他のドラマーたちはボクのスタイルをマネしようとしていたんだからね。ここだけの話、彼らがボクに代わるドラマーとして希望したのは最初はリンゴじゃなかった。最終的に同意したのがリンゴだった。リンゴはドラマーとして、まあまあの感じだった。ハンブルグでリンゴがボクの代役を務めたことがあったという人がいるが事実じゃないよ。」

★ジョージ・マーティン、、、「彼はみんなの輪に加わろうとしなかった。いつもちょっと無口で、むっつりしているといっても言いくらいだね。だが何より、私は彼のドラミングが好きではなかった。安定感が無かったし、彼のドラムではグループがしっかりまとまらなかったんだよ。」

【音楽作品】

★アルバム「The Best Of The Beatles」

★収録曲 「I Need Your Lovin'」「Just Wait And See「Casting My Spell」「Keys To My Heart」「Why Did You Leave Me Baby」「Shimmy Like My Sister Kate」「I Can't Do Without You Now」「I'm Blue」「Some Other Guy」「She's Alright」「Nobody But You」「Last Night」

★ビートルズを解雇になった直後にレコーディングした。もちろんビートルズとはいっさい関係がない。

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