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【フィリピン昼食会すっぽかし事件】


★すでに世界的スーパースターとなっているビートルズにとって何もフィリピンでプロモーションを行う必要は無い。あの「マルコス大統領の強力な働きかけ」があったのだという。

★こういった政治的な思惑の絡んだイヴェントを嫌うビートルズだが、アメリカの有力者にマルコス大統領が手を回して、相当な圧力をマネージャーのブライアン・エプスタインに掛けたそうだ。あの手この手を使ってビートルズの4人にフィリピン行きを納得させたらしい。

★4人を説得させるためのエプスタインの言葉、、、「レジャーのつもりでフィリピンに行ってくれ。コンサートは1回だけだ。あとは君たちの好きなようにして良いから」

★フィリピンのプロモーター、ラファエル・コラレスは日本公演のときからマニラ入りした後までエプスタインに「イメルダ夫人が大統領宮殿で昼食会の用意をしているので、なんとか出席してほしい」と懇願とも言える要望をしていたらしい。

★ラファエルが用意した予定表にはハッキリと「マラカニアン宮殿訪問」の文言はあったものの、コンサート当日のことであり、さらには会場入りする時間と重なっていたために、ビートルズ側はハッキリと断りを入れていた。

★このプロモーターはかなり気の弱い性格だったらしく、イメルダ夫人側、ビートルズ側のどちらにも連絡することが出来ずに放置してしまったために、イメルダ夫人一行と招待客約400名は待ちぼうけを食らってしまった。

★翌朝の新聞各紙は「大統領夫人を侮辱」と大々的に報道。エプスタインは釈明のためにテレビで会見を開くものの、妨害電波を受けて真相は伝えられないまま。あろうことか張本人のプロモーターはギャラは払えないと騒ぎ、フィリピンの税務長官は所得税を全額払うまでは出国させないと脅してくる始末。脅迫電話は4人が宿泊しているホテルはおろかイギリス大使館にまでかかってくる始末。

★やっとのことで空港にたどり着くも、警備員が一斉に引き上げてしまい暴徒と化した群衆に暴行を受け、ブライアン・エプスタインとマル・エバンスは負傷する。

★命からがら飛行機に乗り込むもまたもやひと悶着。今度は不法入国の嫌疑がかけられ、またも出国を差し止められる。マルコス大統領による声明で、すべてが誤解だったことが明らかになり国民に知らされたのは、ビートルズ一行の飛行機が飛び立った後だった。

【コメント】

★ジョン、、、「今度フィリピンに行く時は用心に水爆を持っていくよ」

★ポール、、、「この世でいちばん嫌いなやつでも、マニラへ行けとは言わないよ」

★ジョージ、、、「フィリピンにはピストルやチェーンを持った愚連隊がたくさんいて怖かった」

★リンゴ、、、「マニラでは動物並みの待遇を受けた」

【ジョンのキリスト発言】

★1966年7月、アメリカのティーン・エイジャー向けの雑誌「デイトブック」に掲載されたジョンの発言が大きな騒動となった。「俺達の方がイエス・キリストよりも有名だ。」とのジョンの発言は、同年3月にイギリスの「イブニング・スタンダード紙」に掲載されたジョンのインタビューの一部であって、その時はイギリスでは何も起こらなかった。

★アメリカの雑誌に転載された時にはインタビューの一部分が切り取られ、センセーショナルな見出しとなったために、特に熱心なキリスト教信者の多いアメリカ南部を中心に、信者の怒りと共に全米を巻き込む大騒動に発展した。

★多くのラジオ局がビートルズの曲を放送禁止にし、ビートルズのレコードやグッズが広場等で焼却された。また白人至上主義組織「KKK」は十字架に括りつけられたビートルズのレコードを焼いた。

★殺害予告まで出てくる危険な状態になったこと、さらには夏の全米ツアーが間近に迫ったことで、事態を鎮めるためにブライアン・エプスタインは急遽アメリカに飛び、関係各所に出向いたり記者会見を開いたりした。このときブライアンはフィリピンの事件のために体調を崩して療養中であったが、事態を相当深刻と受け止めて病身のままアメリカに向かった。

★ツアーの中のいくつかの公演をキャンセルすることも考えられたが、さらなる混乱をも予想されることから、当初の予定通りの日程となった。

★全米ツアーのために渡米したビートルズは、8月11日にシカゴで記者会見を行った。ジョンは会見をするつもりは無かったが、メンバーの命の危険があること、最悪の場合ツアーが中止となる可能性があることで、ジョンは謝罪のための記者会見を受け入れた。

★ジョン、、、「神や宗教、キリストを否定しているわけじゃない。ボクらの方が偉大だとか優れているなどと言っているわけではない。イギリスではキリスト教は衰退しつつあって、それを指摘しただけ。ビートルズを引き合いに出したのは、その方がボクには説明しやすかったんだ。こんなことになるんだったら、テレビとか映画とかなじみのあるものを引き合いに出せばよかった。問題になった発言は長いインタビューの中の一部分が切り取られてデイトブックに掲載されたら、ボクが言った意味とはまるで違ってしまっていた。騒ぎを起こしてしまったことは悪かったと思っている。」

★ジョンの弁明を受け鏡面上の騒ぎは収まった。しかし、ショーの最中にステージに腐った果物を投げ込まれたり、KKKがデモを行なったり、メンフィス公演では銃声のような音が響いたり(実際は子供が鳴らした爆竹)などのトラブルはあったものの、無事に最終公演まで行われた。

★ジョンの発言から数十年以上経った現在では、バチカンはビートルズに敬意を示し称賛する姿勢を取っている。2008年と2010年の2回、バチカンの新聞「オッセルバトーレ・ロマーノ」でビートルズとその作品を絶賛している。編集長のジョバンニ・マリア・ビアンが大のビートルズ・ファンということである。

★バチカンがビートルズを支持していることについてリンゴは「バチカンは、ボクたちのことを悪魔のようだとか言ってなかったっけ。彼らがボクらを許すって?バチカンはビートルズよりも議論されるべきことが多いんじゃないのかな。」と皮肉交じりに語った。

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