【Back In The U.S.S.R.】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質はポールの作品)
【ジョン・レノン】ベース、ギター、コーラス
【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、ドラムス、ギター、ピアノ
【ジョージ・ハリスン】ギター、ベース、コーラス
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニア】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年8月22,23日
【レコーディング詳細】
★リンゴはこのレコーディングには参加していない。ポールとの口論のため一時的にバンドを脱退していたためだ。
★ポールはリンゴのドラミングを批判したことが原因とされているが、リンゴ自身も自分のドラミングがイマイチだとの自覚があったという。
【エピソード】
★「Back In The U.S.S.R.」というタイトルは「Back In The U.S.A.」というチャック・ベリーの楽曲名のパロディ。ポールの弟のマイクが「本当にビーチボーイズを呼んでコーラスを担当してもらったら?」とポールに提案したように、この曲のコーラスはビーチボーイズ風というかパロディになっている。しかし「ビーチボーイズ風に僕らが歌うことに意味がある」とポールは語った。またポールはこの曲のヴォーカルを意識的にジェリー・リー・ルイスをイメージして歌っており、ジェリー・リー・ルイス風のピアノの演奏にもなっている。
★ポールは1968年のインド滞在中に作曲。同じくインド滞在中だったビーチボーイズのマイク・ラブにコーラスパートを考える際に手伝ってもらった。またマイクが「ソ連の女の子のことも盛り込んだ方がいい」と提案したことがこの曲の柱となった。
★ジョージ・マーティンは「シングル向けの曲」と考えていた。実際にはシングル発売はされなかったが、解散後の1976年6月25日にアルバム「Rock'n'Roll Music」からの第一弾シングルとしてリリースされた。
【コメント】
★ポール、、、「ふざけた曲だったけど、今ではちょっとした讃歌になった。」
★ポール、、、「(リンゴの代わりにドラムを叩いたことについて)リンゴが下手だと思われないように必死で演奏した。」
★ポール、、、「最初はどちらかというとジェリー・リー・ルイスっぽい。コーラス部分はビーチボーイズの「Barbara Ann」のパロディだ。曲全体の雰囲気はチャック・ベリー。「Back In The U.S.A.」は朝鮮かベトナムか、そういった地獄みたいなところから生還した兵士をヒントにしているけど、だからボクはシベリアに帰還した兵士の最もありえないだろうといったことをパロディにするのは面白いと思ったんだ。」
★リンゴ、、、「ボクがトイレに行くたびに、帰って見るとポールがドラム・セットに座っていた。」
★リンゴ、、、「他のメンバーは上手くいっており、自分だけが上手くいっていないと疎外感を感じていた。」
【Dear Prudence】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー (実質はジョンの作品)
【ジョン・レノン】ヴォーカル、エピフォン・カジノ、コーラス、タンバリン(ポール説あり)
【ポール・マッカートニー】リッケンバッカー4001S、ドラムス、ピアノ、コーラス、フリューゲルホルン、ハンドクラップ
【ジョージ・ハリスン】フェンダー・ストラトキャスター、コーラス、ハンドクラップ
【リンゴ】不参加
【コーラス】マル・エバンス、ジャッキー・ロマックス、ジョン・マッカートニー(ポールの従兄弟)
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニア】バリー・シェフィールド
【収録日】
★1968年8月28,29日
【レコーディング詳細】
★8トラック・レコーダー使用の必要性を感じたからなのか、4トラックの設備しかないEMIスタジオを使用せず、トライデント・スタジオでレコーディングされた。
★「Back In The U.S.S.R.」に続いて、この曲でもポールがドラムを担当している。
★アビーロード・スタジオの資料には「バンジョー」が使われたのかもしれないと思わせる記載がある。
【エピソード】
★インドでの瞑想修行に参加していた、女優ミア・ファローの妹プルーデンスのために書いた曲。
★プルーデンスは瞑想にのめり込むあまりに、自分の小屋から3週間も出てこない状況に周囲はかなり心配して、ジョンが歌で彼女を外に誘い出すことになった。
★一般には、ジョンの試みが功を奏して、歌に惹かれたプルーデンスは小屋から出てきたと言われているが、後日、プルーデンス本人が語ったところによると、瞑想に深く集中していたためジョンのギターと歌は聞こえていなかったそうである。
★この曲で初披露となったジョンのスリー・フィンガー・ピッキングだが、これはドノヴァンから伝授されたものである。
★コーラス部分の「look around round」で低音部を歌っているのがジャッキー・ロマックスである。
【コメント】
★ジョン、、、「マハリシのケアを受けていた彼女が錯乱状態に陥るなんて誰にも予測できなかった。彼女が精神的におかしくなり始めていたので、みんながすごく心配していた。だからオレたちは彼女に歌を捧げた。」
★ジョン、、、「俺とジョージなら彼女に信用してもらえるだろうということで、彼女を外に出す役に選ばれたってわけだ。」
★ポール、、、「リシケシュにはミア・ファローと妹のプルーデンスもいたな。ジョンは彼女のためにこの曲を書いたんだ。彼女はパニックを起こしていてバンガローから出られなくなっていたんだ。」
★リンゴ、、、「プルーデンスはバンガローに引きこもって瞑想をしていた。2週間の滞在中、ボクは彼女を2回しか見なかった。みんなが彼女のバンガローの扉をドンドンと叩いて、「まだ生きているか?」って聞いていたよ。」
★プルーデンス・ファロー、、、「彼らがインドを去るときに、ジョージが私の歌を書いたと言っていましたが、アルバムがリリースされるまではその曲を聴くことはありませんでした。彼らがやったことはとても美しくて、本当にうれしかった。」
【Glass Onion】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】クリス・トーマス
【エンジニア】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年9月11、13、16、26日、10月10日
【レコーディング詳細】
★ミックスの段階でテープスピードを上げているので、実際は少しスローテンポな曲である。
【ミックス違い】
★ジョージ・マーティンが不在だった9月26日にクリス・トーマスがOKを出したエンディングにはサッカー中継の実況が「ゴール!」と叫ぶ声がエンドレスになって聞こえたり、ガラスの割れる音などのサウンド・コラージュ的な雰囲気であった。しかし後にそれを聴いたジョージ・マーティンがボツにして、10月10日にバイオリニストのヘンリー・ダティナーの演奏した奇妙なストリングスを付け加えた。(Anthology 3収録)
【エピソード】
★グラスオニオンという言葉は、イギリスのスラングで「片眼鏡」のこと。昔の貴族などがシルクハットに片方だけのひもが付いた眼鏡といったスタイルでよく見かける。ビートルズの楽曲の裏に隠されたメッセージなどを必死に分析するファンや評論家などをからかった曲。
★アップル・レコードと契約した「アイビーズ」というバンドが「バッドフィンガー」に改名する際に「グラスオニオン」が候補に挙がっていた。
【コメント】
★ジョン、、、「ウォルラスはポールだと言っている部分は、バンドをまとめようとしているポールを褒めたことなんだ。セイウチって実業家タイプだからね。」
【Ob-La-Di,Ob-La-Da】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年7月3~5日、8,9、11,15日
【レコーディング詳細】
★当初はアンソロジーで聴くことが出来るように、アコースティック・ギターを前面に出したフォーク・ロックなアレンジだったが、どうもしっくりこないポールがこのバージョンをボツにして、レゲエのリズムを取り入れたアレンジに激変させた。
★イントロの印象的なピアノは、リメイクに嫌気がさしたジョンが腹立ちまぎれに演奏した(叩いた)ピアノを気に入ったポールが採用した。
★最後のほうでデズモンドとモリーの役割が反対になっているが、これはポールが歌詞を間違えたため。しかし、この方が良いとのジョンの意見でこのままの歌詞となった。
【エピソード】
★日本のGSグループ「カーナビーツ」が日本語ヴァージョンでリリースした際、朝日新聞が「天声人語」で日本の歌と勘違いしてベタほめして失笑を買った。
★曲名の元になった言葉は、ロンドン在住でコンガ奏者、ナイジェリア出身のヨルバ人のジミー・スコットの口癖。
★ヨルバ人の間では「人生は続く」と言った意味でポールはこれをタイトルにしたのだが、ジミーはポールが自分の言葉を盗ったとして金銭の要求をした。ポールはジミーの創作ではないとして取り合わなかったが、妻との離婚で慰謝料が払えずに投獄されたジミーが再度分け前を要求した際、これ以上の要求をしてこないことを条件に支払いに応じた。
★ポール、、、「彼は怒ったよ、分け前を要求してきた。ボクはジミーに言ったよ。「これが君の創作なら君に分け前は行っていたと思うよ。でもこの言葉はただのヨルバ人の表現だろ。」ってね。」
★「life goes on bra」の「bra」とはスコットランドのスラングでそのまま「ブラジャー」のことだそうである。
★イギリスのラジオで最もオンエアされた曲として、1970年5月10日に、全英作詞作曲家協会よりアイヴァー・ノヴェロ賞を贈られている。
【コメント】
★ポール、、、「インド滞在中に一部を書いた。村のイベントに行くときにジャングルの中をギターを弾きながら歩いたんだ。デズモンドは手押し車で市場に露店を出していた、、、とかね。」
【Wild Honey Pie】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニア】ケン・スコット
【収録日】
★1968年8月20日
【レコーディング詳細】
★マルチ・プレーヤーのポールならではの、全楽器担当ポールのひとりバンド。
★最初にレコーディングしたのはギターで、揺れが不思議な独特の音は「クレイジーに弦を引っ張った(ポール)」結果だそうである。
【エピソード】
【コメント】
★ポール、、、「不完全なインストゥルメンタルの一部だから、アルバムに収録しようとは思っていなかった。でもパティが気に入ってくれていたから収録したんだ。」
【The Continuing Story Of Bungalow Bill】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】ヴォーカル、オルガン、口笛
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】タンバリン
【クリス・トーマス】メロトロン
【ヨーコ・オノ、モーリーン・スターキー】ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年10月8日
【レコーディング詳細】
★イントロのスパニッシュ・ギターは、メロトロンに入っているサンプリングしたギターである。
【エピソード】
★インド滞在中に、瞑想参加者のひとり、リチャード・A・クック3世という人物が、ハンティングで虎を仕留めた自慢話を聞いたジョンが作った曲。
★このリックという人物は、瞑想に参加していた母親を訪ねてきただけであり、遊びで現地のガイドを連れてジャングルの中で虎を撃ち殺した。瞑想修行の場での殺生という行為を皮肉った歌詞である。
【コメント】
★ポール、、、「(後年のコメント)この曲でジョンが言っていることは、ボクの動物愛護の主張と同じなんだ。「虎を撃つ必要があったのかい?」ということさ。」
【While My Guitar Gently Weeps】
【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】アコースティック・ギター(ギブソンJ-200)
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ケン・スコット
【収録日】
★1968年7月25日、8月16日、9月3,5,6日
【レコーディング詳細】
★7月25日のバージョンはアコースティック・ギターの弾き語りになっており「Anthology 3」で聴くことが出来る。
★8月16日のレコーディングではバンド編成でトライした。
★9月3日にはジョージがいわゆる「泣いているギター」をイメージしたサウンドを組み込もうと奮闘する。ジョージは一人スタジオ入りし、逆回転のギターでサウンド・メイクを試みるものの上手くいかず断念。
★9月5日に再度レコーディングするも納得する仕上がりにならず、翌日にエリック・クラプトンを呼んでレコーディングを試みる。
★エリックはギターという重要なパートを、今までに外部のミュージシャンが弾いていないことを理由に参加を断ったものの、ジョージは「ボクの曲だからいいんだ」と強引に参加させた。
★9月3,5,6日のレコーディングは、ジョージ・マーティンが長期休暇を取ってしまったために不在。代わりにケン・スコットがその任に当たった。
【エピソード】
★エリックは出来るだけ自分らしさを消し、ビートルズっぽいサウンドにするために、エンジニアのケン・スコットとオシレーターを使って大幅に音を加工したという。
★レコーディング中、ギターやピアノのプレイ、巧みなハーモニー、そしてアイデアを次々と披露するポールの才能にエリックは驚愕したという。
★エリックはレコーディングに使ったレスポールを、レコーディング後にジョージにプレゼントした。
【コメント】
★ポール、、、「ギター・ソロならジョージにも弾けたんだけどね。おいしい所を他人に譲るなんてね。」
★ジョージ、、、「ウォリントンにある母の家で書いた曲だ。中国の易経に書かれていた、すべての出来事は起こるべくして起こっており、偶然というものは無い。どんな些細なものにも意味があるという理論をシンプルにしたものにして出来た曲さ。」
★ジョージ、、、「どれでもいいから本を開いて、最初に目にしたものを元にして書こうと思ったんだ。」
【Happiness Is A Warm Gun】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー
【ジョージ・ハリスン
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年9月23~25日
【レコーディング詳細】
★曲は3部構成になっている。
★イントロからのセクションで歌われている歌詞は、ジョンとデレク・テイラー、そしてジョンの幼なじみの悪友ピート・ショットンの3人がLSDでハイになっていた時にしゃべっていたこと。
★「I Need A Fix~」からの部分は、薬物の注射を想起させると話題になった。
★3部構成の3番目「happiness~ban ban shoot shoot」の間で、「I Will」で聞かれるような「口ベース」の音が聴こえるが、これは管楽器の「チューバ」を口に付けて音を出したという説もある。
【エピソード】
★ジョージ・マーティンがジョンに見せた本、全米ライフル協会発行の雑誌「アメリカン・ライフルマン」掲載の記事の見出しがそのまま曲名になっている。
★「Mother superior 」とはこの頃にジョンがヨーコのことをそう呼んでいたそうである。
★歌詞が性的であることを理由にBBC等の放送局は放送禁止曲に指定した。
【コメント】
★ジョン、、、「(ライフルの雑誌からインスピレーションを受けたことについて)幸せは温かい銃なんてセリフをよくもまあ言えるものだなと思ったよ。温かいということは何かを撃ったばかりということだろ。銃の広告が雑誌に掲載されるという、異常な世の中を曲にしたんだ。」
★ジョン、、、「ひとつの曲の中で、いろいろなことが起こっているのが好きなんだ。この曲では3つの別々の曲のセクションを一つにまとめた。違う種類のロックの世界を通っているようだった。」
★ポール、、、「アルバムの中で最も好きな曲。一編の素晴らしい詩だね。」
【Martha My Dear】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【ホーン・セクション】(トランペット)レオン・カルバート、スタンリー・レイノルズ、ロニー・ヒューズ、(フリューゲル・ホルン)レオン・カルバート、(フレンチホルン)トニー・タンストール、(トロンボーン)テッド・パーカー、(チューバ)アルフ・リース
【ストリングス】(バイオリン)バーナード・ミラー、デニス・マッコネル、ルー・ソフィア、レス・マドックス、(ビオラ)レオ・バーンバウム、ヘンリー・マイヤースコー、(チェロ)レジナルド・ギルビー、フレデリック・アレキサンダー
【収録日】
★1968年10月4,5日
【レコーディング詳細】
★いつものEMIスタジオではなく、トライデント・スタジオでレコーディングされた。
★ポール以外のメンバーは参加していないワンマン・レコーディングというのが通説になっているが、10月4日のセッションの写真にはエピフォン・カジノを弾くジョージが写っており、ジョージは参加した可能性が高い。
【エピソード】
★犬好きのポールが1966年に飼ったイングランド・シープドッグのマーサに捧げた曲。プロモーションフィルム「Strawberry Fields Forever」のエンディング近くでポールの周りをじゃれながら歩く様子が写っている。
★イントロのピアノのメロディは、ポールがピアノの練習をしているときに出来たもの。
【コメント】
★ポール、、、「深読みしてくれても大丈夫なんだけど、ボクの飼い犬について歌った他愛のない曲なんだよ。言っておくけど、マーサとボクの愛は断じてプラトニックだよ。」
【I'm So Tired】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】ハモンド・オルガン
【ポール・マッカートニー】ピアノ
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年10月8日
【レコーディング詳細】
【エピソード】
★「タバコを広めたウォルター・ラリー卿はばか者だ」と罵る歌詞についてポールは「100パーセント、ジョンらしい名フレーズだ。」と絶賛している。
★エンディングのジョンのつぶやきを逆再生すると「Paul is dead man,miss him miss him(ポールは死んでしまった。寂しい 寂しい)」と聞こえるとして、ポール死亡説の根拠の一つととされたが、実際は「Monsieur monsieur how about another one (ムッシュ、ムッシュ、もうひとついかが?)」と言っているそうである。
【コメント】
★ジョン、、、「シンシアとの刺激のない生活に疲れていた。」
★ジョン、、、「I'm So TiredやYer Bluesといった苦悩の曲は、本当にそういった気持ちだったうえで書いたものだ。」
★ジョン、、、「ただ、この曲のサウンドが好きなんだ。」
★ポール、、、「この時期は、ボクらはいろんな意味で疲れていた。」
【Blackbird】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】不参加
【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、マーチンD-28
【ジョージ・ハリスン】不参加
【リンゴ・スター】不参加
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年6月11日
【レコーディング詳細】
★リハーサルの段階で足によるタップ音がしっかり出ていることから、最終的にアレンジとして採用が決定していたと思われる。
【エピソード】
★ポールは無名時代にバッハの名曲「Bouree」をジョージと共によく演奏をしており、クラシック音楽を適当に演奏していたことが、後に生まれるクラシカルなビートルズ・ナンバーが生み出される下地になっているとポールは語っている。「Bouree」を実際にポールがギターで演奏している音源が残されていて、1964年6月23日にニュージーランド公演のために訪れていたホテルでのインタビューの中で聴くことが出来る。
★インド滞在中にポールがバッハの曲をギターで演奏していて発展していって出来た曲。
★さらに2007年になって、ジョージとバッハを弾いていたときに、曲のリフが出来たと詳細を思い出した。
★イギリスのシンガーソングライター、ドノヴァンに「スリーフィンガー奏法」を教わったのだが、ジョンはすぐにマスターしたのにポールはなかなか憶えられなくて、人差し指だけでストロークしてごまかす「スリーフィンガー風奏法」でギターを弾いている。
★人種差別問題を歌った曲で、アメリカの黒人女性の抱える様々な問題について「負けるな、信念を通せ、希望はある」というポールの願いが込められている。
★この曲をレコーディング中、ジョンはEMI内の別のスタジオで「Revolution9」をレコーディングしていた。
★歌詞はスコットランドの別荘のキッチンで書かれた。
【コメント】
★ジョン、、、「歌詞の一部分を提供した・」
★ポール、、、「公民権運動が苦境の只中の頃だった。リトルロックから間もない頃、ボクはブラックバードを黒人の象徴として歌うというアイデアを思いついたんだ。必ずしも黒い鳥である必要は無かったんだけど、そうなった。女の子たちを「birds」と呼ぶようにね。」
★ポール、、、「ジョンはすごいよね、あの弾き方(スリーフィンガー奏法)をマスターしちゃうんだから。ボクはまったくダメだったよ。」
★ポール、、、「バッハの曲をもとにギターでメロディを作り、それを別の方向へ持っていき全く違う次元の曲にして、それに歌詞を当てはめていったんだ。」
【Piggies】
【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン
【ジョン・レノン】テープ・ループ、バッキング・ヴォーカル
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】ヴォーカル、アコースティック・ギター(ギブソンJ-200)
【リンゴ・スター】タンバリン
【ハープシコード】クリス・トーマス
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年9月19,20日、10月10日
【レコーディング詳細】
★豚の鳴き声を入れるアイデアはジョンによるもの。
★笑い声のループを入れるアイデアもあった。
★ハープシコードの使用はクリス・トーマスの進言によるもの。
【エピソード】
★歌詞のなかで「What they need's a damn good whacking(ぶん殴ってキッチリ罰する必要がある)」という部分は、なんと母親のルイーズが考えた。
★「ナイフとフォークで自分のベーコンを食べる、、、」の部分はジョンが考えた。
【コメント】
★ジョージ、、、「この曲は社会に向けた発言さ。」
【Rocky Raccoon】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【ジョージ・マーティン】ピアノ
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年8月15日
【レコーディング詳細】
★ジョージは演奏には参加していない。
ポールのベースに加え、ジョンもトレモロが掛かったベースを弾いている。
★ジョージ・マーティンが弾いているホンキートンク調ピアノは、テープスピードを半分に落としてレコーディングした。
【エピソード】
★インドでの瞑想修行中に出来た曲で、宿泊していたバンガローの屋根の上で書いた。ジョンとドノバンも曲作りに協力した。
★当初のタイトルは「Rocky Sassoon」だった。
【コメント】
★ポール、、、「ギデオンって誰なんだか分からないんだよ。未だに彼が何者なのか知らないんだ。善人だったということは確かなようだけど。」
【Don't Pass Me By】
【作詞・作曲者】リチャード・スターキー
【ジョン・レノン】不参加
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】不参加
【リンゴ・スター】
【ジャック・ファロン】フィドル(バイオリン)
【クリス・トーマス】スレイベル
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年6月5,6日、7月12,22日
【レコーディング詳細】
★ポールが弾くピアノはミックスの段階で大幅に加工された。
★ジョージ・マーティンはジャック・ファロンに、通常カントリーでのフィドル特有の弾き方をやらないで、カントリーの雰囲気を出してくれとの難しい注文をしたために、ジャックは悪戦苦闘して弾いたという。
【ミックス、バージョン違い(現行CDで聴くことが出来るもの)】
★ステレオに比べてモノラル・バージョンはリンゴのボーカルが可愛らしい声になってしまうほど速い。
【エピソード】
★リンゴ、初の単独作品である。
★1964年にインタビューで作曲はしないのか聞かれた時に「Don't Pass Me Byという曲を書いている。」と答えている。4年間、未完成のままだった。
【コメント】
★リンゴ、、、「家でボーっとしているときに書いた。」
★リンゴ、、、「ボクが初めて自分で書いた曲が出来上がった時には本当に感動した。みんな本当によく助けてくれた。」
【Why Don't We Do It In The Road ?】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】不参加
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】不参加
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年10月9,10日
【レコーディング詳細】
★最初のパーカッションの音は、ポールがアコースティック・ギターのボディを叩いているものだが、初期のバージョンにはそのままアコースティック・ギターを弾きながら歌っていることから、最終的に最初のカウント部分だけを残してアコースティック・ギターの音はカットした可能性もある。
【エピソード】
★マハリシの瞑想修行でインドに滞在していた時に、野生の猿の交尾を見たポールがインスピレーションを受けて書いた曲。
【コメント】
★ジョン、、、「ポールの書いた傑作のうちのひとつだ。」
★ジョン、、、「オレが歌っていたら、もっと良い出来になっていた。レコーディング時に、なぜかオレはスタジオにいなかったんだ。誕生日だったからなのかなあ。」
★ジョン、、、「ポールはひとりでレコーディングをしていた。あの頃はそれも認められていたんだ。ポールが自分でドラムを叩きピアノも弾く。そして歌う。だったらソロでやればいいじゃないかと思うんだけど、なぜかポールはビートルズを離れることが出来なかった。ポールが俺たちに声をかけることなく何かを作り出すとき、いつも悲しい気分になった。でも当時はそんな風だった。」
★ポール、、、「わざとジョンとジョージに黙っていたわけじゃないんだ。ちょうどその時はジョンとジョージが何かの仕上げに没頭していてから、暇そうにしていたリンゴを誘ってレコーディングしただけなんだ。」
【I Will】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年9月16,17日
【レコーディング詳細】
★ジョンが叩いているパーカッションは「何かの骨」ということで民族楽器の様なものなのか、はっきりしたことは不明である。
★リンゴはシンバル、マラカス、ボンゴの3種類のパーカッションを演奏しているが、別々ではなくワンテイク内で叩いている。
★ベースはポールが口でベース・ギターの音を真似て歌っているものがオーバーダビングされている。現在で言うボイス・パーカッションの原型ともいえる。
★ジョージは不参加である。
【エピソード】
★インドで瞑想修行中にリシケシュのバンガローの屋根の上で作曲された。そばにはジョンとドノバンもいたそうである。
★歌詞は、リシケシュのバンガローの上で見る「月」について歌ったことがきっかけになり書いたそうである。
★メロディの原型はずっと前からポールの頭の中にあったということで、歌詞は全く出来ていない状態だった。バンガローの屋根の上で書いた歌詞を曲に乗せてドノバンに歌って聞かせたところ、気に入ってもらえたことで、そのまま作曲を進めていったそうである。
【コメント】
★ポール、、、「今まで書いた曲の中でも、フェイバリット・メロディのひとつだ。」
★ポール、、、「ボクらはハンブルグで一晩中ロックン・ロールをやっていたわけじゃなかったんだ。ビジネスマン系の客が来た時には「マンボを演ってよ」「君たちルンバは出来る?」とかリクエストするんだ。ボクたちもいつまでもノーと言ってるわけにもいかないんで、そのうちにそういった曲も覚えていくようになった。そのあたりのタイプの曲がこの「I Will」なんだ。そういう経験が反映されているから、このアルバムはバラエティに富んでいるんだ。」
【Julia】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年10月13日
【レコーディング詳細】
★演奏には他のメンバーは参加しておらず、ジョン単独のレコーディングとなったが、アドバイスを求めたりしたかったのか、ポールがレコーディングに同席している。
★完成バージョンはスリーフィンガーでギターを弾いているが、別テイクではストロークで弾いているものもある。
【エピソード】
★両親の離婚、別居、そして交通事故で少年ジョンを残してこの世を去った母「ジュリア」への思いを歌った曲。
★「オーシャン・チャイルド」はそのまま訳して「洋子」となり、ヨーコへの想いも込められている。
【コメント】
★ドノバン、、、「深い瞑想はジョンに昔のことを思い出させた。そこから自分の母親と、自分が経験できなかった子供時代を歌ったこの曲が出来た。たしかにジョンにアドバイスはしたけど、ボクはただ道筋を示しただけで、歌詞のすべては彼が書いたものだよ。」
【Birthday】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー
【ジョン・レノン】ヴォーカル、エピフォン・カジノ(?)、フェンダー・ローズ(?)
【ポール・マッカートニー】ヴォーカル、リッケンバッカー4001S、ピアノ(?)、エピフォン・カジノ(?)
【ジョージ・ハリスン】コーラス、ギブソン・レスポール・スタンダード、タンバリン
【リンゴ・スター】ラディック・スーパー・クラシック、タンバリン、ハンド・クラッピング
【ヨーコ・オノ、パティ・ボイド】コーラス
【マル・エヴァンズ】ハンド・クラッピング
※シェーカー、、、不明
【プロデューサー】クリス・トーマス
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年9月18日
【レコーディング詳細】
★ヨーコとパティのコーラスはスタジオ内ではなく、スタジオの外のどこかの部屋で録音されたという。
【エピソード】
★ジーン・ビンセントやエディ・コクランなどのロック・スターが出演する映画「The Girl Can't Help It (邦題 女はそれを我慢できない)」がテレビで放映されることをクリス・トーマスから聞いたビートルズのメンバーは、急遽レコーディングを中止して、スタジオ近くにあったポールの家でみんなで映画鑑賞をした。
【コメント】
★ジョン、、、「ポールとふたりでスタジオで書いた。」
★ポール、、、「テレビで映画「The Girl Can't Help It (邦題 女はそれを我慢できない)」の放送があるって聞いたんで、それが見たくて5時からレコーディングを始めた。急いで12小節のブルース風のバッキングだけをレコーディングしたんだ。どんなふうに仕上がるか見当もつかなくて、あれこれやってみた。みんなでボクの家で映画を観て、その後スタジオに戻り歌詞を作ったんだ。お気に入りの曲だよ。」
【Yer Blues】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年8月13、14,20日
【レコーディング詳細】
★ワイルドでパワーのあるサウンドを狙って、第2スタジオ内で物置きとして使われていた「ルーム2A」内にドラムをセッティングして、他のメンバーは従来どおり第2スタジオでレコーディングしようとしたが、リズム・セクションの相方のポールがそばにいないと無理だというリンゴの訴えでポールも狭いルーム2Aへ。そのポールが今度はジョンがいてくれないと困ると主張しジョンもルーム2Aへ。ジョージ一人が広い第2スタジオ内に残るが、最後にはジョージも部屋に入り、窮屈なレコーディングとなった。
★アンプから出た音が他のマイクで拾うことを極力避けるために、アンプは壁に向けてセッティングされた。
★ヴォーカルやギターはすべて撮り直しされているが、ドラムのトラックに、せーので録ったギター等の音が残っていて、それと重なって独特のサウンドになっている。
★リンゴは、スネアのみオーバー・ダビングをしている。
【エピソード】
★ジョンは解散後のインタビューで、当時のブルース・ブームの影響も多少あったと発言し、本場アメリカの下手クソなまねごとを、ビートルズや他のイギリスのバンドが演ることにバツが悪い思いをしていたと語っている。
【コメント】
★ジョン、、、「インドの美しい景色の中で書いた曲なのに、世界でいちばんみじめな曲が出来た。丘の上で神の所へ達しようと瞑想しながら、もう一方で自滅的な気分に落ち込んでいた。」
★ジョン、、、「オレはブルースを歌うことに照れがある。ポールは「ヤー・ブルース」なんて呼ばずにストレートに言っちゃえよって言っていたけど、でも照れくさくてこのタイトルにしたんだ。」
【Mother Nature's Son】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ケン・スコット
【収録日】
★1968年8月9,20日
【レコーディング詳細】
★ホーンのアレンジは、ポールが鼻歌やピアノで弾いたものをジョージ・マーティンが採譜している。
【エピソード】
★インド滞在中に書いた曲で、ジョンも同じようなシチュエーションで「Child Of Nature」という曲を書いて、どちらも瞑想体験からインスピレーションを受けた曲だとジョンは語っている。
★この曲がレコーディングされた時期は、メンバー間に緊張が張り詰めていて、レコーディング中にジョンとリンゴがスタジオに入ってきた時には気まずい雰囲気が漂っていた。ジョージはレコーディング期間中にもかかわらず、ギリシャ旅行に出かけてしまっている。
【コメント】
★ポール、、、「Born a poor young country boy なんて歌っているけど、ボクはウールトン病院生まれなんだ。」
【Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】ハンド・ベル
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】チョカルホ
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年6月26,27日、7月1,23日
【レコーディング詳細】
★アップテンポで明るい雰囲気の曲だが、レコーディング中のメンバーの様子は曲調とは裏腹にピリピリと緊張感が張り詰めていたという。
【エピソード】
★歌詞の中に出てくる「such a joy」はマハリシの口癖だったという。
【コメント】
【Sexy Sadie】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
1968年7月19、24日、8月13,21日
【レコーディング詳細】
【エピソード】
★定説では、瞑想修行に参加していた女優のミア・ファローにマハリシが関係を迫ったことに対し、激怒したジョンがマハリシに抗議。何のことか分からないという態度のマハリシに対し、卓越した能力を持っているなら何のことかわかるはずだと言って、ジョンとジョージは帰国することに。タクシーを待っている間に出来た曲だそうである。
★後にジョージはマハリシ事件はデマの可能性があると発言し、その後にはアップルのエレクトロニクス部門の責任者であったマジック・アレックスが流したデマだったことがわかった。
★最初のタイトルはズバリ「マハリシ」。また初期のテイクには「Maharishi, you fucking cunt 」「Who the fuck do you think you are」などの過激な歌詞があった。しかしジョージが説得して「Sexy Sadie」に落ち着いた。
★ポールは「四文字」を入れることに賛成していた。
★乗り気がしないジョージの雰囲気、ジョンの感情先走りの演奏もあってか4人の演奏も当初はパッとしないものだったが、ジョン以外のビートルズのメンバーにバッシングを受けていた、と言われていたヨーコの「ビートルズならもっと良いSexy Sadieが出来るはずよ」の言葉でメンバーが真剣さを取り戻し、引き締まったレコーディングになったという。
★「Sadie」とはヒンドゥー教の行者「サドゥー」をヒントにしたジョンの造語。
★特にジョンがマハリシの俗人的行為に失望し落胆したことで、ビートルズはマハリシと決別したということが定説となっているが、ビートルズのメンバーやその他取り巻き連中が、マハリシの道場でLSDをやっていたことに対して、マハリシが退去を求めたことが原因との説もある。
【Helter Skelter】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】クリス・トーマス
【エンジニアー】ジェフ・エメリック
【収録日】
★1968年7月18日、9月9,10日
【レコーディング詳細】
★ギター・ソロの時に一瞬ポールが笑っているが、これはジョージが灰皿を頭上に掲げてスタジオ中を走り回っていたのをポールが見て、思わず笑ってしまったことによるもの。
★当初は27分もの長さのバージョンもあった。
★エンディングの叫びはリンゴ。「指にマメが出来ちまったぜ!」
★クリス・トーマスがプロデュースをしているのは、ジョージ・マーティンが突如休暇を取ってしまったため。雰囲気の悪いスタジオの様子に嫌気がしていたという。
【ミックス違い】
★ステレオではフェードアウト後に曲が終わったと思ったらフェードインして曲が続くが、モノではフェードアウトしてそのまま終わり。もちろん最後のリンゴの叫びも無い。
★これは熱心なファンがステレオ、モノ両方のアルバムを買ったときに、違っていたほうが面白いとのポールのアイデアによる。
【エピソード】
★メロディメーカー誌に掲載されたピート・タウンゼントのコメントにポールが触発されて書いた曲。
★ピートは自分たちの新曲について「俺たちが今までに書いた曲で、最もラウドで激しくてダーティーだ。」とのコメントに対して、ポールは「ようし、彼ら以上にぶっ飛んだ曲を作ってやろうじゃないか。」と熱くなった。
★ちなみにピートが語った曲は「恋のマジック・アイ(I Can See For Miles)」だが、ポールは今でも何という曲だったのか知らないという。
★「Helter Skelter」の語源は、イギリスの遊園地で見られる、大きな塔の周りに滑り台を取り付けた遊具のことである。
【コメント】
★リンゴ、、、「この曲は本当はもっと長くて激しい曲だった。あれこそがジャム・セッションと呼ぶべきものだね。やっているうちにだんだんとそうなっていった。ドラムセットから離れるときには、ああやって叫ぶしかなかったよ。」
【Long Long Long】
【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン
【ジョン・レノン】不参加
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】ギブソンJ-200
【リンゴ・スター】
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年10月7~9日。
【レコーディング詳細】
★ジョージはレコーディング中、スタジオ内でお香を焚いた。
★エンディングでレズリー・スピーカーの上に置いたワイン・ボトルが振動で、かなり大きな音でカタカタなっている音がしている。
【エピソード】
★当初のタイトルは「It's Been A Long Long Time」だった。
★曲のコード進行は、ボブ・ディランの「Sad Eyed Lady Of The Lowlands」の影響を受けたとジョージは語っている。
【コメント】
★ジョージ、、、「この曲で歌っている「あなた」とは神のことなんだ。」
【Revolution 1】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】タイプライター
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【デレク・ワトキンス、フレディ・クレイトン】トランペット
【ドン・ラング、レックス・モリス、J・パワー、ビル・ポービー】トロンボーン
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年5月30,31日。6月4、21日。
【レコーディング詳細】
★ジョンは「マイクが顔の前にないといけないなんて誰が決めた。」ということで、寝転がってヴォーカルを収録している。
★当初は後半部分にサウンド・コラージュのある10分を超える長さであったが、その部分は「Revolution 9」に使われることになった。
【エピソード】
★ジョンはこのスロー・バージョンのほうのシングル発売を望んでいて、タイトルもこちらが「Revolution」であった。
★ジョンは自宅のテレビで、フランスの5月革命の報道を見ながら、この曲を書いたという説がある。
【コメント】
★ジョン、、、「インドの山で革命について考えていた。その頃はまだ神が俺たちを救ってくれるんだと考えていたけど、とにかくオレは革命に対して意見が言いたかったんだ。」
★ジョン、、、「この曲には2つのバージョンがあるけど、シングルでは「頭数に入れないでくれ」と歌ったら、反体制派は去っていったね。アルバム・バージョンでは「入れてくれ」と付け加えたんだけど。殺されるのは嫌だからね。確信が持てないから両方言ったんだよ。」
★ジョン、、、「毛沢東のことは書くんじゃなかった。(1971年)」
【Honey Pie】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはポールの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【デニス・ウォルトン】サックス 【ロナルド・チェンバレン】サックス 【ジム・チェスター】サックス 【レックス・モリス】サックス 【ハリー・クライン】サックス
【レイモンド・ニューマン】クラリネット 【デビッド・スミス】クラリネット
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年10月1,2,4日。
【レコーディング詳細】
★EMIスタジオではなく、トライデント・スタジオを使用している。
★イントロ部分では、蓄音機の雰囲気を出すための、レコード針の出すスクラッチ音を効果音として使っている。
★クラリネットとブラスのスコアはジョージ・マーティンが担当した。
【エピソード】
★曲の原型は1964年頃に出来ていた。
★少年時代に父親のジェイムズがかけていた古いレコードの曲を思い出しながらこの曲を書いたという。
【コメント】
★ポール、、、「1920年代のソングライターになった気分で書いた。この曲では、ボクが一緒に育ったボードビルの伝統に首を縦に振ったんだ。コール・ポーター、フレッド・アステア、そしてナット・キング・コールに曲を書いた人たちを尊敬しているんだ。」
★ジョージ、、、「(ジョンのギターは)まるでジャンゴ・ラインハルト(著名ジャズ・ギタリスト)みたいだ。これ以外の音使いは考えられないほどの素晴らしいギターソロだ。」
【Savoy Truffle】
【作詞・作曲者】ジョージ・ハリスン
【ジョン・レノン】不参加
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【クリス・トーマス】オルガン、エレクトリック・ピアノ
【ロニー・ロス、バーナード・ジョージ】バリトン・サックス 【アート・エレフソン、ダニー・モス、ハリー・クライン、デレク・コリンズ】テナー・サックス
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年10月3,5、11、14日
【レコーディング詳細】
★派手なブラスセクションはクリス・トーマスのアレンジによるもので、ジョージ・マーティンがクリスに全権を任せたのだそうだ。
★一度録ったブラスの音をスピーカーから出して歪ませて再度レコーディングをしている。この時にクリスはブラスを担当したミュージシャンたちに、せっかくの素晴らしいサウンドを加工するようなことをして申し訳ないと謝罪をした。
【エピソード】
★「グッド・ニューズ」というチョコレートの詰め合わせの中にある一つのお菓子の名前が、そのまま曲のタイトルになった。
★エリック・クラプトンが度を超す量を食べていたのを見かねたジョージが、その気持ちを曲にしたそうである。
★「クリーム・タンジェリン」などのチョコ菓子の名前がいくつも歌詞の中に登場するが、これらは「グッド・ニューズ」に入っている実際のお菓子の名前である。
★「君はそれをすべて引き抜かなくてはならない」という歌詞の中の「それ」とはエリックの「虫歯」のことであり、かなりの虫歯だらけだったという。
【コメント】
★ジョージ、、、「ブリッジの歌詞に悩んでいたら、デレク・テイラーが「You know that what you eat you are」の部分を書いてくれたんだ。」
【Cry Baby Cry】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【ジョージ・マーティン】ハーモニウム
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年7月15,16,18日。9月16日。
【レコーディング詳細】
★エンディングには、ポールが「I Will」のレコーディング時にアドリブで演奏した「Can You Take Me Back ?」の一部分が編集で付け加えられている。
【エピソード】
★粉ミルクのTVコマーシャルと、マザーグースの童謡のひとつ「6ペンスの唄」にインスピレーションを得て書かれた。
【コメント】
★ジョン、、、「ゴミのひとつだ。」
【Revolution 9】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】ボイス、テープ・ループ
【ポール・マッカートニー】(厳密には不参加)
【ジョージ・ハリスン】ボイス、テープ・ループ
【リンゴ・スター】テープ・ループ
【ヨーコ・オノ】ボイス
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年5月31日、6月10,11,20日。
【レコーディング詳細】
★「Revolution 1」のセッションは当初10分以上もあったが、後半部分の前衛的な部分を抜き出して、それに新たに声や音を加えた。
★「ナンバー・ナイン」と連呼しているのは、エンジニアがテストとして連呼したテープをライブラリーから偶然発見したもの。
★ステレオの効果を存分に発揮させてリスナーに迫力のある音を届けようと意気込んで、ステレオのミックスにはほとんど無関心なジョンがこの曲だけは立ち会っている。
【エピソード】
★「9」が付けられたのは、ジョンのラッキー・ナンバーによるもの。
★オープニングで聞こえる会話は、ジョージ・マーティンにクラレットの赤ワインを持ってくるのを忘れたアリステア・テイラーが謝罪している様子である。
★ポール、ジョージ、リンゴ、ジョージ・マーティンは、この曲をアルバムに収録することをあきらめてくれとジョンを説得したが無駄であった。
【コメント】
★ジョン、、、「あれは完全にボクの考えだった。100%そうさ。マーティンが「サウンドによる絵を描いた」なんていうのは、それこそまさに幻覚だね。関係者の誰にでも聞いてみたらいい。最終的な編集はボクとヨーコでやったんだ。もちろんマーティンにはすごく助けられたよ。ボクらの曲を実際の音楽にするために必要な技術を持っていたからね。だけど、カメラマンが監督の功績を持っていくっていうのは、ちょっと行き過ぎだろう。」
★ジョン、、、「革命を音で表現した。」
【Good Night】
【作詞・作曲者】ジョン・レノン、ポール・マッカートニー(実質的にはジョンの曲)
【ジョン・レノン】
【ポール・マッカートニー】
【ジョージ・ハリスン】
【リンゴ・スター】
【ジョージ・マーティン】ピアノ、チェレスタ
【コーラス】「マイク・サムズ・シンガーズ」イングリッド・トーマス、パット・ウィットモア、バル・ストックウェル、アイリーン・キング、ロス・ギルモア、マイク・レッドウェイ、ケン・バリー、フレッド・ルーカス
【プロデューサー】ジョージ・マーティン
【エンジニアー】
【収録日】
★1968年6月28日、7月2,22日。
【レコーディング詳細】
★初めてリンゴが単独でレコーディングを行なうことになって、とても緊張していた。
★当初は、曲が始まる前にジョンのギターをバックにリンゴの語りが入るプロローグ部分があった。
【エピソード】
★ジョンが息子のジュリアンのために書いた曲。
★ジョンは曲を作ってみたものの、自分で歌うのはちょっと恥ずかしいからリンゴにまわした。と発言しているが、実際は最初からリンゴのボーカル用に作った。
★映画音楽やディズニーの挿入歌のようなアレンジにしたかったジョンは、ジョージ・マーティンに「砂糖をまぶして、思いっきり甘くしてくれ。」と頼んでいる。
【コメント】
★ポール、、、「ジョンがこの曲を歌うのを聴いたけれど、素晴らしかった。ジョンは滅多に優しさや繊細さを見せることはなかったけど、この曲ではそういう面を見せているよ。」
★リンゴ、、、「みんなはボクがこの曲を歌うためにポールが書いた曲だと思っているようだけど、実際はジョンがボクのために書いてくれた曲だ。ジョンは多くのソウルを持っているんだよ。」