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【I Saw Her Standing There】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、リッケンバッカー325、ハンド・クラップ

【ポール・マッカートニー】リード・ヴォーカル、ヘフナー500/1、ハンド・クラップ

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオ・ジェット、ハンド・クラップ (デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス、ハンド・クラップ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【シングル盤としての発売日】米国「I Want To Hold Your Hand」のB面として1963年12月26日発売 日本「From Me To You」のB面として1964年4月5日発売

【ヒット状況】英国シングル発売なし、米国ビルボード誌14位(抱きしめたいのB面)(シングルB面曲ながら11週チャートインしている)

【レコーディング詳細】

★午前中に収録された9つのテイクのうち、第1テイクがベストと判断され、ハンドクラップなどのオーバー・ダビングが行なわれて、第12テイクとされた。。後にテイク12にテイク9の「1,2,3,4」のカウント部分をくっ付けて最終テイクとした。

【ミックス、バージョン違い(現行CDで聴くことが出来るもの)】

★オリジナル・モノラル、、、「Beatles Mono Box」、「The Beatles '64 Box」の「Meet The Beatles」「Please Please Me (1987年盤)」等

★オリジナル・ステレオ、、、「Please Please Me (2009年ステレオ盤)」、「The US Box」の「Meet The Beatles」

★アメリカで'64にブレイクする以前にマイナー・レーベル「ヴィー・ジェイ」から発売された「イントロデューシング・ザ・ビートルズ」に収録されているものは、最初のカウントの「one two three four」が「one two three」が切れていて「four」から始まる。

【エピソード】

★ポールはベースラインをチャック・ベリーの「I'm Talkin' About You」から拝借したと語っている。確かに基本のベースラインはそのまんま「頂いた」ように聴こえる。興味のある方はYoutubeで検索して聴いてみると面白い。

★このポールのベースサウンドは独特らしい。ホロー・ボディのヘフナー500/1のフロントピックアップのみを使用しているためだろうか。2011年にアビーロードの制作チームがリマスターのアナログ盤制作時に、ポールのベースが妙な周波数を出していることに気が付いて、その処理に苦労したという。そのせいか、'63初回プレス盤はこの曲のベース音のせいで針とびを起こして返品が相次いだ。

★レコーディング当初のタイトル(仮タイトル)は「Seventeen」だった。

★日本では以前に楽譜集などでは「そのときハートは盗まれた」という邦題がついていた。

★デビュー前からポールが書きためていた曲のひとつで、本アルバムで正式にリリースされる以前からステージで演奏されている。

★一番最初の部分の歌詞は最初は「She was just sevevteen,she'd never been a beauty queen 」だったが、ジョンが「美人コンテストの女王だって?」とダメ出し。歌詞の変更を勧めたが、結局ジョン自身がその部分を「You Know what I mean」と聴き手それぞれの解釈が広がる歌詞に書き換えた。ただのわずか一節の変更だが、ジョンの持つ言葉のセンスはポールに相当な衝撃を与えたようで、数十年経った今でもこのときのエピソードを詳細に語り、素晴らしい才能を持ったジョンとコンビを組んでいたことを嬉しそうに語っている。

★マージーサイドのサウスポートでおこなわれたデビュー前のビートルズのステージ終了後、帰宅途中のポールが10代の頃に聴いたイギリス民謡「Seventeen Come Sunday」から着想を得ている。

★ポールは1962年10月22日の夜に、ハリケーンズのヴォーカルのロリー・ストームの実家でアコースティック・ギターで作曲し、翌11月にポールの自宅でジョンと共に完成させた。

★1962年9月にポールの自宅で、ジョンと共にギターとピアノを使って書いたとする説もある。

★1962年暮れに、キャヴァ―ン・クラブでリハーサル中に演奏されたものが残されている。スロー・バージョンで、ジョンはギターを弾かずにハーモニカだけを演奏している。

【Misery】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー

【ジョン・レノン】リッケンバッカー325、ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオ・ジェット(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【レコーディング詳細】

★テイク11までレコーディングされたが、ジョージがサビの部分のフレーズがなかなか上手く弾けず、「1日でレコーディングを終える」という制約のためかジョージ・マーティンは、テープ・スピードを半分に落として録音して、後にオーヴァーダビングしようと考えた。しかし、ビートルズのスケジュールは過密で再度スタジオに入りジョージのギターを録り直すことが出来なくなり、ジョージ・マーティンは後にギターの代わりに自らピアノを弾いてダビングした。

【エピソード】

★1963年1月26日、スタッフォードシャーのキングス・ホールで行われたステージの楽屋で作曲を始めて、後にポールの自宅で完成させた。

★有名人に楽曲を提供して、チャンスを狙ったと証言していたポール。当時、全英No.1ヒット曲を2曲飛ばしていた16歳のヘレン・シャピロに楽曲提供を申し出たがヘレンが所属していたコロンビア・レコード側が「歌詞が暗すぎる」という理由でこれを断った。確かに曲名からして「Misery 悲惨、みじめ」では16歳の少女スターにはどうかと判断した理由もわかる気がする。

★当時、ビートルズと一緒にツアーに参加していた歌手ケニー・リンチがビートルズがヘレン・シャピロに楽曲提供したという話を聞いて、自分にも書いてほしいと頼んだ。ケニーはジョンとポールに「自分も手伝う」と申し出たが、これにカチンときたかどうか分からないが、イライラしてやめてしまった。結局、ヘレン・シャピロに断られた「Misery」をもらうことになり、1963年4月15日にシングルとしてリリースされた。これは他のアーティストによる「ビートルズ・ナンバーのカバー曲」第1号となった。余談であるが、ケニー・リンチはアルバム「Band On The Run」のアルバムジャケットでポール他とともに写っている。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールと言うよりジョンっぽい曲だな。一緒に書いたんだと思う。」

★ポール、、、「初めてバラードっぽいものを書こうとした」、ケニー・リンチのヴァージョンについて、、、「すごく上手いわけでもないし、、、」

★ポール、、、「ボクたちにとっての初めてのバラード。ボクらのどちらかの曲と言うわけではなくて、ジョンとボクとの共同作業で出来た曲。誰かのために曲を書くという、いわゆる雇われのただの仕事なようなものだった。」

【Anna(Go To Him)】

作詞・作曲者アーサー・アレキサンダー

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E、ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、バッキング・ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオ・ジェット、バッキング・ヴォーカル(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【レコーディング詳細】

★レコーディングではテイク3まで行われ、テイク3がOKヴァージョンになった。テイク1,2は破棄されたと思われ、存在しない。

【エピソード】

★オリジナルのアーサー・アレキサンダーのバージョンは1962年9月17日にシングル盤としてリリースされた。

★ジョンのお気に入りの曲で、オリジナルのアレキサンダーのヴァージョンに比べ、思い切り感情を込めて歌い上げたビートルズヴァージョンはオリジナルを遥かに超えてしまった。ビートルズのカバーは、まるでビートルズ・ヴァージョンのほうがオリジナルではないのか?と思ってしまうほどの秀逸な作品が多いが、この「Anna」はその代表的な曲である。ちなみにジョージもアレキサンダーのファンであり、レコードを何枚か所有していたそうだ。

【コメント】

★ジョン、、、「俺達は予算が少なかったのでエコーを使わせてもらえなかった。しかしエコーを使わなかったことで、結果的に他のバンドと違ったサウンドになって良かった。」

★ジョン、、、「ビートルズは決してひとつのスタイルにこだわらなかった。オレはロックっぽいイメージが強いけど、Annaとかバラード系の曲も多くやっている。オレだってセンチメンタルな曲をやっているんだよ。ポールと同じだ。オレもその手の音楽は大好きなんだ。」

★ポール、、、「ビートルズは最初からジャンルを超えたバンドだったし、バラードも演奏していた。」

★ポール、、、「カバーをそのままやったんじゃオリジナルには到底敵わない。だから僕たち独自のアイデンティティを模索した。ちょっと暗めのR&Bってとこだね。それでAnnaをやろうってことになったんだ。」

★ジョージ、、、後の「All I've Got To Do」「In My Life」に発展する独特のリズムについて、、、「アーサー・アレキサンダーは独特のリズム・パターンを使っていて、僕らもそれをコピーしようとしたんだ。でもうまくいかなくて、結局自分達で作っちゃった。コピーしようとしても出来なかったことが多かったんだ。その結果、僕ら独自のヴァージョンが生まれた。」

【Chains】

作詞・作曲者ジェリー・ゴフィン、キャロル・キング

【ジョン・レノン】ギブソンJ160-E、ハーモニカ、バッキング・コーラス

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、バッキング・ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオ・ジェット、リード・ヴォーカル(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【レコーディング詳細】

★2回目のサビ、ジョージのソロヴォーカルが始まる直前に、そばで誰かがごちゃごちゃとしゃべっている声が聞こえる。

【エピソード】

★ジョンとポールがあこがれていたアメリカのソングライティング・チーム「ゴフィン=キング」の作品で、1962年にニューヨーク出身の女性ヴォーカル・グループ「クッキーズ」がリリースして、全米17位を記録している。

【Boys】

作詞・作曲者ルーサー・ディクソン、ウェス・ファレス

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E、コーラス

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、コーラス

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオ・ジェット、コーラス(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス、ヴォーカル

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【レコーディング詳細】

★この曲は「1テイク」でOKが出たため、テイク違い等は存在しない。

【エピソード】

★カバー曲で、オリジナルは女性グループ「シュレルズ」が1960年11月にシングルのB面として発表している。女性から男性に向けて歌っている歌詞を所々男性からの歌詞に変更したが、それならばタイトルを「Boys」から「Girls」にして歌詞も対象を「Girls」にしないとおかしなことになるが、そのまま歌ってしまっているので「男が男の話をしている」内容になってしまっている。リンゴは同性愛者なのか?と言われたことがあった。ポールのコメント、、、「オリジナルのまま歌って誤解を受けることがあるなんて想像もしなかった」

★ビートルズの前に加入していた「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」でもリンゴのレパートリーであった。ビートルズでもピート・ベストがドラムを担当していた時期もピートの持ち歌だった。

★「シュレルズ」はジョンお気に入りのグループで、ファンクラブに入っていたという説がある。

★「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」時代のステージで「スター・タイム」というリンゴが主役のコーナーがあり、ここでリンゴはドラムを叩きながらではなく、ステージに立って「Boys」を歌っていた。

【コメント】

★ジョン、、、「彼はプロだった。歌えるし、パフォーマンスも出来た。リンゴの才能はいずれにせよ認められていただろう。」

【Ask Me Why】

作詞・作曲者 ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E、リッケンバッカー325、リード・ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、バッキング・ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオジェット

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア】ノーマン・スミス

【収録日】1962年11月26日

【発売日】1963年1月11日(シングル盤Please Please MeのB面)

【エピソード】

★ジョンが好きだったスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの曲作りを目指して作った曲で、デビュー以前からステージで演奏していた。

★1962年6月6日、アーティスト・テスト時のレコーディングでもピートのドラムで演奏されている。

★シンシアに捧げた曲という説がある。

【コメント】

★ポール、、、「ジョンと向かい合って作った曲」

【Please Please Me】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】リッケンバッカー325、ハーモニカ、リード・ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、バッキング・ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオジェット、バッキング・ボーカル

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア】ノーマン・スミス

【収録日】1962年11月26日

【発売日】英国1963年1月11日 米国1963年2月25日、日本1964年2月10日

【ヒット状況】英国1位(メロディメーカー誌)2位(ミュージック・ウィーク誌)、米国3位(ビルボード誌)(キャッシュボックス誌)英国では35万枚、米国では100万枚以上の売り上げ。日本、ミュージック・マンスリー洋楽チャート1位

【レコーディング詳細】

★ステレオ盤はジョンが歌詞を間違えて、直後の「カモン」の部分で吹き出しそうになっている。これは’63の2月25日にステレオ・ミックス作業のときにテイク16,17,18から作られたもので、一説によるとエンジニアのノーマン・スミスのいたずらだったのでは?といわれている。ちなみにモノ・ミックスは62年の11月30日に行なわれ、テイク数は不明であるが、こちらはテープの切り貼りはせず、ワンテイク。

【エピソード】

★アメリカでの最初の発売はヴィー・ジェイ・レコードで、これは英国EMIがキャピトル・レコードに販売権を与えていたものの、キャピトル側が販売を拒否したために販売権がヴィー・ジェイ・レコードに移った。

★ヴィー・ジェイ・レコード発売時は、アメリカにおけるビートルズ旋風が吹き荒れる前だったので、当時のアメリカでの売り上げはわずか7,310枚であった。

★ポールによると、ジョンがこの曲を最初にメンバーに披露したときには、甲高い声で「カモ~ン」とロイ・オービソン風に歌うスロー・ナンバーだったと証言している。

★最初にジョージ・マーティンに披露したのは「Love Me Do」の2度目のセッションが行なわれた9月4日。マーティンはメロディは良いがテンポが遅くてちょっと退屈だと思い、テンポアップを提案した。1週間後、「Love Me Do」をアンディ・ホワイトをドラムに据えてレコーディングを行なった際、マーティンの助言を受け入れたスピード・アップ・ヴァージョンを披露。アンディがドラムを叩いたヴァージョンは「アンソロジー1」で聴くことができる。

★「Love Me Do」に続きここでもハーモニカを加えているが、これは街中やラジオ等でいきなりこの曲を耳にしても、「Love Me Doのバンドの曲だな」とビートルズをイメージさせる戦略的な要素もあったという。

★ジョージ・マーティンはデビュー・シングル候補だったミッチ・マーレー作の「How Do You Do It」を、またもやセカンド・シングル候補として挙げてきた。が、ビートルズは当然2曲目もオリジナルで勝負したいと考えていた。

【コメント】

★ジョン、、、「この曲は完全にボクの曲だよ。ロイ・オービソンのような曲を書こうとしたんだ。メンローヴ・アヴェニューにある叔母の家の寝室で書いた。]

★ジョン、、、「ラジオでロイ・オービソンのOnly The Lonelyを聴いてひらめいた」「ビング・クロスビーにも影響を受けている。ビング・クロスビーのPleaseという曲で、ふたつのPleaseを同じセンテンスで2度使ったのにはそそられたね。Pleaseを2度使いするというアイデアはとてつもなく魅力的で、それができるまで探し続けたんだ。」

★ジョン、、、「できるだけシンプルにしようとしたんだ。これまで書いた曲のなかには少し変わったものもあったけど、これはあくまでもヒットを意識して書いた曲だ。あとは良い結果になることを祈るだけだ。」

★ポール、、、ジョージ・マーティンに曲のテンポ・アップの指摘を受けたことについて「曲を作った僕らより、彼のほうが良いテンポを分かっているなんて、ちょっとバツが悪かった。」

★ジョージ・マーティン、、、「男性版シュレルズといったサウンド」

★ジョージ・マーティン、、、レコーディングを終えたビートルズのメンバーたちに対して「おめでとうボーイズ。この曲が君達の初めてのナンバー・ワン・ソングになるだろう。」

★1963年1月11日(金)に発表されたプレス・リリース、、、「これは1963年最初のチャート大旋風となるでしょう。ザ・ビートルズは1963年のベスト・アルバムを作ったのです。Please(どうぞ) Please(お願いだから)、聴いてください。Please Please Me カップリング曲はAsk Me Why どちらの曲を書いたのも、歌って演奏しているのもザ・ビートルズです。」 このプレス・リリースの添付文章 ブライアン・エプスタイン、、、「このプレス・リリースの目的は、ビートルズの素晴らしいサクセスストーリーの最新情報をみなさんにお届けし、彼らのパーロフォン2枚目のシングルPlease Please Me のリリースをお知らせすることです。数週間のうちに、歌を歌い楽器を弾くこの類稀なる4人組を全英トップテン・チャートの上位に導くと私達は信じています。」

【Love Me Do】

【収録日】1962年6月6日(ピート・ヴァージョン)、9月4日(リンゴ・ヴァージョン)、9月11日(アンディ・ヴァージョン)

【発売日】1962年10月5日(デビュー・シングル盤)

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E、ハーモニカ、コーラス

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】ギブソンJ-160E

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス、タンバリン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン(ピート・ヴァージョン、リンゴ・ヴァージョン)、ロン・リチャーズ(ピート・ヴァージョン、アンディ・ホワイト・ヴァージョン)

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス

【シングル盤としての発売日】英国 デビュー・シングルA面として1962年10月5日発売 米国 1964年4月27日A面として発売 日本 1964年5月5日シングル「All My Loving」のB面として発売

【ヒット状況】

★英国17位(ニュー・レコード・ミラー誌)NME誌は27位、メロディ・メーカー誌は24位、米国1位(ビルボード誌、キャッシュボックス誌)

★英国での売り上げがリヴァプール周辺に偏っていたために、ブライアン・エプスタインが買い占めて、さらには、そのおかげで英国チャート17位を獲得できたとの噂が立った。

★アメリカでのシングル盤はリリースの権利がキャピトル・レコードにはなかったために、ヴィー・ジェイ・レコード傘下のトリー・レコードから発売されている。100万枚以上の売り上げがあった。

【テイク違い】

★1962年6月6日、アーティスト・テストのためEMI第2スタジオでドラムがピート・ベストでレコーディングされた「ピート・ベスト・バージョン」。

★1962年9月4日、デビュー・シングルのためにレコーディングされた、リンゴのドラムによる「リンゴ・スター・バージョン」。後に最も多くリスナーが聴くことになる「アンディ・ホワイト・ヴァージョン」に比べ、間奏に手拍子が入っている、タンバリンが入っていない、といった大きな違いがある。マスター・テープは廃棄されており、後年、再発売やCDで聴くことの出来るリンゴ・ヴァージョンはレコード盤からマスターを起こしたものである。

★細かい違いであるがアンディ・ホワイト・バージョンに比べ、リンゴ・バージョンは間奏前のポールの掛け声の位置や大きさが違っている。また、アンディ・バージョンは3回目のセッションということでジョンに余裕が出てきたのか、ハーモニカの吹き方に細かなテクニックが見られる。

★1962年9月11日、リンゴのドラムに不満を感じたジョージ・マーティンがセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトを起用してレコーディングした「アンディ・ホワイト・ヴァージョン」。ここでは、ドラムを外されたリンゴはタンバリンを叩いている。リンゴはピートみたいに自分もクビにならないかと心配した。

【Love Me Do 2023年リミックス】

★9月4日のリンゴ・バージョンを、最新のAI技術「デミックス」を用いてモノラル音源の各楽器を分離してステレオ化している。

【レコーディング詳細】

★ブレイク後のキメの「Love me do~」の部分でヴォーカルとハーモニカが重なり、当然ジョンはハーモニカを吹きながら歌えないので、急遽その部分だけポールが一人でボーカルを担当することになった。ポールはかなり動揺して不安定になり曲全体でかなり音程が怪しくなっている。ポールのコメント、、、「ボクの声が震えているのがよくわかるよ。」

【エピソード】

★レコーディングに使用したジョンのハーモニカは、1960年初めてのハンブルグ巡業の際に立ち寄ったオランダの楽器店で盗んだものだと言われている。

★デビューにあたってプロデューサーのジョージ・マーティンが用意した曲はミッチ・マレーの手による「How Do You Do It」。当時のイギリスの音楽業界では作家とミュージシャンの分業が常識で、作家の書いた曲をミュージシャンが演奏したり歌ったりしてレコードを出すのが普通であった。ましてやなんの実績も無いこれからデビューしようとしている歌手やバンドがオリジナル曲をリリースすることなどありえないことであった。

★リンゴはメンバーがオリジナル曲でのデビューにこだわったことについて「大したもんだね。彼らは頑として他の誰かが書いた曲は嫌だと突っぱねた。普通だったらレコードを出すためなら魂だって売るというのに」とコメントしている。

★最初のレコーディングは1962年6月6日(水)。ドラムはピート・ベスト。場所はアビーロード第2スタジオ(第3スタジオの説あり)で、「Besame Mucho」「P.S.I Love You」「Ask Me Why」とともにレコーディングされた。ただ、レコードを発表するためのレコーディングではなく、バンドの力量を見るための「アーティスト・テスト」のためのレコーディングだったという説が有力である。

★後にポールはブレイク後のソロ・ヴォーカル部分はジョンが歌ったほうが似合ったと語っている。

★リズムが物足りない、と指摘されたリンゴはマラカスでドラムを叩くというとんでもない(というか訳の分からない)奏法にチャレンジしたものの失敗に終わっている

★初回プレス盤の「オリジナル赤ラベル」は希少価値が高く、市場ではかなりの価格で取引されている。

【コメント】

★ジョージのコメント、、、「当時17位になったかどうか覚えていない。でもチャートにはいったおかげでEMIの奴らの態度が変わった。」

★ジョージのコメント、、、(6月6日のレコーディング・テスト終了後、ジョージ・マーティンがメンバーに「何か気に入らないことがあったら言ってごらん」と言ったことに対して)「そうだな、まずあなたのネクタイが気に入らない」

★ジョンのコメント、、、「最高にファンキーなロックン・ロールだ(1970年の発言)」

★ジョンのコメント、、、「ブライアン・ジョーンズがやってきて「Love Me Doで吹いているのはハーモニカ?それともハープ?」と聞いてきたんだ。奴は俺が下の音を吹いていたことを知っていて、疑問に思ったんだ。「ボタンがあるハーモニカさ」と答えたんだ。あいつが言いたかったのはハーモニカを使うなんてファンキーなブルースじゃないってことだったんだろうけど、俺達は当時ブルース・チャネルの「Hey Baby」をやっていたからな。あの曲はブルース・ハープじゃ吹けないんだ。」

★リンゴのコメント、、、(ジョージ・マーティンによってドラマーをアンディ・ホワイトに代えられたことについて、後年のコメント)「あれはひどいよ。その後何度も謝られたけど、ボクは未だに許しちゃいない」

★ピートのコメント、、、「3度目のハンブルグに行ったとき、ジョンとポールはLove Me Doのコードを変えたりして作曲の最中だった。ボクも加わって歌詞を変えたり曲を長くしたり、アレンジした。そうして完成した。さっそくレパートリーに加え、ドイツの観客にも好評だったよ。」

★ピートのコメント、、、「最初はハーモニカは入っていなかった。完成直前にボクとジョンのアイデアでハーモニカを入れた。ちょうどスチュが亡くなったところで、哀悼の思いを曲に入れた、スチュの思い出を残すために。」

【P.S.I Love You】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E、コーラス

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ・デュオ・ジェット、ハーモニー

【リンゴ・スター】マラカス

【アンディ・ホワイト】ドラムス

【プロデューサー】ロン・リチャーズ

【エンジニア、アシスタント】ノーマン・スミス

【収録日】1962年9月11日

【シングル盤としての発売日】英国 1962年10月5日(デビュー・シングルLove Me DoのB面)米国1964年4月26日「Love Me Do」のB面として。

【ヒット状況】米国第10位(ビルボード、キャッシュボックス誌ともに)

【レコーディング詳細】

★リンゴのドラミングに納得しなかったジョージ・マーティンはセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトにドラムを担当させ、リンゴにはマラカスを振らせた。

★2回目のサビの「As I write this letter」後の「Oh」はジョン、「You know I want you to」はポール、「Yeah」はジョージである。

【エピソード】

★ポールがハンブルグ滞在中に作った曲。

★当初、デビュー・シングルのA面曲として発売の計画があったが、同名異曲が存在し、多くのアーティストによるカバー曲があったためB面として発表することになった。

【コメント】

★ジョン、、、「あいつはシュレルズのSoldier Boyみたいな曲を書きたかったんじゃないかな。」

 

【Baby It's You】

【作者】マック・デイヴィッド、バート・バカラック、バーニー・ウィリアムズ

【ジョン・レノン】ヴォーカル、ギブソンJ-160E

【ポール・マッカートニー】コーラス、ヘフナー・ベース

【ジョージ・ハリスン】コーラス、ギブソンJ-160E(グレッチ・デュオ・ジェットの説あり)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【ジョージ・マーティン】チェレスタ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、セカンド・エンジニア】ノーマン・スミス、ステュアート・エルサム

★オリジナルは黒人女性4人組コーラス・グループ「シュレルズ」の1961年のシングル作品。

★どのテイクがOKになったかはわからないが、3テイクレコーディングされた。例の1日レコーディングで、最後の「Twist&Shout」の前にレコーディングされたので、ジョンの声は限界直前で、かなりの「ハスキーヴォイス」になっている。

★1995年にアルバム「Live At The BBC」のリリースに併せ、4曲入りCDとして発売され、英国7位、米国67位、日本33位のチャートを記録した。

★ジョンのコメント「以前はロックンロールやロカビリーだったけど、このころはミラクルズやシュレルズが好きになっていた」

★シュレルズのメンバー、ビバリー・リーの最近のコメント「最高だったわ。ビートルズにカバーされるのはとても名誉なことでした。私はジョンに密かに熱をあげていたから、それもうれしかった。他にビートルズ・バージョンの「Boys」も好きです。」

【Do You Want To Know A Secret】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ギブソンJ160-E、コーラス

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、コーラス

【ジョージ・ハリスン】ギブソンJ160-E、ヴォーカル

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、セカンド・エンジニア】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【ヒット状況】米国ビルボード誌2位、キャッシュボックス誌3位、アメリカで100万枚以上の売り上げ

【レコーディング詳細】

★途中聞こえる拍子木のような音は、ドラムスティックを叩いた音に深くリバーブを掛けて加工している。

【エピソード】

★ジョンが幼い頃、母ジュリアが子守唄として歌って聞かせていたディズニー映画「白雪姫」の挿入歌「I'm Wishing」に影響を受けって作った曲。

★ジョンは自らが歌うにはちょっと恥ずかしいと思い、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスにプレゼントされ、リリースはビートルズより後であるが、ビートルズより先にレコーディングした。

★ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスに渡したデモ・テープはジョンがトイレで録音したもので、テープの最後には水を流す音が入っていた。

★ビートルズ・ヴァージョンでは、ジョージがリード・ヴォーカルを担当した。カヴァー曲ばかり歌っていたジョージは、手本のないオリジナル曲をどうやって歌うのか困惑し苦労したという。

【コメント】

★ジョン、、、「トイレは音が良く響く」

【A Taste Of Honey(邦題・蜜の味)】

【作者】リック・マーロウ、ボビー・スコット

【ジョン・レノン】ギブソンJ160-E、バッキング・コーラス

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ6128デュオ・ジェット、バッキング・コーラス(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、セカンド・エンジニア】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【レコーディング詳細】

★リンゴはワイヤー・ブラシを使ってドラムを叩いている。

★1960年に上演された同名のブロードウェイ・ミュージカルのために作られた曲で、翌年に映画化されてタイトルソングとなった。多くのミュージシャンによりカバーされており、その内の1962年にリリースされたレニー・ウェルチのバージョンをビートルズはカバーした。

★ジョンとジョージはこの曲が嫌いである。ハンブルグ時代にポールは「この曲はジョンの嫌いな曲です」とステージで紹介していたという。

★ポール以外のメンバーがこの曲を好んでいなかったにもかかわらず、ハンブルグのステージで演奏していた理由として、ロックを好まない客のためだったという。ポールのコメント、、、「どこで歌ってもキャバレー以外じゃ大したギャラはもらえなかった。キャバレー用の曲だよ。」「ハンブルグでボクの十八番だった曲だよ。エコー・マイク一本で上手くハモったもんさ。リクエストも多かったし。」

【There's A Place】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー

【ジョン・レノン】リッケンバッカー325、ハーモニカ、ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ6128デュオ・ジェット、バッキング・コーラス(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、セカンド・エンジニア】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【ヒット状況】米国ビルボード誌74位

★ポールの自宅で作ったジョンとポールの共作だが、ポールによると「曲のアイデアの大半はボクが出した」そうである。

★ジョンのコメント、、、「モータウンに影響を受けた曲」。

【Twist And Shout】

【作者】バートランド・ラッセル・バーンズ、フィル・メドレー

【ジョン・レノン】リッケンバッカー325、ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヘフナー500/1、バッキング・ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】グレッチ6128デュオ・ジェット、バッキング・コーラス(デュオ・ジェットではなくカントリージェントルマンを使用との資料が最近EMIで発見されたとのこと)

【リンゴ・スター】プレミア・ドラムス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、セカンド・エンジニア】ノーマン・スミス、リチャード・ランガム

【ヒット状況】英国ではシングルカットされず4曲入りEP盤として発売されたのにもかかわらずシングル・チャート登場。NME誌2週連続4位、メロディ・メーカー誌2位。米国ではシングルカットされた。ビルボード誌2位、キャッシュボックス誌1位、100万枚以上のセールス。

★1961年、アトランティック・レコードに所属していた「トップノーツ」がリリースしたが、ビートルズのカバーは翌1962年にリリースされた「アイズレー・ブラザーズ」のヴァージョンをもとにしている。オリジナル・バージョンよりもビートルズによるカヴァーのほうが有名になってしまった曲の代表格。

★レコーディング当日、ジョンは風邪を引いていてノドを痛めていて、ミルクと「ズーブス」というのど飴でなんとか乗り切っていた。さらにたった1日でアルバム収録曲すべてをレコーディングするという過酷さでジョンの声が出なくなってしまうおそれがあったため、ジョージ・マーティンの提案でセッションの最後にレコーディングされることとなった。以前はレコーディング終了の時間が迫りジョージ・マーティンが「何かもう1曲あるかい?」との要請に対しこの曲をレコーディングしたという説があったが、それはレコーディング本番前の通しのリハーサルでのことである。

★レコーディングは2テイクまで収録されたが、2テイク目はジョージ・マーティンによると、もうジョンの声は出なかったという。たった一度きりの一発OKの渾身の「Twist And Shout」が完成した。

★ポールのコメント、、、「この曲を歌ったら、ジョンのノドはもうダメになっちゃう。だから最後にとっておいたんだ。」

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