【Come Together】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニア、アシスタント】ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド、ジョン・カーランダー
【収録日】
★1969年7月21~23日、25日、29,30日
【シングル盤発売日とチャート状況】
★英国 1969年10月31日 米国 1969年10月6日 日本 1969年11月21日 英国オリジナル・チャート4位 ビルボード全米チャート1位 日本オリコン・チャート6位
【レコーディング詳細】
★1969年7月21日、EMI第3スタジオで午後2時半から午後9時半までセッション。ジョンがヴォーカル、ハンド・クラッピング、タンバリン、ポールがベース、ジョージがギター、リンゴがドラムを担当して第1~8テイクまでレコーディング。なぜか4トラック・レコーダーで録音。その後第2スタジオのコントロールルームでベストトラックを8トラック・レコーダーにダビングした。ベストトラックはハッキリせず、第6と第8の二つの説がある。できあがったテープは第9テイクとされた。プロデューサーはジョージ・マーティン。エンジニアはジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド、ジョン・カーランダー。
★1969年7月22日、EMI第3スタジオで午後2時半~午後9時半までセッション。第9テイクにジョンの新たなヴォーカル、エレクトリック・ピアノ、ギター、マラカスをダビング。
★1969年7月23日、EMI第3スタジオで午後2時半~午後11時半までセッション。ヴォーカルのオーバーダビング。
★1969年7月25日、EMI第3スタジオで午後2時半~翌日2時半までセッション。ヴォーカルとコーラスのオーバーダビング。
★1969年7月29日、EMI第3スタジオで午後2時半~午後10時45分までセッション。ギターソロのオーバーダビング。
★1969年7月30日、EMI第3スタジオで午後3時半~午後10時半までセッション。ギターのオーバーダビング。
★1969年8月7日、EMI第2スタジオ・コントロールルームで、午後2時~午後6時までミキシング作業。10種類のステレオ・リミックスが作られ、一つ目のリミックスがベストとされた。
★歌詞とAメロがチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」に似ていたことから、ポールの工夫に工夫を重ねた独特のベース・ラインで何とか「You Can't Catch Me」色を少しでも少なくしようと努力した。同様に、ドラミングも独特なものにして「You Can't Catch Me」から遠くなるように、リンゴとあれこれ知恵を絞ったと言われている。
【エピソード】
★イギリスでは初めてアルバムからのシングルカットされた曲となった。
★「Tomorrow Never Knows」に影響を与えた「チベット死者の書」の著者で、アメリカの心理学者で大学教授でもあるティモシー・リアリーが、1970年のカリフォルニア州知事選挙に出るからとジョンに応援ソングを依頼したことから出来た曲。
★1969年5月30日、ベッド・インのためにジョンとヨーコが滞在していたモントリオールのホテルにティモシー・リアリーもいて、「Give Peace A Chance」に感銘を受けたティモシーがジョンに「Come together join the party」という選挙スローガンに基づく曲を書いてくれないかと要請。
★後に、ビートルズの楽曲として「Come Together」が発表された時に、ティモシーは自分のアイデアが使われたと抗議してジョンは非常に困惑したという。
★チャック・ベリーの「You Can't Catch Me」の歌詞を引用し、さらにはAメロが似ていたことから、版権所有者のモーリ・レヴィから盗作だと訴えられる。
★過去には、歌詞はビートルズのメンバーのことを順に歌っているという説があり、今ではそう考えると様々な箇所で多くの矛盾点があると指摘されている。
★「He Shoot Coca Cola」の歌詞がドラッグを連想させるということで、BBCでは放送禁止となるが、商品名を歌っていることが原因だったという説もある。
【コメント】
★ジョン、、、「Come Togetherという表現はティモシー・リアリーが考えたもので、彼が「選挙にでるから応援ソングを書いてくれ」って頼んできた。必死で考えたけど良い曲が出ない中で、ようやく出来たのがこの曲なんだ。でもこんなキャンペーンソングなんてありえないね。」
★ポール、、、「ボクたちは以前やっていたようなハーモニーをやらなかった。この曲でボクはジョンと一緒にハモりたかったし、おそらくジョンもそう思っていたと思う。でも、ジョンにいうのを躊躇したよ。そういう意味でボクはこの曲で能力を発揮できなかった。」
★ポール、、、「ジョンがスワンピー&スモーキーなピアノを望んでいたから、ボクはそのように弾いた。ジョンはとても喜んでくれて、大いに気に入ってくれた。ジョンが誰かを褒めるというのは、それだけで最大級の賛辞なんだ。彼は滅多に人を褒めないから、少しでも褒められるとうれしかったな。」
★ジョージ、、、「アルバムのセッションでは最後の方にレコーディングした曲だな。12小節パターンみたいな曲で、ボクたちの最もいいサウンドのひとつだ。リンゴのドラミングは最高だな。」
【Something】
【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン、クリス・トーマス
【エンジニア、アシスタント】ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド、ジョン・カーランダー、ジェフ・ジャラッド、リチャード・ラッシュ、ニック・ウェブ、グリン・ジョンズ、スティーヴ・ボーン、アラン・パーソンズ
【オーケストラ】バイオリン12台、チェロ、ビオラ各4台、コントラバス1台
【収録日】
★1969年2月25日、4月16日、5月2、5日、7月11,16日、8月15日
【収録場所】
★EMI第1~3スタジオ、オリンピック・スタジオ
【シングル盤発売日とチャート状況】
★「Come Together」とのカップリングで、両A面。
★英国 1969年10月31日 米国 1969年10月6日 日本 1969年11月21日 英国オリジナル・チャート4位 ビルボード全米チャート1位 日本オリコン・チャート6位
★アイバー・ノヴェロ賞受賞曲。
【レコーディング詳細】
★1969年4月16日、EMI第3スタジオにて最初のレコーディング。午後7時から翌日の午前2時45分まで行われた。ベーシックトラックを録音した。ジョンはスタジオにいたものの演奏には参加しなかった。テイク1~3まで収録。プロデューサーはジョージ・マーティン。エンジニアはジェフ・ジャラットとリチャード・ラッシュ。
★1969年5月2日、EMI第3スタジオにて2回目のレコーディング。午後7時から翌日の午前3時40分まで行われた。前回の録音はすべて破棄して、新たに第1テイクからレコーディングし36テイクまで録った。この日はジョンも参加し、ビリー・プレストンもピアノで参加している。最終の36テイクがベストとされた。曲の長さは8分近くにもなったが、これはエンディングに長々とインストゥルメンタルの演奏があったためで、ミックス段階でバッサリとカットされた。プロデューサーはクリス・トーマス。エンジニアはジェフ・ジャラットとニック・ウェブ。
★1969年5月5日、オリンピック・スタジオでオーバーダビング。時間は午後7時半から翌日の早朝4時まで。ポールとジョージのパートを録りなおした。プロデューサーはジョージ・マーティン。エンジニアはグリン・ジョンズとスティーヴ・ボーン。
★1969年7月11日、EMI第2スタジオで午後2時半から午前0時までセッション。プロデューサーはジョージ・マーティン、エンジニアはフィル・マクドナルドとジョン・カーランダー。第36テイクにヴォーカルのオーバーダビング等を行ない第37テイクを作る。
★1969年7月16日、EMI第2スタジオで午後7時から日付を跨いで翌0時30分までセッション。プロデューサーはジョージ・マーティン、エンジニアはフィル・マクドナルドとアラン・パーソンズ。ボツにした第36テイクを引っ張り出し、ヴォーカルのオーバーダビング、バッキング・ボーカルとハンド・クラッピングを重ねて第38、39テイクを録り、第39テイクをベストとした。
★1969年8月4日、EMI第3スタジオで午後7時15分から8時45分まで第39テイクからラフ・ミックスを作る。プロデューサーはジョージ・マーティン、エンジニアはフィル・マクドナルドとアラン・パーソンズ。
★1969年8月15日、EMI第1、2スタジオの両方を使って、午後7時から翌日の1時15分までオーケストラのオーバーダビング。ジョージのリードギターも新たに録られたがこれはボツになった。プロデューサーはジョージ・マーティン、エンジニアはジェフ・エメリック、フィル・マクドナルドとアラン・パーソンズ。
★1969年8月19日、EMI第2スタジオで午後2時から日付を跨いで翌4時までミキシング作業。プロデューサーはジョージ・マーティン、エンジニアはジェフ・エメリック、フィル・マクドナルドとアラン・パーソンズ。第39テイクからリミックス1~10が作られた。
★ジョージのギター・ソロはミキシングの段階でADTによって加工されて厚みを持たせている。
【エピソード】
★1968年9月19日、EMIスタジオでアルバム「The Beatles」収録の「Piggies」のレコーディング時に、代理でプロデューサーを任されていたクリス・トーマスに聴かせたのが初公開と言われている。
★当初、ジョージは自分で歌う予定はなく、アップル所属のジャッキー・ロマックスに歌わせようかなと発言をクリス・トーマスが聞いている。ジョー・コッカーに提供され、1970年にリリースされている。
★2007年6月26日、アメリカのTV番組にポール、リンゴ、ヨーコ、オリヴィアがそろって出演した際、ヨーコが「特にジョンはこの曲が好きで、シングルにすべきだと言っていた。ジョンがアラン・クラインにシングルにすべきだと言っていた。」と明かした。
★一般的にはパティのことを歌っていると思われているが、ジョージ本人によれば「この曲は神に捧げた歌だ」とコメントしている。 パティ本人は「君のために書いた」とジョージから直接聞いたと語っている。
★アメリカのロック・バンド「アメリカ」の曲「I Need You」でメンバーのジェリー・ベックリーが「Something」から一部メロディを拝借したことを告白したが、ジョージは「問題ないよ。ボクも他の人からパクったんだ。」と余裕のジョーク。
★ジェイムズ・テイラーの曲「Something In The Way She Moves」の出だしの歌詞を仮に拝借し、そこからそれに続く歌詞とメロディを作り、さて最初に借りたSomething In The Way She Movesの部分を他の歌詞に変えようとしたものの、メロディがピッタリと会っていて変更できなかったので、その歌詞をそのまま使った。
★レイ・チャールズが歌っているところを思い浮かべながらメロディを作った。
★「attracts me like no other lover」の歌詞の所で、「no other lover」が思いつかずに空白にしていたら、ジョンが「思い浮かばないときには、何でもいいから音が合う言葉を、入れておくほうがいい」とアドバイス。ジョンが空白部分に入れた言葉は「a cauliflower(カリフラワー)」だった。
★「I don't want to leave her now, you know i leave and how」という歌詞は、ジョンが考えたとも言われている。
★デモ・テープは1969年2月25日にEMIスタジオにて作製。ケン・スコットがレコーディングした。
★音数の多いポールのベースラインをジョージは良くは思っていなくて、後のバングラデシュ・コンサートの時にベースを弾いたクラウス・フォアマンには「ポールのようには弾かないでくれ」と頼んでいる。
★オーケストラのスコアはジョージ・マーティンが書いている。
★マイケル・ジャクソンはレノン・マッカートニー・ソングだと思っていた。
【コメント】
★ジョン、、、「1969年のベスト・トラックだ。」
★ジョージ、、、「ホワイト・アルバムの時にピアノで書いた。ポールが何かの作業をやっているときに、ボクは休憩時間になったんで、そのときに使っていないスタジオで書き始めた。でも、ホワイト・アルバムに収録する曲はもう決まっていたので、ホワイト・アルバムには入らなかった。」
★パティ、、、「ジョージは「君のことを想って作ったんだ」と静かにそう言っただけなの。私も若くてとてもシャイで、大したこととは思わなかった。私は歴史の一部になっているという感覚がまったくなかった。後になってからそう思うようになったの。」
★ジェフ・エメリック、、、「この曲を持ってきた時、ジョージの表情は少しうぬぼれている感じだった。当たり前なんだけどね。ジョージはこの曲が素晴らしい曲だと分かっていた。そしてジョンとポールは初めてジョージが自分たちのレベルにやってきたことを知った。」
★フランク・シナトラ、、、「20世紀最高のラヴ・ソング。最も好きなレノン・マッカートニー・ソングだ。」(これを受けたポールのコメント)ポール、、、「ありがとうフランク、悪いなジョージ。」
【Maxwell's Silver Hammer】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】不参加
【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、ピアノ、シンセサイザー
【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、フェンダー・ジャズ・ベース
【リンゴ・スター】バッキング・ヴォーカル、アンビル(鉄床)
【ジョージ・マーティン】ハモンド・オルガン
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年7月9~11日、8月6,25日
【レコーディング詳細】
★映画「Let It Be」ではマル・エバンスがアンビル(鉄床)を叩いているが、レコーディング時は休暇で不在。さらにはマルは叩くタイミングが取れなかったために、リンゴが叩いたものがオーバーダビングされた。
★本来はドラムの短いフィルインから始まるのだが、ミックス段階でカットされた。
【エピソード】
★曲の主人公である「マックスウェル・エディスン」はイギリスの物理学者ジェームズ・クラーク・マックスウェルと発明王トーマス・エジソンの名前をくっつけたもの。
★「もうしませんと50回書いた、、、」のくだりでポールが笑いながら歌うのだが、何度もレコーディングを繰り返しているのに、いまさら歌詞がおかしくて笑うのはなぜ?という意見もある。
【コメント】
★ジョン、、、「オレはこの曲ではプレイしていないんだ。事故の後だったから体調がすぐれなかった。ポールはジョージとリンゴをスタジオに閉じ込めて、しつこくやらせていたみたいだね。」
★ジョン、、、「これぞポールの曲だね。オレは嫌いだよ。あいつは1億回も演奏をさせていた。シングル曲にするために全力を挙げていたけど、そうはいかなかった。どの曲よりも金が掛かっている曲さ。」
★ジョージ、、、「ときにポールはこういったイカレた曲をボクらにやらせた。つまり、なんてこった、この曲は本当にイカレているよ。しばらくやった後、ボクたちはその曲で本当にいい仕事をしたんだ。でもポールがまた新たなアイデアやアレンジを思いつくとだね、、、」
★ジョージ、、、「このアルバムの中で最も嫌いな曲。(何度も何度も演奏させられたためだと言われている)」
★サンディ・タイムズ紙、、、「ナンセンスな1920年代風ジョークにはうんざりだ。」
【Oh! Darling】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】ヘフナー500/1(ジョンがヘフナーで演奏しているという説がある)
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年4月20、26日、7月17,18,22,23日,8月8、11日
【レコーディング詳細】
★横断歩道を渡るジャケ写を取り終えた後(1969年8月8日)に、ポールは自らリード・ギターとタンバリンをダビングしているが、これはボツとなった。
★8月11日にバック・ヴォーカルの再レコーディングが行われた。ちなみにこの日のレコーディングがジョンにとってビートルズとしての最後のレコーディングとなった。
★元々はビリー・プレストンの弾くオルガンがあったのだが、最終テイクには使われなかった。
★ポールのヴォーカルは、スタジオに入る度に以前に録ったヴォーカルは消去せずに、新たなトラックへ録音された。いくつかのヴォーカルがそれぞれのトラックに入っている状態から、ポールが最も気に入ったヴォーカルが採用になった。
【エピソード】
【コメント】
★ジョン、、、「ポールのヴォーカルがイマイチな曲のひとつだね。こういう曲はどちらかというとポールよりオレのスタイルだ。オレの方が上手く歌えたと思うね。ポールにセンスがあったなら、オレに歌わせていただろうね。」
★ポール、、、「満足のいくヴォーカルをレコーディングしてやろうとがんばった。それで、毎日レコーディングでスタジオに入るなり歌ったんだ。ハンド・マイクやスタンド・マイクにしたり、ありとあらゆる方法を試してみた。やっと何とか満足のいくものが録れた。勢いのある曲だから、ふぬけた感じだとすべてが台無しだ。ここまで時間をかけるなんてボクにしちゃ珍しいことだね。いつもなら一日ですべてやっちゃうから。」
【Octopus's Garden】
【作詞・作曲者】リチャード・スターキー
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1 バッキング・ヴォーカル、ピアノ(?)
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【ジョージ・マーティン】ピアノ(?)
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年4月26,29日 7月17,18日
【レコーディング詳細】
★水中で歌っているかのようなポールとジョージのコーラスは、コンプレッサーとオシレーターを使って加工された。
★コップの水をストローで吹いて、ブクブクと音を立てたのはリンゴである。
【エピソード】
★1968年にリンゴが怒って、一時的にビートルズを抜けた時に、この曲を書いた。リンゴはこの時モーリーンとサルジニアで休暇をとっており、俳優のピーター・セラーズのヨットに乗っていた時に、船長が語った「タコはきれいな石やキラキラしたものを集める」という話からインスピレーションを受けて、さらにはグループ内のゴタゴタから解放されて、海の中にでも行きたいという気持ちから曲が出来上がっていった。
【コメント】
★ジョージ。。。「リンゴの作った2曲目だね、素晴らしい曲だ。リンゴはピアノもギターもコードを3つくらいしか知らないが、これはすごい曲だと思う。表面的には単純な子供向けの曲のように見えるけど、歌詞がすごくて、おそらくリンゴ本人は深い意味に気が付いていないと思う。「海底で頭を休めよう」「嵐の下で暖まる」のところなんか、今の気持ちがが嵐でも深いところに行けばとても平穏というニュアンスだからだ。」
【I Want You (She's So Heavy)】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年2月22日、4月18、20日、8月8,11日
【レコーディング詳細】
★トライデント・スタジオでレコーディングされた合計35ものテイクのうち、部分的にベストなものがある第9、20,32テイクから、グリン・ジョンズ、バリー・シェフィールドの手によってひとつのマスター・テープに編集された。
★4月のセッションではEMI第2スタジオが使用され、ジョンとジョージのギター、リンゴのコンガをオーバーダビングした。この作業中に誤ってビリーの演奏したオルガンが一部消去された。そのためにビリーのオルガンは全消去され、新たに録りなおしたのであるが、新たなオルガンはポールが弾いたと言われている。
★8月のセッションではエンディングのホワイト・ノイズをジョンがシンセサイザーを使ってレコーディングした。他にはリンゴのスネア、ジョン、ポール、ジョージのコーラス、ジョンのヴォーカルの一部がオーバーダビングされた。ちなみに8月11日のセッションは、ビートルズの4人がスタジオに揃った最後の日となった。
★エンディングはテープが突然プッツリ切れたような状態になっているが、これはミックスダウンを聴いていたジョンが突然「ここでテープを切ろ!」と叫び、ジェフ・エメリックに指示したことによる。
【エピソード】
★ピンク・フロイドのアルバム「The Wall」のオープニングの「In The Flesh」は、「I Want You」のエンディングのリフを変形させて使ったと、ロジャー・ウォーターズが語っている。
【コメント】
★ジョン、、、「エンディングでモーグ・シンセサイザーを使った。あの機械はありとあらゆる音、ありとあらゆる領域の音を出すことが出来る。」
★ジョン、、、「(この曲の歌詞でジョンの作詞能力は枯渇したとの批評について)この曲はシンプルの極みなんだ。おぼれているときに「誰かオレがおぼれるのを予測して、助けてくれたらよかったのに」なんて考えている暇なんてないだろ。そんなときは助けを求めて叫ぶしかないんだ。」
★ジョージ、、、「ヘヴィーだ。ジョンはリード・ギターを弾きながら歌ったんだ。ブルースっぽい曲だ。歌とギターのリフはとてもベーシックなブルースっぽいアプローチだけど、ジョンのオリジナリティがあふれている。そしてミドルが素晴らしいね。ジョンはテンポについてよく普通ではないものを思いつくんだ、All You Need Is Loveのようにね。この曲のテンポも独創的で、ブリッジの部分がそうだ。それをジョンに聞いても彼自身はよく分かっていなくて、自然にやっているんだ。それにジョン自身が使うコード進行は本当に素晴らしいね。」
★ジェフ・エメリック、、、「フェイドアウトで終わるものと思っていたら、突然ジョンが「ここでテープを切ろ!」と言ってきた。最初は不安だった。だってそれまでそんなことをやったことが無かったからね。「テープを切るだって?」と思わず聞き返しちゃったよ。でもジョンは切ることに固執した。サイド・ワンは非常に不調和な感じで終わることとなった。」
【Here Comes The Sun】
【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、ギブソンJ-200、ハーモニウム
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★7月7,8、16日、8月6、11、15,19日
【レコーディング詳細】
★ジョージのギターはレズリー・スピーカーを通してレコーディングされた。
★オーケストラは17人編成で内訳は、ビオラ4、チェロ4、コントラバス1、クラリネット2、アルト・フルート2、フルート2、ピッコロ2で、スコアはジョージ・マーティンが書いた。指揮もジョージ・マーティンが担当している。
【エピソード】
★ポールはこの曲のためにテープループを自宅で作ってスタジオに持ちこんだものの、ボツになったと言われている。
★レコーディング・テープにはジョージのギター・ソロが残っているトラックがあり、2012年に息子のダニーがジョージ・マーティンとジャイルズ・マーティンに会うためにアビー・ロード・スタジオを訪れた際、このギター・ソロを聴く機会があった。
【コメント】
★ジョージ、、、「とても気持ちいい初夏の晴れた日、エリック・クラプトンの家の庭で書いた曲なんだ。この日はアップルのミーティングがあったんだけど、とっても疲れていて、その日はふとサボりたい気持ちになったんだ。学校をさぼるようにね。アップルに行くのをやめて、庭でただ太陽の下で解放感を味わった。本当に気持ちの良い日だった。そのときにこの曲がスッと出てきた。ちょっとIf I Needed Someoneみたいな曲だ。ずっと基本のリフが続いているような。」
★ジョージ、、、「この曲を書いた経緯はポールがYou Never Give Me Your Moneyを書いたのと同じような動機だ。いろいろとビジネス的なものを処理しなければいけない時期で、特にポールが経験していたことだった。最悪だったね。銀行、弁護士やらのミーティング、契約とかボクらはそういったものが好きじゃない。」
★ジョージ、、、「前のアルバムではボクの曲は4曲やった。結構いい曲だと思った。そしてこのHere Comes The Sunも悪くはないと思うけど、より商業的かもしれない。曲としては前のアルバムの曲よりそこまで良いとは思わない。みんなが気に入ってくれるのはうれしいんだけどね。」
【Because】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】ハイハット
【ジョージ・マーティン】エレクトリック・ハープシコード
【収録日】
★1969年8月1,4,5日
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニア、アシスタント】ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド
【レコーディング詳細】
★当初はリンゴの刻むハイハットも収録されていたが、ミックスダウン時にカットされた。
★ジョン、ポール、ジョージのハーモニーは、それぞれ3回づつレコーディングされ、合計9人分のコーラスとなっている。
★ビートルズの楽曲に初めて「シンセサイザー」が導入された曲である。
【エピソード】
★ヨーコがピアノでベートーベンのピアノ・ソナタ第14番作品27第2楽章「月光」を弾いているのを聴き、そのメロディを逆から弾いてくれるように頼んだ。そこからインスピレーションを得て作られた曲。
【コメント】
★ジョン、、、「明快で、おべんちゃらや、想像の産物や、曖昧な言い方はない。(1980年)」
★ジョン、、、「俺の曲だけど、まったくひどいアレンジだ。それにベートーベンの5番を逆回転したみたいだ。」
★ジョージ、、、「最も旋律が美しい曲のひとつだ。この曲がアルバムの中のお気に入りの曲であることは否定できない。歌詞はとてもシンプル。ハーモニーはとても難しかったな。すごく練習をしなくちゃいけなかった。でもこれは非常に多くの人たちに感銘を与える曲のひとつだと思う。本当にいい曲だから。」
【You Never Give Me Your Money】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】ピアノ、チャイム
【ジョージ・ハリスン】フェンダーVI
【リンゴ・スター】
【ジョージ・マーティン】ピアノ
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年5月6日、7月1,11,15,30,31日、8月5日
【収録場所】
★オリンピック・スタジオ、EMI第2スタジオ
【レコーディング詳細】
★5月のセッションはオリンピック・スタジオで収録。7月1日はポールのヴォーカルの再レコーディング、11日はベース・ギターのオーバーダビングが行われた。
★イントロからのピアノはポールが弾いているが、途中のホンキートンク調のピアノはジョージ・マーティンの演奏である。
【エピソード】
★当初のタイトルは「ロング・ワン/ヒュージ・メドレー」
【コメント】
★ポール、、、「何曲かをキーを変えて組み合わせて遊んだ。それはよかった、うまくいった。」
★ジョージ、、、「ファニー・ペーパーというのはボクらが受け取る紙のことさ。いくら稼いだとか、これがどうで、あれがこうだと書いてある紙切れのこと。実際に現金でもらうことはない。ボクらは4人とも大きな家に住んで車も持っているけど、実際に稼いだ金を目にすることはないんだ。」
【Sun King】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【ジョージ・マーティン】 ロウリー・オルガン(電子オルガン)
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年7月24,25,29日
【レコーディング詳細】
★ジョージはフリートウッド・マックの「Albatross」のサウンドを狙ったと発言しているように、両者を聴くとよく似ていて影響を受けていることがわかる。
【エピソード】
★当初のタイトルは「Here Comes The Sun King」だった。
★ジョンはある夢を見たことがキッカケでこの曲を書いたと発言している。
★当時、ルイ14世の伝記本が発売され話題になっており、ルイ14世の別称が「The Sun KIng」だったことからインスパイアを受けた結果という説もある。
★ジョンのコメントにもあるように、後半のスペイン語には特に意味はない。
【コメント】
★ジョン、、、「ふざけて「カンド・パラ・ムーチョ」なんて歌った。学校でスペイン語を習っていたポールから、何となく意味がありそうな単語を教えてもらってくっつけた。「チカ・ファーディ」ってのはリヴァプールのスラングで「ハハハ」みたいな感じかな、大した意味じゃないよ。「パラ・ノイア」って言葉も入れときゃよかったよ。だって俺たちはよく自分たちのことを「ロス・パラ・ノイアズ」って呼んでたから。」
【Mean Mr. Mustard】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】ヴォーカル、ピアノ
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】マラカス
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年24,25,29日
【レコーディング詳細】
★オルガンの音のような、またはブラスのように聞こえる歪んだサウンドは、ファズを掛けたポールのベースギターの音である。
【エピソード】
★1968年のインドでの瞑想修行中に書かれた曲。
★マスタードというホームレスがテーマとなっている。
★登場人物のマスタードの妹「パン」の名前は最初は「シャーリー」だった。これは当初この曲の次が「Her Majesty」「Polythene Pam」の順番だったものが、「Her Majesty」が外れたために「Polythene Pam」との関連性から「パン」に変更された。
【コメント】
★ジョン、、、「鼻ではなく、どこか別のところに5ポンド紙幣を隠している貧しい男のことを新聞で読んだ。コカインとは関係のない曲だ。」
★ジョン、、、「インドで書いたガラクタを、体裁よくしただけ。」
★ポール、、、「とてもジョンらしくて、ボクの好きな曲だ。イイ感じに奇妙な曲だしね。」
【Polythene Pam】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年7月25,28,30日。
【レコーディング詳細】
【エピソード】
★「パン」は初期の頃からビートルズの追っかけをしていた「パット・ホジェット」のニックネームだった「ポリシーン・パット」をもじったものという説がある。
★リヴァプールを思い出したのか、ジョンは強いリヴァプール訛りで歌っていると言われている。
【コメント】
★ジョン、、、「1968年にリシケシュでこの曲を書いた。ジョージの家でやったデモ・セッションで演ってみたけど、未完成だったからレコーディングしなかったんだ。」
★ジョン、、、「この曲は、ジャージーでのちょっとした出来事を思い出して書いた。ある女と男に会ったんだが、女はポリエチレンを着ていた。歌詞にあるジャック・ブーツとキルトというのは誇張で、実際は何も身につけていなかった。ポリエチレン袋の中の倒錯した性だな。オレは何か書くネタを探していたんだ。」
【She Came In Through The Bathroom Window】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年7月25,28,30日。
【レコーディング詳細】
【エピソード】
★ビートルズの追っかけ「アップル・スクラッフル」のひとり、ダイアン・アシュリーという女性がポールの家のバスルームに梯子を使って侵入した出来事が基になって作られた曲。
★これを目撃した近所の人がポールに電話で知らせるのだが、これが「火曜日に電話をしてくる」という歌詞が出来るきっかけとなっている。
★初期のタイトルは「Bathroom Window」だった。
★ジョー・コッカーがカバーしている。本当は「Golden Slumbers」が歌いたかったそうだが、ポールが許可をしなかったのでカバーできず、こっちの曲ならいいよということでになったそうだ。
【コメント】
【Golden Slumbers】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】フェンダー・ベースVI
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
★1969年7月2~4、30,31、8月15日
【レコーディング詳細】
★ジョンは事故で入院していたために不参加。
★2日のセッションは、ポールがピアノとヴォーカル、ジョージがジャズベース、リンゴがドラムスという構成でおこなわれた。
★オーケストラのスコアはジョージ・マーティンの手によるもの。オーケストラのレコーディングはモノラルで行われ、後にADTで分けた音を左右に振り分けてステレオ・ミックスされた。
★オーケストラは30人編成で、内訳はバイオリン12、ビオラ4、チェロ4、コントラバス1、ホルン4、トランペット3、トロンボーン1、バス・トロンボーン1となっている。
【エピソード】
★ポールがリヴァプールに帰省していた際、異母妹のルースのピアノ教則本に載っていた16世紀の作家トーマス・デッカーの子守歌「Golden Slumber」を偶然に見つけ、自分のメロディを付けて曲にした。
★サビの部分の歌詞は僅かな箇所を除いてデッカーの詩であるが(数百年も昔の詩であるため著作権は消滅している)、他の歌詞はポール作である。
【コメント】
★ポール、、、「リヴァプールの父の家でピアノを弾いていた時に、妹のルースが使っているピアノの教則本を見つけた。パラパラとめくっていたら大昔の子守歌Golden Slumbersのページに行きついたんだ。ピアノで弾いてみようとしたんだけど、ボクは譜面が読めないから元のメロディが分からないんだ。だからその歌詞に合わせて自分のメロディで歌ってみた。
【Carry That Weight】
【9月5日更新】【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【9月5日更新】【ジョン・レノン】不参加(コーラスに参加しているとの説あり)
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
【9月5日更新】★1969年7月2~4、30,31、8月15日
【レコーディング詳細】
【9月5日更新】★1月9日に、トゥイッケナム・スタジオで披露しており、リンゴが歌うことを想定して、今後の展開の構想を練っていたようでsる。
【9月5日更新】★曲中で「You Never Give Me Your Money」のメロディがブラス、ギター、ヴォーカルで再演、エンディングではギターのアルペジオが再演されている。
【9月5日更新】★自動車事故によりジョンは不参加とされているが、後にコーラスのみ参加という説がある。
【エピソード】
【コメント】
【9月5日更新】★ポール、、、「深刻で妄想的な重苦しさで、とても居心地の悪かったアップルについて歌ったものだ。」
【The End】
【9月11日更新】【作詞・作曲者】【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
【9月11日更新】★7月23日、8月5、7,8,15,18日
【レコーディング詳細】
【9月11日更新】★ギターバトルはポール、ジョージ、ジョンの順番で演奏されているが、実際にスタジオ内には各人のギター・アンプが横並びで並んでいる状態でレコーディングされた。
【9月11日更新】★オーケストラのスコアはジョージ・マーティンの手による。
【エピソード】
【9月11日更新】★当初のタイトルは「Ending」だった。
【9月11日更新】★ドラムソロなんてやりたくないとゴネていたリンゴだが、ジェフ・エメリックによると、ドラムの録音に2トラックを使いマイクの本数も多くして収録することをリンゴに伝えると、俄然やる気を出していたそうである。
【コメント】
【9月11日更新】★ジョン、、、「(エンディングの「あなたが受ける愛は与える愛に等しい」について)哲学的でとても素晴らしい一節だ。ポールもやればできるということを再び証明している。」
【9月11日更新】★リンゴ、、、「あのドラム・ソロはボクがやった唯一のものさ。ソロに興味があったことなんて一度もない。このときも「ソロなんてやりたくない」とゴネたんだよ。」
【Her Majesty】
【9月17日更新】【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニア、アシスタント】
【収録日】
【9月17日更新】★1969年7月2日
【レコーディング詳細】
【9月17日更新】★元々はB面メドレーの中の曲で、「Mean Mr Mustard」と「Polythene Pam」の間に入っていた曲。そのため最初のジャーンという大きな音は「Mean Mr Mustard」のエンディングで、尻切れトンボの中途半端な終わり方は「Polythene Pam」に繋がっていたものをバッサリと切ったためである。
【エピソード】
【9月17日更新】★メドレーの中の位置に違和感を感じたという説や、曲そのものを好きじゃなくなったからという説もあるが、いずれにしてもポールの要請でカットされることになった。テープのオペレーターを担当していたジョン・カーランダーが全体のマスターテープの最後にこれをくっ付けておいた。その後、その事実を知らないポールがアセテート盤を聴いた際に、最後の曲が終わった20秒後に突然始まる「Her Majesty」を気に入り、そのままプレスされることとなった。
【9月17日更新】★リリース当時は王室への冒涜だと一部非難があったため、王室にアルバムを献上している。
【9月17日更新】★曲のクレジットはジャケットには記載されていない「シークレット・トラック」となっている。史上初の隠しトラックだろうと言われていて、後のアーティストたちが模倣をするようになった。
【コメント】
【9月17日更新】★ジョン、、、「(シークレット・トラックについて)俺たちはジョークが好きでね、最後にサプライズを入れておいたんだ。」
【9月17日更新】★ポール、、、「スコットランドにいた時に思いついた曲なんだけど、ただのジョークとして書いただけなんだ。」