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【Taxman】

作詞・作曲者ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、エピフォン・カジノ(?)

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、エピフォン・カジノ、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、エピフォン・カジノ(?)

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、カウベル(ジョン説あり)、タンバリン(ジョン説あり)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】1966年4月20~22日、5月16日

【レコーディング詳細】

★初日に「リハーサル・リズム・トラック」を4テイクのレコーディングを行なったが、すべてボツにして翌日に最初からレコーディングのやり直しを行っている。

★最初はジョージのリード・ギターが収録されていたが、後にポールがリード・ギターを弾いた際に消去されている。

★ポールのギター・ソロはVOXアンプを通したエピフォン・カジノで弾いている。

★ポールのギター以外に聞こえるギターはジョンとなっている文献が多いが、ジョージとしているのものある。

【エピソード】

★「Anybody got a bit of money(誰かちょっとばかりお金をくれよ)」というコーラスが入っていたが、別のフレーズに差し替えられた。

★ジョージの曲が初めてアルバムのオープニングとなった。

★ポールのベース・フレーズは他のバンドにかなりの影響を与え、そっくり真似をしたりアレンジさせたりした曲が多くリリースされた。

★1991年のジョージ来日公演で演奏された際には歌詞が「ウィルソン」「ヒース」から「メイジャー(当時の英国首相)」と「ブッシュ(当時のアメリカ大統領)」に替えられていた。

★パロディ音楽家のアル・ヤンコヴィックが1981年に録音しラジオ放送された「Pac-Man」。ジョージの弁護士に盗作として抗議され、1983年には訴訟までされている。しかし、これは盗作と言うよりも「歌詞だけ変えたTaxman」でパロディ作品であり、ヤンコヴィック本人も「冗談が分からんのかね」と呆れている。その後はオリヴィアとダニーによる正式な許諾を得ている。

【コメント】

★ジョン、、、「税金に抗議するこの曲は反体制ソングだ。「歩くだけで税金をかけられるぞ」というね。オレたちが住んでいるのはこういう社会だとね。」

★ジョン、、、「歌詞については、俺もちょっと手を貸した。」

★ポール、、、「ビートルズ時代で好きなギター・フレーズはTaxmanだ。ボクはとてもジミ・ヘンドリックスに影響を受けていた。あれはボクの初めてのフィードバックへの冒険だったんだ。当時はジョージがそういったことにのめりこむとは思えなかったから。ジョージは一般的にギター・プレイをちょっと控えめにするからね。彼はヘヴィーなフィードバックにはまだ興味を持っていなかった。(1990年)」

★ジョージ、、、「税務署に莫大な金を払っていることに気づいたんだ。最初のうちは、やっと金が稼げるようになったってうれしいばかりでそんなことは考えもしなかった。当時ボクらは1ポンドあたり19シリング6ペンス払っていた。さらに付加税、特別付加税、税だらけだ。ばかげているよ。自分で金を稼いでなんでそんな思い税金を払わなきゃいけないんだ。こんなことじゃ誰だってイギリスが嫌になるさ。稼いでいる人はみんな、アメリカやどこかへ移住してたのもわかるよ。」

★ジョージ、、、「ポールがインド風の素敵なギター・ソロを弾いてくれた。」

★リンゴ、、、「税金問題には、本当にウンザリだった。」

【Eleanor Rigby】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】ハーモニー・ヴォーカル

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル

【ジョージ・ハリスン】ハーモニー・ヴォーカル

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【ストリングス・メンバー】(バイオリン)トニー・ギルバート、シドニー・サンクス、ジョン・シャープ、ユルゲン・ヘス (ビオラ)スティーヴン・シングルス、ジョン・アンダーウッド (チェロ)デレク・シンプソン、ノーマン・ジョーンズ

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】1966年4月28,29日、6月6日

【シングル盤としての発売日】

★英国1966年8月5日、米国1966年8月8日

【チャート状況】

★全英チャート4週連続1位。

【レコーディング詳細】

★エンジニアのジェフ・エメリックは音圧が前面に出てくるような「主張する」ストリングスのサウンドを得るために、バイオリンなどの楽器ギリギリにマイクを近づけるという斬新な手法を使った。ジョンはチェロの低音の迫力にロックを感じたと感想を語っている。

★ストリングスのスコアはジョージ・マーティンが書き、レコーディングではコントロールルームにいるポールやジョンとやり取りしながら指揮をした。

【エピソード】

★「Father Mackenzie writing the words of a sermon that no one hear」の部分は自分が書いた、とリンゴは語っている。

★ビートルズのメンバーが初めて一切の楽器を演奏していない曲である。

★1966年度グラミー賞の「ベスト・コンテンポラリー・グループ・パフォーマンス・ヴォーカルorインストゥルメンタル賞」を受賞した。

★ポールはモンタギュースクエアにあるスタジオに一人で出向き、地下スタジオでレコーディングした。その音源からギターを省いたものをデモとしてEMIでのレコーディングに使用したと証言している。

★歌詞に登場する人物「ファーザー・マッケンジー」の名前を「ファーザー・マッカートニー」にしてはどうかとジョンが提案したが、父親に悪いということでポールは却下している。

【コメント】

★ジョン、、、「歌詞の少なくとも半分はボクが書いた。スタジオやポールの家でね。」

★ジョン、、、「ポールがマルやニールとオレに「君たちで詞を書き上げちゃってよ」と投げてよこしたんだ。オレに直接頼まずにね。最初の1行はポールだが残りは基本的にオレが書いた。」

★ポール、、、「ボクはエリナー・リグビーという名前を自分で考え出した。でもどうやら、昔ジョンとブラブラしていたウールトン墓地にその名前を刻んだお墓があるらしい。ボクの深層心理に残っていたのかもね。」

★ポール、、、「ロンドンに住んでいたんだけど、地下にピアノがあって、よくそこで弾いたんだよ。その時も適当に弾いていたらメロディが浮かんできたんだ。「ラディダダー、、、ライス・イン・ザ・チャーチ」ってね。それで、結婚式の終わった後で、まかれた米粒を誰かが拾うっていうアイデアが出来て、「ロンリー・ピープル」っていう歌詞が持つ方向性に強く引っ張られていったんだ。」

★ポール、、、「ボクはリヴァプールで過ごした子供のころに、たくさんの寂しい年配を見てきて、その何人かとは仲が良かった。こした経験をこの曲に生かした。ボクはこの曲をそんなに暗い曲だとは思わない。これは、アーティストがひきつけられる人生の一面だと思う。まあ、回顧的であるのは確かだけど。ボクの昔を見つめている歌というべきか、そこはジョンと会っていた場所でもあり、バスの車庫でもあった。」

★ジョージ・マーティン、、、「私はあるアメリカの映画作曲家の作曲を手本にした。弦楽の楽曲がすばらしかった。それがEleanor Rigbyのでの私の手本だ。少しポールと一緒に作業し、ハーモニーなどについてポールのアイデアを得た。そうやって作り上げていった。ポールはピアノを弾けたから、私はポールが作った旋律をあの作曲家のスタイルでストリングスに置き換えていけばよかった。だから比較的簡単だった。」

★ジョージ・マーティン、、、「ポールがEleanor Rigbyを持って私にところへやってきて、その曲は明らかにストリングスを必要としていた。Yesterdayのようにスムーズ--でレガートではなく、非常に鋭くエッジの利いたものだ。それは、バーナード・ハーマンが映画「サイコ」のために書いた作品を私に思わせた。」

★ジョージ・マーティン、、、「(歌詞について)すべてポールだったと思う。でもレコーディング直前でポールはいくつかの歌詞が足りなくて困っていた。「ここに何を入れたらいいのかなあ」とみんなに聞いて回っていたよ。そしてニールとマルと私がいくつか提案をしたんだ。あらゆる人が時折貢献した。それはけっこう微笑ましいことだったよ。」

【I'm Only Sleeping】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、ギブソンJ-160E

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、ギブソンJ-160E(?)、エピフォン・カジノ

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、タンバリン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年4月27、29日 5月5,6日

【レコーディング詳細】

★4月27日の最初のレコーディングでは、ベーシック・トラックが録音され、テイク11がベストとなり、そこから発展させていく予定であった。しかし、納得がいかなかったジョンは2日後の29日に様々なバージョンを5テイク試したもののいずれも上手くいかなかった。この中にはアルバム「アンソロジー2」収録のビブラフォン・バージョンなどがある。

★結局、当初(27日バージョン)のテイクを発展させることになり、逆回転ギターなどがダビングされていった。

★逆回転ギター、、、ポールのコメント、、、「ある日、テープオペレーターがテープを逆にしてしまい、それを再生した。「何てこった、インド音楽のように聞こえるじゃないか!」となったんだ。」

★逆回転したときにきちんと曲にはまるように、そしてちゃんとソロ・メロディになるように弾くためにジョージは相当苦労したという。前例がなく当然エフェクターも無い当時のことである。逆回転部分だけのレコーディングには6時間かかったという。

★ジョンのヴォーカルはダブルトラックになっているが、物理的に録られたものではなく、ATDを使用したものとなっている。また、SEとしてジョンの「あくび」が入っている。

★ポールのベースがソロになっている部分は一部「和音弾き」になっている。

【バージョン、ミックス、テイク違い】

★逆回転ギターの入り方のタイミング等に違いがあり、ステレオとモノ・ミックス、またアメリカ編集盤「Yesterday And Today」収録の物とで4つのバージョンが存在している。

【エピソード】

★アルバム「Revolver」のための作曲作業は、ジョンの家で午後に行われることが多かった。ポールがジョンの家を訪問した時には、ほぼジョンは寝ており、まずはジョンを起こす事から始めなければならなかったことが、この曲を作るきっかけとなった。

★ジョンの手書きの作詞原稿は現存している。なんと「自動車電話料金未払い催促状」の裏面に書かれている。

【コメント】

★ジョン、、、「逆回転ギターがある初めてのレコードだ。ヘンドリックスよりも先だし、ザ・フーよりも先だ。どんな野郎よりも先だ。」

【Love You To】

作詞・作曲者ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E(?)※ジョンは参加していないのではないか、とも言われている。

【ポール・マッカートニー】リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、シタール、ギブソンJ-160E(?)、ギブソンES-345(?)、エピフォン・カジノ(?)

【リンゴ・スター】タンバリン

【アニール・バグワット】タブラ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年4月11、13日

【レコーディング詳細】

★当初はポールのコーラスが入っていたが、結局は採用されなかった。

【エピソード】

★レコーディングが始まったころには、まだタイトルが決まっておらず「Granny Smith」と適当にリンゴの品種名が付けられていた。

【コメント】

★ジョージ、、、「シタールで作った曲だ。シタールの響きってすごくいいし、ボクは常にもっと深いものを求めていたから、最初からシタールを想定した曲を書きたかった。タブラのパートもあるんだよ。タブラの演奏者を使ったのはこれが最初だった。」

【Here,There And Everywhere】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、フェンダー・ストラトキャスター(?)、エピフォン・カジノ(?)、フィンガー・スナップ(指パッチン)

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、エピフォン・カジノ(?)、リッケンバッカー4001S、フィンガー・スナップ(指パッチン)

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、フェンダー・ストラトキャスター(?)、エピフォン・カジノ(?)、フィンガー・スナップ(指パッチン)

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、フィンガー・スナップ(指パッチン)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年6月14,16,17日

【レコーディング詳細】

★ポールのヴォーカルはダブル・トラックになっているが、ジョンのようにADTは使用せず、ポールのこだわりなのか2回歌って重ねている。

★ヴォーカルを収録する際に、テープスピードを落としてレコーディングしている。通常のスピードに戻したときに声が高くなって聞こえる効果があり、「マリアンヌ・フェイスフルのように歌っても誰も気にしないよな。」とポールが思った通り、女性が歌っているスタイルで歌ったのだという。

★ベースはヘフナーが使用されたとの説もあるが、EMIスタジオの記録ではスタジオに持ち込まれていたものの使われなかったとのこと。

【エピソード】

★ビートルズの曲は、おもにウェイブリッジにあるジョンの家にポールが訪問して作曲の作業をしていた。しかし、ポールが訪問してもジョンは昼過ぎまで寝ていることが多く、ある日ジョンが起きてくるのを待っている間にこの曲を書いた。

★曲そのものは1965年の初めには完成していたようで、1965年3月にビートルズが映画「Help!」の撮影のためにオーストリアに滞在しているときに、ホテルで同室だったジョンが聴いている。

★ポール、、、「ジョンとボクは同じ部屋に泊まっていて、1日の撮影が終わった後、重いスキー用のブーツを脱いで、夕食や酒を楽しむためにシャワーを浴びようとしていた。その時に新しく作った曲を何曲か収録していたカセット・テープを再生し、ボクの「Here,There And Everywhere」が流れた。するとジョンが「オレは多分その曲を、そのテープに入っている自分のどの曲よりも気に入っている。」と言ったのを覚えている。ジョンがそういうことを言うのは、ものすごい誉め言葉なんだ。」

★ビーチボーイズのアルバム「Pet Sounds」を聴いた直後にレコーディングをしたとも言われている。

★当時の恋人ジェーン・アッシャーに捧げた歌とも言われている。

★1982年にBBCラジオに出演し、「無人島に持っていくなら」ということで楽曲を選んだ時に「In My Life」とこの曲を選んでいる。また2006年のインタビューで「自分で作曲した中で最も好きなビートルズ・ナンバーは?」と聞かれ、「気分で変わるからなんて答えたらいいにかわからないけど、たいていはHere,There And Everywhereって答えるよ。」と発言しているし、実際、他のインタビューでの同じような質問にもこの曲を挙げている。

★2004年に刊行されたソロツアー写真集のタイトル「イーチ・ワン。ビリービング」は、この曲の歌詞の一部である。

【コメント】

★ジョン、、、「ビートルズの曲の中で、オレがもっとも気に入っている中のひとつだ。」

★ポール、、、「ジョンの家で、ギターを持ってプールサイドでプール用のいすに座ってEコードでつま弾いてスタートし、やがていくつかのコードをつけていった。ジョンが起きる頃には、曲はほとんど完成していたと思う。それで曲を室内に持って行って仕上げた。」

【Yellow Submarine】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、ギブソンJ-160E

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、タンバリン

【リンゴ・スター】ヴォーカル、ラディック・スーパー・クラシック

【マル・エバンス】バス・ドラム

【バッキング・ヴォーカル】ブライアン・ジョーンズ、マリアンヌ・フェイスフル、パティ・ハリスン、ジョージ・マーティン、ニール・アスピノール、マル・エバンス、ジョン・スキナー、テリー・コンドン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年5月26日、6月1日

【レコーディング詳細】

★5月26日のレコーディングは、ジョージ・マーティンが食中毒で体調を崩し、代わって婚約者のジュディ・ロックハート=スミスとエンジニアのジェフ・エメリックがプロデューサーを務めた。

★6月1日のレコーディングにはジョージ・マーティンは復帰している。この日はエンディングのコーラスをレコーディングするにあたって、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズや歌手のマリアンヌ・フェイスフルらの仲間も参加しての賑やかなレコーディングとなった。OKが出た後もバスドラムを抱えたニール・アスピノールを先頭に全員が歌いながら列を作ってスタジオ内を行進していた。

★ジェフ・エメリックによると、間奏で少しだけ聴くことのできるブラスバンドのサウンドは外部ミュージシャンによる演奏ではなくて、ブラス・バンドのレコードをテープにコピーし、それを切り刻んだものを繋ぎなおして、間奏の部分に付け加えたものである。外部ミュージシャンのギャラを払う必要がなく、テープを切り刻むことによって元のレコード音源に対する著作権使用料も発生しない「低コスト・レコーディング」が可能になった。

【バージョン、ミックス、テイク違い】

★モノ・ミックスではイントロのリンゴの歌いだしと同時にアコギのストロークが始まるが、ステレオ・ミックスではアコギは遅れて演奏が始まる。

★サビの後、ジョンの復唱部分ではモノ・ミックスでは「life of ease」から始まり、ステレオ・ミックスでは遅れて次の「every one of us」から始まる。

★エンディングはモノ・ミックスのほうが長い。

【エピソード】

★前アルバム「Rubber Soul」に収録された「What Goes On」で、初めて作者としてクレジットされたリンゴ。「Revolver」では以前から作曲中とリンゴが発言していた「Don't Pass Me By」がいよいよ完成かと報じられた。

★アルバム発売前にファン・クラブ会報である「ビートルズ・マンスリー・ブック」のなかでリンゴは「ジョンとポールがボクのために曲を書いてくれた。でも、もしまたボクが上手く歌えなきゃ、誰かのアルバムに入ることになるかもね。」

★リンゴが歌うことを想定してポールが作った。

★当初はファンクラブ会報に「歌と語りが半々の子供向けの曲」と予告されていた。実際に曲の冒頭部分として4人が語る部分がレコーディングされていたが採用されなかった。

★「Eleanor Rigby」とのカップリングでシングル発売されたが、リンゴのヴォーカル曲がシングル曲になったのは初めてのことだった。

【コメント】

★ポール、、、「ある日の夜、眠りに落ちる前ベッドに横になっていた時のことだ。馬鹿げた考えが頭に浮かぶあの瞬間、トワイライト・モーメントだ。黄色い潜水艦が浮かんできた。we all live in a yellow submarine、、、てね。」

★ポール、、、「ボクは子供向けの物が好きだ。子供の想像力が好きなんだ。だからシュールであると同時に子供向けでもあるアイデア、というのはボクにとってはダサいものではなかった。あと、リンゴは子供の扱いが上手く、放浪しているオジサン、っていうタイプだろ。だから彼がシリアスな曲ではなく子供向けの曲を歌うのは悪くないかもと思った。」

【She Said She Said】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、フェンダー・ストラトキャスター、オルガン

【ポール・マッカートニー】リッケンバッカー4001S(?)

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、ベース・ギター(?)、ギブソンES-345

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】1966年6月21日

【レコーディング詳細】

★収録曲が足りないことに気が付いて、わずか1日、9時間のセッションでレコーディングを終えた。

★口論の末にポールがスタジオを出て行ってしまい、ポールは不参加だと本人が証言しているが、ベースだけはポールではないかとの説がある。

【エピソード】

★1965年の全米ツアー中の休暇でハリウッドのレンタルハウスに滞在中、ザ・バーズのメンバーやその他の著名人を呼んでパーティを開いた。そこで映画俳優のピーター・フォンダの話した言葉がきっかけになって生まれた曲。

★ピーター・フォンダは男性だったので、元々のタイトルや歌詞は「He Said He Said」であったが、「He」だとピーター・フォンダを露骨に想起させるとして「she」に変更したといわれる。

★元々は違う2曲を合体させて作った曲。

★アルバム「Revolver」が完成直前になって収録曲14曲に1曲足りないことに気が付いて、急遽6月21日のセッションだけでレコーディングを終えてしまった。

【コメント】

★ジョン、、、「LSDでトリップしたピーター・フォンダがサングラス越しに「死ぬってどういうことかオレには分かる」って言い続けるんだ。うんざりしたね、気味が悪かったし。」

★ジョン、、、「映画「イージー・ライダー」を撮る前だったから、あいつ(ピーター・フォンダ)のことはほとんど知らなかった。」

★ポール、、、「彼(ピーター・フォンダ)はきっと寂しかったんじゃないのかな。」

★ポール、、、「ほとんどはジョンがすでに作っていたんじゃないのかな。」

★ポール、、、「絶対にそうだとは断言できないけど、これはボクが演奏していない唯一のビートルズのレコードだと思う。ボクたちは口論か何かしてボクが「何だよ、f**k you!」と言い、彼らが「じゃあ、ボクたちだけでやるよ」と言ったんだと思う。ジョージがベースを弾いたんじゃないかな。」

★ジョージ、、、「なぜかピーター・フォンダがいた。」(パーティに呼んだ覚えがないという)

【Good Day Sunshine】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、ハンド・クラップ

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、ピアノ、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、シンバル、ハンド・クラップ

【ジョージ・マーティン】ピアノ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年6月8,9日

【レコーディング詳細】

★ベーシック・トラックのレコーディングではポールがピアノを弾いていたので、ジョージがベース・ギターを弾いていた。

【エピソード】

★元々は「When I'm Sixty-four」の一部であったとも言われている。

★当初のタイトルは「A Good Day's Sunshine」である。

★作曲時には、間奏はギター・ソロを構想していた。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールの曲だ。一行くらいなら俺も何か手伝ったかもしれないけど。」

★ポール、、、「ジョンと一緒にケンウッドのジョンの家で作った。」

★ポール、、、「ボクらのフェイバリットだったラビン・スプーンフルのDay Dreamのトラッド・ジャズの雰囲気に影響を受けた曲だ。」

【And Your Bird Can Sing】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、エピフォン・カジノ(?)、ハンド・クラップ

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、リッケンバッカー4001S、ハンド・クラップ、エピフォン・カジノ(?)

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、エピフォン・カジノ(?)、ハンド・クラップ

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、タンバリン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年4月20、26日

【レコーディング詳細】

★ツイン・リード・ギターはポールとジョージが弾いていると言われている。

【エピソード】

【コメント】

★ジョン、、、「いい加減に作った曲。歌詞が最悪。」

★ジョージ・マーティン、、、「(後にアンソロジーに収録された、笑いながら歌っているバージョンについて)最高でしょう?ボーイズはもちろん真面目に取り組むが、とても面白いところも多々あった。このテイクを発見するまでは存在を忘れていましたが、ポールに聴かせたとき、私たちは聴きながら笑い転げましたよ。素晴らしい時間でした。スタジオはとても楽しかったのです。幸せな思い出です。ジョンは特に面白かった。彼は物まねが得意で、人を茶化し、時には残酷でさえありました。いつもとても楽しかった。」

【For No One】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、クラビコード、ピアノ、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】タンバリン、マラカス、ハイハット

【アラン・シビル】フレンチ・ホルン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年5月9,16,19日

【レコーディング詳細】

★レコーディング当初はリンゴはドラムを叩いていた。

【エピソード】

★1966年3月、ポールがジェーン・アッシャーとスイスにスキー旅行に行ったときに書いた。

★ジェーンとの喧嘩がこの曲のモチーフになっていて、「この曲でまた彼女と喧嘩しているね。ボクは女性と喧嘩無しで付き合ったことがない。」と発言している。

★間奏のフレンチ・ホルンのメロディはポールが考えた。しかしポールの考えたメロディはフレンチ・ホルンの出せる音域を半音だけ超えていた。譜面を渡されたBBCシンフォニー・オーケストラのアラン・シビルは「間違いがある」と指摘。しかしジョージ・マーティンは「間違い?そうだよ。」と答え、「それなら」とアランは指示通りに吹いた。ポールはミュージシャン魂というか心意気に感心し「優れたミュージシャンというものはそういうものだ」とコメントしている。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールの曲だ。オレの好きな作品のひとつ。いい曲だよ。」

★ポール、、、「子供のころから好きだったフレンチ・ホルンを使いたかった。」

【Doctor Robert】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、エピフォン・カジノ、ハーモニウム

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】バッキング・ヴォーカル、ギブソンSG、マラカス

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年4月17,19日

【レコーディング詳細】

【エピソード】

★バッキング・ヴォーカルはポールとジョージではなく、ポールとジョンであるとの説がある。

★著名人たちにLSDを含むビタミン注射を打って治療していたニューヨークの医師、ドクター・ロバート・フレイマンのうわさを聞いてジョンが書いた。

【バージョン、ミックス、テイク違い】

★モノ・ミックスはステレオに比べて、フェイドアウトしているが演奏の最後まで聴くことができ、さらにはジョンのかすかなつぶやき声まで聞こえる。

【コメント】

★ジョン、、、「ほとんどジョークみたいなもんさ。どんな病気でもドラッグで治すという医者の話。」

【I Want To Tell You】

作詞・作曲者ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】バッキング・ヴォーカル、タンバリン、ハンド・クラップ

【ポール・マッカートニー】バッキング・ヴォーカル、リッケンバッカー4001S、ピアノ、ハンド・クラップ

【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、フェンダー・ストラトキャスター、ハンド・クラップ

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、マラカス、ハンド・クラップ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年6月2,3日

【レコーディング詳細】

【エピソード】

★レコーディング当初は無題であったが、レコーディングしたテープに箱に名前を書いておかないとわからなくなってしまうため、ジョンが付けた仮タイトルが、「Love You To」の仮タイトル「Granny Smith」にちなんで「Granny Smith Part Friggin Two(frigginはf※ckingのちょっとだけマシな言葉)」。いくらなんでも、ということでジェフ・エメリックが「Laxton's Superb(リンゴの品種)」と付けたが、翌日には「I Don't Know」となった。

★「I Don't Know」と呼ばれたいきさつは、ジョージ・マーティンに曲名を訪ねられたときに「わからない」とジョージが答えたため。このときジョンから「お前の曲はいつもタイトルが無いな」と言われている。

★ジョンのコーラスが聞こえないという意見が圧倒的に多く、ジョンはこの曲に全く参加していないという意見がある。

【コメント】

★ジョージ、、、「雪崩のようにどっと襲い掛かってくる気持ちを歌っているんだ。言葉では伝えられない気持ちのことさ。」

【Got To Get You Into My Life】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】オルガン、エピフォン・カジノ

【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、リッケンバッカー4001S

【ジョージ・ハリスン】エピフォン・カジノ

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、タンバリン

【ブラス・セクション】トランペット(エディ・ソーントン、イアン・ヘイマー、レス・コンドン)、テナー・サックス(アラン・ブランスクーム、ピーター・コー)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年4月7,8,11日、5月18日、6月17日

【チャート状況】

★最初のリリースから10年後、アルバム「Rock 'n' Roll」からの先行シングルとして発売され、全米7位まで上昇した。

【レコーディング詳細】

★ジェフ・エメリックはブラスの音を鋭いものにするために、管楽器の収録時マイクをベル部分(朝顔型に開いた部分)に取り付けた。

【エピソード】

★歌詞はジョージも手伝っている。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールが作った中でもベストに入ると思う。」

★ポール、、、「ドラッグのことを歌ったんだ。」

【Tomorrow Never Knows】

作詞・作曲者ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】ヴォーカル、テープ・ループ、オルガン

【ポール・マッカートニー】リッケンバッカー4001S、エピフォン・カジノ、テープ・ループ

【ジョージ・ハリスン】タンブーラ、テープ・ループ

【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、タンバリン、テープ・ループ

【ジョージ・マーティン】ピアノ

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年4月6,7,22日

【レコーディング詳細】

★「山頂からダライ・ラマがお経を唱えているような声にしたい」、とジョンはスタジオ内で天井から自らを吊るし、マイクの周りを回りながらヴォーカルを録ったが、意図したサウンドにはならなかった。

★ジェフ・エメリックは回転スピーカーが内蔵されている「レズリー・スピーカー」を2台使用して、ジョンが望んでいたヴォーカルのサウンドを作り出した。

★ジョンは「オレの声をオレンジみたいなサウンドにしてくれ」とも要求した。

★ジェフ・エメリックはバス・ドラムに衣類を詰め込んで、ミュートが効いて輪郭のはっきりしたタイトなサウンドを作り出した。ちなみに詰め込んだ衣類は「リンゴのツアー用ジャケット」だった。

【バージョン、ミックス、テイク違い】

★ステレオはイントロがフェイド・インで始まる。

★モノラルはステレオに比べて、SEが控えめなミックスになっている。

★さらに最初期のアルバム「Revolver」に収録されていたものは通称「マトリックス1」と呼ばれていて、通常のモノ・ミックスとは大きく違っている。タンバリンの入るタイミングがかなり遅く、SEがかなり派手目にミックスされている。また、間奏の逆回転ギターソロの最後の部分がカットされてしまっている。またエンディングのフェードアウトの時間が遅くて、ジョージ・マーティンのピアノが余分に聴ける。

★これはすでに工場でプレスが始まっているにもかかわらず、ジョージ・マーティンが「Tomorrow Never Knows」のミックスが気に入らずにマスターの差し替えを指示。すでにプレスしたものを廃棄しなかったため、ごくわずかながら市場に出回ってしまった。差し替え前のミックスは「リミックス11」、差し替え後のものは「リミックス8」と言われている。

【エピソード】

★アルバム収録曲の中で最初にレコーディングされた。

★「テープ・ループ」という特殊効果が初めてロックのレコードに使われた。

★当初のタイトルは「The Void」

★「C」のコードだけで構成されている曲で、前衛的な音楽に興味を持ち始めていたポールも最初は戸惑った。

★歌詞は「チベットの死者の書~サイケデリック・バージョン」から影響を受けたとジョンは語っている。

【コメント】

★ジョン、、、「この曲を何度聴いても、実のところ何を言っているのかさっぱり分からないと思う。だから結局瞑想がどういうものかってことかな。瞑想の目的は覚醒も睡眠も夢も超えたところに向かおうとするものだ。つまり超越するってこと。だからこの曲は「思考を断ち切り、気持ちを沈め、フワフワと落ちていこう。これは死ではない。」っていうところから始まっているんだ。」

★ジェフ・エメリック、、、「のり、ひも、接着テープを使った。今までと違うやり方を強引にでもやらないと新しいサウンドは作れなかった。」

★ジェフ・エメリック、、、「ボクがチーフ・エンジニアとして彼らと最初にレコーディングした曲。コード・チェンジや音程があまりなくて、すべてがドローンのようだった。ノーマン・スミスがいなくなったことを彼らが知っていたかどうか、今でもわからない。ジョージ・ハリスンが「ノーマンは?」って言っている姿が目に浮かぶよ。ポールはすでに知っていたと思う。ボクはヴォーカルをレズリー・スピーカーを通してレコーディングし、それであのドラム・サウンドを録ることにことに成功して、ジョンの信頼を勝ち取った。だから少しづつボクは受け入れられていった。それは簡単なことじゃなかったけどね。」

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