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★1971年3月20日、イギリス大衆紙「デイリー・ミラー」が、3月19日アップルに集合したジョン、ジョージ、リンゴ、クラウス・フォアマンが今後のレコーディング計画を話し合ったと報道した。当然アップルは否定し広報担当のレス・ペリンはマスコミに対して否定の見解を表明した。

★1972年1月29日、ニューヨークでジョンとヨーコ、ポールとリンダが会って食事をした。このときに「お互いがマスコミでけなしあう」ことを止めようと話し合った。

★1973年3月17日、メロディ・メーカー誌の1面に「ビートルズ再びレコーディング!」との見出しで、ロサンゼルスでジョン、ジョージ、リンゴがセッションをしたことを報じる。さらにポールの代わりにベーシストとして加入を噂されていたクラウス・フォアマンも一緒にスタジオに現れたことから、かなりの現実味があるとの報道。

★1974年4月20日、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人がロサンゼルスのビバリー・ウィルシャー・ホテルで再結成に向けたミーティングを開くという噂が流れる。この噂と前後して「メロディメーカー」誌上に「ビートルズは再結成すべきか?」という記事が掲載され、その中で初代マネージャーのアラン・ウィリアムズが意見を述べている。「ビートルズが再結成する可能性はまったくないよ。でももし再結成するとなれば、もちろん私はマネージャーに立候補するよ。」

★10日後にはこの話がさらに大きなものになり、最新情報として「ロサンゼルスではメンバーによるミーティングが引き続き行われている。再結成したビートルズのツアーは6月か7月にニューヨークに近いモンティチェロを皮切りにスタートするらしい」と報道された。

【ジョンのコメント】

★「可能性はいつだってあるよ。他のみんなと話した感じでは、また一緒に仕事をするのを嫌がる奴はいないだろうね。ボクらが何か一緒にやっちゃいけないという決まりはないし、やらなきゃいけないという決まりもない。ただ、何かをやるにしてもずっと続くものにはならないだろうね。その時集まるだけだ。今ほどボクらが上手くいっている時って、ずいぶん長くなかったと思うよ。(1973年)」

★1974年10月12日、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌に載ったジョンのコメント、、、「僕ら4人が会っても全然ピリピリした雰囲気はないよ。僕らはうまくいっている。でも、みんなで何かやるにしても1976年になってからだね。EMIとの契約が切れてからだ。一緒に組んでもサウンドはまったく変わっていないだろう。むしろ良くなるよ。今じゃ僕ら全員成長しているからね。」

★「一生ビートルという名を背負って生きることは別に嫌じゃない。ビートルズだったってことは死ぬまで付きまとうんだから、それなら楽しんだほうがいい。」

★「ビートルズの復活は無い。だった何のために再結成するんだ?ボクらはすべてやり尽くしたんだ。だいたいミーティングで4人集まることも出来ないのに、一緒にプレイできるわけないだろ?先月ポールとリンゴとボクとロサンゼルスで会ったんだ。ジョージにも来て欲しかったけど、そのときあいつは出て来られなかった。仕方ないから3人で集まったら、みんな「ビートルズ再結成!」って言い出す。おいおい、ボクらは会うことも出来ないのか?」

★1975年3月のジョンのインタビューで「ボクは一時、再結成の質問をされると「ノー、絶対に無い」と答えていたんだけど、でもそのうち思うようになったんだ。「別にいいんじゃないかな?レコードを作りたいとか、何かをやりたいって気になれば。」って。みんなすぐステージを考えるんだけど、ボクとしては、何かやるとしたらスタジオだね。ステージは別の話だ。でもね、ボクがやりたいって言えば、新聞にジョージの発言が載るんだよ「ボクは嫌だ」ってね。わかる?4人が全員同時にやる気になるってことはないんだよ。ボクはどっちだっていい。誰かがやりたいって言えばボクもやるよ。ボクが自分から引っ張っていく気にはなれない。それだけは確かだ。」

★1975年12月16日、アメリカNBCテレビの朝の番組「トゥディ」での発言。

★「元ビートルと紹介されるのは嫌じゃない、前ビートルと紹介されるよりは元ビートルのほうが感じがいい。」

★「ビートルズという名前は今でも残っているよ。つまり「ビートルズ有限会社」としてね。ビートルズの商品は形を変えて今もいろいろ出ているだろ。たとえば去年ダブルアルバムが2組出た(赤盤、青盤)。あれはボクらがバンドとしてやってたころに出したものと同じくらい売れたよ。それにもうすぐ映画も完成するんだ。ボクらのツアーと世界中でやったインタビューを集めたやつ、、、多分「The Long And Winding Road」っていうタイトルになる。だからビートルズってものは存在しているのさ。ただ、もう一緒には活動しないってこと。」

★「将来ビートルズがグループとしてまた一緒にプレイする可能性は十分ある。だけどタクシーの運転手までもがそのことを聞くんだ。あの人たちが聞くのはふたつ。「ビートルズは復活するの?」と「永住権はどうなってんだい?」。ボクらがまた一緒にやるにしても、どういう形になるかわからない。4人が同時にひとところに集まるのは、霊能者の力を借りても無理だね。ボクはアメリカを離れられない、出たら二度と戻れないから。移民問題があるかぎり、ボクらは同じ部屋に集まって何か決めることも出来ないし「ハロー」の一言も言えない。もっともボクら4人はいろいろ違う組み合わせで会ってはいるけどね。」

★「しかし、移民問題が解決すれば問題はないとは言えない。1960年代にやっていたことを蒸し返すだけじゃだめだ。でも可能性はある。また4人で一緒にやるのなら、音楽的にボクらが関心の持てるものでなくちゃいけない。でなきゃやる意味がないからね。昔を懐かしんでやるのなんてゴメンだ。」

【ポールのコメント】

★「以前のビートルズほど良くないとか、そんな評論はボクたちが負うリスクじゃないからね。それに「もし、ビートルズが再結成していたら?」と聞かれても、それは「もし〇〇だったら」症候群で、ボクは基本的にそういった話はしない。でも、もしそうなったいたら威風堂々とした統率力のあるリーダーのジョン、その傍らでボクは素晴らしく歌いジョージは天使が舞い降りてきたかのようなギターを弾く。バックには世界一のドラマーがいる。現代の最新の音響設備で誰も聞いたことのない最高のサウンドを生み出しているだろうね。(2007年)」

【ジョージのコメント】

★「すべて夢物語だよ。ビートルズがまた一緒にやるなんて、もしそんなことがあるとしたら、それは全員一文無しになったときだね。僕はポールよりウィリー・ウィークスをベースに使いたい。ポールのことは尊敬しているけど、ビートルズになってから僕はずっと箱に閉じ込められていて、何年ものあいだ他のミュージシャンと組む機会がなかった。ポールはいいベースプレイヤーだよ。でもちょっと出しゃばりすぎるところがある。ジョンのバンドにならいつでも参加するけど、ポールのバンドには入れないね。個人的な問題じゃない、音楽的な考えからだ。(1974年)」

★1974年10月23日、アメリカ、カリフォルニア州のビバリー・ウィルシャー・ホテルでの記者会見で、ビートルズやジョン、ポールについての質問で興味深いジョージの答えがあった。現在のジョンとポールとの関係について聞かれ「すごく良い状態だよ。ジョンとは彼がアメリカに移ってから会ってないけど電話ではしょっちゅう話してる。今ジョンはすごく元気だよ。ポールには最近会った。すべてうまくいっている。仲がいいからって、バンドを組むということにはならないけどね。」

【リンゴのコメント】

★(1971年のインタビュー)、、、「ジョンやジョージ、クラウスと組んでラダーズとでも名乗るかな。何だっていい、好きな名前で呼べばいいさ。ただ、ビートルズって名前にはならないだろうね。」

★1974年11月23日、「ビートルズが再結成する可能性は100%ないよ。ジョージがポールと組みたがらないのに、どうして再結成できるんだい?」

【KLAATU クラートゥ】

★1976年、カナダのグループ「KLAATU」がキャピトル・レコードからアルバムをリリース。ビートルズを彷彿とさせる歌と演奏、曲調で再結成したビートルズが偽名で出したアルバムではないかと噂になり、100万枚を超えるヒットとなった。

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