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【Two Of Us】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、ギブソンJ-200

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、マーティンD-28

【ジョージ・ハリスン】フェンダー・テレキャスター

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月31日

【レコーディング詳細】

★冒頭の「I Dig A Pygmy by Charles Hawtrey and the Deaf Aids.Phase one which Doris gets her oats.」というジョンの台詞は1969年1月21日のセッション時のもので、フィル・スペクターがそれを切り取り、「Two Of Us」の冒頭にくっつけた。

【エピソード】

★当初のタイトルは「On Our Way Home」だった。

★ゲット・バック・セッション初期の頃はアップテンポのロックン・ロール風の演奏をしていた。

【コメント】

★リンダ、、、「ポールと私がドライヴに行ったその日のうちにこの曲を書いていました。曲の内容は私たちのことです。森のどこかで車を停めてポールは車の中で曲を書き始めました。」

【Dig A Pony】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】エレクトリック・ピアノ

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月30日

【レコーディング詳細】

★アップル屋上で演奏した際にはイントロとアウトロで「All i want is you」と歌っているが、ミックスでカットされている。

【エピソード】

★当初のタイトルは「All I Want Is You」であった。

【コメント】

★ジョン、、、「ただの言葉遊びだ。文字通り意味のない歌で、単に言葉を選び、それらをつなぎ合わせるだけで意味を持つかどうかってところさ。意味を持つもの持たないもの両方ある。」

【Across The Universe】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】リード・ヴォーカル、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギター、メロトロン

【ポール・マッカートニー】ベース。ピアノ、コーラス

【ジョージ・ハリスン】シタール、タンブーラ、マラカス、コーラス

【リンゴ・スター】ドラムス

【ジョージ・マーティン】オルガン

【リジー・ブラボ、ゲイリーン・ビーズ】コーラス

【オーケストラ】ヴァイオリン18名、ヴィオラ4名、チェロ4名、ハープ1名、トロンボーン3名、ギタリスト2名、シンガー14名

【プロデューサー】ジョージ・マーティン(アルバムNo One's Gonna Change Our World)、グリン・ジョーンズ(アルバムGet Back)、フィル・スペクター(アルバムLet It Be)

【エンジニア、アシスタント】ケン・スコット、ジェフ・エメリック、ジェフ・ジャレット、マーティン・ベンジ、ピーター・バウン

【収録日】

★1968年2月4,8日、1970年4月1日

【レコーディング詳細】

★元のバージョンよりも回転数を落としてオーケストラをダビングしたので、「鳥の羽ばたきバージョン」よりもあきらかに遅いことがわかる。

【エピソード】

★シンシアとの口論の後、眠れなくなったジョンの頭の中に無数の浮かんできた詩が元になっている。すぐに自宅のスタジオでデモ・レコーディングを開始した。

★本来1968年の最初のシングルとして同年2月にレコーディングされたが、ジョンが仕上がりに満足せず、シングルとしての発表を辞退。結局「Lady Madonna / The Inner Light」が1968年最初のシングルとなった。

★アルバム「Yellow Submarine」発売当初「ビートルズの曲が少ないのに、価格が同じというのはどうか」という批判があったため5曲入りEP盤の制作か検討され、その収録曲に数えられていた。

【コメント】

★ジョン、、、「これまで書いた中で最高の歌詞のひとつだ。実際最高の歌詞かもしれない、、、良い詩だ。大袈裟じゃないよ。メロディ抜きで言葉が生きているものが好きなんだ。」

★ジョン、、、「歌詞はまったくのインスピレーションとして出てきた。1,2箇所「韻」を合わせたところもあるけど、ボクが作り出したものじゃなくて、どこからか出てきたものだ。」

★ジョン、、、「最初はみんなこの曲をやりたがらなかった。曲は良かったのにね。僕はビートルズの曲として発表できないことにガッカリした。だからイギリス野生動物基金にあげちゃったんだ。チャリティ・アルバムとして出すことにした。そしてLet It Beを作るときにもう一度やろうとしたんだけど、あの映画を見れば誰でもわかる通り、反発されたね。ボクがやりはじめるとポールがあくびをしてブギーをやり出した。すかさずボクは「あれ?テンポの速いやつをやりたいんだ」ってね、そんな感じさ。そういうのが続いたら誰だってうんざりする。ポールがいちばんそうだったけど、無意識に良い曲をぶち壊すんだ。」

★ジョン、、、「フィル・スペクターが上手く仕上げてくれた。かなり良いサウンドになったんで、もう一回リリースしたんだ。」

★ポール、、、「ジョンの最高傑作のひとつだね。歌詞も特別だし。」

【I Me Mine】

【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】不参加

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、ハモンド・オルガン、エレクトリック・ピアノ

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】フィル・スペクター

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1970年1月3日、4月1日

【レコーディング詳細】

★アルバム「Abbey Road」のセッションが終わり、ゲット・バック・セッションで未完成だったこの曲を、ジョンを除く3人で完成させた。ビートルズとして最後にレコーディングした曲となった。

★4月1日のセッションは、オーケストラのオーバーダビングとリンゴのドラムのオーバーダビングが行われた。この日のセッションはトラブル続きで、ギャラの支払いの不備でオーケストラが演奏を拒否しそうになったり、フィルが不満を爆発させてリンゴがなだめすかしたりと散々だったそうである。フィルの気質を疑問に感じたリンゴは、ジョンやジョージのように自身のソロアルバムで、フィルを起用することはなかった。

★1分半程度しかなかったこの曲をフィルが再プロデュースした際に編集を重ねてアルバムに収録されている長さに作り替えた。

【エピソード】

★過去には「ポールのことを歌った曲」というのが定説になっているが、これはジョージ本人が否定している。

【コメント】

★ジョージ、、、「自分の周りを見渡すと、すべてが自分のエゴに関係していた。ボクは自分のエゴを憎んでいた。でも、そこから学ぶことがあった。「自分は誰なのか?」が、この日の関心事になってこの曲が出来たんだ。」

【Dig It】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リチャード・スターキー

【ジョン・レノン】ヴォーカル、フェンダーVI(6弦ベース)

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】ハモンド・オルガン

【ジョージ・マーティン】マラカス

【プロデューサー】フィル・スペクター

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月24,26日

【レコーディング詳細】

★24日では5分、26日のセッションでは10数分間も演奏時間があったが、アルバム収録時にはかなり短く編集された。

★アルバムに収録されたバージョンは26日のものが短縮されているが、「Let It Be」の直前に聴かれる「That was can you dig it ,by georgie wood and now we'd like to do hark the angels come(ジョージ・ウッド作「Can You Dig It?」でした。今度は「Hark The Angels Come」という曲を演奏します。)」というセリフは24日のものである。

【エピソード】

【コメント】

【Let It Be】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、フェンダーVI

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、ピアノ、マラカス

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、フェンダー・テレキャスター

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】ハモンド・オルガン、フェンダー・ローズ

【リンダ・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル

【プロデューサー】(アルバム)フィル・スペクター、(シングル)ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月31日、4月30日、1970年1月4日

【発売日】

★シングル盤はイギリスが1970年3月6日、アメリカでは1970年3月11日にリリースされた。B面はともに「You Know my Nane (look up the number)」

【チャート状況】

★イギリスでは最高位2位、アメリカでは1970年4月11,18日の2週連続1位

【シングル・バージョンとアルバム・バージョンとの違い】

★ジョージのギター・ソロのメロディが違う。

★アルバム・バージョンではリンゴのハイハットが2番から深めのエコーが掛けられている。

★シングル・バージョンに比べ、アルバム・バージョンの方がブラス・セクションのサウンドが大きめにミックスされている。

【レコーディング詳細】

★ジョージのギター・ソロはアルバム・バージョンは1970年1月4日に、そしてシングル・バージョンは1969年4月30日にレコーディングされたもの。

【エピソード】

★ポールの夢に現れた母メアリーの言葉をきっかけに出来た曲であるが、リリース当時は聖母マリアの啓示と言われていたこともあった。

★ポール、、、「ボクとしては、どちらの意味で捉えてもらっても差し支えないよ。作品の本質が失われるわけじゃないからね。」

★ジャズ・ギタリストのウェス・モンゴメリーがリリースしたビートルズのカバー「A Day In The Life」を聴いたポールが、あまりの素晴らしい出来に感激して、当時未発表だった「Let It Be」を「好きなように使ってください」とプロデューサーのクリード・テイラーに贈った。フルート奏者ヒューバート・ロウズがビートルズが発売する2ヵ月前にリリースしている。

【コメント】

★ポール、、、「ある夜に母の夢を見たんだ。母はボクが14歳の時に亡くなったんで、長い間連絡が無かったから、とても良かった。そのことはボクに何らかの強さを与えてくれたね。」

【Maggie Mae】

【作詞・作曲者】※トラディショナル・ソング。 編曲として4人の名前がクレジットされている

【ジョン・レノン】ヴォーカル、ギブソンJ-200

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、マーティンD-28

【ジョージ・ハリスン】フェンダー・テレキャスター

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】グリン・ジョンズ

【収録日】

★1969年1月24日

【レコーディング詳細】

★1950年代後半のスキッフル・ブームのときにアレンジを施され、多くのアーティストによって演奏された。その時のヴァージョンを参考に演奏されている。

【エピソード】

★元々は200年以上昔からリヴァプールに伝わる、船乗りたちの民謡である。

★クオリーメンもレパートリーにしており、あの1957年7月6日のセント・ピータース教会でも歌われている。

★ジョンのヴォーカルは大袈裟なほどの巻き舌で、かなりのリヴァプール訛りで歌っているそうである。

★2017年公開の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」にアンクル・ジャック役で出演したポールは、劇中でこの歌をリヴァプール訛りで歌っている。

【コメント】

【I've Got A Feeling】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】エレクトリック・ピアノ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】グリン・ジョンズ

【収録日】

★1969年1月30日

【レコーディング詳細】

★「Everybody had a hard year~」と「I've got a feeling~」が同時に歌われる部分は「Eleanor Rigby」のエンディングに見られるような「対位法」が使われ、同一コード内で二つのメロディが同時進行している。

【エピソード】

★ポール作「I've Got A Feeling」とジョン作「Everybody Had A Hard Year」という二つの曲を合体させた曲。

★中盤のポールのシャウトはファルセットで歌ってみれば?といった案が出ていたが、ポールはファルセットの方が難しいといったニュアンスの発言をしている。

【コメント】

【One After 909】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】エレクトリック・ピアノ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】グリン・ジョンズ

【収録日】

★1969年1月30日

【レコーディング詳細】

★ルーフトップ・コンサートのバージョンがそのまま収録されている。ルーフ・トップでは2回演奏されており、これは最初に演奏された方のバージョン。ちなみに映画「Let It Be」のルーフ・トップでの演奏シーンも最初に演奏したバージョンが使われている。

【エピソード】

★ジョンは自分一人で、ポールは共作したと意見が分かれている。

★演奏後にジョンが歌っているのは、アイルランド民謡の「Danny Boy」。

★1963年3月5日、3枚目のシングル曲候補としてレコーディングしたものの、単調すぎる仕上がりにボツとなった。

【コメント】

★ポール、、、「この曲を演れて本当にうれしいよ。ボクらが最初に書いた曲のひとつなんだ。」

★ポール、、、「ジョンとボクが当時、ボクが父と弟と住んでいたフォースリン・ロード20番の家の居間で初めて作った曲のひとつだ。カントリー・ブルース調で作り始めた。この曲はボクらの絆のようなものでボクらの子供時代がよみがえるようだ。この曲を書いたときボクらは大親友だった。この曲はボクらが10代だったころを思い出させるんだよ。だからLet It Beのセッションでこの曲をふたりで歌うのはとてもうれしかった。昔に戻れるようでね。」

【For You Blue】

【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】ヘフナー・ラップ・スティール・ギター

【ポール・マッカートニー】ピアノ

【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、ギブソンJ-200

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月25日、1970年1月8日

【レコーディング詳細】

★ジョンがスティール・ギターを弾く際に使っていた赤いバーは万年筆である。

★ポールはピアノ演奏で弦の上に紙を敷いて演奏した。これは弦の響きを抑えて打楽器的なサウンドを狙ったもの。

★演奏は1969年1月25日のもので、ヴォーカルのみ1970年1月8日収録となっている。

【エピソード】

★当初のタイトルは「George's Blues」。

★映画「Let It Be」の日本版ポスターには「ビコーズ・ユア・スィート・アンド・ラヴリー」というタイトルで紹介されていた。

★ピアノ・ソロのところでジョージが「エルモア・ジェイムスも敵わないね」と言っているエルモアとは、アメリカのボトルネック奏法の名手でブルース・ギタリストのこと。

【コメント】

★ジョージ、、、「歌詞が楽天的なことを除いたら、普通の12小節進行のシンプルな12小節の曲だ。」

【The Long And Winding Road】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】フェンダーVI

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、ピアノ

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】エレクトリック・ピアノ

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月26日、1970年4月1日

【レコーディング詳細】

★フィル・スペクターが扱ったマスター・テープには2種類のポールのヴォーカルが収録されていた。しかしオーケストラをダビングする際に空きトラックを確保するために片方を消去してしまった。

【エピソード】

★とにかくオーケストラ・アレンジが気に入らなかったポールだが、リンゴの興味深い証言がある。リンゴ、、、「ポールが出来上がったミックスを聴いた後に、ボクと電話で話す機会はあったんだ。ポールは「うん、いいね」と言っていたんだ。けなしてなんかいなかった。それなのに後で突然リリースしたくなくなったようだ。2週間後、彼はリリースをやめたいと言ってきた。」

★ジョージ・マーティン、、、「ポールは何も知らなかった。彼は手紙をよこしたが、そこには「唖然とした」と書いてあったよ。レコードがリリースされた時は、私も地獄のようなショックを受けたね。」

★リリース前にポールはフィルに宛てて、リミックスのやり直しを求める手紙を書いているが、あっさり無視されている。

【コメント】

★ポール、、、「当時のボクは、ちょっとつまづいておかしくなっていた。これは悲しい曲だよ。手に入れられないもの、決してたどり着くことのできないドアを歌った曲だから。」

★ポール、、、「(1970年4月21日)リミックスを聴いたら、ハープにホルンにオーケストラ、そのうえ女性コーラスまで入っていた。信じられないことにボクは誰からも意見を求められなかった。ボクならビートルズのレコードに女性の声なんて絶対に入れない。いくつかの変更を求める手紙を出しているが、未だに返答がない。」

【Get Back】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】エピフォン・カジノ、バッキング・ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、ヘフナー500/1

【ジョージ・ハリスン】フェンダー・テレキャスター

【リンゴ・スター】

【ビリー・プレストン】エレクトリック・ピアノ

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1969年1月27日

【レコーディング詳細】

★間奏のギターソロはジョンである。

★楽曲本体はシングル・ヴァージョンと同じテイク(1月27日録音)が使われているが、アルバム・バージョンではオープニングに1月27日のスタジオでの会話(ジョン「スィート・ロレッタの屁。彼女は自分を掃除屋と思っていたが、彼女はフライパンだった」)をクロスさせ、シングル・バージョンにあったコーダの部分をそっくりカット、代わりに1月30日のルーフトップ・コンサートでのポールの「thanks mo」と、ジョンの「グループと私たちを代表して感謝の気持ちを述べます。どうかオーディションに合格していますように」が付け加えられた。ちなみにシングル・バージョンはアルバムと同じ1月27日のバージョンでコーダ部分はカット、代わりに翌28日のコーダ部分を切り取って27日バージョンのエンディングにくっつけている。

【エピソード】

★歌詞の中の登場人物のロレッタ・マーティンは、レコーディング初期には他に別の名前の候補があった。「ロレッタ・マービン(ジョン推し)」「ロレッタ・メアリー」「ロレッタ・マーシュ」など。

★同じく登場人物の「ジョ・ジョ」は「ジョーイ」という候補もあった。

★ゲット・バック・セッションが始まった当初は「No Pakistanis」と呼ばれていた時期があり、当時、ビザを取得してイギリスで出稼ぎをしていたパキスタン人とイギリス人が職を争っていた問題が起きており、「パキスタン人は元居た場所(自分の国)へ帰れ」と歌っている。

★演奏者クレジットで「ザ・ビートルズ with ビリー・プレストン」と連名になったことをビリーはただただ恐縮しており、大いなる名誉と大喜びだった。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールがこの曲のタイトルを歌う時には、必ずヨーコを見ていた。」

★ジョン、、、「(間奏でギターソロを弾いたことについて)ポールは機嫌がいい時にはソロをくれるんだ。」

★リンゴ、、、「ポールがリード・ヴォーカルだ。足でリズムを取りたくなるような、イイ感じの曲だ。この曲を座って聴いている人がいたら、きっとその人はボクより我慢強いんだろうね。」

★リンゴ、、、「いい曲だ。かっこいいと思ったよ。Don't Let Me Downもね。この2曲はすばらしい。かなりシンプルで凝っていなくて、基本に戻っているよ。」

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