戻る

【3度目の全米ツアーに向けて】

★7月のフィリピンでのイメルダ事件の騒動、ジョンのキリスト発言、そして真偽のほどは分からないが、観客の悲鳴で自分たちの演奏が聞こえないことが主な理由になって演奏の質が落ちたこと。それらが重なってツアーへの意欲を失っていたビートルズ。マネージャーのブライアン・エプスタインはNEMSエンタープライズ社とジェネラズ・アーティスツ・コーポレーション社の幹部らと、全米公演を予定通り実施するかどうかを念入りに協議している。

★ツアー初日のシカゴ公演の前日にジョンの謝罪会見を行うことになった。ジョンに対する相当な数の厳しい質問が寄せられることを見越して、ジョンはブライアン・エプスタインとトニー・バーロウとミーティングをおこなったが、ジョンは不安と緊張で取り乱していたという。

★2度目の記者会見では、日頃ビートルズ寄りの仲の良い記者や友好的だった記者も、容赦せずにビートルズに人種差別問題に対しての立場について質問を浴びせた。

★ジョン以外のメンバーは記者会見ではジョンをサポートし、ときには報道陣の鋭い質問に追いつめられるジョンを助けた。

★7月24日に打ち合わせのためにアメリカに行く予定だったブライアン・エプスタインは急病のためにキャンセル。

★7月28日、アメリカのプロモーターのノーマン・ウェスが、間近に迫った全米ツアーの打ち合わせのために、ロンドンのブライアン・エプスタインを訪ねる。

【記者会見でのジョンの発言】

★「(発言を後悔しているか?)してるさ。でもそれは、みんなが思っている「後悔」という意味とは違うよ。口を開いたことを後悔しているということだ。」

★「(ビートルズはキリストより人気があるか?)それについて話した相手は親しい人で、たまたまジャーナリストだった。オレが本を読んだりして得たことを伝えようと、極端にわかりやすい言い方をした。それがオレのいつもの話し方だから。キリストよりポピュラーだとかね。オレを知る人たちはオレが意図したことを汲んでくれた。オレがいつもそういう表現をしていることを彼らは知っているから。」

★「オレはそれを批判したりこき下ろしたりしたわけじゃない。事実として述べたまでだ。」

★「オレたちのほうが優れているとか偉いとか、神としてのキリスト、人間としてのキリスト、何だってかまわないが、それと自分たちを比較しているわけじゃない。オレはただその発言をして、それが間違っていた、というか間違って捉えられて、こんな騒動になってしまったんだ。」

★(ビートルズのレコードを焼却処分することを呼びかけたアラバマ州のDJトミー・チャールズに対し)「(謝罪の言葉を)くれてやるよ。謝るよ。その発言に対して、そしてそのせいで起きた騒動に対して謝る。」

★(24日のロスでの記者会見)ポール、、、「(Day Tripperが売春婦、Norwegian Woodがレズビアンについての歌だと報じられていますが?)そうだよ、売春婦とレズビアンの曲を書いたんだ。」

【コメント】

★ブライアン・エプスタイン、、、「(記者会見に先立ち)ジョンは宗教的信仰を持っている方が何らかの形で不快な思いをしたことについて懸念し、遺憾に思っています。今朝、プロモーターと話し、このあともミーティングを行ないますが、彼らはコンサートをキャンセルするべきだとは考えていません。もしプロモーターの中で、コンサートをキャンセルしたい方がいれば、私はその邪魔をしません。騒動が起こった場所にほど近いメンフィスでは、昨日だけでこれまでの記録を上回る速さでチケットが売れたようです。ジョンが3ヵ月以上前にロンドンのコラムニストに話した言葉は文脈を無視して引用されました。レノンは宗教に深い関心を持っています。ビートルズの友人であり、ロンドン・イブニング・スタンダード紙に所属するモーリーン・クリーブ記者と、それに関して真面目な話をしました。彼が言ったこと意図したことは、この50年間、イングランド教会、すなわちキリストに対する関心が下がっているというものであります。彼はビートルズの名声を自慢するつもりではありませんでした。ビートルズの効果は、彼から見て若者の一部の方たちの間では、より効果的であると指摘しようとしたのです。深く考察したその記事は、人間レノンに対して非常に好意的で彼も私もロンドン・イブニング・スタンダード紙の独占掲載だと思っていました。それが、あのような形で、アメリカのティーン向けの雑誌で文脈を無視して転載されるとは想定していませんでした。このような状況の中、ジョンは一定の宗教的信仰を持っている方が、何らかの形で不快な思いをしたことについて懸念し、遺憾に思っています。」

★ポール、、、「(抱きしめたいからエリナー・リグビーへと大きな進化を遂げたことについて聞かれ)ボクらはただ、それをより前に進めようとしているだけだと思う。ボクらの発言に関してこういったトラブル(キリスト発言)が起きてしまうのもそのためだ。ボクらが前に進もうとすると、ボクらを押さえつけようとする人もいる。何となく扇動的なことは言わないようにしている。もし人々が望まないのであれば、そういうことはやめるよ。ただ内々でやるまでだ。でもボクらがそういったことに対して正直になったほうが、みんなにとってもいいと思うんだ。」

★ジョージ、、、「(ジョンの謝罪会見で)ボクはそれが意図された文脈が分かるよ。キリスト教が衰退しているという事実で、それは誰もが知っていることだ。伝えようとしていたのはそういう事実だ。」

【セットリスト】

★「Rock And Roll Music」「She's A Woman」「If I Needed Someone」「Day Tripper」「Baby's In Black」「I Feel Fine」「Yesterday」「I Wanna Be Your Man」「Nowhere Man」「Paperback Writer」「Long Tall Sally」

【前座】

★リメインズ(ボストンのロックバンド)

【公演スケジュールと詳細】

(8月12日 イリノイ州シカゴ インターナショナル・アンフィシアター)

★観客数 13,000人(2回公演) 宿泊先 アスター・タワーズ・ホテル

(8月13日 ミシガン州デトロイト オリンピア・スタジアム)

★観客数 30,800人(2回公演) 宿泊先 移動のバスで車中泊

★ここではビートルズ・ファンと反対派の間で小競り合いが起こった。反対派が掲げていたビートルズを侮辱するプラカードをファンが奪って破いている。

【コメント】

★ジョージ、、、「ボクは自分自身になりたい。ビートルズのジョージはボクじゃない。もっと自分に正直でいたいんだ。みんなボクらを偶像視している。これってデカいゲームみたいなものだよ。」

★あるファン、、、「教会の前でビートルズのコンサートがあったら、みんなビートルズのほうに行くわ。」

★オッセルバトーレ・ロマーノ(バチカンの新聞)、、、「ビートルズのメンバーによる無神論に関する考察は事実も含んでいる。」

(8月14日 オハイオ州クリーブランド クリーブランド・スタジアム)

★観客数 20,000人 宿泊先 クリーブランド・ダウンタウン・ヒルトン

★1964年全米ツアー時にクリーブランドのパブリック・ホールでのコンサートが暴動寸前の事態となり、同年に行われたローリング・ストーンズのコンサートでも同様に荒れてしまった。クリーブランド市長は「ビートルズとその類似のグループがパブリック・ホールでコンサートを行うことを禁ずる。」条例を制定し翌1965年のツアーでは、コンサート地から除外された。

★当初はクリーブランドでのコンサートは行わない予定で、ケンタッキー州ルイビルでのコンサートが予定されていたが、クリーブランド・スタジアムを使用することで禁止令をくぐり抜けた。そもそもパブリック・ホールでは規模が小さすぎた。

(8月15日 ワシントンD.C. D.C.スタジアム)

★観客数 32,160人 宿泊先 ショーハム・ホテル

★2年半ぶりのワシントン公演。

★コンサートの前に会場前で白人至上主義団体「クー・クラックス・クラン(KKK)」がでも行進を行なった。

(8月16日 ペンシルバニア州フィラデルフィア ジョン・F・ケネディ・スタジアム)

★観客数 21,000人 宿泊先 移動のバスで車中泊

★6万人収容の会場に21,000人しか集まらず、マスコミにビートルズ人気に陰りが見え始めたと書かれる。

★ポールのヘフナー・ベースのピックガードはこの日から外されている。原因は調整中に割ってしまったという。その後、保管していたピックガードは盗まれてしまった。

(8月17日 カナダ・トロント メイプルリーフ・ガーデンズ)

★観客数 32,000人(2回公演) 宿泊先 シェラトン・キング・エドワード・ホテル

★2008年に公開された出演契約書には、楽屋には最低限用意しておくものとして「4台のベッド」「鏡」「アイス・クーラー」「ポータブル・テレビ」「清潔なタオル」「2ケースのソフト・ドリンク」と記載され、さらには「アーティストは人種隔離された観客の前では演奏をしない」と規約も書かれていた。

★昼夜公演それぞれ18,000枚のチケットが用意されていたが、昼は15,000枚、夜は17,000枚しか売らなかったという説があるが、実は「売れなかった」という説もある。

(8月18日 マサチューセッツ州ボストン サフォーク・ダウンズ・レーストラック)

★観客数 25,000人 宿泊先 サマーセット・ホテル

★コンサート会場に使用されたのは「競馬場」。ここをコンサート会場に使用したのは、この後長年の間ビートルズだけであり、後にどのような人気バンドがボストンでスタジアム・コンサートを行う時でも、キャパシティの小さい「ボストン・ガーデン」を使うしかなかった。

★長年の間、この最後の全米ツアーでのクロージング・ナンバーは「I'm Down」で、キャンドルスティック・パークのみが「Long Tall Sally」だとされていたが、この日のコンサート中にラジオ局が観客にインタビューをするテープが発見され、「Long Tall Sally」の断片が聞こえたことにより、クロージング・ナンバーは「Long Tall Sally」だったことが判明した。

(8月19日 テネシー州メンフィス ミッド・サウス・コロシアム)

★観客数 22,500人(2回公演) 宿泊先 移動のため車中泊

★エルヴィスやソウル、ブルース、カントリー・ミュージックなどのゆかりの地メンフィスを訪れることを楽しみにしていたビートルズだが、脅迫や抗議のために街中に繰り出すことはできなかった。

★ステージで「If I Needed Someone」を演奏中にティーンエイジャーの男女が鳴らした爆竹を鳴らし、メンバーが撃たれたのかと騒然となる事件が起きた。フィリピンでの出来事と並んで、ツアーを止める理由のひとつにもなった。

★トニー・バーロウのコメント、、、「ステージ袖にいたボクら、そしてステージ上にいた全員がジョンのほうを見た。その瞬間ジョンが倒れていてもボクたちは驚かなかっただろう。」

★DJのジョニー・ダークのコメント、、、「ボクはブライアン・エプスタインの隣に立っていた。ふたりともビートルズに目を向けた。彼らは調子を崩さずに演奏を続けていたけど、ボクらと同じようにショックを受けていたのは分かったし、目に見えて動揺していた。曲が終わると彼らは低くお辞儀をし、ポールはブライアンのほうを見て「ひゃー」といった表情で、手で額を拭った。」

★ジョンのコメント、、、「誰かが爆竹を鳴らし、ボクらは全員お互いを見合った。誰かが撃たれた、とみんな思った。」

(8月21日 オハイオ州シンシナティ クロスリー・フィールド)

★観客数 35,000人 宿泊先 バーノン・メイナー・ホテル

★本来なら前日に行う予定だったコンサートであるが、雨天中止のためにこの日の昼に振り替えとなった。

(8月21日 ミズーリ州セントルイス ブッシュ・スタジアム)

★観客数 23,000人 宿泊先 飛行機内 ニューヨーク ウォリック・ホテル

★20日に開催予定のシンシナティ公演が雨天延期となり、この日の昼に開催となってしまったために、夜のセントルイス公演と1日で2カ所のステージとなってしまった。500キロ離れた場所で1日2公演のハードスケジュールとなってしまった。

★この公演も雨に見舞われたが、ここではステージ上に防水シートの天幕が張られていたために、結構な雨であったがコンサートは決行された。

★めずらしくリンゴは帽子をかぶってステージに上がっている。

(8月23日 ニューヨーク シェア・スタジアム)

★観客数 44,600人 宿泊先 飛行機内(?)

★キリスト教発言の影響もあってか、前年に比べて満員にならなかった。

(8月25日 ワシントン州シアトル コロシアム)

★観客数 23,000人(2回公演) 宿泊先 レンタル・ハウス(ハリウッド・ヒルズ)

★昼の部は客席は半分程度しか埋まらなかった。

(8月28日 カリフォルニア州ロサンゼルス ドジャー・スタジアム)

★観客数 45,000人 宿泊先 レンタル・ハウス(ハリウッド・ヒルズ)

★コンサート後ステージ裏に待機させていた装甲車に乗り込み、スタジアムから脱出する予定だった。しかし、ゲートのカギが閉まっていて立ち往生。たちまち大勢のファンに取り囲まれて一切身動きが取れなくなってしまった。別の脱出ルートが見つかるまで4人は狭くて不快な装甲車内に2時間も閉じ込められてしまった。

(8月29日 カリフォルニア州サンフランシスコ キャンドルスティック・パーク)

★観客数 25,000人 宿泊先 飛行機内

★トラブル続きだった最後の全米ツアー。最後の最後になってまたもやトラブル発生。空港からキャンドルスティック・パークに直行したが、会場のゲートが閉まっており立ち往生。それを見つけたファンが大勢群がり前日のトラブルの再現かと思われたが、幸い会場の外であったため、ビートルズを乗せたバスはゲートが開くまでの間キャンドルスティック・パーク周辺を周回して時間を稼いだ。ファンの何人かは自分の車でバスを追いかけてちょっとしたカーチェイスになった。

★この日のステージをもって最後のライヴにするという決定がメンバー間で確認された。

★前日に大金と重要書類が入ったカバンを盗まれていたブライアン・エプスタイン。犯人から脅迫を受けていたこともあって、その対処のためにラスト・コンサートを見届けることができなかった。

★ラスト・ステージの音源を記念に残すために、ポールは広報のトニー・バーロウに録音するように頼んだ。トニーはカセット・テープレコーダーにマイクをつなげて録音した。

★サンフランシスコ・エンクワイヤラー誌、、、「今ヒットしているYellow Submarineが演奏されなかったのは、球場でエフェクトやバックの音を再現できないからなんだろうが、実際のところ彼らの素晴らしい最新曲は一切演奏されなかった。」

【後のコメント】

★ジョン、、、「ビートルズがツアー活動休止後のビジョンを持たないまま、それを実行したことに不満を覚える。」

★ポール、、、「(Sgt.Pepper完成後)今度のアルバムみたいなのを作っていたら、ツアーなんかできるわけないだろ?」

inserted by FC2 system