【初の全米公演に向けて】
★1964年1月、ニューヨークのタレント事務所ジェネラル・アーチスツ・コーポレーション(GAC)の副社長のノーマン・ワイスは所属タレントのトリニ・ロペスとともにパリにいた。ビートルズのステージに出演していた関係でブライアン・エプスタインとノーマンはパリで初対面となる。
★やがて、アメリカ初公演の熱狂振りを見たノーマンはビートルズのアメリカ・ツアーは大きなビジネス・チャンスとばかりに、全米ツアーの契約をNEMSエンタープライズと結んだ。
★GAC側は総売り上げの10%を要求したものの、ブライアンは頑なに抵抗して最終的に取り分は5%で手を打つことに成功している。
★1964年4月1日、ノーマン・ワイスとGACは仮のツアー・スケジュールをブライアンに送った。
★ブライアン・エプスタインは過度な露出を避けるために、あまりにも巨大な会場は却下した。その中には5万人収容のデトロイト・タイガー・スタジアムや8万人や10万人収容のLAコロシアムやディズニー・ランドがあった。またニューヨークのシェア・スタジアム公演やフリーダムランドで3日間連続公演などもあったという。
★ツアー中の都市から都市への移動に手段について、アメリカン・フライヤーズ・エアライン社と契約を結んだ。
★ジョンは「Twist & Shout」はできるだけステージの最後の方で歌いたいと思っていた。長期のツアーで一日に2回も歌うとなれば、喉にダメージが大きい曲だと後の曲がちゃんと歌えるか心配していたという。
【ライヴ盤発売のもくろみ】
★ジョージ・マーティンもツアーに同行した。観客にレコードと同じくらいのクオリティのサウンドを提供する意図があった。
★キャピトル・レコードからの要請で、ハリウッドボウル公演を録音してライヴ盤をリリースする計画があった。
【ビートルズとアメリカ】
★デトロイトでは「Stamp our the beatles(ビートルズを撲滅せよ)」というキャンペーンをおこなった。ポールは即座に「ボクたちはStamp our Detroitキャンペーンをやるよ。」と答えている。
★FBIは「反政府もしくはそれ以外の人種差別的な分子や組織がビートルズ訪問に便乗すれば、ロサンゼルスとサンフランシスコ訪問は格好の標的になる。」との情報をロサンゼルスとサンフランシスコ支局に送った。
★ツアー開始前日の8月18日、サンフランシスコ国際空港には9,000人の熱狂的なファンが出迎えた。
★宿泊先のサンフランシスコ・ヒルトンにはエルヴィス・プレスリーのマネジャーのトム・パーカー大佐から電報が届いた。「エルヴィスと私から、アメリカにようこそ。ツアーが成功し、良い旅となるよう心から願っている。」
★ヒルトン・ホテルのレストランは「ビートル・バーガー」なる商品を便乗販売した。
★ヒルトン・ホテルはビートルズが宿泊した部屋のベッドシーツを細かく切り刻んで売り出した。ツアー中の各ホテルにも伝染して、どこのホテルもビートルズが寝たベッドシーツを切り刻んで販売した。
★初訪米の際、ニューヨークのプラザ・ホテルでは玄関前に大群衆が押し寄せたり、部屋に侵入しようとしたファンがいたり大騒ぎになった。このため、この全米ツアーでは騒ぎを恐れて宿泊拒否を受けたりしたので、モーテルなどの簡易宿泊所に滞在することもあった。また、宿泊できたホテルであっても、ファンが押し寄せたり、殺人予告が舞い込んだりして、ビートルズ側からキャンセルして、移動に変更する事態も起こった。
★初訪米時に話題となったステージに雨あられと降り注ぐジェリー・ビーンズ。初全米ツアー時にも相変わらずジェリー・ビーンズが飛んできたが、さらには生肉や女性の下着まで飛んできた。ジョンはロード・マネジャーのマル・エヴァンスに「(投げ込まれたものの中に)使えるものがあったら、取っておいてくれ」と頼んでいた。
【公演スケジュールと詳細】
(8月19日、カリフォルニア州サンフランシスコ カウ・パレス公演)
★観客数17,130人、前座 ビル・ブラックス・コンボ、エキサイターズ、ライチャス・ブラザーズ、ジャッキー・デシャノン、宿泊先はサンフランシスコ・ヒルトン・ホテル
★セット・リスト 「Twist And Shout」 「You Can't Do That」 「All My Loving」 「She Loves You」「Things We Said Today」「Roll Over Beethoven」「Can't Buy Me love」「If I Fell」「I Want To Hold Your hand」「Boys」「A Hard Day's Night」「Long Tall Sally」
★カウ・パレス公演のポスターは一切作られなかった。ビートルズ公演にはもはや宣伝などは必要としなくなっていた。
★チケットもぎりのスタッフは全員「ビートルズかつら」を着用して仕事をしていた。
★コンサートに先駆けて記者会見がおこなわれたが、ポールとジョージのみが出席。リンゴは参加したくないとのことで出席拒否。ジョンに至っては、記者会見を妨害するために頻繁にわざとトイレに行っていた。
★全工程に同行したジャーナリストのラリー・ケインはジョンにカウ・パレスでのステージについて尋ねたところ、ただ一言「危険」と答えた。
★記者会見の抜粋 「Q ビートルズを取り巻いている、世界的な熱狂を引き起こした具体的な理由を挙げることはできますか?」 ポール、、、「みんながどうしてボクらを好きでいてくれるのか、メンバーの誰も分からないよ。どうしてボクらを気に入ってくれるのか、想像も付かない。人と話してそれを理解しようとしたけど、いろんな要素が組み合わさっているみたいだ。その大半はボクらには分からない。」ジョージ、、、「大きい要素はボクらが他と違っていた。それで気に入ってくれるんだと思う。変化を求めていたのかもね。でもどうしてこんなに好きでいてくれるのか、あるいはどうしてこんなに多くの人が好きでいてくれるのかは分からないな。」
★「Q ビートルズのコンサートで潰されて怪我をしないためのアドバイスは?」ポール、、、「君自身が人を押さないで、ということかな。そして誰かが人を押しているのを見たら、押さないように注意して欲しい。難しいことだけどね。振り返って「押すな」といったらたぶん殴られてそれで怪我をするから(笑)。君自身が人を押さないようにして欲しい。」
(8月20日、ネバダ州ラスベガス コンベンション・センター公演)
★観客数16,816人(2回公演)宿泊先はサハラ・ホテル・アンド・カジノ
★セット・リスト カウ・パレス公演の内容プラス13曲目に「Till There Was You」が演奏されている。
★’64当時は人口も少なく寂しい印象だったラスベガスで公演が行われることになったのは、ビートルズのメンバーが少しでもリゾート気分を味わいたいと望んだから。
★当初の計画では、なんとコンサート会場はキャパシティ700人というホテルのホールでの2回公演だったそうだが、ビートルズ人気の広がりに合わせて急遽大きな会場に変更された。
★空き時間にホテルのプールやカジノでリゾート気分を満喫しようとおもっていたメンバーだが、ホテルの周りに集まった約2,000人のファンの大騒ぎで中止になり、メンバーは部屋に缶詰状態になった。気の毒に思ったホテル側がなんとスロットマシンを部屋に設置してくれてメンバーを大喜びさせた。
(8月21日 ワシントン州シアトル シアトル・センター・コロシアム公演)
★観客数14,720人 宿泊先はエッジウォーター・イン
★空港で多数のファンが待ち受けているニュース映像が残されており、特にリンゴの顔や名前が刺繍された服やプラカードなどが目立つ。またホテル前では「We want the Beatles」のシュプレヒコールが起こり、コンサートの音源はビートルズの登場と同時にジェット機の爆音のような悲鳴が起こり、かろうじて曲目が確認できるほど。
★記者会見抜粋 「Q これがあと何年続くと思いますか?」 ジョージ、、、「死がボクたちを分かつまで」。
(8月22日 カナダ バンクーバー エンパイア・スタジアム公演)
★観客数20,261人 宿泊は移動のために無し
★ビートルズ初のカナダ公演で、全米・カナダにおいて初めての野外コンサート。
★シアトルからバンクーバーまではチャーター機が使われたが、通関書類の不備で途中シアトルに戻るというハプニングがあった。このため遅れて到着した際カナダの記者に理由を聞かれてジョンは「俺たちの体からシラミを駆除するのに時間が掛かってね」とコメントしている。
★このツアー中で最もハプニングがあった公演で、観客が熱狂しすぎて二度もステージが中断している。一度目は「Roll Over Beethoven」終了後、ステージMCを務めたDJのレッド・ロビンソンがステージに上がって静まってくれないとコンサートが中止になると観客に向かって警告。二度目は「Boys」終了後、ビートルズの広報であるデレク・テイラーがステージに上がり再度警告した。
★「She Loves You」のエンディングのブレイク後の個所でジョンとポールのヴォーカルのタイミングが合わず、ジョンが大笑いしている。
★「Things We Said Today」では2番の歌詞が原曲には無い違った歌詞になっている。歌詞を忘れたポールがアドリブで適当に歌ったのか?
★「If I Fell」では後半部分がグダグダで、特にポールは歌詞があやふやだったり吹き出したり必死に笑いをこらえている歌い方で、ジョンも笑いながら歌っている。
★理由は不明であるがこの日はセットリストから「I Want To Hold Your Hand」が削除されて1曲少ない構成になっている。
(8月23日 カリフォルニア州ロサンゼルス ハリウッド・ボウル公演)
★観客数18,700人 宿泊先はレジナルド・オーウェン邸
★前日のバンクーバーでの大騒動を聞きつけて、当初はバーバンクのロッキード空港(現在はボブ・ホープ空港)に到着予定だったが、狂乱状態になることを恐れた空港側の要請でロサンゼルス国際空港に変更された。
★アンバサダー・ホテルが混乱を恐れて宿泊を拒否したため、イギリス人俳優のレジナルド・オーウェン邸をレンタルしたが、プールもあってゆっくりくつろげるオーウェン邸のほうが好評だった。
★キャピトル・レコードからライヴ盤発売の企画があり、かねてよりライヴ盤の計画をしてきては断念してきたジョージ・マーティンは自らレコーディング作業にあたっている。
★「ボーイング747ジェット機のエンジンの真後ろにいるようだ。」ジョージ・マーティンの弁である。あまりにも大きすぎる観客の悲鳴のために、満足のいくレコーディングができなかった。翌年のハリウッド・ボウルにもチャレンジしたが、同様の結果で発売を断念する。
★コンサート終了後、ジョン、ジョージ、リンゴはサンセット通りにあるナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」へ。ポールは俳優バート・ランカスターの家を訪問。
(8月26日 コロラド州デンバー レッド・ロックス・アンフィシアター公演)
★観客数7,000人 宿泊先はブラウン・パレス・ホテル
★楽屋にジョーン・バエズが訪れた。
★ポールのコメント、、、「標高が高いとは聞いていたけど、そこに着くと息をするのが辛いくらいだった。慣れてなかったからだろう。Long Tall Sallyを歌いながら「最高だぜ、文句なしの過呼吸じゃないか!ゼェ、ゼェ」と思ったのを覚えているよ。汗をかいたけど切り抜けることができた。体力的に興味深い体験だったよ。」
(8月27日 オハイオ州シンシナティ シンシナティ・ガーデンズ公演)
★観客数14,000人 宿泊先は移動のためになし
(8月28,29日 ニューヨーク州フォレスト・ヒルズ フォレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム公演)
★観客数、両日とも16,000人 宿泊先はデルモニコ・ホテル
★JFK空港に深夜に到着したにもかかわらず、約3,000人のファンが出迎えた。2日前から空港で待っていたファンもいた。
★2月の初訪米時にニューヨークのプラザ・ホテルでの騒動を目の当たりにしているニューヨークのホテルは一斉にビートルズの宿泊を拒否したが、デルモニコに住んでいるエド・サリヴァンの口添えでデルモニコ・ホテルに宿泊できることになった。
★ビートルズの乗ったヘリが遅れて、オープニング・アクトを務めていたライチャス・ブラザーズが演奏中にスタジアム上空を飛ぶことになってしまった。怒ったライチャスは次のアトランティック・シティ公演からステージを去った。
★計画的にステージに上がったファンがいて「狙いはジョージだから心配しないでと言ったら、ジョンが笑って道を開けてくれたわ」と語った。
★ホテルにボブ・ディランが訪ねてきて、4人にマリファナを勧めている。
(8月30日 ニュージャージー州アトランティック・シティ コンベンション・ホール公演)
★観客数18,000人 宿泊先はラファイエット・モーター・イン
★ポールは滞在中にEvery Little Thingと What You're Doingを作曲したと後に語っている。
(9月2日 ペンシルベニア州フィラデルフィア コンベンション・ホール公演)
★観客数13,000人 宿泊先は移動のためになし
★コンサート後「人種差別に対する暴動があった後のコンサートなのに、観客はほとんど白人でがっかりした。」と4人はラジオ局のインタビューで語った。
★次の公演地インディアナポリスへ移動する飛行機が墜落すると霊能者のジーン・ディクソンが予言した。当然的中していないのだが、ジョンも対抗して次のように予言した。「コンサートが終わった後、大柄な警官が俺の腕をつかみ、待機している車に連れて行くだろう」。
(9月3日 インディアナ州インディアナポリス インディアナ・ステート・フェア・コロシアム公演)
★観客数29,337人 宿泊先はスピードウェイ・モーテル
★実は急遽2回目の公演が決まったものの、同じ会場を押さえられなくて、レース場で2回目の公演をおこなった。当然プログラムに載っていないので、チケットはソールドアウトにならなかった。
★宿泊先のモーテルには爆破予告や殺害予告の脅迫電話が何万件もかかっていた。
(9月4日 ウィスコンシン州ミルウォーキー ミルウォーキー・アリーナ公演)
★観客数12,000人 宿泊先はコーチ・ハウス・イン
★コンサート前の記者会見の場にジョンの姿はなかった。
(9月5日 イリノイ州シカゴ インターナショナル・アンフィシアター公演)
★観客数13,000人 宿泊先は移動のためになし
(9月6日 ミシガン州デトロイト オリンピア・スタジアム公演)
★宿泊先はホイッティア・ホテル
★チケットの売り上げがすさまじく、すぐにソールドアウトになったために追加公演のチケットを発売したものの、それもすぐにソールドアウト。さすがに3回目の追加公演はビートルズ側は断った。
★デトロイトはビートルズが大きな影響を受けた「モータウン・ミュージック」いわゆるリズム&ブルース発祥の地で、ジョージは記者会見で「デトロイトのサウンドに大きな影響を受けた。タムラ・モータウン所属のアーティストは大好きだ。」と答えている。
(9月7日 カナダ トロント メイプル・リーフ・ガーデンズ公演)
★観客数35,552人(2回公演)宿泊先はシェラトン・キング・エドワード・ホテル
★コンサート前の記者会見では珍しくジョンも出席。のどの調子が悪くて記者に尋ねられたが心配ないと答えている。またカナダではポール人気がすごいと記者に言われるが、ポールは「リンゴの間違いじゃないの?」と本気で答えている。
★ジョンはツアーではまったく自由がないが、仕事で来ているんだからと答えている。
(9月8日 カナダ モントリオール フォーラム公演)
★観客数21,000人(2回公演) 宿泊先は移動のためになし
★ジョージのコメント、、、「モントリオールの新聞に誰かがリンゴの命を狙っていると載っていたから心配したよ。彼の鼻か何かが気に入らないから?彼がメンバーの中でいちばんイギリス人らしいから?それは分からない。とにかくボクらはこの街を出ようと決め、ホテルをキャンセルして、1日早く飛行機に乗ったんだ。」
★人種差別反対の表明が一部の団体等の反感を買い、常に脅迫文を送り付けられたり暗殺予告などがあった。ブライアン・エプスタインはこの騒動をなんとかして沈静化させようとしていた。
(9月11日 フロリダ州ジャクソンビル ゲイター・ボウル公演)
★観客数23,000人 宿泊先はキーウェスト・ホテル
★ビートルズは公演に先立ち、9月6日に「黒人がどの席でも自由に座れるようにならない限り、ボクらは出演しない」と新聞に声明を出した。ジャクソンビルでは黒人はバルコニーかずっと後ろの席にしか座ることを許されなかった。この声明の反響は大きく、地元の新聞「フロリダ・タイムズ・ユニオン」では「ビートルマニアは発狂した時代のしるし」と題した批判的な論説を掲載。
(9月12日 マサチューセッツ州ボストン ボストン・ガーデン公演)
★観客数13,909人 宿泊先はホテル・マディソン
(9月13日 メリーランド州ボルティモア シビック・センター公演)
★観客数28,000人(2回公演) 宿泊先はホリデイ・イン
(9月14日 ペンシルベニア州ピッツバーグ シビック・アリーナ公演)
★観客数12,603人 宿泊先は移動のためになし
(9月15日 オハイオ州クリーブランド パブリック・オーディトリアム公演)
★観客数10,000人 宿泊先 クリーブランド・ヒルトン
★観客が押し合いの状態になっており、大勢の警察官が警備にあたるがステージに観客が上ってくるなどして、演奏を一旦中断。広報担当のデレク・テイラーがマイクで注意を促すアナウンスをした。
(9月16日 ルイジアナ州ニューオーリンズ シティ・パーク・スタジアム公演)
★観客数12,000人 宿泊先はコングレス・イン
★ビートルズがニューオーリンズでコンサートをおこなったこの9月16日を、ニューオーリンズ市長は「ビートルズ・デー」とし、公式の宣誓書をビートルズに渡した。ビートルズのメンバーは宣誓書にサインした。
★予断ではあるが、2005年ハリケーン「カトリーナ」がニューオーリンズを襲った際、シティ・パーク・スタジアムも市役所も浸水して大打撃を受けたが、サインした宣誓書は奇跡的に無事であった。
★グランドでおこなわれた野外コンサートであったため、なだれ込んだファンを警察官が追いかけるシーンが何度も見られた。ジョンはラスト・ナンバーの前のMCで「もし君たちがグランドのど真ん中でフットボールをするのをやめてくれたら、次の曲をやるよ。じゃあ、次の曲をまだ生きている人に捧げる。」ポールもこの流れでラスト・ナンバー「Long Tall Sally」の曲紹介で「フットボール選手たちを含め、来てくれたみんなに感謝するよ。」とコメント。
(9月17日 ミズーリ州カンザス・シティ ミューニシバル・スタジアム公演)
★観客数20,280人 宿泊先はミューレバック・ホテル
★オフ日に急遽差し込まれた追加公演。オファーは当時の世界記録となってその金額は10万ドル(当時のレートで約3600万円)。
★オープニング曲には開催地を意識した「Kansas City / Hey-Hey-Hey-Hey」を演奏した。
★プロモーターのチャーリー・フィンリーは、事前にコンサート時間を数分延ばすようにビートルズ側に申し入れたが、ジョンが頑なに拒否しチャーリーを怒らせた。にもかかわらず、「Kansas City / Hey-Hey-Hey-Hey」を増やした格好になっている。
(9月18日 テキサス州ダラス ダラス・メモリアル・オーディトリアム公演)
★観客数10,500人 宿泊先カバナ・モーター・ホテル
(9月20日 ニューヨーク州ニューヨーク・シティ パラマウント・シアター公演)
★観客数3,682人 宿泊先リビエラ・アイドルワイルド・ホテル
★全米ツアー最終公演はチャリティ・コンサートであった。
【コメント】
★ジョージ・マーティン、、、「休演日のない大型サーカスのようなものだった。」
★ニューヨーク・タイムズ、、、「ビートルズは観客の中にモンスターを創り出した。彼らが金儲け以外に何か関心を持てるなら、観客たちのマス・ヒステリアが制御不可能な状態に陥る前に、何とかコントロールできるように注意を向けるべきだろう。」