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【Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【フレンチ・ホルン】ジェームズ・バック、ニール・サンダース、トニー・ランダル、ジョン・バーデン

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年2月1、2日。3月3、6日。

【レコーディング詳細】

★初日のレコーディングではジョンがDI(ダイレクト・インジェクション)を通してフェンダーのベースを弾いている。

★曲中の効果音はEMIの音源ライブラリー等から集められた。冒頭の観客のざわめきは「ダドリー・ムーアの芝居の観客席の音(EMI音源ライブラリー第28巻、ロイヤル・アルバート・ホールとクイーン・エリザベス・ホールの喝采とざわめき)」。拍手と笑い声は「第6巻、喝采と笑い声」。チェロなどの弦楽器のチューニング音「A Day In The Lifeレコーディング時の雑音」。

【エピソード】

★ポールはこの曲のレコーディング直後、サージェント・ペパーのバンドになりきり、アルバム全体をこのバンドによる架空のショーにするというアイデアを思いつく。ポール、、、「ボクらはこれまでの自分たちから離れようとしている。ツアーもやめてもっとシュールなものにのめり込もうとしている。だから別のバンドになるってのはどうかな?」

★ショーの司会者として歌っているポールであるが、当時のDJなどは絶叫ともいえる激しい口調でバンドを紹介するものもいて、ポールはパロディとして絶叫司会者を演じている。

★歌詞の内容はやたらとバンド名を繰り返し歌っているが、これは長ったらしいバンド名を付けたがために、苦行のように辛くても長い名前を言わなくてはならない羽目になったというジョークの意味合いもある。

★アルバム発売の3日後、ロンドンのサビル・シアターで開かれたジミ・ヘンドリックスのコンサートでジミがいち早くカバーして客席にいたポールを感動させた。ちなみに他のメンバーも客席にいたそうである。

【コメント】

★ポール、、、「ボクらがというよりは、彼ら(Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band)が書きそうな曲を作った。」

★ニール・アスピノール、、、「当時、マル・エバンスと共同生活をしていた。2月のある日、ポールから電話があって「曲を書いているんだけど、行っていいか?」という。その曲がSgt. Pepperだった。ポールは書き続け、曲がだんだん形になってきた。ボクは、ポールがいつもコンサートの最後にこう言っていたのを思い出した。「そろそろお別れの時間です。もう寝る時間だ。だから最後の曲です。」って。だからペパー軍曹を司会者にして、最初にバンドを紹介し、最後を締めてはどうかと提案した。後日ポールがそれをジョンに伝えた。するとジョンがボクのところへやってきて「出しゃばると嫌われるぜ」と凄んだ。」

【With A Little Help From My Friends】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年3月29,30日

【レコーディング詳細】

★エンジニアのリチャード・ラッシュによると、ポールはミキシング・ルームでベースを弾き、その音をスタジオで流してマイクを使って収録したと証言している。

【エピソード】

★イントロ部分、ビリー・シアーズ紹介の時に聞こえる大歓声は、ビートルズのハリウッドボウル公演のものである。

★「Little help from my friends」という歌詞を思いついたポールが、そこから発展させていって書き上げた。

★当初のタイトルは「Bad Finger Boogie」。

★歌いだしの「What would you think if i sang out of tune. Would you stand up and walk out on me?(ボクが調子っぱずれな歌を歌ったら、君はボクを見捨てて立ち去ってしまうかい?)」の後半部分は当初「Would you stand up throw tomatoes at me?(立ち上がってボクにトマトを投げつけるかい?)」だった。リンゴ、、、「これだけは絶対に歌えないって言い張ったんだ。コンサートでジェリー・ビーンズとかを投げ込まれていたからね。またステージに上がることがあるかもしれない。そのときにトマトをぶつけられたらたまったもんじゃない。」そう危惧したリンゴはポールに手直しをしてもらった。

★ビリー・シアーズという名前に理由や意味などはなく、ただ響きが良かったので、、、とポールは語っている。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールのアイデアを基にほぼ半分づつ歌詞を書いた。」

★ポール、、、「ペパーのバンドにビリー・シアーズというシンガーがいるというのは理にかなった考え方だろう。」

★ジョージ・マーティン、、、「リンゴの歌は独特だ。この曲のこの味わいは彼にしか出せないだろう。」

★リチャード・ラッシュ(エンジニア)、、、「このアルバム中で、最高のベース・サウンドだ。」

【Lucy In The Sky With Diamonds】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】ロウリーDSOヘリテージ・デラックス・オルガン

【ジョージ・ハリスン】タンブーラ

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年2月28,3月1,2日

【レコーディング詳細】

★ドラムにフェイジング処理を施してあるために、うねるようなサウンドになっている。

★イントロのハープシコードのように聞こえる音は、ポールの弾くロウリーDSOヘリテージ・デラックス・オルガンによるもの。

★ジョンのヴォーカルが甲高く聞こえる。これはテープスピードを落として収録した後に元のスピードに戻す操作を行っており、結果、テープスピードを上げたと同じ効果となっている。

【ミックス、バージョン違い(現行CDで聴くことが出来るもの)】

★モノラル・ミックスではヴォーカルにかけられたフェイジング効果が顕著で、かなりうねったサウンドになっている。

【エピソード】

★ジョンがインスピレーションを受けたきっかけとなったジュリアンの描いた絵が、クリスティーズのオークションに出品される動きがあったが、偽者であるとして出品拒否された。

★ジュリアンの描いたルーシーの絵は現在はピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアが所有している。

★ジョンが子供の頃によく読んでいた「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の世界観にも触発されたと語っている。

★1965年にジョンはミミ伯母さんに紹介されてピーター・サンドマン氏と知り合った。サンドマン氏はクルーザーを所有しており、ジョンはシンシアと共にこのクルーザーで川下りをするのが好きだったそうである。そして船上で写真を撮るさいに「picture yourself in a boat on  a river」と言っていたそうである。

★1971年、ローリング・ストーン誌のジョンのインタビューで「ニュースペーパー・タクシー」の部分はポールが書いたと」語っている。

★タイトルの頭文字をとると「LSD」となることから、マスコミは意図的なネーミングだと分析しているが、ジョンは明確に否定しているし、そもそもジュリアンの絵にはすでにタイトルが書かれていた。後にテレビ出演した際に、自分の過去の作品のタイトルの頭文字について、誤解を招くものはないか調べたと面白おかしく語っている。

★ジョージ・マーティンは当初Aメロに「1音」しか使っていないことに驚いたという。

★1974年に全米1位となったエルトン・ジョンのカバー・シングルはジョンと共演していることでも知られており、秀逸なバージョンとなっている。

★「ルーシー」は実在の人物で、ジュリアンの保育園の友達のルーシー・オドネル。後年、ルーシーが不治の病侵されていることを知ったジュリアンはルーシーを援助している。2009年9月22日に他界している。

★2009年12月15日、ジュリアンはルーシーに捧げた「Lucy」というシングル盤をリリースしている。

 【コメント】

★ポール、、、「ジョンの家に行ったら、ジュリアンが学校で描いたっていう絵が置いてあった。「Lucy In The Sky With Diamonds」っていうタイトルも書いてあった。」

★ジョージ・マーティン、、、「(イントロのフレーズについて)ベートーベンが生きていたら書きそうな旋律だ」

★ルーシー・オドネル(タイトルのルーシー本人)、、、「ジュリアンと私はイーゼルをお互いに立てかけて、向かい合うように絵を描いていました。先生にとっては恐ろしいことですが、互いに絵の具を投げあっていました。ジョンがお抱え運転手と車で迎えに来ました。その日にジュリアンはあの絵を描いたのです。」

【Getting Better】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年3月9,10日、21日、23日

【レコーディング詳細】

【エピソード】

★ジョンのヴォーカル・パートの歌詞は、ポールがこの曲の弾き語りをピアノでおこなっているときに、傍らでギターを弾きながらアドリブでジョンが歌っていた歌詞を採用した。

★タイトルはポールが好天のロンドンのプリムローズ・ヒルを愛犬マーサとともに散歩をしているときに思いついた。

★1964年のワールド・ツアーで扁桃腺炎で戦列を離れていたリンゴの代役を務めたジミー・ニコルの口癖でもあった。

★ポールが書いた手書きの歌詞原稿が、1994年にロンドンのサザビーズ・オークションに出品され、16万1,000ポンド(当時のレートで約2,500万円)で落札された。

★ポールはピアノで作曲したが、使われたピアノは、あの「マジカル・ピアノ」。ダドリー・エドワーズがペイントした有名なピアノは、今でもポールのステージで現役で活躍している。

★3月21日のレコーディング時、ジョンはLSDによるバッド・トリップであやうくEMIスタジオの屋上から転落する危険があった。ジョンの顔色が悪いことに気が付いたジョージ・マーティンは屋上で気分転換のために新鮮な空気を吸ってくるように勧めた。席を外していたポールとジョージがスタジオに戻り、ジョンがいないことに気が付いてジョージ・マーティンにジョンのことをたずね、屋上に行ってしまったいきさつを知る。慌てたポールとジョージは急いで屋上へ向かった。幸いにジョンはバッドトリップが治まっており事なきを得た。ジョージ・マーティンはかなり後になって、この時の騒ぎの真実を知った。

【コメント】

★ポール、、、「ボクが「It's getting better all the time」と歌うとジョンが「It couldn't get much worse」と歌い返してきた。これはイケると思った。まったくジョンと曲を作るのは楽しくてしょうがない。」

【Fixing A Hole】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【ジョージ・マーティン】ハープシコード(エンジニアのリチャード・ラッシュはポールが弾いていたと証言している)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年2月9, 21日 2月9日のレコーディング・セッションは独立系スタジオの「リージェント・サウンド・スタジオ」で行われた。

【レコーディング詳細】

【エピソード】

★EMIスタジオ以外の場所でレコーディングすることになったいきさつは、単純にスタジオを押さえることが出来なかったため。ジョージ・マーティン、、、「彼らは残念なことにあまり計画性が無く、スタジオに入りたいとき「次の2週間スタジオを予約して」というように私に伝えることはしなかった。朝の10時に電話してきて「今夜7時にレコーディングしたいんだけどいいよね?」と言ってきたりした。それで私はいつも急に空いているスタジオを見つけなければならなかった。」

★「Fixing」という単語は「修理している」という意味だが、「麻薬を打つ」という意味のスラングがあることから、BBCでは放送禁止となった。

【コメント】

★ジョン、、、「ポールがいい歌詞を書いている。」

★ポール、、、「(所有する農場の小屋の屋根を修理する歌との説に)そうじゃないよ。ボクはもう独立していて好きなことが出来るんだ。そうしたいのなら部屋をカラフルに塗ってしまうことだって出来るんだよ。」

★ジョージ・マーティン、、、「天井が低く、箱のような小さい部屋の小さなサウンド。」

【She's Leaving Home】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年3月17,20日

【レコーディング詳細】

【エピソード】

★家出少女の記事が載っていた新聞を読んでインスピレーションを受けたポールが書いた。

★歌詞の中に出てくる~a man from the motor trade~(自動車会社の男)とは、長年ビートルズの車のメンテナンスをしていた、リヴァプール出身のテリー・ドーランのことであり、後年はジョージのパーソナル・アシスタントをしていた人物。

★ただしポールは「ただのフィクションだった。イエロー・サブマリンの船長と同じように、実在の人物ではない。ただの典型的な下品な人物なんだ。「ボクの車に乗らないかい?」と言って若い女性を引っかけるような奴さ。」とコメント。

★ジョンがコーラスで歌っている箇所「私たちは生活のすべてを捧げたのに」「お金で買えるものは何だって買ってあげたのに」「自分自身のことなど顧みなかったのに」は,ジョンが少年時代によく聞いた「ミミ伯母さん」の口癖だそうである。

★ジョンが歌うコーラス部分の歌詞は、新聞記事ほとんどそのまま流用したものとの説もある。

★ストリングス・アレンジをジョージ・マーティンに依頼するも、シラ・ブラックのレコーディングで忙しくしていたために断念したポールは、アレンジャーのマイク・リーンダーに依頼した。一刻も早く頭のなかのイメージを具現化したかったためだが、この行動がジョージ・マーティンを怒らせることになった。

★ポール、、、「ボクは早く作品を仕上げたかったので、マイクにアレンジを依頼した。ジョージ(マーティン)にとっては受け入れがたいことだった。そんなつもりはなかったんだけどね。ジョージを傷つけてしまったんだ。」

★複数の旋律が同時進行する「対位法」を用いているが、ポールはそれを教わったわけでもないのに自然に使っていることにジョージ・マーティンは感心している。

【コメント】

 ★シーラ・ブロムバーグ(ハープ奏者)、、、「じつのところポールとは一緒に仕事しづらかった。彼は自分が具体的に何を求めているのかよくわからないみたいだった。だから彼はきちんと説明できなくて、私はありとあらゆるふうに弾いて見せなければならなかった。」

★ジョージ・マーティン、、、「マイクのアレンジは悪くないが、これは甘すぎる。特にハープの音はビートルズにそぐわない。」

★ジョージ・マーティン、、、「アルバムの中でいちばん嫌いな曲。」

【Being For The Benefit Of Mr. Kite !】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年2月17,20日、3月28,29,31日

【レコーディング詳細】

【エピソード】

★曲のインスピレーションはアンティークのサーカスのポスターからジョンが受けた。ジョージのコメント、、、「ケント州セブンオークスでの撮影のあいま、昼休みにレストランに行く途中のアンティーク・ショップでポスターを手に入れた。ほぼそっくりそのままの歌詞が書かれているよ。」

★そのポスターには実際にミスター・カイトを始め、馬のヘンリー、ミスター・ヘンダーソン等、歌詞と同じキャストが書かれている。

★ジョンはサウンドの方向性をジョージ・マーティンとミーティングした際「おがくずの匂いがするサウンド」という、かなり抽象的な表現でサウンド・イメージを語り、ジョージ・マーティンを困惑させた。

★ジョージ・マーティンはスチーム・オルガンの音が最も適しているのではないかと考えたものの、本物のスチーム・オルガンが手配できなかった。そのため今度はマーチなどが録音された既存のテープをバラバラに刻んでさらに放り投げた。それを任意につなぎ合わせたものの、なんとほとんど元通りに復元されてしまった。仕方なくマーティンは今度は独自にテープを貼り合わせてSEを完成させた。

【コメント】

★ジョン、、、「出来はよくないね、サウンドでまともじゃないところがあるのさ。」

★ジョン、、、「早く曲を作らないと、ボクの曲はアルバムでゼロっていうことになる可能性もあったんだ。

★ポール、、、「時々、誰かがジョンが書いた曲と説明しているが、あの午後、あのポスターを見ながらボクがジョンと過ごしたのは一体何だったんだと思うんだ。ジョンはリビング・ルームにあのポスターを貼っていた。ポスターに「Being for the Benefit of Mr. Kite」と書いてあったから、このアイデアが浮かんだんだ。だから曲の一部はボクのものだと正したいんだ。」

 

【Within You Without You】

【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン

【ジョン・レノン】不参加

【ポール・マッカートニー】不参加

【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、シタール、タンブーラ

【リンゴ・スター】不参加

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年3月15、22日、4月3日

【レコーディング詳細】

★レコーダーの回転数を楽器類のレコーディング時のキーよりも半音高く設定してジョージのヴォーカルを収録した。

★エンディングの笑い声はEMIスタジオにある音源ライブラリーの中の「第6巻、喝采と笑い声」を編集したものである。

★様々なインド楽器が使われている中、ドローン音を出すタンブーラは3本使用され、そのうちの2本はジョージとニール・アスピノールが弾いている。

★当初はジョージの弾くアコースティック・ギターも入っていたが、ミキシング時にカットされている。

【エピソード】

★クラウス・フォアマンによれば、ジョージはハーモニウムを使って作曲したということである。

【コメント】

★ジョン、、、「彼の考え方、彼の音楽性、ジョージ・ハリスンという人間がクリアに出ている曲。」

★リンゴ、、、「アルバムの中で大好きな曲。ジョージはすごいよ。」

★ジョージ、、、「インドの楽器を使ったボクなりのポップ・ソング。」

★ジョージ、、、「ラヴィ・シャンカールの曲からインスパイアを受けて作った曲。」

【When I'm Sixty-Four】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】バッキング・コーラス

【リンゴ・スター】ハンド・ベル

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1966年12月6,8,20,21日

【レコーディング詳細】

★エンディング少し前あたりから聞こえるギターはジョン。ジョージは演奏には参加せずにコーラスのみの参加となっている。

【エピソード】

★ポールが10代の頃に書いた曲で、キャバーンクラブのステージで停電の時にポールがピアノで歌ったという話がある。

★当初はシングル盤「Strawberry Fields Forever」のB面としてリリースの予定だった。

★1966年、ポールの父親が64歳を迎えるにあたって作り直したと言われている。

★2006年のポール64歳の誕生日は離婚問題でパーティなどを催すには困難な状況だった。しかし、娘のステラ、メアリーが発起人となり、父親ポールに捧げる「When I'm 64」のマッカートニー家バージョンをアビーロード第2スタジオでレコーディングして、ポールにプレゼントした。リンダの娘でポールの養女ヘザーとポールの息子ジェームス、そしてポールの孫たちも参加した。プロデュースを担当したのはジョージ・マーティンの息子のジャイルズ。歌詞の一部は父親ポールのために一部書き直された。

【コメント】

★ポール、、、「曲を書いたときは本当に適当に決めた数だったんだ。「When I'm 65」としたほうがキリがよかっただろうね。それがイギリスの定年退職年齢だから。韻を踏むのも「aliveとfive」で簡単だし。でもそれじゃ当たり前すぎると思ったんだ。「シックスティフォー」としたほうが、うまい具合に聞こえた。(2006年、ポール64歳)」

★ポール、、、「この曲を書いたときには、実際に64歳になったときのことなんか想像できなかった。その曲のせいで、ボクの年齢に注目が集まってしまったのには、正直困ったよ。ボクは65歳だけど、まだユーモアのセンスと髪の毛は持っているよ。ビートルズ時代のボクと比較されるのは、ある程度しょうがないことだけど、ボクは本当に好きなことをやっているから、書くこと、歌うこと、レコーディング、演奏すること、楽しいよ。(2007年)」

★ポール、、、「17歳の時、ジョンのアートカレッジに通っていた24歳の男を見て、ああ、なんて歳を取っているんだ、と思ったのを覚えている。彼は夕方になるとうっすらヒゲが伸びてきていて、とても気の毒に思った。しかし自分が24歳になった時にはなんて素晴らしい年なんだろうと思った。34歳の時も同じだった。64歳もだ。年を取ることはボクをそんなに悩ませないみたいだ。肉体的に若くなれたら確かに素晴らしいけれど、考え方は若くなりたいとは思わない。ボクは今の考え方に満足している。(2007年)」

【Lovely Rita】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】ギブソンJ-160E

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】ギブソンJ-160E

【リンゴ・スター】

【ジョージ・マーティン】ピアノ(ソロ)

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年2月23,24日、3月7日、21日

【レコーディング詳細】

★カズーのようなポルタメントの効果音はみんなで櫛に巻いたトイレットペーパーの前でハミングした音。

★このアルバムではベースを後からレコーディングすることが多く、この曲も最後にベースをオーバー・ダビングしている。

★ヴォーカルのレコーディングはテープスピードを落として収録。ミックスの時に元に戻されているので若干甲高く聞こえる。

【エピソード】

★当時父親のジェームズの家の周りをブラブラしながら曲の構想を練ったそうである。

★後年、ミータ・デイビスという女性が「この歌のリタというのは自分だ」と名乗り出た。この女性によるとポールに反則切符を切ったことがあり、そのときにポールに名前を聞かれたという。ポールのコメント、、、「単なる偶然だよ。あの駐車違反の切符を切った人のことを作品にしようなんて思わないよ。」

★ミドルの後、「had a laugh and over dinner」のところで誰かが「ポン!」というシャンパンのコルクを抜く口真似をしている。

コメント】

★ジョン、、、「ポールは小説家のように曲を仕立てるんだ。」

★ポール、、、「メーターと韻を踏める名前は「リタ」しか思いつかなかっただけさ。」

★ポール、、、「それまではみんな好き勝手に車を止められたのに、パーキング・メーターが出来て、みんな本当に頭に来ていた。アメリカでは駐車違反取締官のことを「メーター・メイド」って呼ぶことを知ったんだ。この呼び方が妙に気に入って、このメイドを主人公にした曲を書いたんだ。」

★ポール、、、「歌詞については思いついたものを全部くっつけた。」

★ポール、、、「メイドって聞くと、いつもセクシャルなイメージがある。「メーターのメイドさん、ちょっとボクのメーターを検針してくれない?」そんなイメージだよ。」

【Good Morning Good Morning】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はジョンの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】フェンダー・エクスワイヤー

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年2月8,16日、3月13,28,29日

【レコーディング詳細】

★サックス、トロンボーン、フレンチホルンという編成のブラス・セクションは「サウンズ・イン・コーポレーション」のメンバーが担当した。ビートルズのメンバーとはハンブルグ巡業時にスター・クラブで知り合った。ジーン・ビンセントのバックを担当していて、ビートルズの全米ツアーでも前座で出演している。

★ブラス・セクションのサウンドについては、ジョンは「ブラスっぽくないサウンドにしたい。」とエンジニアのリチャード・ラッシュに指示をしている。

★ギター・ソロはポールが担当している。

★エンディングで様々な動物の声などが入っているが、これは弱いものから順番に強い動物になるように並べられており、ジョンは「前の動物に恐怖を与えたり食べたりすることが出来る動物の順番にしたい。」とジェフ・エメリックに指示をしていた。

★動物の鳴き声のサンプリングは、EMIのサウンド・ライブラリーから効果音第35集「動物とハチ」、同じく第37集「キツネ狩り」を使用して作成した。

【エピソード】

★歌詞の中で「meet the wife」という部分があるが、これはジョンがテレビで見ていた昼メロのタイトルである。

【コメント】

★ジョン、、、「オレの曲だ。捨て曲で、その名の通りゴミだ。Good Morning Good MorningというフレーズはケロッグのCMから頂戴した。作曲をするときはいつもテレビをつけていたんでね。」

【Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (reprise)】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】ハモンド・オルガン

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】タンバリン、マラカス

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年4月1日

【エピソード】

★ニール・アスピノールの「オープニングがあるのならエンディングもあったほうがいいじゃない?」とポールに提案したことがきっかけで出来た曲。

★タイトル曲のリプライズでエンディングを締めくくる構成を考える前は、ジョージの「Only A Northern Song」が収録されることになっていた。

【レコーディング詳細】

★いつもの使い慣れたEMI第2スタジオではなく、第1スタジオを使ってレコーディングされた。

★イントロでポールのカウントに被るように、ジョンの「バーイ」という声が聞こえる。

★前の曲「Good Morning Good Morning」のエンディングの雌鶏の「コッ、コッ」という鳴き声と、この曲のカウントが上手く繋がったとジョージ・マーティンは自賛している。

★オープニング・ヴァージョンではポールがリード・ヴォーカルだが、このリプライズではジョンがリード・ヴォーカルを担当している。

【A Day In The Life】

【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー

【ジョン・レノン】

【ポール・マッカートニー】

【ジョージ・ハリスン】

【リンゴ・スター】

【プロデューサー】ジョージ・マーティン

【エンジニア、アシスタント】

【収録日】

★1967年1月19、20日、2月3,10,22日、3月1日

【レコーディング詳細】

★有名なオーケストラの部分は後になってから出てきたアイデアで、ポールの提案による「後で何かを入れるために、とりあえず空白にしておこう。」ということにより、当初は24小節分は空いていた。

★オーケストラのレコーディングは2月10日に行われた。40人ものミュージシャンの参加したレコーディングだったために、通常使われる第2スタジオではなく面積の大きな第1スタジオが使用された

★ポールは90名からなる編成のオーケストラを使いたがっていたが、EMIは40人のオーケストラしか許可しなかった。

★オーケストラ・パートは4テイク録られ、ひとつづつダビングを重ねて最終的には見かけ上160人編成となる重厚なサウンドを作り上げた。

★オーケストラのメンバーへの指示は「各々の受け持ち楽器の最低音から最高音まで、ピアニッシモからフォルテシモまでクレッシェンドで音を出す。」こと。全員がパーティ・グッズの「つけ鼻」をつけることであった。

★後でオーバーダビングする時点で、小節数を把握するためにマル・エバンスのカウントを録音している。マルのカウントにはエコーが深く掛けられている。消去予定であったが最終テイクにカウントの途中部分まで残されることになった。

★壮大なエンディングは、当初はメンバーやスタッフ等スタジオにいる全員が一斉に口で「ワウーン」と歌うものであった。

★「ワウーン」と歌うエンディングは2月22日に、最終的なバージョンになる大音量のピアノのコード一発に差し替えられた。使われたピアノは3台で、ジョン、ポール、リンゴ、マル・エバンスがスタジオ2同時に同じ音を弾き、それをオーバー・ダビングで3回重ねている。

★ポールのパートに入る直前に、24小節目の合図として、ジョンが目覚まし時計の音を入れたということであるが、ポールの歌いだしの歌詞の内容に合わせたとしたら自然だし、ベルが鳴るタイミングも小節に入るタイミングとはズレがあるところから、意図的に入れたものという説もある。

★リンゴのドラミングは手数の多いテクニカルなものであるが、これはポールのアイデアであるとも言われている。

★中間部のポール担当部分が終了した後の「アーアアアー」と歌う箇所がある。ジョンが歌っているというものなどさまざまな説があるが、アビーロードに残されている資料によればポールが歌っているとのこと。

【エピソード】

★ミドルの部分はポールのペンによるものであるが、この部分に関してポールは「通学によく使っていたバスの2階のことを思いだして書いた」と語っている。

★ジョンの歌詞は新聞「デイリー・メール」紙からの引用と記事からのインスパイアで構成されているが、ジョンのように新聞を読んで歌詞を書くという手法は、この後に多くのミュージシャンに影響を与えた。

★「デイリー・メール」の記事は、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの親友でもあったタラ・ブラウンというギネス・ビール社の御曹司が交通事故で亡くなったというもの。ただ、このエピソードはこの曲とは関係がないという説もある。

★インスパイアされたもう一つの記事は、ランカシャー州ブラックバーンの道路に約4,000個の穴が開いているのが判り、それを修理しなくてなならないというものである。

★ボツにはなっているが、別ヴァージョンのエンディングでは、ジョージ・マーティンの代わりにクラウス・フォアマンがピアノを弾いているものがある。

★当初はアルバムのラストは「Sgt. Pepper~(reprise)」で締めくくる予定もあったそうだが、アンコール曲というシチュエーションでこの位置に収まった。エンディングのピアノの長い余韻の後には、次の曲が存在するようには思えなかった、終わりとしか言いようがないとジョージ・マーティンは語っている。

★最初のタイトルは「In The Life Of...」というものであった。

★2010年に、ジョンが書いたこの曲の歌詞の手書き原稿がオークションに出品された、落札価格は120万ドル(当時のレートで約1億1千万円)。出品者はマル・エバンスだった。

★ジョンの作品の真ん中部分にポールの作品を挿入した構成になっているが、ジョンとポールの間にあった「曲を書いた方がリード・ヴォーカルを担当する」という取り決めが律儀に適用されている。

★リリース前にBBCのラジオ番組「ホエア・イッツ・アット」で「A Day In The Life」を除いた全曲が放送された。「A Day In The Life」が除外された理由は、「歌詞の中にドラッグを連想させるワード」がいくつか入っていたため。

【コメント】

★ポール、、、「誰かが歌詞を分析するのは毎度のことだよ。「How many holes it takes to fill the Albert Hall」という部分を思い出してみて欲しい。先週、ボクがサッカーの試合を観に行ったときに、一緒にいた友人からこの質問を受けたんだ。彼はたまたまブラックバーンの出身者だったんだ。人々は今でも質問をし続け、歌詞を分析し続けている。別にボクはかまわないよ。(2007年)」

★ポール、、、「(自身が手掛けたミドルの部分について)毎朝学校に行っていたことを思い出していたんだ。ボクはいつも遅刻をしていた。30分もバスに乗って通っていたんだ。バスに乗るのは好きだったね。」

★ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)、、、「エンディングの余韻は、まるで冥界に落ちていくようだ。」

【Sgt. Pepper Inner Groove (The Run Out Groove)】

★ジョンの発案により、「A Day In The Life」のエンディング終了直後に「犬笛」による高周波数音が収録されている。可聴領域の違う人間にはその音を聞くことは出来ないが、アルバムがCD化された際にジョージ・マーティンが周波数を調整して人間にも聞こえるように収録し直した。

★犬笛の後、レコード盤の最内側の送り溝部分にビートルズの様々なおしゃべりをミックスした音を収録した。その溝は円になっていてレコードから針を上げない限り無限に再生される仕掛けになっていた。

★上記の仕掛けは英国盤のみの仕様で、アメリカ盤では音そのものがカットされていて聴くことは出来ない。また日本盤では「JIS規格(日本工業規格(現 日本産業規格))」の制限で送り溝に音を入れることが出来ず、「A Day In The Life」のエンディングにくっつける形で収録して、その後にレコード針が送り溝へ移動するためにループされない「1回限り」の再生がされる仕様となった。ちなみにCDではループはされるがフェイドアウトしていくものになっている。

★何を言っているのかについては、一般的には「I never could see any other way(他に何も思いつかなかった)」というものが知られていたが、ポールによれば「Thank you for listening. That's all for now(聴いてくれてありがとう。これで終わりです)」と言っているそうである。

★逆回転で再生すると「I was fucking like'n superman」あるいは「Well fuck you like superman」というメッセージが現れると信じられていた。ポールはこれを否定し、リンゴは「逆回転して変な言葉が聞こえるって言うんだったら、また元に戻せばいいじゃないか。」とナイスなコメントをしている。

★アナログレコード時代には、アメリカ盤では聴くことが出来ないことからレア扱いされており、レア・テイクを集めた「Rarities」が1980年にリリースされたときに収録された。

【コメント】

★ポール、、、「人間向けのレコードばかり作っているから、犬にしか聞こえない音も入れてあげよう、なんてちょっとイカレた話になってきた。マーサたちにも聞かせてあげようってことになったんだ。」

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