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【Magical Mystery Tour】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【トランペット】デヴィッド・メイソン、エルガー・ハワース、ロイ・コープステイク、ジョン・ウィルブレアム

【マラカス、カウベル】マル・エヴァンス、ニール・アスピノール(二人とも「おそらくそうだろう」)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年4月25~27日、5月3日

【レコーディング詳細】

★リンゴはドラムをレコーディングした後に、もう一度スネア・ドラムを重ね録りしている。コンプレッサーが掛けられて派手目の迫力あるスネアの音になっている。

★ジョン、ポール、ジョージのコーラスはテープの回転数を上げているために、かなり奇妙な変化をしている。

【エピソード】

★イントロの「Roll up,roll up」という、日本風に言うと「さあさあ、寄ってらっしゃい」という呼び込みの掛け声は、ポールが少年時代に実際にあったリヴァプールのバス旅行おなじみの掛け声だった。そして、ポールによると「マリファナタバコを巻く(roll)」という意味も入っているとのこと。

★歌詞を完成させるのにポールはかなり苦労したそうで、結果、みんなに部分的にだけでも歌詞を募集したものの上手くいかなかったので、仕方なくポール単独で詩作していったという説がある。しかし、後年ポールはジョンとの共同作業であると証言している。

【コメント】

★ポール、、、「ジョンとボクはリヴァプールのミステリー・ツアーっていうのを覚えていて、それが興味深いアイデアだってずっと思っていた。行き先が分からないバスの旅。すごくロマンチックで、シュールだ。リンスの匂いをさせた老人たちがミステリアスな旅に出る。バスにはビールが積んであって、たくさんの歌を歌うんだ。」

【The Fool On The Hill】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【トランペット】

【マラカス、カウベル】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ケン・スコット、フィル・マクドナルド

【収録日】

★1967年9月6日、25~27日、10月20日

【レコーディング詳細】

★曲の長さは元々4分25秒あったが、3分前後の長さにまとめたいとのポールの意見で編集され短くなった。

【エピソード】

★完成は映画撮影後であるが、曲そのものは早い時期に作られていた。ポールが映画の構想を最初に考え始めた1967年4月11日のイギリスへ帰国する飛行機内。そこで書かれたメモにはすでに「song fool on the hill」の文字が確認できる。

★リヴァプールの父親の家でにあるピアノで、「D6」のコードを弾きながら作ったと語っている。

★歌詞を見れば誰しもが連想する天文学者のガリレオ・ガリレイは、当然のことながらポールは思い描いて詩作をしたそうであるが、他にはマハリシやいわゆる「世捨て人」のような人のことも思い描いていたそうである。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールの曲だ。いい歌詞だ。彼が完全な曲を書くことができるのを証明している。」

【Flying】

【作詞・作曲者】4人の共作

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年9月8日

【レコーディング詳細】

★編集されて最終的な形になる前は、さらに多くのサウンドが詰め込まれており、エンディングではメロトロンにプリセットされていた「デモ演奏」がそのまま収録されていた。

★歌声はメロトロンにプリセットされた音声が使われているが、ジョンやポールの歌声も重ねられているのではと言われている。

★ドラムとベース以外の楽器の担当はハッキリしていないが、テーマとなっているギターはポール、リズム・ギターがジョージ、メロトロンはジョンが担当していると言われている。

【エピソード】

★当初のタイトルは「Aerial Tour Instrumental」

【Blue Jay Way】

作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ピーター・ビンス、ジェフ・エメリック

【収録日】

【レコーディング詳細】

★インド楽器は使われていないが、チェロの独特の音色やフランジング効果がかけられたジョージのヴォーカルなど、どことなくインドっぽいエッセンスがある。

★渦を巻くような効果のあるフランジングを結構深めに施しているが、テクニカル・エンジニアのケン・タウンゼントが開発したADTをさらに進化させた(いじくり倒した?)フランジャーの効果的な使い方は後世に大きな影響を与えた。

【エピソード】

★タイトルの「ブルー・ジェイ・ウェイ」はロサンゼルスに実際にある地名で、ジョージがここに滞在しているときに作った。

【コメント】

★ジョージ、、、「デレク・テイラーを待っていたんだ。電話で遅れると言っていたので「ここはブルー・ジェイ・ウェイだよ」と教えてあげた。すると彼は「OK.警官にでも聞けばわかるさ」と言ったんだ。霧が出てきて、どんどん時間は過ぎていった。眠らずにいるためにこの状況を歌にした。家の片隅にハモンド・オルガンがあることに気がついて、あれこれ弾いているうちに、この曲が出来た。」

【Your Mother Should Know】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】★1967年8月22、23日。9月16,29日

【レコーディング詳細】

★8月22,23日のレコーディングはいつものEMIスタジオは他のアーティストの予約があったために、チャペル・サウンド・スタジオで行われた。23日のレコーディングはブライアン・エプスタインが見届けた最後のレコーディングとなった。

【エピソード】

★ポールがTV番組「アワ・ワールド」用に書いた曲だと言われている。元々「アワ・ワールド」用にジョンと共作予定であったが意見がまとまらず、別々に書くことになった。もちろん採用されたのは「All You Need Is Love」。

★曲のタイトルは1961年公開のイギリス映画「A Taste Of Honey」の脚本の一部を引用している。

★曲が出来上がった背景に、親戚が自宅に遊びに来ていた時の家族的雰囲気に触発されたとポールは語っているが、なかでも後のソロ曲「Let'em In」に登場するジン叔母さんがその場にいたことを、ポールは大きな影響だったとしている。

【コメント】

★ポール、、、「キャベンディッシュ・アベニューにある自宅で作った曲。ダイニング・ルームにあるハーモニウムを使った。親戚が何人か来ていてね、その家族的雰囲気が影響してこの曲が出来たんだと思う。」

★ケン・スコット(アシスタント・エンジニア)、、、「ボクは一生懸命にこの曲に取り組んだんだけどね、結局ボクのバージョンは採用されなかったんだ。」

【I Am The Walrus】

作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ケン・スコット

【レコーディング詳細】

★「hohoho,hihihi,hahaha」「got one got one everybody's got one」などのコーラスは男女8人ずつからなる合唱団のマイク・サムズ・シンガーズが担当した。これはジョージ・マーティンのアイデアで、ジョンはとても気に入って喜んでいたという。

★エンディングのラジオの音はBBCで放送中の放送劇「リア王」をミックスしたもの。

★アシスタント・エンジニアのケン・スコットによれば、自身の編集ミスをジョンは気に入ってくれたという。そのミスは今でも聴けばはっきりわかるそうだ。

【ミックス違い】

★ミックス違いの多さではチャンピオンとも言える曲。

★違いがある部分として「イントロのメロトロンのリフの数が4回か6回か」「一回目のI'm Crying~直後のパーカッション(タンバリンかハイハット)があるかないか」「2回目のI'm Crying~直後ドラムがあるかないか」「yellow matter custard直前の1小節分があるかないか」で、なんと6種類が確認されている。

【エピソード】

★曲がリリースされた当時は、エッグマンというのはルイス・キャロルのことだと言われていた。

★後年になってアニマルズのエリック・バートンが、女性と卵を使った変態プレイをしているところをジョンに目撃されてしまい、ジョンにエッグマンと呼ばれたと証言した。

★「yellow matter custard」のくだりは、母校のクオリーバンク・ハイスクールの教師が授業でビートルズの曲を生徒に分析させて、したり顔で解説をしていることを聞きつけ、ムッとしたジョンが子供時代の親友ピート・ショットンがふざけて歌っていた歌を思い出して入れたもの。

★セイウチはルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」の中のエピソード「大工とセイウチ」にインスパイアされている。

★ポリスマンのくだりはジョンが自宅で耳にしたパトカーのサイレンからインスピレーションを受け、同時にイントロのメロトロンのメロディのインスピレーションにもなっている。

「pornographic priestess(尼さんのポルノ)」「 you let your knickers down(君のパンツを下ろそうぜ)」の歌詞が原因でBBCは放送禁止曲にした。

【コメント】

★ジョン、、、「100年経っても色褪せない曲。」

★ジョン、、、「最初の行は、とある週末にアシッド・トリップの最中に書いた。次の行は翌週末に別のアシッド・トリップの時に書いた。」

★ジョン、、、「ただ、戯言を言っているだけだ。歌詞にあまり意味はない。みんなはありとあらゆる解釈をしているようだが、馬鹿げているよ。「オレはエッグマンってどういう意味だ?」とかね。それはプディングの容器のことだったかもしれないし、いずれにせよ、そんなに重要なものではないってこと。」

★ジョン、、、「ルイス・キャロルが資本主義のシステムについて語っていることに昔は気が付かなかった。オレはみんながやっているビートルズの曲分析なんてやらなかったからね。だいぶ後になってこの本を読み返して、セイウチが物語の悪役で大工が善玉だってことに気が付いたんだ。「ああ、間違ったキャラを選んでしまった!i am the carpenter と言うべきだった。」と思ったけど、でもそうしていたら別の曲になっていただろうな。」

★ジョン、、、「俺たちの書くことや言うことが誤って解釈されることが、いつも起こっているみたいだ。俺たちは歌詞に満足していて、どうしてそれが他人を不快にさせるのかが理解できない。どこが卑猥だっていうんだ。」

【Hello Goodbye】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】★1967年10月2、19,20,25日、11月2日

【収録場所】

【シングル盤発売日】★英国1967年11月24日、米国1967年11月27日、日本1968年1月10日

【チャート状況】★全英チャート7週連続1位、全米3週連続1位

【レコーディング詳細】

★ベーシックトラックポールのピアノ、ジョンのハモンド・オルガン、ジョージのマラカス、リンゴのドラムで構成されており、ジョンとジョージのギターがオーバーダビングされた。

★ポールのベースは25日にオーバーダビングされている。

★アウトロの部分ではリンゴのドラムのタムに深いエコーを掛けるようにポールがジェフ・エメリックに指示したそうだが、結果はそうはなっていない。

【エピソード】

★この曲が誕生したきっかけは、ビートルズのアシスタントをしていたアリステア・テイラーがポールに、作曲とは何か?といったようなことをたずねたことである。ポールは自分の言った言葉と反対の言葉をアリステアに言わせた。ハローに対してグッドバイ、イエスに対してノーとかとやりとりをしているうちに出来上がったという。

★初期の段階では「Hello Hello」というタイトルで呼ばれていた。

★ジョンは「I Am The Walrus」をシングルのA面にしたかったようで、「Hello Good Bye」は取るに足らぬ曲だと言わんばかりの評価をしている。

★アウトロの「Hela heba helloa」の繰り返し部分はジョンは気に入っているという。

【コメント】

★ジョン、、、「3分間に及ぶ矛盾と無意味な対比。」

★ジョン、、、「1マイル離れていても、ポールの匂いがする曲。」

★ポール、、、「双子座の影響があると思う。二面性は宇宙における深いテーマだ。」

【Strawberry Fields Forever】

作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年11月24、28,29日、12月8,9、15,21日

【シングル盤発売日】

★英国1967年2月13日、米国2月17日、日本3月15日

【収録場所】

【レコーディング詳細】

★ジョンはツイン・ドラムのサウンドが収録されている楽曲をリンゴに聴かせ、「こういう感じで叩いてほしい」と無茶な要求をした。物理的に無理ということでリンゴは拒否したものの、単純にダビングで音を重ねることで決着した。

★take1ではジョージの派手なスライド・ギターが大胆にフューチャーされている。最終バージョンでは出だしの「let me take you down」のところで聞こえるのみである。

★その後、試行錯誤を繰り返しテイクを重ね、最終バージョンでは前半部分で聴くことのできるtake7が11月29日に完成して、ベストテイクとなる。

★ところがベストテイクとしたはずのtake7であるが、どうも自分のイメージとの違和感を覚えたジョンは、12月8日からストリングスや管楽器を取り入れたバージョンのレコーディングに取り掛かった。これが最終的にtake26となり、最終バージョンの後半部分となる。

★どちらのバージョンも捨てがたいということで悩みに悩んだ末にジョンが出した結論は「両方のバージョンをくっつける」という奇想天外かつ無茶なアイデアだった。今までにも異なるテイクを繋げるということは時々あったものの、今回のジョンの提案にはジョージ・マーティン、ジェフ・エメリックの二人は頭を抱えてしまった。二つのバージョンはテンポ、音の高さ(キー)、アレンジがまるで違っていて「別の曲」とも言ってよいほど。コンピューターなどない60年代のレコーディングはすべて手作業で行われており、まず誰が見ても不可能とサジを投げる作業になることは明白であった。

★いくらジョンを説得しても諦める様子の無いジョンは、最後には「君ならできる」とさらりとジョージ・マーティンに言い残してスタジオを後にしたと言われているが、ジェフ・エメリックによると今回の作業は到底無理だと知って途方に暮れた様子だったという。

★手作業の上、試行錯誤を繰り返してようやく二つのバージョンを奇跡的にもくっつけたわけだが、そのつなぎ目箇所は曲が始まってちょうど1分が経過したあたり。「let me take you down cause i'm going to~」の「i'm と goingの間」。言われなければ分からないほどきれいに処理されているが、アナログレコード収録テイクはCDよりもつなぎ目が認識できる。

【エピソード】

★映画「How I Won The War」のスペイン・ロケ中の1966年9月18日に曲を書き始めた。全く知らない土地でのロケで、しかも単独出演という理由もあったのか、ジョンはホームシックになっていたと言われる。

★スペイン滞在中にサンタ・イザベルのホテル客室で、アコースティック・ギターを使って録音されたデモ・テープが残されている。

★自宅スタジオ「ケンウッド」で作成されたデモ・テープも残されている。これはスペインから帰国後、レコーディングスタジオに入る直前の1966年11月に録られたもので、一度録音したギターやヴォーカルを再生し、スピーカーから出る音に合わせてさらにギターを弾いたり歌ったりして音を重ねる簡易的な多重録音で作成している。

★ピート・タウンゼントはエリック・クラプトンとともに試聴会に呼ばれたものの、ジョンが一切しゃべらないのでとても緊張したと後に語っている。

★あまりに斬新、先進的でシュールなサウンドのために、ファンがついてこられるのか、世間が受け入れてくれるのかを心配したポールとブライアン。特にマネージャーという立場からバンドの今後を考えてまずはミュージシャン・サイドの反応を知るための試聴会だった。

★曲の終わりの方の歌詞「Always no sometimes think it's me~」から続く数行は、いわゆる話し言葉調になっていて、このような表現方法はとても珍しかった。ジョン、、、「歌詞なんだけど、たまたましゃべっていることが歌になったというような感じにしたかった。」

★エンディングの2回目のフェイドアウト直前のジョンの言葉が「i buried paul (オレはポールを埋めた)」と聞こえるということで、後のポール死亡説の根拠のひとつとして特に有名になった。ジョン自身が「クランベリー・ソースと言っているだけだ」と語っている。

★イギリスではヒットチャート最高位2位で、2枚目のシングル「Please Please Me」以来続いていたヒットチャート1位の記録がこのシングルで途切れた。

★当時のイギリスで発売されていたシングル盤は、何の変哲もない紙のレコード袋に入れられていた。しかし、この曲で初めて写真が表裏に印刷されたシングル盤となった。表面はスタジオ内で撮られた写真を、裏面は4人の子供の頃の写真が使われている。

【コメント】

★ジョン、、、「「オレの木には誰もいないらしい」という歌詞がある。ここで言いたかったのは「誰もオレくらいのクールさが無いようだ」ってことだ。オレが5歳の頃から抱えている悩みは「オレは狂っているのか、あるいは天才なのか?」ってこと。他人には見えないものが見えていたんだから、どうかしているよな。」

★ジョン、、、「シュールレアリズムはオレに大きな影響を及ぼした。自分の頭になかにあるイメージが狂気ではないことに気づかせてくれた。オレにとって、シュールレアリズムはリアルなんだ。」

★ポール、、、「ジョンが作ってきた曲で、リヴァプールの彼の家のそばにあった救世軍の孤児院ストロベリー・フィールドを歌ったものだ。ボクらにとって、それは若さと輝く夏の思い出につながる。芸術面でボクらの目は大きく開かれ始め、いろいろなものが見えるようになってきていた。ボクにはジョンが何を表現したいのか分かったよ。」

★ジョージ・マーティン、、、「ジョンが亡くなる少し前にニューヨークでジョンに会ったんだ。彼は「ビートルズの曲をすべてレコーディングのやり直しをしたい」と言ったんだ。かなりショックだった。あのStrawberry Fields Foreverもかい?と聞いたら、「その曲を、いちばんやり直したい」と言われたよ。」

★ピート・タウンゼント、、、「(試聴会に招待された時のことを振り返り)ビートルズの最新作となる両A面シングルを試聴するために、エリック・クラプトンと共にブライアン・エプスタインの家に招待されたんだ。ジョンは妻のシンシアと共に来ていた。リンゴもいたかもしれない。ブライアンはまず「Relativity」というアート・フィルムを見せてくれた。電気回路と豚の腸のアップを比較模写した映像だった。Strawberry Fields Foreverのサウンドの複雑さには唖然とした。様々なイメージ、色、テクスチャーにあふれていた。ついさっき見た映画のようだった。これはただの音楽のはずだろ、、、?と耳を疑った。まったく奇妙でクリエイティヴで不思議でこれまでにないサウンドだった。そして紛れもない傑作だ。」

★NME誌、、、「ビートルズがこれまで作った中で最も非日常的なシングル曲であることには間違いない。でも正直、どう解釈すべきなのか分からない。」

★グリール・マーカス(アメリカの音楽評論家)、、、「もし、この風変わりな曲がビートルズの新たなスタイルだとしたら、アルバムはいったいどんなものになるのだろうか?」

★タイム誌、、、「ビートルズの驚くべき最新発明は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーによって書かれた「Strawberry Fields Forever」。不協和音と不可思議な最新鋭のサウンドに満ち溢れていて、その一部はテープの逆再生や速度を変えることで成し遂げられている。電子音楽作曲家にとっては目新しいことではないが、ポップ・ソングにこのような手法を用いることはとても斬新でエキサイティングである。ステージをやめた彼らはレコーディングに打ち込む意向で、9年間にわたるレコーディング契約を更新した。制作中のニュー・アルバムには偶然性を重視した楽曲が含まれるということだ。ポールは次のように語った。「もはや、2本のギター、ベース、ドラムスという編成では、楽曲のアイデアを生かしきれなくなっているんだ」

【Penny Lane】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】コンガ

【ポール・マッカートニー】ハーモニウム

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】タンバリン、チューブラ・ベル

【デヴィッド・メイソン】ピッコロ・トランペット

(ホーン・セクション)、、、バート・コートリー(トランペット)、レオン・カルバート(トランペット)、フレディ・クレイトン(フリューゲル・ホルン)、ダンカン・キャンベル(イングリッシュ・ホルン)、ディック・モーガン(オーボエ)、マイク・ウィンフィールド(オーボエ)、レイン・スウィンフィールド(フルート)、P・グッディ(フルート)、マニー・ウィンターズ(フルート)、デニス・ウォルトン(フルート)、フランク・クラーク(ダブル・ベース)

【プロデューサー】

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年12月29,30日、1967年1月4、5、6、9、10、12、17日

【収録場所】

【レコーディング詳細】

★初期のレコーディングではスキャット・ハーモニーがジョンのアイデアで入れられていたが、最終的にはホーンに差し替えられた。

★印象的なピッコロ・トランペットのメロディはポールがハミングして出した音を、ジョージ・マーティンが採譜した。

【エピソード】

★ポールはジョンの「Strawberry Fields Forever」に触発されて書いたと発言しているが、1965年11月1日にグラナダ・テレビの特番「ザ・ミュージック・オブ・レノン・アンド・マッカートニー」収録時に、ペニー・レインという名前の詩的な響きが好きで、それをタイトルにした曲のアイデアを練っているといったような発言が残っている。

★ポールはペニー・レインに住んだことはなく、実際に住んでいたのはジョンである。しかし、ロータリーにあるバス停の向かいにある教会は、ポールが少年時代に一員だった聖歌隊が所属していた。

★2006年にリヴァプール市は、市内にあるいくつかの通り名を変更する計画を立てて、その中に「ペニー・レイン」も含まれた。18世紀の奴隷船のオーナーであるジェームズ・ペニーに由来することが理由であるが、ビートルズ・ファンによる猛抗議で取り下げとなった。2020年にも世界中で巻き起こった黒人差別への抗議行動のなかで、再び名称変更問題が持ち上がった。

★「かわいいナースがトレーをさげて、ヒナゲシを売っているよ」という歌詞の一節にある「かわいいナース」とは、ビートルズと同世代でジョンと同じ学校へ通っていたスタン・ウィリアムズの幼馴染のべス・デヴィッドソンであるらしい。スタンウィリアムズ、、、「ボクが用事でペニー・レインにいたときジョンが仲間と一緒にやってきて、ボクとべスに話しかけてきた。べスは12、3歳の看護実習生だった。ポピーの花と一緒にアイスクリームを売っている人と同じようにトレーを運んでいた。はじめて「Penny Lane」を聴いたとき「これはべスのことだ」と思ったよ。」

★ベスは、ジョンの友人でクオリーメンのメンバーだったピート・ショットンと結婚した。1970年代にガンでこの世を去っている。

★「Strawberry Fields Forever」とのカップリングでシングル発売されたが、片面は「Penny Lane」ではなく当初は「When I'm Sixty-Four」とのリリース予定だった。

★歌詞の中に出てくる「finger pies」という言葉は、リヴァプールの男性達のわいせつな隠語であるとポールは語っている。

【コメント】

★ポール、、、「ジョンが新しいアルバム用に「Strawberry Fields Forever」というすごい曲を書いてきて、正直に言うと少し羨ましかった。それで家に帰って「Penny Lane」を書いた。この2曲をアルバムの主軸にするつもりだった。」

★ポール、、、「事実でもあり、ノスタルジアでもあるんだ。ボクらの記憶の中にある郊外の青い空、今でもそれは変わらない。この曲ではちょっとアートっぽい感じ、演劇みたいな感じにしようとしていた。シュールなアイデアも盛り込んでね。」

★ポール、、、「ほとんどひとりでに書けてしまった。歌詞はすべて実際の物ごとに基づいている。」

【Baby You're A Rich Man】

作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー

【ジョン・レノン】ヴォーカル、クラヴィオライン

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、リッケンバッカー4001S、ピアノ

【ジョージ・ハリスン】エピフォン・カジノ、コーラス、ハンド・クラップ

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、ハンド・クラップ、タンバリン、マラカス

【ミック・ジャガー】コーラス

【エディ・クレイマー】ビブラフォン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】キース・グラント

【収録場所】ロンドン、オリンピック・スタジオ

【収録日】

★1967年5月11日

【レコーディング詳細】

★音響の専門家を集め、何年もの歳月をかけて完成したオリンピックスタジオのサウンドは素晴らしいもので、ローリング・ストーンズのメンバーがビートルズのメンバーに使用を勧めた。

★印象的なクラヴィオラインのサウンドは、オリンピック・スタジオに置いてあった物を使用した。偶然ジョンが見つけて試しに弾いてみたところ、そのサウンドに興奮したジョンが使用した。

★当時フリーだったジョージ・マーティンは問題なかったものの、エンジニアをはじめとするスタッフはEMI所属のため、このレコーディングには参加できなかった。そのためオリンピック・スタジオのスタッフが担当した。

★サビの繰り返し部分で、ミック・ジャガーがコーラスで参加していると言われている。

【エピソード】

★元々はジョンの「One Of The Beautiful People」とポールの「Baby You're A Rich Man」という、それぞれの未発表曲を合体させたものである。

「Baby You're A Rich Man」を繰り返すサビの部分をポールが、それ以外の部分がジョン作だと言われている。

★当初は映画「Yellow Submarine」のためにレコーディングされた。

★「Baby you're a rich man too」という歌詞が「Baby you're a rich fag Jew(おまえはユダヤの金持ちホモ野郎)」に聞こえる、ということからブライアン・エプスタインを皮肉った曲という説もあった。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールの曲と俺の曲を無理やりくっ付けた曲。ポールのは「ベイビー」って繰り返すだけだったな。」

★ジョン、、、「ビューティフル・ピープル」っていうのが流行っていただろ?そいつらの仲間入りをしたらどんな気分かなって思ってさ。

★ポール、、、「ジョンと一緒に歌詞を作ったのを覚えているよ。Turned to a natural Eっていう歌詞はTurnedto a naturallyの単なるダジャレさ。」

★ビルボード誌、、、「クセになるビートと難解な歌詞を持つ、東洋フレーバーの入ったロック・ナンバー。」

【All You Need Is Love】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、ハープシコード

ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、コントラバス

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、バイオリン

【リンゴ・スター】バッキング・ヴォーカル、パーカッション(アコースティック・ギターのボディを叩く)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【オーケストラ】

(指揮)マイク・ピッカーズ、(バイオリン)シドニー・サックス、パトリック・ホーリング、エリック・ボウイ、ジョン・ロネイン (チェロ)ライオネル・ロス、ジャック・ホームズ (テナー・サックス)レックス・モリス、ドン・ハニウィル (トロンボーン)エヴァン・ワトキンス、ハリー・スペイン (アコーディオン)ジャック・エンブロー (トランペット)スタンリー・ウッズ、デビッド・メイソン

【エンジニア、アシスタント】

【エピソード】

★世界衛星中継番組「アワ・ワールド」の出演に際し、番組のスタッフ側から、番組の趣旨に沿った曲を作ってほしいという依頼を受けてジョンが書き上げた。

★繰り返し部分が多く、誰でも歌える分かりやすい曲をというのが具体的な製作者側からの要求であった。

★レコーディング初日14日の場所がオリンピック・スタジオになった理由は、はっきりしたことは分かっていない。

【収録日】

★1967年6月14,19,23,24,25,26日

【シングル盤発売日】

★英国1967年7月7日、米国7月17日、日本8月5日

【収録場所】

★オリンピック・スタジオ(6月14日のみ)、EMI第2スタジオ

【レコーディング詳細】

★オリンピック・スタジオのレコーディングではポールはコントラバスを弓で弾き、ジョージはバイオリンに初挑戦している。

★イントロ後Aメロ部分で「コツコツ」という音が入っているが、これはパーカッションとしてアコースティック・ギターの裏側ボディをリンゴが叩いて出しているもの。

★リンゴがバッキング・ヴォーカルに参加しているのは非常に珍しい。

★オープニングとエンディングでは様々な楽曲が取り入れられている。オープニングではフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」、エンディングでは「Yesterday」「She Loves You」、他にはグレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」、イングランド民謡の「グリーン・スリーブス」、バッハの「インヴェンションとシンフォニア」等。

★取り込んだ楽曲の当初の順番に不満があったポールが最終的な順番を決めた。

★これらの楽曲はすでに著作権が切れていて、組み込むことに問題はないとしていたジョージ・マーティンだが、実はグレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」だけ権利が消滅しておらず、著作権料の請求があったが後に和解した。

【コメント】

★ブライアン・エプスタイン、、、「私にとってこの曲にまつわる仕事は、ボーイズの活動の中でベストなものだった。彼らは世界に本当に伝えたいと思っているメッセージをこの曲に託した。」

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